ゲルハルト

2018年12月04日

「クリスマスの歌」① 粗訳

きょうから気分を換えて、少し早いですがクリスマスの詩をしばらく読みたいと思います。ドイツの讃美歌作者、パウル・ゲルハルト(Paul Gerhardt、1607-76)の「Weihnachtgesang(クリスマスの歌)」です。まずは、ざっと訳してみました。

Kommt und laßt uns Christum ehren,
Herz und Sinnen zu ihm kehren!
Singet fröhlich, laßt euch hören,
Wertes Volk der Christenheit!

Sünd' und Hölle mag sich grämen,
Tod und Teufel mag sich schämen.
Wir, die unser Heil annehmen,
Werfen allen Kummer hin.

Sehet, was hat Gott gegeben!
Seinen Sohn zum ew'gen Leben!
Dieser kann und will uns heben
Aus dem Leid in's Himmels Freud'.

Seine Seel' ist uns gewogen,
Lieb' und Gunst hat ihn gezogen,
Uns, die Satanas betrogen,
Zu besuchen aus der Höh'.

Jakobs Stern ist aufgegangen,
Stillt das sehnliche Verlangen,
Bricht den Kopf der alten Schlange
Und zerstört der Hölle Reich.

Unser Kerker, da wir saßen
Und mit Sorgen ohne Maßen
Uns das Herze selbst abfraßen,
Ist entzwei, und wir sind frei.

O du hochgesegn'te Stunde,
Da wir das von Herzensgrunde
Glauben und mit unserm Munde
Danken dir, o Jesulein!

Schönstes Kindlein in dem Stalle,
Sei uns freundlich, bring uns alle
Dahin, wo mit süßem Schalle
Dich der Engel Heer erhöht!

Weihnachts

来たれ、そしてイエス・キリストを讃えなさい
こころも思いもそのもとへ
陽気に歌い、聞きなさい
キリスト教徒たる人びとよ

罪悪と地獄は恨むかもしれない
死と悪魔は恥じ入るかもしれないけれど
わたしたち、救いを受けるわれらは
すべての悲しみを投げ捨てるのです

見よ、神が何をもたらしているかを!
むすこに永遠のいのちを与え
その子はわれらの苦悩を
天上の喜びへと高めてくれる

その魂はわれらに寄り添い
愛や恩恵をひき寄せるのだ
サタンに欺かれたわれらのもとに
高みから訪れ見舞ってくれるため

ヤコブの星がのぼっている
燃える思いを静めながら
古い悪魔の頭をたたき割り
そして、地獄の帝国をぶち壊す

牢獄、そこにわれらは座している
際限のない憂慮がつきまとい
胸ひき裂く思いに苛まれる
そこがいま粉々になり、われらは解き放たれた

ああ、このうえなく祝福された時間     
その時をわれらはこころの底から信じる
そしてわれらの歌をもって
あなたに感謝する おさなごイエスに

家畜小屋の中のうるわしい幼児キリストよ
われらの近くにあって、すべての人々を導きたまえ
愛らしいひびきとともにある
天使の聖歌隊の高みへと

この詩「Weihnachtgesang(クリスマスの歌)」の初出は、いまから350年前、1667年のこと。Johann Georg Ebeling(1637-1676)作曲の「Weihnachts-Gesang(クリスマス唱歌集)」の一篇としてでした。


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2018年12月05日

「クリスマスの歌」② 讃美歌

「Weihnachtgesang(クリスマスの歌)」のつづきです。冒頭から、少し詳しく見ていきましょう。

Kommt und laßt uns Christum ehren,
Herz und Sinnen zu ihm kehren!
Singet fröhlich, laßt euch hören,
Wertes Volk der Christenheit!
来たれ、そしてイエス・キリストを讃えなさい
こころも思いもそのもとへ
陽気に歌い、聞きなさい
キリスト教徒たる人びとよ

讃美歌集

ドイツでは一般に、冒頭の「Kommt und laßt uns Christum ehren」(来たれ、そしてイエス・キリストを讃えなさい)として広く知られているこの歌は、ブランデンブルク・プロイセンの福音主義(ルター派)教会牧師だった、パウル・ゲルハルト(1607-1676)によって作詩されました。

