2020年12月

2020年12月31日

山村暮鳥「À FUTUR」㉖

きのうに引きつづき、「À FUTUR」の第11連を読んでいきます。

黎明のにほひがする。落葉だ。落葉。惱むいちねん。咽びまつはる欲望に、かつて、祕めた緑の印象をやきすてるのだ。人形も考へろ。掌の平安もおよぎ出せ。かくれたる暗がりに泌み滲み、いのちの凧のうなりがする。歡樂は刹那。蛇は無限。しろがねの弦を斷ち、幸福の矢を折挫いてしくしくきゆぴとが現代的に泣いてゐる。それはさて、わたしは憂愁のはてなき逕をたどり急がう。

凧

第11連では、「祕めた緑の印象をやきすてるのだ。」につづいて、「人形も考へろ。」「掌の平安もおよぎ出せ。」と、逆説的、オード的な呼びかけが立て続けに三つつづいたうえで、詩人は、「かくれたる暗がりに泌み滲み」と「いのちの凧のうなり」を聞くことになります。

凧揚げは古くから行われているが、本来子供の遊戯ではなく、部落と部落との競技で、相手の糸にからませて切り合う凧合戦が諸所に行われた。「紙鳶(いかのぼり)とも言い、種類は非常に多く、特別にうなりを負わせたうなり凧もあり、また畳何畳分の大きさの大凧をばらもん凧といっている」と歳時記にはあります。(1)

蕪村に「凧きのふの空のありどころ」という一句も。詩人が「人形も考へろ。」と呼びかけているように、ここの「凧」も、生命力や肉感を備え、たしかな存在感を放たせようとしているようです。ちなみに、暮鳥には次にあげる「紙鳶」という詩もあります。

  紙鳶   

紙鳶になれたらどんなだろう
いや、いや
どの子どもたちも
みんな銘銘
自分自分の紙鳶になつてゐるのだ

こちらのほうは、率直に、はっきりと、「子どもたち」の凧をうたっています。

「惱むいちねん。」や「歡樂は刹那。」に対して、詩人は次に「蛇は無限。」と言ってのけています。

「蛇」といえば、創世記第3章の「蛇の誘惑」が頭に浮かびます。神によってつくられたアダムとエバが、エデンの園で生活するようになった後のあるとき、神が創造された動物の中でもっとも賢い存在であった蛇が、エバに対して園の真中にある善悪の知識の木の実の話をもちかけるところから話は始まります。

主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。」(2)

「最も賢い」生き物である「蛇」の誘惑に負けて、禁断の果実を口にした、アダムとイブは、楽園から追放されて、死すべき定めを負うのです。そして、厳しすぎる環境の中で、悩み、苦役をしなければならなくなったわけです。

詩人はそんな「蛇」を、「惱むいちねん。」や「歡樂は刹那。」とは対極の「無限」に置いているのです。

私にとっての「蛇」はというと、この創世記第3章を蛇の立場から描いたようにも見えるポール・ヴァレリーの310行に及ぶオード「蛇の素描」が思い当たります。このオードは次のようにはじまります。

樹の上で、魔王の俺が化けてゐた
毒蛇の姿を 微風が搖つてゐる。
鋭い齒に突きとほされて、欲情に
きらきらと齒を光らせる 薄笑ひを、
浮べて「樂園(エデン)」を 踏み荒し彷徨して、
綠玉の三角形の俺の頭が
叉(ふたまた)に分れた舌を出してゐる・・・・・・
俺は畜生、だが、先鋭な畜生で、
俺の毒汁は 上品な毒ではないが
賢者を殺す毒芹を 遙かに凌ぐ。(3)

「蛇の獨白であり、その文體は、皮肉な、故意に卑俗な、道化染みた、嘲笑的な調子である」(4)が、次にあげる最後の3行だけは異なります。

——蛇よ、お前を巨人と成した この渇望、
これこそ「虚無」の不思議な
「全能」を「存在」にまで高めるものだ。

「蛇は無限。」の一文には、ヴァレリーのこのオードの結末に出て来る「「虚無」の不思議な/「全能」を「存在」にまで高める」「渇望」を感じるのです。

「無限」なる「蛇」の後には、無惨な「きゆぴと」が登場します。

「しろがねの弦を斷ち、幸福の矢を折挫いてしくしく」と「現代的に泣いてゐる」というのです。

「きゆぴと」(Cupid)はあえて説明を加えるまでもないかもしれませんが、「ローマ神話に出てくるヴィーナスの子で、それぞれ金と鉛の矢じりのついた矢と弓を持ち、天使のごとく可愛い翼を背中に付けた存在。その気まぐれに放った金の矢じりに射ぬかれた者は誰でも異性に対して恋に落ち、鉛の矢じりであれば、たちまち相手への嫌悪の情に打たれると言われている」。(5)

そんな弓の「弦を斷ち」、矢を「折挫いて」しまっては、さすがにいたずら好きの有翼の少年といえど、その本領を発揮しようがありません。

「きゆぴと」は、日本国語大辞典によれば、明治35年(1902年)に出版された内田魯庵の小説集『社会百面相』にも「人間の運命を玩(もてあそ)ぶキウピッドの囁(ささやき)を聞く如く」と出てくるそうだから、当時はふつうに使われていたのでしょう。

