井上通泰

2019年08月10日

「花薔薇」①(『於母影』117)

『於母影』のつづき。きょうから「花薔薇」に入ります。

  花薔薇

わがうへにしもあらなくに
などかくおつるなみだぞも
ふみくだかれしはなさうび
よはなれのみのうきよかは

rose

原詩は、ドイツの宗教詩人カール・ゲーロック(Karl Gerok,1815-1890)のDie Rose im Stanb(チリにまみれた薔薇)。原詩は4行9連で構成されていますが、次にあげる最後の連の4行だけが訳されています。七五調に乗せた「意」訳で、底本はベルンの詞華集、訳者は井上通泰と見られています。

Und warum bei deinem Loose
Mir das Herz vor Wehmuth bricht:
Du in Staub getret'ne Rose,
Ach! du bist die einz'ge nicht!

大意は、

そして、どうしておまえの運命を思うたびに
私の心は悲しみに打ち裂かれるのだろう。
おまえ、踏みつけられて泥まみれの薔薇よ
ああ! そんな目にあったのはおまえだけでありはしない。

といったところでしょうか。日本近代文学大系の補注には、次のように記されています。

〈全篇は、少年が母親のとめるのを聞かずに、一時の慰みにと折りとり、そしてやがて打ち捨ててしまったため、土にまみれて汚れたまま枯れてゆく薔薇の花を悼んだもので、ゲーテの「野薔薇」「みつけもの(すみれの歌)」および『ファウスト』の中のマヌガレーテの運命などを念頭に置いて作られた気配が濃く、どこか亜流の感じを与える一篇である。

底本となったベルン詞華集のこの聯の傍にはProstitutionという書き入れ文字がある。すなわちこの詩のこの聯に感興を動かしていたのはもともと鷗外であって、通泰の訳詩も鷗外の選択とすすめに基づいて成ったものであろう。

原詩は8音節と7音節の行の交替する交錯韻の形式だが、それとは無関係に七五調無韻で訳出された。ひらがなのみで記され、また頭注で記した(細かくみればさらに各行とも2・5・5という調子が看取される)ように内的リズムにもさらに細かい工夫が施され、まことに鬼工ともいうべき完璧な出来栄えであり、後の『海潮音』中の「わすれなぐさ」に示唆を与えた技巧であること一見して明らかであろう。〉


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2019年08月11日

「花薔薇」②(『於母影』118)

『於母影』の七五調の4行詩「花薔薇」のつづき。きょうは題名の「花薔薇」について考えてみます。

わがうへにしもあらなくに
などかくおつるなみだぞも
ふみくだかれしはなさうび
よはなれのみのうきよかは

ビーナス

まず「花薔薇」の読み方ですが、「薔薇」は音読みでソウビと読まれることが多いようですが、本来はショウビ。日本国語大辞典では「しょうび(薔薇)」の直音化である、とされています。

特に花を愛でるものという意味あいから、花薔薇という言い方がされるようになったそうです。

古今集(905-914)に「われはけさうひにぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり」(物名・436)という、「さうび」と題された紀貫之の歌があります。

「けさうひに」に「さうび」の名を隠した物名歌です。けさ初めて目にしたその花の色を「あだなるものと」言うべきであったよ、というわけです。バラは10世紀初めには既に渡来していたことがうかがわれますが、当時はまだ珍しい花だったようです。

世界的には、バラは農耕文明の始まりとともにあり、紀元前2000年以前の、シュメール人の『ギルガメシュ叙事詩』に「この草のとげはバラのようにお前の手を刺すだろう。お前の手がこの草を得るならば、お前は生命を得るのだ」という意味のくだりがあるそうです。

古代エジプトでは、石器時代の発掘物にはバラらしいものは見当たらないものの古い書物には記載があり、バラは東方からも移入されたと考えられています。また、前3000~前2000年のバビロニア、バビロン宮殿では果樹園とともにバラが栽培され、香料や薬用とされていたと推定されています。

古代ギリシアでは、多くの詩人がバラを詠んでいます。ホメロスは若い人の美しさを「バラのほお」と表現し、バラ油の記述もあります。またサッフォーは「花の女王バラ」と歌い、アナクレオンは「恋の花なるバラの花、いとしき花のバラの花」と詠んでいます。また、ヴィーナスのバラの花=写真=は愛と喜びと美と純潔を象徴していると信じられていました。

ギリシアのテオフラストスは「バラには花弁の数と粗密さ、色彩の美、香りの甘美さなどの点でいろいろな相違があるが、普通のものは5枚の花弁をもっている。しかしなかには12~15枚あるいはそれ以上、なかには100枚の花弁をもつものさえある」と述べているそうです。

