デーメル

2020年11月27日

デーメル「労働者(Der Arbeitsmann)」①

きょうからしばらく、ドイツの詩人リヒャルト・デーメル(Richard Dehmel)=写真=の「労働者(Der Arbeitsmann)」という詩を読んでみることにします。

  Der Arbeitsmann

Wir haben ein Bett,wir haben ein Kind,
Mein Weib!
Wir haben auch Arbeit,und gar zu zweit,
Und haben die Sonne und Regen und Wind,
Und uns fehlt nur eine Kleinigkeit,
Um so frei zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.

Wenn wir sonntags durch die Felder gehn,
Mein Kind,
Und über den Ähren weit und breit
Das blaue Schwalbenvolk blitzen sehn,
Oh,dann fehlt uns nicht das bißchen Kleid,
Um so schön zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.

Nur Zeit! wir wittern Gewitterwind,
Wir Volk.
Nur eine kleine Ewigkeit;
Uns fehlt ja nichts,mein Weib,mein Kind,
Als all das,was durch uns gedeiht,
Um so kühn zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.

リヒャルド・デーメル

以下は、私の粗訳です。

  労働者

          リヒャルト・デーメル       

ぼくらにはベッドがある、子どももいる
ぼくの妻!
ぼくらには仕事がある、たっぷり二人分の
そして、お日さまが、雨が、風がある
けれど、たったひとつ何てことないものが欠けている
鳥たちみたいに、自由であるための
時間だけが
                             
日曜になればぼくらは畑へ出かける
ぼくの子
穂波のうえの、あちら、こちらで
青いツバメたちのむつみ戯れるキラめき
ああ、ぼくらにだってちょっとしたドレスくらいはある
鳥たちみたいに、快くあるための
時間だけが

時間だけが! ぼくらは嵐が来るのを嗅ぎつける
ぼくらは庶民
ほんの小さな永遠だけ
ぼくらに欠けているものはない、ぼくの妻、ぼくの子、
ぼくらを豊かにするもののほかには
鳥たちみたいに、大胆であるための
時間だけが

デーメルの人物像について、手塚富雄は次のように記しています。

デーメル、リヒァルト Richard Dehmel(1863-1920) ドイツの抒情詩人。印象主義の世代に属する巨星。ブランデンブルク州に林務官の子として生れる。ベルリン大学に学んでから、保険会社に95年まで勤務。第1詩集『救済』(91)はリーリエンクローンの激賞を受け、以来2人は厚い友情で結ばれた。
 自然主義の潮流の中に出発して、民衆への人間的同情を基調として社会主義的傾向をもち、数は少ないが、「働く人」などのその方面の詩は、世の耳目をひき、労働者をうたったドイツ詩の先駆をなした。しかし、彼の本領は陶酔的にエロスをうたい、それを思想的に高貴化して、根源的に世界と一体となろうとする意欲の高唱にあり、その点で完全に模写的自然主義を脱却した。

象徴的に迫る感覚の鋭敏さはリーリエンクローンにつながり、形而上的思想性はニーチェに触発された。その陶酔的激情性は表現主義をも志向する。彼の生涯の最後の陶酔的体験は1914年より第1次大戦に志願して参加したことであるが、この参戦日記『国民と人類の間に』(19)は最初の感激からいたましい幻滅への変化を告げている。
 詩集には前記の『救済』のほか、『しかし愛は』(93)、『女と世界』(96)、『美しい激しい世界』(13)などがある。それらの詩を通じて「燃える熱情をもって神と野獣の間を打回り」、しかも自分の行路を顧みるとき「1つの熱情だけは忠実ににない続けられた。全世界への情熱だ」という彼の詩句に見られる態度が貫かれた。

調和に達してはそれを破り、つねに新たに敢行するところに、彼の詩作の生命の力動性がある。彼の恋愛体験もきわ立ったもので、外交官夫人であったイーダ・コブレンツとの恋愛を成就し、詩人の最初の妻は身をひいた。この体験を土台として一種の叙事詩『人ふたり』(03)が生れた。詩人自身はこれを自分の代表作としている。高位の女性と秘書との恋愛が、苦悩と反逆と歓喜をへて、静かな明澄に達し、大きい法則に従って別離に終るのである。デーメルは、官能と思想の世界を力強く新時代の抒情詩のために開き、その影響は非常に大きく、カロッサも自伝でたびたびそれをいっている。(1)