「しくしく」は、もともと動詞「しく」を重ねた語で、後から後から続いて起こるさまをいいます(6)。『万葉集』に「春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ」などの歌があることから「しくしく」自体はとくに「現代的」というわけではないのでしょうが、そこにはローマ神話のオーラから解き放たれた現在形のCupidが居るというのです。

そして連の最後、「それはさて、わたしは憂愁のはてなき逕をたどり急がう。」の一文。悩み悲しみ、うれいつつたどるのは「逕」だといいます。「逕」の「みち」は、「目的地にまっすぐにいく近みち。曲がったところを短くつないで人が通ったためできた近みち」(7)のこと。「憂愁のはてな」さはあるものの、詩人は、近道を急ごうとしているところが面白いところです。

(1)山本健吉『カラー図説日本大歳時記』(講談社、1992.2)p.217
(2)『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、2009)p.(旧)3-4
(3)鈴木信太郎『ヴァレリー詩集』(岩波書店、1991.11)p.206-226
(4)同上p.343
(5)芝史朗『「ロミオとジュリエット」を読み解く』(英宝社、2012.3)
(6)北原保雄『全訳古語例解辞典』(小学館、1991.3)p.386
(7)藤堂明保『漢和大字典』(学習研究社、1998.4)p.1315


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2020年12月30日

山村暮鳥「À FUTUR」㉕

「À FUTUR」のつづき。きょうから第11連に入ります。

黎明のにほひがする。落葉だ。落葉。惱むいちねん。咽びまつはる欲望に、かつて、祕めた緑の印象をやきすてるのだ。人形も考へろ。掌の平安もおよぎ出せ。かくれたる暗がりに泌み滲み、いのちの凧のうなりがする。歡樂は刹那。蛇は無限。しろがねの弦を斷ち、幸福の矢を折挫いてしくしくきゆぴとが現代的に泣いてゐる。それはさて、わたしは憂愁のはてなき逕をたどり急がう。

緑

第11連は、次のように12の文から成っています。

黎明のにほひがする。
落葉だ。
落葉。
惱むいちねん。
咽びまつはる欲望に、かつて、祕めた緑の印象をやきすてるのだ。
人形も考へろ。
掌の平安もおよぎ出せ。
かくれたる暗がりに泌み滲み、いのちの凧のうなりがする。
歡樂は刹那。
蛇は無限。
しろがねの弦を斷ち、幸福の矢を折挫いてしくしくきゆぴとが現代的に泣いてゐる。
それはさて、わたしは憂愁のはてなき逕をたどり急がう。

第3連に「黎明のあしおとが近づく」とありました。ここでは、聴覚ではなく嗅覚の働きで「にほひ」を感じています。より「近づ」いてきているのでしょう。

「にほひ」につづいて出て来るのが「落葉だ。/落葉。」です。詩人は、葉が枯れ落ちておしまいを迎える「落葉」から、夜が明ける「黎明」をここでも逆説的に感じ取っているのでしょうか。

「いちねん」とは何を言っているのでしょう。「一念」、もしかして「一年」。この後に「刹那」という言葉が出てくることなどからすると、「一念」とするのが妥当のように私には思われます。日本国語大辞典によれば、「一念」には次のようにたくさんの意味があります。

① ひたすらに思いこんでいること。また、その心。一心。執心。執念。
② ふと思うこと。ある一つの考え。
③ きわめて短い時間。一刹那または六十刹那など。
④ 仏語。ひとたび仏を念ずること。一度念仏を唱えること。⇔多念。
⑤ 仏語。仏の救いを信ずることができたその瞬間、または信じて二心のないこと。主として浄土真宗でいう。
⑥ 仏語。仏の智慧のこと。

「惱むいちねん。」のあとに、これと対になるようにして「歡樂は刹那。」とあることからすれば、ここでは③の「きわめて短い時間。一刹那または六十刹那など。」と取るのがいいのでしょう。ついでに、日本国語大辞典の「刹那」の意味はと言うと、

① 仏語。時間の最小単位。きわめて短い時間。一説に六十五刹那を一弾指という。また、一刹那は一念であるが、ときに六十刹那を一念とするともいう。せちな。
② 数の単位の一つ。非常に小さい数の単位で、10のマイナス18乗にあたる。
[補注]元来、仏語だが、日本では古くから和文にも取り込まれ、「に」を伴って副詞的に用いる例も見られる。

などとあります。「一念」に比べると、意味の範囲が狭いようです。ところで、一念を時間と捉えた場合、それはどの程度の長さになるのでしょうか。大久保良峻氏は次のように論じています。