ローマのプリニウスは『博物誌』で、当時栽培されていたガリカ、ダマスセナ、アルバ、センティフォーリアなど12品種をあげています。当時のローマで「バラの中に暮らす」というのはぜいたくに暮らすことを意味していたようです。

「ばら戦争」としてよく知られているヨーク家とランカスター家の王位継承戦争は、それぞれ白バラ、赤バラを紋章に用いました。

中国のバラは、遣隋使や遣唐使によって日本にもたらされたと考えられています、当時すでに多数の園芸品種があったらしく、絵画には長春花とみなされるものが多数描かれています。

日本でバラが最初に記されているのは万葉集で、「うまら」「うばら」とあります。古今集などで「さうび(薔薇)」と記されるのは、ローザ・シネンシスの類のようです。源義経の兜にもバラが描かれていたとか。

この詩の訳者と考えられている井上通泰の歌集『南天荘集』(柳田国男編、昭和18・8)の「明治時代の歌・四季植物」には、「薔薇 野うばらも花さく見れば世の中ににくみはつべき物なかりけり」(明治43年作)、「大正時代の歌・四季植物」には「薔薇 刺ありと人のはばかる花うばらありともよしやただに見るには」(大正13年作)とあります。


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2019年08月12日

「花薔薇」③(『於母影』119)

『於母影』の七五調の4行詩「花薔薇」のつづき。きょうは訳した井上通泰と韻律について検討します。

わがうへにしもあらなくに
などかくおつるなみだぞも
ふみくだかれしはなさうぴ
よはなれのみのうきよかは

井上通泰

この訳詩をしたと見られる井上通泰(1867-1941)=写真、wiki=は、桂園派の歌人・国文学者であるとともに、眼科を専門とする医師としても活躍しました。「みちやす」を故実読みでツウタイともいうこともあります。

1866(慶応2)年に儒者・松岡操の三男として、姫路元塩町に生れました。松岡家は、播磨国神東郡田原村辻川(現在の兵庫県神崎郡福崎町辻川)の旧家で、通泰の実弟の一人に民俗学を大成した柳田國男がいます。

泰通は1877(明治10)年、12歳で神東郡吉田村の医者・井上碩平の養子となり、このころから国学の研究や文学活動を志します。1880(明治13)年、東京帝国大学医学部予科に入学するとともに桂園派の和歌を学び始めました。

1888(明治21)年に森鴎外と知り合い、翌年、鴎外や落合直文らと新声社を結成し、『於母影』を『国民之友』誌の付録として発表しました。1890(明治23)年、大学卒業と同時に医科大学付属病院眼科助手となり、2年後に姫路病院眼科医長として帰郷します。

その後、岡山医学専門学校の眼科の教授となって1902(明治35)年まで郷里にありましたが、その年の冬に職を辞して再度上京し、井上眼科医院を丸の内内幸町に開業しました。

上京後は鴎外との交友が再開し、鴎外邸の観潮楼歌会などに出席しました。その縁で小出粲や大口鯛二などの宮中歌人と近くなり、1906年(明治39年)には歌会「常磐会」を結成しました。

1907(明治40)年に御歌所寄人。大正期には、宮内省と文部省の嘱託として『明治天皇御集』の編纂に携わります。還暦を期に歌道と国文学研究に専心し、1938(昭和13)年に貴族院勅選議員に勅任されると、議員在職のまま満77歳で亡くなっています。

上代では『風土記』について考察した『風土記新考』、同郷の江戸後期の国学者藤井高尚に関する『藤井高尚伝』、万葉集全歌の注釈『万葉集新考』などを遺しました。

訳詩は「花薔薇」という題を除けば、すべて平仮名の七五調無韻で、原詩の四行を踏襲して、7・5・7・5・7・5・7・5の歌詞で1コーラスを構成する今様の形式になっています。

この七五調をさらに細分化すれば、

わが・うへにしも・あらなくに
など・かくおつる・なみだぞも
ふみ・くだかれし・はなさうび
よは・なれのみの・うきよかは

と、2・5・5調となっているのが分かります。

井上は『於母影』の訳詩について「萩の家主人追悼録」(『国文学』明治37・2)で、「落合君、森君、市村君を私と、新声社と云ふ社を結んだ。その目的と云ふものは文学の研究であるけれども、当時の問題は日本の歌に韻があるか無いか、私は韻は無いが一種の平仄があると云ふ議論で、さう云ふことを頻りに研究して居つた」と回想しています。

「花薔薇」で試みられた無韻の二五五調という訳しかたも、「韻は無いが一種の平仄がある」という考えを実践したものと見ることができそうです。


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2019年08月13日

「花薔薇」④(『於母影』120)