(1)『増補改訂 新潮世界文学辞典』(新潮社、1990.4)p.686-687


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2020年11月28日

デーメル「労働者(Der Arbeitsmann)」②

みのうから読んでいるドイツの詩人リヒャルト・デーメル(Richard Dehmel)の詩「労働者(Der Arbeitsmann)」のつづきです。

Wir haben ein Bett,wir haben ein Kind,
Mein Weib!
Wir haben auch Arbeit,und gar zu zweit,
Und haben die Sonne und Regen und Wind,
Und uns fehlt nur eine Kleinigkeit,
Um so frei zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
ぼくらにはベッドがある、子どももいる
ぼくの妻!
ぼくらには仕事がある、たっぷり二人分の
そして、お日さまが、雨が、風がある
けれど、たったひとつ何てことないものが欠けている
鳥たちみたいに、自由であるための
時間だけが

Wenn wir sonntags durch die Felder gehn,
Mein Kind,
Und über den Ähren weit und breit
Das blaue Schwalbenvolk blitzen sehn,
Oh,dann fehlt uns nicht das bißchen Kleid,
Um so schön zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
日曜になればぼくらは畑へ出かける
ぼくの子
穂波のうえの、あちら、こちらで
青いツバメたちのむつみ戯れるキラめき
ああ、ぼくらにだってちょっとしたドレスくらいはある
鳥たちみたいに、快くあるための
時間だけが

Nur Zeit! wir wittern Gewitterwind,
Wir Volk.
Nur eine kleine Ewigkeit;
Uns fehlt ja nichts,mein Weib,mein Kind,
Als all das,was durch uns gedeiht,
Um so kühn zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
時間だけが! ぼくらは嵐が来るのを嗅ぎつける
ぼくらは庶民
ほんの小さな永遠だけ
ぼくらに欠けているものはない、ぼくの妻、ぼくの子、
ぼくらを豊かにするもののほかには
鳥たちみたいに、大胆であるための
時間だけが

Der Arbeitsmann
                   
この詩のAlan Jeffersonによる英訳は、次のようになります。

We have a bed, we have a child,
My wife!
We have also work - work for two,
and have the sun and rain and wind;
and we lack just one small thing
to be as free as the birds are:
Just time.
                                         
When on Sundays we go through the fields, 
My child,
And above the corn, far and wide,
the blue swallows can be seen flashing,
Oh, then, we lack no items of clothing
to be as fine as the birds are:
Just time.

Just time! We sense a stormwind,
we the people.
Just one small eternity;
We lack nothing, my wife, my child,
but all that thrives through us,
to be as bold as the birds are:
Just time.
=Jefferson, Alan. (1971) The Lieder of Richard Straus, Cassel and Company, London.page 99.

この詩は、デーメルの詩集『Weib und Welt(女と世界)』(1896年5月10日脱稿、同年10月刊行) に収録されています。後の回でどくわしく説明したいと思いますが、1895年8月から1896年5月に作られた作品ではないかと考えられます。

ひと目でわかるように、各7行、3連からなります。各連の最終行(7行目)はいずれも「Nur Zeit.」、英訳だと「Just time.」に統一されています。

さらに、各連の最後から2行は、

um so □□□□ zu sein, wie die Vögel sind:
Nur Zeit.

英訳だと

to be as □□□□ as the birds are:
Just time.