このことについて、静算の『心地教行決疑』巻二本では、一念の時分について諸説不同とする記述が見出される。その中に見られる、「九十刹那為一念。一念中一刹那経九百生滅」という記述は鳩摩羅什訳『仁王般若波羅蜜経』巻上の文であり、一刹那との関係が説かれている。因みに、不空訳『仁王護国般若波羅蜜多経』巻上では、「一念中有九十刹那。一刹那中経九百生滅。」となっている。
〔中略〕
そこで今問題にしたいのは、特に時間的な意味での一念や一刹那であり、それらが漠然と時問の最小単位、すなわち一瞬の経過のこととして使われている場合がかなりあるのではないかということである。しかし、一念の方はその語の用例は広い。従って、『止観輔行伝弘決』巻八之二に、「言一念者、非謂極促一刹那時。謂善悪業成名為一念。異於三世・二世連縛等相故名一念。」と見られるのも、そういった差異を根拠とする発言である。また、そのことは一念の語が必ずしも把握しやすくはないことを意味することにもなる。そこで、『法華文句』巻八上に、「若聞開権顕実、即於一念心中、深解非権非実之理、信仏知見」と見られる一念について、『法華文句記』巻八之三で、「初於一念者、非唯経於一念時須。指一心法名為一念」というような解釈がなされることにもなる。つまり、ここでの一念は、ただ時間的な一念を経過するということだけではなく、一心の法を指すというのである。(1)

つまりは、「一念」は「九十刹那」で、「一刹那」に「九百生滅」がある、といった考え方もあり、また、一念や一刹那には「漠然と時問の最小単位、すなわち一瞬の経過のこととして使われている場合がかなりあ」る。さらには、「一念」には、ただ時間的な一念を経過するというだけではなく、「一心の法」をも指すというのです。

さて、これらから、この詩にでてくる「惱むいちねん。」「歡樂は刹那。」をまともに解すれば、「悩み」は「歡樂」の六十個分、あるいは九十個分の時間ともいえるが、いずれにしてもごくわずかな時間であり、また「一念」のほう、すなわち「悩み」のほうについては「一心の法」にもかかわってくるということになります。案外、常識的な線に落ち着いてくるようにも思えます。

このように、一心に「惱むいちねん。」さらには「咽びまつはる欲望」に「かつて、祕めた緑の印象をやきすてるのだ。」と詩人はいいます。ところで、ここでいう「祕めた緑の印象」をいうのは何なのでしょう。

辞典によると「緑」とは、一般に、青と黄色の中間の色のこと。草木の葉の色をさす。古代から使われていた色名だが、古代の緑は現代よりも濃い色をさしたとされる。青、赤とともに光の三原色の一つ。国が表彰する緑綬褒章の綬(リボン)は緑色。「翠」と表記することもあるが、こちらは萌黄に近いイメージ。「碧」と表記した場合は濃い青緑になる。一方、日本では古くから青の概念のなかに緑を含んでおり、青葉とは緑色の葉のこと。平安時代から現代まで、青と表記して緑色をさしているケースは多い。また、具体的な色ではなく瑞々しさを表すこともあり、「緑の黒髪」といったときは、しっとりとした印象を表現している。(2)

ここにあるように「緑」には、「具体的な色ではなく瑞々しさ」の象徴でもあり、また「近年、「緑と健康」に関する研究テーマが、造園学、生理人類学分野をはじめとして積極的に取り上げられるようになった。また「園芸療法」や「森林療法」に関する研究から実践への取り組みが具体的に展開するなかで、健康に資する緑の重要性が広く認知されるようになってきた」(3)というように、「健康」とも密接に結びついてイメージされます。

「瑞々しさ」「健康的」といった「祕めた緑の印象をやきすてるのだ」ということになるでしょうか。

(1)大久保良峻「一念成仏について」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第1分冊 50、 2004)p.51-53
(2)『色名がわかる辞典』(講談社、2011)デジタル版
(3)飯島健太郎「「緑と健康」に関する研究とその動向」(『日緑工誌』33(3)、2008、p.441)


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月29日

山村暮鳥「À FUTUR」㉔

きょうも「À FUTUR」の第10連のつづきを読んでいきます。

はるかに燃ゆる直覺。欺むかれて沈む鐘。棺が行く。殺された自我がはじめて自我をうむのだ。棺が行く。音もなく行く。水すましの意識がまはる。

ミズスマシ

「殺された自我がはじめて自我をうむのだ。」というのは、この連で唯一、詩人の主張を述べている意味深な一文だと思います。

「自我」とは何かといえば、単純に考えれば、自分自身のこと。あるいは意識の主体、さらには他人と区別された認識、行為の主体、といったあたりだろうか。「自我」と聞いて私の頭に最初に浮かんでくるのは、近代哲学の出発点にもなった、デカルトの有名な「Cogito, ergo sum(我思う、故に我あり)」という言葉です。すなわち、一切を疑ってもなお残る疑い得ないものとしての「自我」ということになります。

そんな、疑ってもなお残るはずの「自我」が「殺された」ことによって「はじめて自我をうむ」ことになるのだと詩人はいうのです。「燃ゆる直覺」のせいなのだろうか、「殺された自我」がはじめて自我をうむといいます。

「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」。これは画家ゴーギャンが、タヒチ島移住後の 1897-98年 年に描いた作品のタイトルです。このゴーギャンのような問いかけは、紀元前 1 世紀頃から流布し始めたかなり普遍的な言い回しであったようです。

ところで、「自我」あるいは、「私」の意識というようなものは、いつ頃、どのような形で、私たちの中に生まれるのでしょう?。NHK の子供番組『シャキーン!』で毎朝放送されていた次の「 世界のひみつ 」(淵上純子作詞)という歌は、そのあたりのヒントになるのかもしれません。