後日、詳しくみますが、ゲルハルトは、ドイツの最も偉大な讃美歌作者として尊敬されている人物です。とはいえ、ゲルハルトがまったく新たにつくったオリジナル作品というわけではありません。

原型は、昔から広く歌われていた「Quem pastores laudavere(羊飼たちのほめたたえし人)」(「Dem Hohenfurter Liederbuch」 um 1460)というラテン語の讃美歌にさかのぼります。これをもとに、ゲルハルトがドイツ的な韻律によって8連の作品へとまとめあげたのです。

いまのドイツの「福音主義讃美歌(EG)」には、第6連をカットしたものが、「EG39」の讃美歌として入っています。また、この詩には、Max Reger(1873-1916)が伝統的な旋律の曲をつけています。 

冒頭の「Christum」は、「Christus」(イエス・キリスト)のラテン語式4格形。キリストというのは、そもそも、神に選ばれ、塗油を受けた者を意味するヘブライ語メシアのギリシア語訳です。1世紀の初めころ、ローマ支配下にあったパレスチナのユダヤ人、ナザレ出身のイエスを救い主とするキリスト教の信仰によってイエスをさすことばとして用いられ、イエス・キリストはその固有名詞となりました。

讃美歌は、ギリシア語の「hymnos」に由来する神を讃美する歌で、カトリックでは聖歌といいます。諸言語による讃美の歌は宗教改革とともに盛んになり、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカなどでたくさん作られました。

プロテスタントでは讃美歌を信仰告白の直接的表現とみなし、会衆用讃美歌として、内容・形式とも自由な作品を、主に讃美歌集として編んでいます。一方、カトリックでは、典礼用聖歌を主に、20世紀に入って認められた会衆用の聖歌も含めています。

ですが、両者の歩み寄りとともに共通部分がふえつつあるようです。日本では、16世紀のキリスト教伝来からラテン語聖歌が中心でしたが、カトリックでは、1933年『公教聖歌集』が編まれ、プロテスタントでは各派共通の『讃美歌』によっていました。


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2018年12月06日

「クリスマスの歌」③ 地獄と永遠のいのち

「Weihnachtgesang(クリスマスの歌)」のつづき、きょうは第2と第3連をのぞいてみます。

Sünd' und Hölle mag sich grämen,
Tod und Teufel mag sich schämen.
Wir, die unser Heil annehmen,
Werfen allen Kummer hin.
罪悪と地獄は恨むかもしれない
死と悪魔は恥じ入るかもしれないけれど
わたしたち、救いを受けるわれらは
すべての悲しみを投げ捨てるのです

Sehet, was hat Gott gegeben!
Seinen Sohn zum ew'gen Leben!
Dieser kann und will uns heben
Aus dem Leid in's Himmels Freud'.
見よ、神が何をもたらしているかを!
むすこに永遠のいのちを与え
その子はわれらの苦悩を
天上の喜びへと高めてくれる

地獄

ここでいう「罪悪」「地獄」「死」「悪魔」とは、キリスト教ではどのようにとらえられ、どのような関係にあるのでしょう。

旧約聖書では、死者の国をシェオール(sheol)とよび、深い闇に覆われ、地下の淵のかなたにあるとされます。バビロン捕囚以降、終末論に著しい発展がみられ、ゾロアスター教の影響もあって、死後復活の思想が色濃く入り込んできます。

そして「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥を、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう」(「ダニエル書」12章2~3)というように、地獄の観念が次第に明確になってきます。

新約聖書では、死者の霊の赴く所はハデスとよばれ、シェオールと同一の意味に用いられます。それに対して、悪しき者が永遠の刑罰を受けるところはゲヘナ(Gehenna)。ゲヘナは、ヒンノムの谷にあり、バール崇拝の供犠(くぎ)として幼児が焼かれ、のちに疫病人、犯罪者、畜殺動物の焼却場になりました。

新約聖書には、「のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ」(「マタイ伝福音書」25章41)、「この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです」(「マタイ伝福音書」25章46)とあります。

パウロは、有罪とされる者の範囲を広げて、偶像を礼拝する者、姦淫する者、男色する者、盗む者、そしる者などを含めるようにしました。またパウロによれば、神を認めず主イエスの福音に従わない者は、永遠の滅びに至る罰を受けるといいます。