のリフレインになっていることがわかります。

□□□□には「frei」「schön」「kühn」

英訳の場合、「free」「fine」「bold」が入ります。

各連の2行目は原詩では、「mein Weib」「mein Kind」「wir Volk」と、「My wife」「My child」「we the people」と、(所有or人称)代名詞+人、になっています。


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2020年11月29日

デーメル「労働者(Der Arbeitsmann)」③

ドイツの詩人リヒャルト・デーメル(Richard Dehmel)の詩「労働者(Der Arbeitsmann)」を読んでいます。

Wir haben ein Bett,wir haben ein Kind,
Mein Weib!
Wir haben auch Arbeit,und gar zu zweit,
Und haben die Sonne und Regen und Wind,
Und uns fehlt nur eine Kleinigkeit,
Um so frei zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
ぼくらにはベッドがある、子どももいる
ぼくの妻!
ぼくらには仕事がある、たっぷり二人分の
そして、お日さまが、雨が、風がある
けれど、たったひとつ何てことないものが欠けている
鳥たちみたいに、自由であるための
時間だけが

Wenn wir sonntags durch die Felder gehn,
Mein Kind,
Und über den Ähren weit und breit
Das blaue Schwalbenvolk blitzen sehn,
Oh,dann fehlt uns nicht das bißchen Kleid,
Um so schön zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
日曜になればぼくらは畑へ出かける
ぼくの子
穂波のうえの、あちら、こちらで
青いツバメたちのむつみ戯れるキラめき
ああ、ぼくらにだってちょっとしたドレスくらいはある
鳥たちみたいに、快くあるための
時間だけが

Nur Zeit! wir wittern Gewitterwind,
Wir Volk.
Nur eine kleine Ewigkeit;
Uns fehlt ja nichts,mein Weib,mein Kind,
Als all das,was durch uns gedeiht,
Um so kühn zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
時間だけが! ぼくらは嵐が来るのを嗅ぎつける
ぼくらは庶民
ほんの小さな永遠だけ
ぼくらに欠けているものはない、ぼくの妻、ぼくの子、
ぼくらを豊かにするもののほかには
鳥たちみたいに、大胆であるための
時間だけが

ドイツ詩1

詩集『Weib und Welt(女と世界)』(1896年)の扉には、画家ハンス・バルシェック(Hans Baluscheck 1870-1935)の挿絵(参照)があります。

一艘の帆かけ舟の一方には、竪琴ライアーを弾く天使が座り、もう一方では悪魔が船べりに腰掛けてマンドリンを弾いています。そして舟の側面には、詩と読者への謝辞が書かれています。

Erst wenn der Geist von jedem Zweck genesen
und nichts mehr wissen will als seine Triebe,
dann offenbart sich ihm das weise Wesen
verliebter Thorheit und der großen Liebe.
Euch und Mir in Dankbarkeit.
何のためにと考えることから解放され
自分の欲望以外に耳を貸さないと決めれば
初めて賢明だったと分かる
愚かにも恋に落ちて大恋愛になったことが
読者諸氏と自身に感謝を込めて

この謝辞には、「思考、精神(Geist)」と「欲望(Trieb)」が対置させられています。恋に落ちたことを「愚か」と判断していますが、3行目では、欲望に従い恋を進展させることが賢明という判断に変わります。

舟は、作品の「世界」を表していると考えられる。右手に天使、左手に悪魔が位置し、これが謝辞にあたる「思考」と「欲望」に対応します。両者がそれぞれに楽器を持って奏でるのは、この詩集に収められた67編の詩と2つの散文の調べと思われます。

マストの上に止まる鳩は、キリスト教の「精霊」の象徴で、『創世記』1章2節の「神の霊が水の上を覆っていた」に因み、海の上に位置しています。

また、詩集に収められた2篇の短い散文「モグラのメルヒェン(Das Märchen vom Maulwurf)」と「茶色の猫(Die gelbe Katze)」は、それぞれ最初の2番目と最後から2番目に置かれていて、対称をなしています。

詩集の最初の詩「ゴンドラの唄(Gondelliedchen)」は、この詩集へ読者をいざない、冒頭の扉の挿絵にも呼応しています。軽快な調子で、マストに止まる鳩に呼びかけます。「日常」「精神(理性)」「欲望」からいったん離れて、精霊の象徴である鳩の歌を聞こうという作者の呼びかけです。