目を閉じているあいだ
世界は ほんとにあるんだろうか
開けてるときだけあるふりを
してるってことはないのかな
今日こそ たしかめよう
今日こそ たしかめたくて
ゆっくりゆっくり 目をとじる
薄目でながめる
世界はまだある
目を閉じたら
いつの間にか眠って
また朝がきた
世界はあった
まばたきの瞬間の
世界は いつも同じだろうか
ものすごい速さで 知らない世界に
変わってないかな
開けた世界と
閉じた世界が
あべこべに あらわれるかも
いつもの教室 いつものみんな
目が乾いて眠いな
鉛筆の音 足音 校庭の音 風
窓側の手が暑い
誰かの声 先生の声
しまった!授業中!

生まれたばかりの乳児は、自他未分化な状態に生まれ、原初的一体感の中に育まれています。それ以降も、自己中心性の強い世界観の中に生きているが、次第にそこを脱し、自己と他者、外界との関係を相対的に見ることができる視点を獲得するようになるとこれまで考えられてきました。

しかし千秋佳世氏によると、こうした自己認識や世界観の変化が急激な形で訪れ、それが大きな体験として記憶に残る場合があるらしいということが、自我体験という現象として報告されてきているといいます。「「私とは何か」という古代より先人たちが抱え続けた謎は、幼い子どもたちの日常の中に突然現れ、時に鮮烈な印象を残し、その人の核を作っていく」のです。(1)

生死を相対化したところに、「四次元プリズム」において生まれる「自我」は、「殺された自我」によって「突然現れ、時に鮮烈な印象を残」すものなのかもしれません。

第10連は、「棺が行く。音もなく行く。水すましの意識がまはる。」でしめくくられます。ここに登場する「水すまし」=写真=は、カブトムシなど甲虫の仲間の昆虫で、水面に落ちた小さな虫を食べて生活しています。水面に落ちた虫を前足でかかえこむようにつかまえて、かじりとるようにして食べます。

このミズスマシ、水面で生活するため次のように、他の水生昆虫にはない特徴をもっているそうです。

①水面でくらしていると空からは鳥、水中からは魚などの外敵におそわれる危険があるため、陸上監視用の眼を二つ、さらに水中監視用の眼も二つの合計4個の眼で陸上と水中を同時に見ることができる。

②水面のミズスマシを見ると、くるくると円を描くようにして泳ぐようすが観察できる。ミズスマシはこうして泳ぎながら、水面にできる波を利用して、餌や障害物の位置を知ることができる。

③ミズスマシの体長は7ミリ前後と小さいにもかかわらず、水面を移動するスピードは非常に速く、1秒間に60センチも移動するという報告がある。ミズスマシは中脚と後脚をスクリューのように回転させて、水面を高速移動することができる。(2)

「鐘」の音に見守られることもなく、「音もなく」進んでゆく「葬列」。ただそこには、中脚と後脚をスクリューのように回転させて水面を高速移動する7ミリ前後のミズスマシの、脚ではなく「意識が」回っているのだという。なんという、現代的なる静寂でしょう。

ついでですが、私の自作の一句に「葬送の列大鷹の森に入る」(潤)というのもあります。

(1)千秋佳世「自我体験研究の概観と展望」(京都文教大学『臨床心理学部研究報告 第 10 集』2017 年度)p.51-58
(2)葛西臨海水族園・橋本浩史「水面でくらす工夫、ミズスマシ」(『東京ズーネット』https://www.tokyo-zoo.net/)2006.5


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月28日

山村暮鳥「À FUTUR」㉓

しばらくドイツの詩に移行していましたが、きょうから暮鳥の「À FUTUR」を再び読んでいきます。きょうは、第10連です。

はるかに燃ゆる直覺。欺むかれて沈む鐘。棺が行く。殺された自我がはじめて自我をうむのだ。棺が行く。音もなく行く。水すましの意識がまはる。

鐘

いつものように、文ごとに改行してみると、

はるかに燃ゆる直覺。
欺むかれて沈む鐘。
棺が行く。
殺された自我がはじめて自我をうむのだ。
棺が行く。
音もなく行く。
水すましの意識がまはる。

となります。七つの文で構成され、うち二つの文が「棺が行く。」、文末が「行く。」で終わっている文が三つあります。さらには「直覺(ちょっかく)」を含めると、七つ中四つの文末を「く(ku)」でしめくくり、一定のリズムを刻んでいるのです。

1874 年に刊行された西周の論理学書『致知啓蒙』には、「雪に白しと知り、月に清しと知り、又聞て知り、嗅て知り、味はひて知り、覚へては痛しと知り、冷しと知るの類ひは之を名けて、直覚、又無媒諦〔 intuition 〕と名けて」とありました。