「花薔薇」のつづき。きょうは、この訳詩の原詩における位置づけについて考えます。

わがうへにしもあらなくに
などかくおつるなみだぞも
ふみくだかれしはなさうび
よはなれのみのうきよかは

白バラ

前に見たように、各連4行9連から成る原詩、ゲーロックの「Die Rose im Staub(塵にまみれた薔薇)」は、だいたい次のよう内容になっています。

「いたずらな少年によって地に倒れているバラよ。少年はお前の美しさに欲望を感じて、折り取り逃げ捨ててしまった。もし少年がお前を家に持ち帰り、花瓶にさしてやったら、お前はいつも少年を楽しませたろうに。

春の嵐が花びらを無惨にも散らせたとしても、稲妻と嵐のもとに死ぬのは美しい花の運命なのだ。しかし、やさしい太陽がお前のつぼみを開かせ、神や人間が甘い香とともに喜びを感じたのは、お前が少年の刹那の快楽の犠牲となるためなのか、塵にまみれてあわれに踏み砕かれるためなのか。

通りがかりの子供がお前を拾おうとしたが、母親が制止した。昨日は誇りをもって貴婦人の胸に飾られていたのに、今日は子供が拾おうとして人に止められる運命なのだ。」

これに「花薔薇」として訳された9連目(そして、どうしてお前の運命を思うたびに、私の心は悲しみに打ち裂かれるのだろう。お前、踏みつけられて泥まみれの薔薇よ。ああ!そんな目にあったのはおまえだけでありはしない、という大意)が続くことになります。

前に記したように、底本となったベルン詞華集には「Prostitution」(売春、堕落、浪費などの意)という鷗外の書き込みがありました。原詩の中に訳者は「ふみくだかれしはなさうび」と、薄幸の女性の面影を見出し、原作者の意図が単に花の運命だけであったのではないことを見抜いていた、と見ることもできるでしょう。

小川和夫氏は「鷗外がProstitutionと評したのは「放縦な若者のために身をあやまった女は泥土に身を委することになり、そのような女は、これに救いの手をのばそうとすることも周囲から制止されて、結局悲惨な境遇に打ち棄てられることになる」というアレゴリカルな内容をこの作品に見出したためであろう」(「『於母影』からの二三の感想」成蹊大学紀要11=昭和51・2)

通泰の訳出も、鷗外の意にそって原詩のもつ譬喩、あるいは両義性を踏まえたものだったと考えられます。きのう見たように、訳詩の韻律が単なる七五調ではなく「二・五・五」という屈折したものであり「なみだ」「うきよ」といった原詩にはない言葉が加えられていることもそれを裏付けていると見ることができそうです。

「花薔薇」は、2・5・5という屈折した韻律と、無惨な「ふみくだかれしはなさうび」の中にアレゴリカルに対象化された、虐げられた女性の運命、並びにそうしたものを含めた「なれ」を見守る「われ」の心情とが一体化したところに、「原作の意義に従へる」意訳の意義を見出そうとしていた、と考えることができます。


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2019年08月14日

「花薔薇」⑤(『於母影』121)

「花薔薇」のつづき。きょうは、この訳詩の影響について考えます。

わが うへにしも あらなくに
など かくおつる なみだぞも
ふみ くだかれし はなさうび
よは なれのみの うきよかは

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『於母影』の表紙には、薔薇が図案化されイラスト=写真=が用いられています。西洋で美しい女性をなぞらえる「薔薇」に鷗外たちが特別な関心を寄せ、この訳詩集の象徴的な意味合いがあったのかもしれません。

佐藤春夫は「新体詩小史」(『三田文学』昭和25・10)で、『於母影』に関して次のように記しています。

「鷗外にとつては「新体詩抄」の人々のやうに長い新形式のものだけが新詩なのではななく新しい詩といふものはその形式の問題ではなく、より多くの内容――詩の想念にあると見てゐたらしい。だから詩想さへ清新ならば今様でも短歌、漢詩でもみな新詩となり得るといふ見解を具体的に主張しようとしたかのように見える。……

ところで「花薔薇」や「わかれかね」を見ると将に捨てようとしてゐた我々の古い革嚢も使い方によつては(といふのはこの種の抒情の場合なら)或程度に新しい酒を盛るにはまだ十分堪へる事がここで証明されたやうに見える。」

春夫は、「花薔薇」など旧タイプの詩歌に、詩想の清新を感じていたことになります。つまり明治15年に出版された『新体詩抄』や、「孝女白菊の歌」「いねよかし」「笛の音」など落合直文の直情的な七五調の作品よりも、「花薔薇」の今様形式などに近代の清新な詩情・詩想を看取していたと見ることもできそうです。