Bitte, bitte, Vögelchen:
Schiffchen hat 'n Segelchen,
segelt übers Meer:
Vögelchen, komm her!
Komm und setz dich, laß dich wiegen,
warum willst du immer fliegen,
machst es dir so schwer!
お願い、お願い、小鳥さん
この舟には帆がついてて
海の上を進んでる
小鳥さん、こっちにおいで!
来て止まって、ゆらゆらしたら
どうしていつも飛んでるの
大変だろうに!
Singe, kleiner Passagier!
Wenn die großen Wellen krachen,
wird dein Lied uns ruhig machen;
still vergessen wir
Erde, Mensch und Tier.
かわいいお客さん、何か歌って!
ざぶんと大波が来ても
歌があれば心が落ちつく
静かに忘れていられる
地上のこと、人間のこと、獣のこと   =新田誠吾訳

最後の詩「夜な夜な(Nacht für Nacht)」で、詩集は子守唄のように締めくくられます。最初と最後の詩を除く63篇は、主題の似通ういくつかのグループに分けられ、グループの主題は、イーダとの出会いからほぼ時系列的に並べられていると考えられています。
          
「出会う前の孤独」「友人の死や別れ」「イーダとの出会い」「恋の幸せ」「嫉妬」「三角関係」「イーダの妊娠」、この後、詩集全体のうしろから6番目に「Der Arbeitsmann」が収録されているのです。


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2020年11月30日

デーメル「労働者(Der Arbeitsmann)」④

リヒャルト・デーメル(Richard Dehmel)の詩「労働者(Der Arbeitsmann)」を読んでいます。

Wir haben ein Bett,wir haben ein Kind,
Mein Weib!
Wir haben auch Arbeit,und gar zu zweit,
Und haben die Sonne und Regen und Wind,
Und uns fehlt nur eine Kleinigkeit,
Um so frei zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
ぼくらにはベッドがある、子どももいる
ぼくの妻!
ぼくらには仕事がある、たっぷり二人分の
そして、お日さまが、雨が、風がある
けれど、たったひとつ何てことないものが欠けている
鳥たちみたいに、自由であるための
時間だけが

Wenn wir sonntags durch die Felder gehn,
Mein Kind,
Und über den Ähren weit und breit
Das blaue Schwalbenvolk blitzen sehn,
Oh,dann fehlt uns nicht das bißchen Kleid,
Um so schön zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
日曜になればぼくらは畑へ出かける
ぼくの子
穂波のうえの、あちら、こちらで
青いツバメたちのむつみ戯れるキラめき
ああ、ぼくらにだってちょっとしたドレスくらいはある
鳥たちみたいに、快くあるための
時間だけが

Nur Zeit! wir wittern Gewitterwind,
Wir Volk.
Nur eine kleine Ewigkeit;
Uns fehlt ja nichts,mein Weib,mein Kind,
Als all das,was durch uns gedeiht,
Um so kühn zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
時間だけが! ぼくらは嵐が来るのを嗅ぎつける
ぼくらは庶民
ほんの小さな永遠だけ
ぼくらに欠けているものはない、ぼくの妻、ぼくの子、
ぼくらを豊かにするもののほかには
鳥たちみたいに、大胆であるための
時間だけが

Ida Dehmel

「労働者(Der Arbeitsmann)」の入っている詩集『Weib und Welt(女と世界)』(1896年)は、かつてシュテファン・ゲオルゲ(Stefan George 1868-1933)が恋をしていたイーダ・アウエルバッハ(旧姓コブレンツ、Ida Auerbach,geb.Coblenz 1870-1942)=写真=という女性との恋愛体験から生まれたと考えられています。当時、イーダにもデーメルにも家族があり、いってみれば“W不倫”の結実だったといってもいいのかもしれません。

家政婦との不倫から2年後の1893年11月、デーメルは神経症にかかります。創作意欲は落ち、日記をつけるだけの生活が半年ほど続きました。デーメルがイーダを知ることになったのは、1895年8月にイーダが書いた手紙がきっかけでした。デーメルは返信でゲオルゲと自分の芸術観の違いを明確にし、「生」に向けた芸術であることを強調しています。