西周は、哲学や論理学をはじめ、さまざまな西洋語の訳語を考案したことで知られますが、『致知啓蒙』でも、哲学(philosophy)、直覚(intuition)、後天 (a posteriori)、記号(sign)、思量(consideration)、思惟(contemplation)、肯定(affirmation)、実体(substance)、総合法(synthesis)、類(genus)、演繹(deduction)、帰納(induction)、外延(extension)、内包(comprehension, intension)、全称 (universal)、特称( particular)、同一(identity)、理性(reason)、対偶転換(conversion by contraposition)、包摂(subsumption)、一致(agreement)などなど、さまざまな訳語を作っています。(1)

こうした中で西は「intuition」(英語,フランス語)を「直覚」としたわけです。「intuition」は、〈凝視する〉とか、ときには〈瞑想する〉といった意味を有するラテン語intueriに由来し、一般に直接的知識を意味するようだが、しだいに〈直観〉にとって代わられ、今日に至っています。(2)

この詩が作られた時代は、まだ「直覚」のほうが主流だったのか、暮鳥がこちらのほうを気に入っていたのかは知れないが「雪に白しと知り、月に清しと知り、又聞て知り、嗅て知り、味はひて知り、覚へては痛しと知り、冷しと知るの類ひ」である「直覚」、すなわち、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などが「燃ゆる」ほうが、直観が「燃ゆる」よりはイメージを浮かべやすく思われます。

とはいえ、この「燃ゆる直覺」は、「直覺」が燃えるように冴えわたると積極的に解釈すべきなのか、それとも「はるか」に、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など諸感覚
が燃えて失われてしまうイメージでとるべきか。微妙なところです。もっとも、燃えたぎることと消失することは、裏腹の同じことを意味しているのかもしれません。

次の行「欺むかれて沈む鐘」では、直覚のうちの聴覚や視覚がかかわる「鐘」が「欺むかれて沈」んでしまっている。

夕暮れ時などに聞えて来る寺の「鐘」の音を耳にすると、ふっと我にかえり、時間の流れがゆったりとなったような感じをもつことがあります。

お寺が鐘をつくのはもともと「衆生の迷夢をさまし、諸々の悪行を離れて、仏道に帰依させる」(3)のが目的だったそうです。鐘の音は、人として何か大事なことを忘れて生きているのではないか、立ち止まって考えなさいと呼びかけているということになる。一方で「鐘」は、キリスト教世界を象徴する音でもあります。

17世紀ドイツのルター派牧師コンラート・ディートリッヒ(1575年-1639年)が著した『鐘の説教』(1625年)という本によると、教会の鐘には時報や非常時の警鐘などの機能のほかに、①人々を礼拝や祈りに招く、②キリスト者として信仰・希望・愛をもって生きるように促す、③(葬儀の際にも鳴らされることから)自らがいずれ死すべき身であることを思い出させる、といった機能があったといいます。(4)

西洋の教会の場合も鐘には「立ち止まりなさい」と呼びかける働きであるわけです。ところが「欺むかれて沈む鐘」ともなると、そんな働きはもはや望むべくもありません。

「鐘」というと、私には、有名なヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』に引用されているジョン・ダンの詩の一節が思い出されます。 

なんぴとも一島嶼(とうしょ)にてはあらず
なんぴともみずからにして全きはなし
ひとはみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)
本土のひとひら そのひとひとらの土塊(つちくれ)を
波のきりたて洗いゆけば
洗われしだけ欧州の土の失(う)せるは
さながらに岬の失せるなり
汝(な)が友どちや汝(なれ)みずからの荘園(その)の失せるなり
なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
みずからを殺(そ)ぐにひとし
そはわれもまた人類の一部なれば
ゆえに問うなかれ
誰(た)がために鐘は鳴るやと
そは汝(な)がために鳴るなれば (5)

ここに引用されているのは、John Donneの「Meditation 17(瞑想録第17)」の最後の部分です。「Meditation 17」の冒頭は、有名な次の一文から始まります。

Now this bell tolling softly for another,
says to me, Thou must die.(6)
(いま、他者のために穏やかに鳴り響く弔いの鐘は、
私に告げる。「お前も死ぬのだ」と。)

「À FUTUR」のこの連に出てくる「欺むかれて沈む鐘」からは、「お前も死ぬのだ」と告げられることもなく、ただ「棺が行く」。「音もなく行く。」のです。

(1)小泉仰「西周の現代的意義」(『アジア文化研究』 (38)、2012)p.67-69
(2)平凡社『世界大百科事典 第2版』(デジタル版)
(3)坪井良平『日本の梵鐘』(角川書店、1970.1)、p.26
(4)栗原健「鐘の音がある風景」(宮城学院女子大学『備忘録 思索の扉』第3回、2018.06.01)=https://www.mgu.ac.jp/
(5)大久保康雄訳『誰がために鐘は鳴る(上)』(新潮社、2007.11)
(6)John Donne; Meditation 17 (English Edition) Kindle版