実際、「花薔薇」の二・五・五調は、上田敏の訳詩集『海潮音』(明治38・10)の「わすれなぐさ」後半2行の

なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。

や、佐藤春夫『殉情詩集』(大正10・7)の「水辺月夜の歌」の「身をうたかたとおもふとも」や「げにいやしかるわれながら」というフレーズなどに受け継がれていったと考えられています。


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2019年08月15日

「わかれかね」①(『於母影』122)

『於母影』のつづき。きょうから短歌形式で訳された「わかれかね」です。

  わかれかね

わかれかね心はうちにのこるとも
しらでやひとの戸をばさすらむ

ケルナー

原詩はドイツの詩人ユスティヌス・ケルナー(1786-1862)=写真、wiki=の作「Abschied(別離)」。

ケルナーは、ルートウィヒスブルク生まれ。後期ロマン派のシュワーベン詩派の一人で、民謡風の洒脱な詩を書き、《旅の影絵》(1811)など散文集を遺しました。医学を学び、ヘルダーリンを診察したこともあるようです。

1819年以後ワインスベルクに定住し、ワイバートロイ城の維持、降霊術の研究などに貢献するとともに、自宅に学者や詩人を迎え、文人として慕われました。

原作は4行5連の詩ですが、訳されたのはその最後の連の4行で、それもその大意をとって31文字に鋳直したのであるから「意」訳の最たるものであろう。底本はベルンの詞華集で、訳者は井上通泰と考えられています。

日本近代文学大系の頭注によれば、原詩は各連4行の5連詩で、訳されたのは最後の5連です。

Geh'ich bang nun,nach den alten Mauern,
Schauend rückwärts noch mit nassem Blick,
Schließt der Wächter hinter mir die Thore,
Weiß nicht,daß mein Herz noch zurück.

(大意は
私はそれから思い屈して古い市壁に向かって去ってゆく、
涙にぬれた眼をあげて来し方をかえりみながら、
すると番人は私の背後で門の扉を閉ざすのだ、
私の心のみはなお後にのこっているのだとは知らずに。)

全篇は青年が恋人の住む家に夜半人知れず別れをつげて旅に出てゆく、といった、ミュラーとシューベルトの「冬の旅」でおなじみのドイツ・ロマン派に典型的な別離の詩情を歌ったものです。

補注には「この詩にも、底本のベルン編詞華集には、最後の連に下線と「奇想」という書入れ文字がのこっており、もって鷗外の選択と勧奨に基づいて通泰が筆をとったものであることを推測せしめる。原詩およびその大意と訳詩とを比較して見られればわかるように、訳詩は実際には後半の2行を翻したにすぎないとも言えるものである」とあります。


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2019年08月16日

「わかれかね」②(『於母影』123)

「わかれかね」のつづき、もう少し詳しくみておきたいと思います。

わかれかね心はうちにのこるとも
しらでやひとの戸をばさすらむ

戸

原詩では、何かやむを得ない事情で愛する人のもとを去って行かなければならない、しかも、それを愛する人に告げることもかなわない、という内容をうたっています。

鷗外自身の体験をもとに書かれた『舞姫』と通じるところがあり、訳詩として選ばれたのとも関係があるのかもしれません。

きのうも見たように、原詩の大意は次のようになります。

私はそれから思い屈して古い市壁に向かって去ってゆく、
涙にぬれた眼をあげて来し方をかえりみながら、
すると番人は私の背後で門の扉を閉ざすのだ、
私の心のみはなお後にのこっているのだとは知らずに。)

これを訳詩を比べたとき、未練の情と「戸をばさす」という行為が共通しているだけで、残りはまったく異なる作品になっていることがわかります。

ところで、「しらでやひと」の「ひと」とは誰のことを指すのでしょうか。「ひと」が第三者であれば、二人の気持ちを理解しない者に対する恨みを歌っていることになります。

原詩によれば、番人が背後で門の扉を閉ざすのですから、こう考えるのは自然です。しかし、原詩の場合は別れる決意をして去っていく部分があるので沈痛な思いが伝わってきますが、短歌訳ではそうした思いはすっかり失われてしまいます。

「ひと」を、相手の女を指すととらえることもできないことはありません。すなわち、後朝の別れに際して、自分と同じように相手が自分のことを想ってくれないと相手の薄情を恨んでいる状況と見るわけです。

佐藤春夫の『殉情詩集』に「戸によりて筑紫女の言ひけるは/東男のうすなさけかな」という句もあります。


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