ゲオルゲは「芸術」は自分のものだと思っています。私たちはそうは思いません。〔中略〕彼らが目指すのは芸術のための芸術で、私たちのは生のための芸術です。生きるとは多種多様で、選ばれし者のみに許された神殿ではないのです。(1)

デーメルは、8月中旬にイーダ宅を訪ね、そこで恋に落ちました。この恋愛は、デーメルの創作活動にとって大きな原動力となりました。10月17日に、親友で作家のリリエンクローンに宛てた手紙には、「また詩が書けるようになった。最高に幸せだ。『人生草子』が出て以来、これまで君に送ってきた詩なんか、駄作だ」とあります。そして、この時期に書かれた詩から、『女と世界』が誕生することになるわけです。

ニーチェは『悲劇の誕生』の「自己批判の試み」で、「生きるとは、本質的に道徳に反すること」と言明しました。したがって、道徳とは「生を否定しようとする意志」だとして批判しています。(2)

一方で、『女と世界』の出版から半年後、雑誌『Die Kritik(批評)』(10.4.1897)に、ベリース・フォン・ミュンヒハウゼンの「リヒャルト・デーメル」という題の批評が載りました。

ミュンヒハウゼンは、デーメルの二つの詩「Mit heiligen Geist(精霊とともに)」「Venus Consolatrix(慰めのヴィーナス)」=「Der Arbeitsmann」の2つ前に掲載=の一節を取り上げて、冒とく罪にあたると攻撃しました。

たとえば「慰めのヴィーナス」には聖母マリアについての次のような描写があります。

und öffnete das Kleid von weißem Plüsche  
und zeigte mir mit ihren Fingerspitzen,   
die zart das blanke Licht des Sternes küßte,  
die braunen Warzen ihrer bleichen Brüste,   
白いプラッシュの服の前をはだけ
その指先で私に見せたのは
星がやさしく輝きの口づけをするなか
白く透き通る胸の茶色の乳首

ミュンヒハウゼンは、デーメルを刑事告発し、ベルリンの裁判所で審理が始まります。最初の公判は、王立第二地方裁判所で1897年6月22日に開かれました。デーメルは6月23日に裁判所宛ての公開状を書いています。

本書で表現しているのは、一人の人間が聖なる良心の命令に背いて、肉欲におぼれていくさまです。〔中略〕虜になる魅力というのは、当然どんな情熱にもあるものですが、これを隠したり、言わないのは、もちろん芸術家の仕事ではないでしょう。つまり、人が動物的な欲動を持っていることを人間の精神にはっきり知らしめる者は、だれであれ、道徳を説いて告発を行うような者より、真の意味で道徳に貢献しているということです。(3)

判決は8月30日に言い渡されました。「精霊とともに」は「婚姻の破綻を賛美しているとは認められない」として無罪になったものの「慰めのヴィーナス」については、わいせつで神を冒とくする内容を認定して、119ページから121ページまでの廃棄が命じられました。時効により、デーメル個人に対する刑罰はありませんでした。

(1)Richard Dehmel:Ausgewählte Briefe aus den Jahren 1883 bis 1902,Berlin 1922
(2)新田誠吾「リヒャルト・デーメルの『女と世界』」(『法政大学多摩論集』34、2018.3)
(3)Richard Dehmel:Ausgewählte Briefe aus den Jahren 1902 bis 1920,Berlin 1923


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2020年12月01日

デーメル「労働者(Der Arbeitsmann)」⑤

いま読んでいるリヒャルト・デーメル(Richard Dehmel)の詩「労働者(Der Arbeitsmann)」について、きょうは詩が作られた時代の歴史的背景について検討していきます。

Wir haben ein Bett,wir haben ein Kind,
Mein Weib!
Wir haben auch Arbeit,und gar zu zweit,
Und haben die Sonne und Regen und Wind,
Und uns fehlt nur eine Kleinigkeit,
Um so frei zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
ぼくらにはベッドがある、子どももいる
ぼくの妻!
ぼくらには仕事がある、たっぷり二人分の
そして、お日さまが、雨が、風がある
けれど、たったひとつ何てことないものが欠けている
鳥たちみたいに、自由であるための
時間だけが