「永遠のいのち」というのは、単なる死後のいのち、彼の世におけるいのちというわけではありません。「ヨハネ6:47」で「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます」と言うように、キリストを信じるとき、即時にこの世で享受することのできるいのちをいいます。

キリストに依り頼んだ人びとは「新生」し、霊の誕生を持つのです。肉体と霊の二つの誕生日を持つことになります。

「ヨハネ17:3」には「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」とあり、「ヨハネ14:6」には「わたし(イエス)が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」とされています。

永遠のいのちというのは、キリストを通していのちの源である神との人格的な交わりを持つことにあるわけです。

「テモテへの手紙(Ⅰ)6:12」には「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました」とあります。この場合の「永遠のいのち」は、来世のいのちを言っていると考えることができそうです。


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2018年12月07日

「クリスマスの歌」④ ヤコブの星

「Weihnachtgesang(クリスマスの歌)」のつづき、きょうは第4と第5連を見ていきます。

Seine Seel' ist uns gewogen,
Lieb' und Gunst hat ihn gezogen,
Uns, die Satanas betrogen,
Zu besuchen aus der Höh'.
その魂はわれらに寄り添い
愛や恩恵をひき寄せるのだ
サタンに欺かれたわれらのもとに
高みから訪れ見舞ってくれるため

Jakobs Stern ist aufgegangen,
Stillt das sehnliche Verlangen,
Bricht den Kopf der alten Schlange
Und zerstört der Hölle Reich.
ヤコブの星がのぼっている
燃える思いを静めながら
古い悪魔の頭をたたき割り
そして、地獄の帝国をぶち壊す

星

「われらに寄り添い/愛や恩恵をひき寄せ」てくれるキリストの魂を讃えたあとには、「ヤコブの星がのぼっている」といいます。

ヤコブは、イスラエルともいい、旧約聖書におけるイスラエル民族の祖。イサクとラバンの妹リベカの子で、「民数記24:17」には、東方の預言者バラムが語ったメシア預言について次のように記されている。

  私は見る。しかし今ではない。
  私は見つめる。しかし間近ではない。
  ヤコブから一つの星が上り、
  イスラエルから一本の杖が起こり、
  モアブのこめかみと、
  すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。

ここで、パラレリズムで語られていることからすれば、「ヤコブの子孫から一つの星が上る」ことと「イスラエルから一本の杖(支配者の権威をあらわす象徴、あるいは笏が指し示しているのは王の存在)が起こる」ことは同義と考えられます。

「ヤコブの星」は、東方の三博士(東方の三賢者)にイエス・キリストの誕生を知らせ、ベツレヘムに導いたという「ベツレヘムの星」(クリスマスの星)と関連づけて考えられてきました。

キリストがベツレヘムで誕生した直後、東の国で、誰も見たことがない星が西の空に見ました。三博士は、ユダヤ人の王が生まれたことを知り、その星に向かって旅をはじめたとされます。

ヨハネス・ケプラーは1614年、その星の正体を、木星と土星が合体して見えるほどの接近を3回繰り返したのがベツレヘムの星だと結論づけました。 

紀元前2年に惑星の会合が頻繁に起きたため、6月の日没後にバビロンの西の空(しし座)に金星と木星の大接近を見た東方の博士が星の方向、すなわち西方に向かって旅立ち、8月の日の出前(しし座)にベツレヘムで水星・金星・火星・木星の集合を見たとの説や彗星であったという説もあります。


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2018年12月08日

「クリスマスの歌」⑤ おさなごイエス

「Weihnachtgesang(クリスマスの歌)」のつづき、きょうは第6と第7連、そしてゲルハルトの生涯を眺めます。

Unser Kerker, da wir saßen
Und mit Sorgen ohne Maßen
Uns das Herze selbst abfraßen,
Ist entzwei, und wir sind frei.
牢獄、そこにわれらは座している
際限のない憂慮がつきまとい
胸ひき裂く思いに苛まれる
そこがいま粉々になり、われらは解き放たれた

O du hochgesegn'te Stunde,
Da wir das von Herzensgrunde
Glauben und mit unserm Munde
Danken dir, o Jesulein!
ああ、このうえなく祝福された時間     
その時をわれらはこころの底から信じる
そしてわれらの歌をもって
あなたに感謝する おさなごイエスに