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2020年12月27日

ビーアバウム「高鳴る胸」③

ビーアバウム「高鳴る胸」のつづき。きょうは、ビーアバウムの活躍した時代について検討していきましょう。

牧場を、畑を、ひとりの若者が行った
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
彼の指には金の指輪が輝く
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
ああ、牧場よ、畑よ、きみたちはなんて美しいんだ!
山よ、谷よ、ああ、なんとも美しい!
きみはなんて善良で、なんて美しいんだ
きみ、天の高みにある金色の日輪よ!
クリン・クラン、クリン・クラン、クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
速やかに、若者は陽気な足取りで駆けていった
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
笑顔いっぱいの花を幾本も手にして・・・・・・
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
牧場を、畑を、春風が吹きぬける
山を、森を、春風が吹きぬける
そいつは、きみへと僕を駆りたてるのさ、そっと、穏やかに
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
牧場と畑のあいだに、ひとりの女の子が立っていた
クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた
目の上に手をかざし、遠くを眺めて
クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた
牧場を、畑を越え、山を、森を越えて
私のもとへ、私のもとへと 彼は急いでここへ来るわ
ああ、彼が私のそばだけに、ただ私のそばにいてくれたなら!
クリン・クラン、クリン・クラン、クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた

Über Wiesen und Felder ein Knabe ging,
Kling klang,schlug ihm das Herz;
Es glänzt ihm am Finger von Golde ein Ring.
Kling klang,schlug ihm das Herz;
O Wiesen,o Felder,wie seid ihr schön!
O Berge,o Täler,wie schön!
Wie bist du gut,wie bist du schön,
Du gold'ne Sonne in Himmelshöhn!
Kling klang,kling klang,kling klang,schlug ihm das Herz.
Schnell eilte der Knabe mit fröhlichem Schritt,
Kling klang,schlug ihm das Herz;
Nahm manche lachende Blume mit -
Kling klang,schlug ihm das Herz.
Über Wiesen und Felder weht Frühlingswind,
Über Berge und Wälder weht Frühlingswind,
Der treibt zu dir mich leise,lind,
Kling klang,schlug ihm das Herz.
Zwischen Wiesen und Feldern ein Mädel stand,
Kling klang,schlug ihr das Herz.
Hielt über die Augen zum Schauen die Hand,
Kling klang,schlug ihr das Herz.
Über Wiesen und Felder,über Berge und Wälder,
Zu mir,zu mir,schnell kommt er her,
O wenn er bei mir nur,bei mir schon wär!
Kling klang,kling klang,kling klang,schlug ihr das Herz.

くらふと

ビーアバウムの時代、ドイツの文芸雑誌は、1867年には27種類だったのが、1894年には85種類、1900年に313種類となって頂点に達し、以後減少に向かったといいます。こうしためざましい雑誌文化の興隆への寄与ということにかけては、ビーアバウムはまさに第一人者だったわけです。田辺秀樹氏は、次のように指摘しています。

1890年ごろから1910年までのほぼ20年間にわたるビーアバウムの文学活動を一瞥してみると、なによりもまずその多彩さが際立っている。興にまかせていくらでも書けたのだろうと思わせるリズミカルな・ココ風の多数の詩、ユーモアに富む軽妙な筆致で読ませる小説、新奇な趣向の旅行記、喜劇、ジングシュピールの台本、舞踊劇、芸術家評伝、翻訳など、創作・執筆の活動とあわせて、詩やシャンソンのアンソロジーの編纂、芸術総合雑誌の創刊や編集、文学キャバレー、製本の革新、といった広い意味での文化活動における多方面にわたる活躍振りである。=田辺秀樹「世紀末のヴァリエテ小説 : ビーアバウムの小説『シュティルペ』についての覚書」(一橋大学『言語文化』18、1981.12)p.40、46

最後に「Kling Klang」について触れておきましょう。「Kling Klang」といえば、ドイツの電子音楽グループ「KRAFTWERK」(クラフトワーク、発電所の意)=写真、wiki=を思い浮かべるかたが多いのではないでしょうか。クラウトロックの代表格で、テクノポップを開拓した先駆者として知られています。「Kling Klang」は、デュッセルドルフに1970年、建てられてから、デュッセルドルフの西約10キロに位置するメーアブッシュ・オステラートに移転する2007年までKRAFTWERKがテクノを作り続けていたスタジオです=写真。

ところで、この詩では「Kling Klang」といっていますが、心臓の音というと日本では「ドキンドキン」とか「ドキドキ」というのが普通です。表現は違いますが、ドイツも日本も、二つの単語を繰り返しているところは共通しています。実際、心音は、2回に分けて聴くことが出来るのだそうです。山田幸宏氏によると、次のようなメカニズムになっているそうです。
心音とは、心臓の弁が閉じる時に生じる音です。心臓から血液が送り出されるためには、心房と心室の間の房室弁と、心室と動脈の間の動脈弁が開閉する必要があります。 
心房が収縮して血液が心室を満たすと、房室弁(僧帽弁と三尖弁)が閉じ、それに伴って心室が収縮を始めます。心音の第Ⅰ音は、この時の音です。
心室が収縮して血液を動脈に送り出すと、動脈弁(大動脈弁と肺動脈弁)が閉鎖されます。これが心音の第Ⅱ音です。 
私たちは心臓の鼓動をドッキンというように表しますが、注意深く聴いてみると1回のドッキンはツツッ、ツツッと2回に分けて聴くことができます。これは前述したように、4個の弁が2回に分かれて閉鎖するためです。1回目は心房と心室の間の弁が、2回目は心室から動脈への出口の弁が閉鎖する音です。
弁に開閉不全や狭窄があると、はっきりとした心音に加えて異常な音が発生します。これを心雑音といいます。
心音の聴診は、第Ⅰ音は心尖部、第Ⅱ音は両側第2肋間の高さの胸骨縁で、最もよく聴き取ることができます。第Ⅰ音は鈍く低い音、第Ⅱ音は鋭く高い音が聴こえます。
=山田幸宏『看護のためのからだの正常・異常ガイドブック』(サイオ出版、2016.3)