Wenn wir sonntags durch die Felder gehn,
Mein Kind,
Und über den Ähren weit und breit
Das blaue Schwalbenvolk blitzen sehn,
Oh,dann fehlt uns nicht das bißchen Kleid,
Um so schön zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
日曜になればぼくらは畑へ出かける
ぼくの子
穂波のうえの、あちら、こちらで
青いツバメたちのむつみ戯れるキラめき
ああ、ぼくらにだってちょっとしたドレスくらいはある
鳥たちみたいに、快くあるための
時間だけが

Nur Zeit! wir wittern Gewitterwind,
Wir Volk.
Nur eine kleine Ewigkeit;
Uns fehlt ja nichts,mein Weib,mein Kind,
Als all das,was durch uns gedeiht,
Um so kühn zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
時間だけが! ぼくらは嵐が来るのを嗅ぎつける
ぼくらは庶民
ほんの小さな永遠だけ
ぼくらに欠けているものはない、ぼくの妻、ぼくの子、
ぼくらを豊かにするもののほかには
鳥たちみたいに、大胆であるための
時間だけが

小山内

1900年前後の世界の経済の状況について、経済史の教科書には「(イギリスは)1880年代前半にはアメリカ合衆国に追い抜かれ、1900年代に入るとドイツがイギリスを凌駕しはじめる。20世紀初頭には、アメリカ合衆国が世界工業生産の3割5分のシェアを占めるようになり、世界最大の工業国としての地位を確立した。このように、先進国であるイギリスに対して、後発国のドイツとアメリカ合衆国が急速に追いつき追い越しをなしとげ、相互の産業上の地位が逆転したこと、これがこの時代にみられる特徴の1つであった」(図参照)とあります(1)。        

また、ドイツ史の本には、次のように記されています。

ビスマルク退陣後の1890年から1914年の第一次世界大戦勃発まで、世紀交を挟んだ四半世紀はとくにヴィルヘルム時代と呼ばれている。この名称は皇帝ヴィルヘルム2世からきているが、この時期区分はたんに国家指導者の交代によるものだけではなく、すでに同時代人からも、国民経済の停滞と発展、内向きの現状維持政治と外向きのダイナミックな政治という対比で明瞭な時代基調の違いがあったと認識されていた。

帝国創設後最初の20年間で人口は約800万人増加したが、つぎの20年間ではそれは倍の1600万人になり、大戦直前のドイツの人口は6700万人に達した。急速な人口拡大によって、この時期のドイツはまた文字どおり若いドイツになった。1910年の時点では、ドイツ国民の過半数は30歳以下の人々によって構成されていたのである。

こうした人口増、労働力増を吸収できたのは、工業を軸とする経済・貿易の持続的な向上であり、この期間の年平均成長率4.5%という数字がそれを端的に示している。世界経済は1890年代なかばようやく長期の低成長期を脱して、以後大戦直前まで、1900-01年、07-08年の短い景気後退を挟みながらも、ほぼ20年にわたる歴史的な好況期にはいった。ドイツはこの好況を先導した国のひとつであり、またその最大の受益者の一人であった。ドイツの鉄鋼生産は世紀交にはイギリスを凌駕し、石炭・鉄鋼の生産は大戦までに3-4倍になり、また輸出の伸びも4倍になっている。(2)

すでに19世紀の中ごろから、 政治的なシャンソンとよびうるものがドイツで栄えていました。 20世紀に入ると、ドイツのシャンソンが今日我々が知っているような形式にまとまり、「若きドイツ派」が萌芽として感じ取っていた市民社会の崩壊が顕在化し、 一方ではニーチェの文明批判がようやく注目されるようになった時代、 他方ではコミュニズムが現実のものとなり始めてきた時代に入ってからです。 

ドイツの政治的シャンソンは、 芸術運動の流れにおける自然主義、 表現主義、 新即物主義、 ダダイズムなどとの関連において、 また労働者の文化活動などとの関連において急速にひろまり、 相対的な安定の時期であった20年代にその絶頂を迎えます。しかし、それはやがてナチスの興趣と重なり合い、30年代の初頭にはドイツからほぼ完全に姿を消すに至るのです。