ゲルハルト

「Kerker」は、牢獄、特に城などの地下の牢獄をいいます。牢獄としては、古代ではヘブライ人は水がたまっていない貯水槽、ギリシア人は鉱山の坑道,シラクサの僭主ディオニュシオス1世は採石場を、ローマ人は同じように鉱山や採石場を利用しました。

「Jesulein」は「Jesus」(イエス)の縮小辞。小さいもの、かわいらしいものを表すほか、悲しみや軽蔑の表現に用いられることもあります。

キリストは救い主への称号であったため、キリスト教の初期には、イエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことは「イエスがキリストであることを信じる」という信仰告白そのものであったと考えることができます。

しかしキリスト教の歴史の早い段階で、「キリスト」が称号としてではなくイエスを指す固有名詞のように扱われはじめることになります。パウロ書簡においてすでに「キリスト」が固有名詞として扱われているという説もあるようです。

ここで、この詩を作ったパウル・ゲルハルト(Paul Gerhardt、1607.3.12-1676.5.27)=写真=の生涯についてまとめておきましょう。ドイツ、ブランデンブルク=プロイセンの福音主義(ルター派)教会牧師であったゲルハルトは、ドイツの最も偉大な讃美歌作者と見なされている大きな存在です。

1607年 現在のザクセン=アンハルト州グレーフェンハイニフェンで、4人兄弟の2番目の子として生まれました。父クリスチャン・ゲルハルトは飲食店を経営、市長にも3度選ばれています。

パウルは、街の学校でラテン語と合唱に励みますが、三十年戦争による飢餓、疫病の流行、兵士による略奪に苦しめられ、1619年に父、1621年には母を失っています。

1622年4月から、ライプツィヒ近郊のグリンマのギムナジウムに通います。ザクセン選帝侯領の牧師と官僚を多く輩出した名門校で、ルター派正統主義の神学者レオンハルト・フッターの著作『Compendium』(神学概論)が主要なテクストとして使われていました。中世の学芸とされていた自由七科の文法学、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽、それに詩学を学びました。

1628年1月、ゲルハルトはルター派正統主義の本拠地であったヴィッテンベルク大学の神学部と哲学部に入学を許可されました。ヴィッテンベルク市区教会牧師のアウグスト・フライシュハウアーから家庭教師の職を得て、その牧師館に住み込みます。ルター派正統主義の神学者たちやアウグスト・ブフナーのような詩作家から教えを受けています。

1642年4月、ハンブルクの教授の息子の文学修士合格を祝うため最初の機会詩を書きました。翌1643年には、ヴィッテンベルク大学での学業を終え、ベルリンへ。当時のベルリンは30年戦争とペスト、天然痘と赤痢により人口が半減したとされています。

1647年、ヨハン・クリューガーの賛美歌集に18篇の歌詞を提供。この賛美歌集は好評で、1653年には53版になりました。1651年11月、ベルリン・ニコライ教会でルター派の和協信条を順守することを誓った上で牧師に任職。 11月にミッテンヴァルデで牧師職に就きました。

1653年、クリューガー賛美歌集の第5版が出版され、そこにゲルハルト作詞の新たな賛美歌64編が含まれています。この時期、ラテン語詩文「Salve Caput Cruentatum」から翻訳された有名な受難曲「血しおしたたる」を書き、次の版(1656)に掲載されました。

1655年2月、アンドレアス・ベルトルトの娘アンナ・マリア(1622年5月19日生まれ)と結婚。1656年5月、娘マリア・エリザベートが生まれましたが、半年後の1657年1月に亡くなっています。他に4人の子供が生まれたが、3人(アンナ・カタリーナ、アンドレアス・クリスチャン、アンドレアス)は早世、パウル・フリードリヒだけが両親の後まで生きました。

1657年5月、ベルリン市ミッテ区にあるニコライ教会がゲルハルトを副牧師に招聘することになり、6月に最初の職務として幼児洗礼を授けました。この時期、彼は妻と一緒にベルリン、クロイツベルク区シュトララウアー通り38番地にある牧師館に住んでいました。

ブランデンブルク選帝侯はルター主義者たちに「寛容勅令」を受け入れた上で署名するように求め、署名を拒んだものは領邦教会から罷免するとし、1666年1月、ゲルハルトも「寛容勅令」に署名するように求められます。彼は署名を拒み、2月にニコライ教会牧師の職務から外されることになります。