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2020年12月26日

ビーアバウム「高鳴る胸」②

ビーアバウム「高鳴る胸」のつづき。きょうは、ビーアバウムという詩人について見ておきたいと思います。

牧場を、畑を、ひとりの若者が行った
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
彼の指には金の指輪が輝く
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
ああ、牧場よ、畑よ、きみたちはなんて美しいんだ!
山よ、谷よ、ああ、なんとも美しい!
きみはなんて善良で、なんて美しいんだ
きみ、天の高みにある金色の日輪よ!
クリン・クラン、クリン・クラン、クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
速やかに、若者は陽気な足取りで駆けていった
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
笑顔いっぱいの花を幾本も手にして・・・・・・
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
牧場を、畑を、春風が吹きぬける
山を、森を、春風が吹きぬける
そいつは、きみへと僕を駆りたてるのさ、そっと、穏やかに
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
牧場と畑のあいだに、ひとりの女の子が立っていた
クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた
目の上に手をかざし、遠くを眺めて
クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた
牧場を、畑を越え、山を、森を越えて
私のもとへ、私のもとへと 彼は急いでここへ来るわ
ああ、彼が私のそばだけに、ただ私のそばにいてくれたなら!
クリン・クラン、クリン・クラン、クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた

Über Wiesen und Felder ein Knabe ging,
Kling klang,schlug ihm das Herz;
Es glänzt ihm am Finger von Golde ein Ring.
Kling klang,schlug ihm das Herz;
O Wiesen,o Felder,wie seid ihr schön!
O Berge,o Täler,wie schön!
Wie bist du gut,wie bist du schön,
Du gold'ne Sonne in Himmelshöhn!
Kling klang,kling klang,kling klang,schlug ihm das Herz.
Schnell eilte der Knabe mit fröhlichem Schritt,
Kling klang,schlug ihm das Herz;
Nahm manche lachende Blume mit -
Kling klang,schlug ihm das Herz.
Über Wiesen und Felder weht Frühlingswind,
Über Berge und Wälder weht Frühlingswind,
Der treibt zu dir mich leise,lind,
Kling klang,schlug ihm das Herz.
Zwischen Wiesen und Feldern ein Mädel stand,
Kling klang,schlug ihr das Herz.
Hielt über die Augen zum Schauen die Hand,
Kling klang,schlug ihr das Herz.
Über Wiesen und Felder,über Berge und Wälder,
Zu mir,zu mir,schnell kommt er her,
O wenn er bei mir nur,bei mir schon wär!
Kling klang,kling klang,kling klang,schlug ihr das Herz.

ビーアバウム

オットー・ユーリウス・ビーアバウム(Otto Julius Bierbaum、1865-1910)=写真=は、グリューンベルク生まれ。1893年にベルリンにて豪華芸術紙「パン」を創刊し、1899年にはミュンヘンで「インゼル」誌編集者として活躍。ボヘミアンの放縦な生活を戯曲化した「シュティルベ」(1897年)は有名です。「郭公王子」(1907年)では多くの恋愛遍歴を描きました。

多芸多才のボヘミアンといわれ、作風も自然主義、印象主義、デカダンにわたります。ボヘミアンの放縦な生活を描いた小説『シュティルペ(Stilpe)』(1897)はよく知られています。自然主義の機関誌「自由舞台」の編集にたずさわった後、「牧羊神(パン)」を創刊、「島(インゼル)」を主宰するなど、文芸雑誌刊行にも腕をふるいました。

ここでいう「ボヘミアン」というのは、どんな人たちのことをいうのでしょう。鈴木将史氏は次のように説明しています。
0.J.Bierbaum の小説『Stilpe』では、主人公 Stilpeの呼び掛けに応じてベルリンからボヘミアンが集まってくる。その大半は社会からの単なるドロップアウトに過ぎない連中だったが、その中に4人だけ真のボヘミアンと呼べる者達がいた。純粋無垢な神秘的詩人 Peripatetiker、東洋的ユーモアに満ちた自由人 Bärenführer、エロスと美の世界に耽溺するZungenschnalzer、自己破滅型デーモン詩人 Kasimir、der Fugenorglerがそれである。この4人には各々実在のモデルがある。
 ギリシア語で放浪する意のperipateinからその名が付けられた天性の放浪詩人P.Hille、自分の妻を "Bähr"と呼んだP.Scheerbart、その官能的芸術評論で聞こえたJ.Meier-Graefe、ショパンを愛し、嵐の様なピアノ演奏で聴衆を煙に巻いたポーランド人S.Przybyszewskiが各々のモデルだが、彼等は、世紀末ボヘミアンを前期と後期に区分した際、その素朴性と社会批判性の点で前期に於ける典型的ボヘミアンである。
=鈴木将史「ドイツ世紀末ボヘミアンとその文学運動― Jugendstil,Heimatkunstとの関連を巡って」(小樽商科大学『ノルデン』25、1988)
また、1965年「南ドイツ新聞」のヴィルヘルム・エマーヌエル・ジュースキントのビーアバウム評には次のようにあるそうです。