劇作家の小山内薫(1881-1928)=写真=は、明治42(1909)年にヨーロッパにわたり、 各地で芝居を見てその印象を書き残しています。 大正15(1926)に彼は『マックス・ラインハルトの歩いた道』という評論を発表し、 その中で 詩人ビーアバウムが1901年に出したアンソロジー「ドイツのシャンソン」の序文を次のように紹介しています。

寄席の為の芸術——こんなことを言うと、 それは芸術の冒漬だと言う人があるかもしれない。抒情詩と見世物が一緒になって堪るものかと言う人があるかも知れない・・・・・・そう言われても構わない。 吾々は極めて真面目に、 芸術を寄席の為に役立てようとしているのだ。

応用抒情詩——そこに吾々の題目がある・・・・・・第一 にその詩はあなた方が歌える歌でなければならない。 第二にその詩は単に少数の知識階級を喜ばせるばかりでなく、普通一 般の民衆を喜ばせなければならない。

寄席は、電車と同じく、 吾々の時代と文化との典型的な表現である。 今日の都会人は寄席神経といったようなものを持っている。 大きな芝居の引力に引き寄せられる者は極めて稀である。 都会人は変化を求める―多種多様を求める。若し芸術家として、 吾々が人生その者と接触し続けて行こうとするなら、 吾々はこれが実現に努めなければならぬ……。

ビーアバウムのこのアンソロジーに収められた詩人は、 彼自身のほか、 リヒアルト・ デーメル、 グスターフ・ ファルケ、 アルノー・ ホルツなどが主なものである。(3)

(1)石坂昭雄『新版 西洋経済史』(有斐閣、1994.1)p.255
(2)『新版世界各国史13 ドイツ史』(山川出版社、2001.8)p.243-244
(3)諏訪功「もうひとつのドイツ文化」(『一橋論叢』67、1972.4)p.568-569


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2020年12月02日

デーメル「労働者(Der Arbeitsmann)」⑥

リヒャルト・デーメル(Richard Dehmel)の詩「労働者(Der Arbeitsmann)」のつづきです。

Wir haben ein Bett,wir haben ein Kind,
Mein Weib!
Wir haben auch Arbeit,und gar zu zweit,
Und haben die Sonne und Regen und Wind,
Und uns fehlt nur eine Kleinigkeit,
Um so frei zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
ぼくらにはベッドがある、子どももいる
ぼくの妻!
ぼくらには仕事がある、たっぷり二人分の
そして、お日さまが、雨が、風がある
けれど、たったひとつ何てことないものが欠けている
鳥たちみたいに、自由であるための
時間だけが

Wenn wir sonntags durch die Felder gehn,
Mein Kind,
Und über den Ähren weit und breit
Das blaue Schwalbenvolk blitzen sehn,
Oh,dann fehlt uns nicht das bißchen Kleid,
Um so schön zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
日曜になればぼくらは畑へ出かける
ぼくの子
穂波のうえの、あちら、こちらで
青いツバメたちのむつみ戯れるキラめき
ああ、ぼくらにだってちょっとしたドレスくらいはある
鳥たちみたいに、快くあるための
時間だけが

Nur Zeit! wir wittern Gewitterwind,
Wir Volk.
Nur eine kleine Ewigkeit;
Uns fehlt ja nichts,mein Weib,mein Kind,
Als all das,was durch uns gedeiht,
Um so kühn zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
時間だけが! ぼくらは嵐が来るのを嗅ぎつける
ぼくらは庶民
ほんの小さな永遠だけ
ぼくらに欠けているものはない、ぼくの妻、ぼくの子、
ぼくらを豊かにするもののほかには
鳥たちみたいに、大胆であるための
時間だけが

拓次

詩の中に「Nur eine kleine Ewigkeit(ほんの小さな永遠だけ)」という一節がありますが、この「小さな永遠」を中心に、デーメルの芸術論にかかわる言葉をいくつか拾っておきたいと思います。