ベルリン教区民たちはゲルハルトのニコライ教会牧師離職に賛成せず、「寛容勅令」に署名しなくても復職を可能にする請願書を選帝侯に提出し、ベルリン市参事会も同様に請願しました。しかし、その市民たちによる請願書は選帝侯によって却下されます。

1667年1月、選帝侯は、解職されたルター主義者たちの中でゲルハルトだけ復職を許しました。しかし、ゲルハルトは信仰と道義上の理由からこの復職を拒んだため、同年2月、選帝侯はゲルハルトを領邦教会の牧師職から解任しました。それによって、ゲルハルトは収入を絶たれることになります。同年3月、妻アンナ・マリアが亡くなりました。

1667年、最初の作品集『霊的祈祷歌集』が出版。この讃美歌集はゲルハルト作詞の120の讃美歌を含み、その中で26の賛美歌詞は新作でした。1668年10月、リュッベン市参事会が客員説教者としてパウル・ゲルハルトを招くことを決定。教区長補佐として当時のニコライ教会に赴任することになりました。

ゲルハルト自身は名声を望まずつつましく、慎重で、地味な詩人でした。文学的名声を得ることなく、自身の生活に満足し、過酷な環境を共に体験しながら、人の心を動かす詩作に従事した。

1676年5月、質素な生活をしながら27日に70歳で亡くなりました。


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2018年12月09日

「クリスマスの歌」⑥ 家畜小屋

「Weihnachtgesang(クリスマスの歌)」のつづき、きょうは最終の第8連です。

Schönstes Kindlein in dem Stalle,
Sei uns freundlich, bring uns alle
Dahin, wo mit süßem Schalle
Dich der Engel Heer erhöht!
家畜小屋の中のうるわしい幼児キリストよ
われらの近くにあって、すべての人々を導きたまえ
愛らしいひびきとともにある
天使の聖歌隊の高みへと

Botticelli_Nativity
*Nativity of Jesus, by Botticelli(wiki)

「Stalle」すなわち家畜小屋については、たとえば「ルカ福音書2.7」に「男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」とあります。

さらに、「ルカ福音書2.7」には「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです」。「ルカ福音書2.6」には「そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを探し当てた」。「飼葉おけ」があったことから、そこが家畜小屋であると考えられます。

確かに聖書の記述には、イエスが家畜小屋で生まれたと解釈される可能性があったようで、『偽マタイ福音書』も、家畜小屋伝承の成立に関わっていると考えられます。この伝承は西ヨーロッパでは定着し、例えばローマ・カトリック教会公式の教義解説である『カトリック教会のカテキズム』にも、イエスは家畜小屋で生まれたとされています。

パウル・ゲルハルトの生きた時代は、ドイツを舞台として戦われた最後で最大の宗教戦争といわれる三十年戦争(1618~48年)と重なります。そんな困難な時代の中でゲルハルトは、神秘主義的観照、神秘主義的象徴と、ルター派神学の神学的原理との統合によって、一つのリート形式を誕生させました。

それは単に知性だけに基づくものではなく、歌い、祈ることができる言語が、ここに誕生したと言えるのかもしれません。「神」という概念は、色彩と暖かみを獲得したのです。イエスに対する、直接的、人間的、さらには官能的とまでいえる関係性が開かれていくのです。

テレビアニメなどで「ハイジ」として知られるヨハンナ・スピリの『ハイジの修行時代と遍歴時代』では、フランクフルトから帰ってきたハイジがペーターのおばあさんに、初めて読んであげる詩などとして、ゲルハルトの詩「黄金の太陽、喜びと幸いに満ちて」が登場します。

ゲルハルトの名前は知らなくても、その歌詞は広くドイツ語をしゃべる人たちの間に深く浸透しているのです。断固たるルター派聖職者であった彼の意志とは逆に、彼の詩は現在のカトリック教会の讃美歌集にも掲載されています。「グリムのメルヘンと並び、そしてルターの聖書翻訳や詩作よりも優れて、ドイツで最もよく知られた文学作品に属する」といった評価もあるそうです。

こうして見てきたようにゲルハルトは、神との個人的な関係がますます重要性を増していく新しい時代の先駆者といってもいいのでしょう。そういう意味では、ゲルハルトの讃美歌がいまも歌われつづけている意味合いは、決して小さくないように思います。


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