・誰でも、聖書を自分のささやかな行動の基本にすることができます。これを実践し、どんな人の前でもこの基本に立つ人は、自分の人生を高めていけるでしょう。そういう人は、イエスが言うように、永遠の命が与えられるわけです。(Dehmel1922、S.20)=(1)

・ところが、(イエスの)自己放棄が意味不明でわからず、自分の感覚世界で生きている大ぜいの人には、実際理解できません。だから、そういう人は、永遠があるはずのところ、そこに通じる道から外れてしまっています。(Dehmel1922、S.29)

・人類の命、永遠の命を持つために個人が何をすればよいかをわかっている者は、できる限り、思考や感情に留まることなく、個々の行動を通して人類のための人間である義務がある。(Dehmel1922、S.31)

・もっとも私は誰に対しても、ましてや下層の人たちに気休めを言う性分ではありません。幸福は、一人ひとりが内面や外的状況に応じて自ら心の救済を行うことでしか得られません。しかし、自分や生活を投げ打ち、人のために何かすることで、その当人が自分を救済しよう、みんなのために尽くそうという気持ちになる。これこそ、私の人生の願望であり、私自身の救済だと心底思っていることです。これまでもこれからもそう思うでしょう。(Dehmel1922、S.59)

こうした芸術論の一方で、デーメルは『ドイツ兵士の本』、『SDSの戦争ファイル』などに煽動的な戦争賛美を含んだ作品をたくさん投稿しました。ところが、1914年、51歳のとき第1次世界大戦の戦線行きを志願し、戦争の現実を目の当たりにすることによって、戦後には平和主義者への転向を果たしています。(2)

「Der Arbeitsmann」は、1889年、リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss、1864-1949)の作曲で歌曲になっています。リヒャルト・シュトラウスは、デーメル(1863-1920)と同世代で、1895-1901年の間に11の詩に曲をつけているといいます。

シュトラウスはデーメルの政治的な側面にはあまり興味を示さなかったものの、ともにニーチェの思想に共感していました。2人が直接顔を合わせたのは、1899年3月23日が最初で、ホフマンスタールもいっしょだったといいます。

シェーンベルクも『女と世界』の「Erwartung(期待)」「Erhebung(高揚)」などの詩をもとに4つの曲を、1898年から1900年にかけて作っています。シェーンベルクがデーメルに送った手紙には「あなたの詩は、私の音楽の発展に決定的な影響を及ぼしました。詩に触発されて、初めて抒情詩に新しい音を探す必要に迫られたのです」(3)という一節があるそうです。

萩原朔太郎、室生犀星とともに白秋門下の三羽烏とよばれた詩人、大手拓次(1887-1934)=写真=は、デーメルの作品をたくさん訳しています。最後に、デーメルの「Narzissen(水仙)」という詩の拓次訳「お前はまだ知つてゐるか」をあげておきます。  

お前はまだ知つてゐるか、
ひるの数多い接吻のあとで
わたしが五月の夕暮のなかに寝てゐた時に
わたしの上にふるへてゐた水仙が
どんなに青く、どんなに白く、
お前のまへのお前の足にさわさわとさはつたのを。

六月真中の藍色の夜のなかに、
わたし達が荒い抱擁につかれて
お前の乱れた髪が二人のまはりに絡んだとき、
どんなにやはらかくむされるやうに
水仙の香が呼吸(いき)をしてゐたかを
お前はまだ知つてゐるか。

またお前の足にひらめいてゐる、
銀のやうなたそがれが輝くとき、
藍色の夜がきらめくとき、
水仙の香は流れてゐる。
まだお前は知つてゐるか。
どんなに暖かつたか、どんなに白かつたか。

(1)Richard Dehmel:Ausgewählte Briefe aus den Jahren 1883 bis 1902,Berlin 1922=新田誠吾訳
(2)真貝恒平「文筆家による組織的なプロパガンダ」(『北大独語独文学研究年報』32、2005.12)p.35
(3)新田誠吾「リヒャルト・デーメルの『浄められた夜』」(『法政大学多摩論集』30、2014.3))


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