自らの創意をもとに創造する人ではなかったが、卓越した習得者、加工家であり、その方面で人を魅了することにかけてはほとんど天才的だった。もしわれわれの時代に生きていたとしたら、ビーアバウムは彼の幅ひろくかつ実用可能な文学的教養、芸術史の教養によって、コンビネーションの、脚色の、仲介のすぐれた手際によって、軽妙な筆遣いによって、さらに、ゆるぎないセンスを保ちつつもなおまた文化スノップの意に適うという当時以来ますますもって時代にマッチしたものとなるに至った彼のタレントによって、ラジオ、テレビ、出版等の池に棲息する強大な猛漁となっていたことだろう。=Wilhelm Emanuel Süskind:Vom Nachleben des Dichters.In:Süddeutsche Zeitung 1965,Nr.152,S.86.(田辺秀樹訳)



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2020年12月25日

ビーアバウム「高鳴る胸」① 

山村暮鳥の詩集『聖三稜玻璃』に入っている「À FUTUR」を読んでいるところですが、ここでちょっとだけ休んで、ドイツの詩人ビーアバウム (Otto Julius Bierbaum)のクリスマスらしい気分も醸し出してくれる「Schlagende Herzen(高鳴る胸)」という詩を読みたいと思います。

Über Wiesen und Felder ein Knabe ging,
Kling klang,schlug ihm das Herz;
Es glänzt ihm am Finger von Golde ein Ring.
Kling klang,schlug ihm das Herz;
O Wiesen,o Felder,wie seid ihr schön!
O Berge,o Täler,wie schön!
Wie bist du gut,wie bist du schön,
Du gold'ne Sonne in Himmelshöhn!
Kling klang,kling klang,kling klang,schlug ihm das Herz.
Schnell eilte der Knabe mit fröhlichem Schritt,
Kling klang,schlug ihm das Herz;
Nahm manche lachende Blume mit -
Kling klang,schlug ihm das Herz.
Über Wiesen und Felder weht Frühlingswind,
Über Berge und Wälder weht Frühlingswind,
Der treibt zu dir mich leise,lind,
Kling klang,schlug ihm das Herz.
Zwischen Wiesen und Feldern ein Mädel stand,
Kling klang,schlug ihr das Herz.
Hielt über die Augen zum Schauen die Hand,
Kling klang,schlug ihr das Herz.
Über Wiesen und Felder,über Berge und Wälder,
Zu mir,zu mir,schnell kommt er her,
O wenn er bei mir nur,bei mir schon wär!
Kling klang,kling klang,kling klang,schlug ihr das Herz.

心臓

私の粗訳とRichard Stokes氏による英訳をあげておきます。

  高鳴る胸

牧場を、畑を、ひとりの若者が行った
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
彼の指には金の指輪が輝く
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
ああ、牧場よ、畑よ、きみたちはなんて美しいんだ!
山よ、谷よ、ああ、なんとも美しい!
きみはなんて善良で、なんて美しいんだ
きみ、天の高みにある金色の日輪よ!
クリン・クラン、クリン・クラン、クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
速やかに、若者は陽気な足取りで駆けていった
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
笑顔いっぱいの花を幾本も手にして・・・・・・
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
牧場を、畑を、春風が吹きぬける
山を、森を、春風が吹きぬける
そいつは、きみへと僕を駆りたてるのさ、そっと、穏やかに
クリン・クラン、彼の胸は鳴っていた
牧場と畑のあいだに、ひとりの女の子が立っていた
クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた
目の上に手をかざし、遠くを眺めて
クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた
牧場を、畑を越え、山を、森を越えて
私のもとへ、私のもとへと 彼は急いでここへ来るわ
ああ、彼が私のそばだけに、ただ私のそばにいてくれたなら!
クリン・クラン、クリン・クラン、クリン・クラン、彼女の胸は鳴っていた

Beating hearts

A boy was walking across meadows and fields,
Pit-a-pat went his heart,
A golden ring gleamed on his finger,
Pit-a-pat went his heart.
‘O meadows, O fields,
How fair you are!
O mountains, O valleys,
How fair!
How good you are, how fair you are,
You golden sun in heaven above!’
Pit-a-pat went his heart.

The boy hurried on with happy steps,
Pit-a-pat went his heart,
Took with him many a laughing flower,
Pit-a-pat went his heart.
‘Over meadows and fields
A spring wind blows,
Over mountains and woods
A spring wind blows.
(A spring wind is blowing in my heart,)
Driving me to you, softly and gently!’
Pit-a-pat went his heart.

Between meadows and fields a young girl stood,
Pit-a-pat went her heart,
She shaded her eyes with her hand as she gazed,
Pit-a-pat went her heart.
‘Over meadows and fields,
Over mountains and woods,
To me, to me he’s hurrying!
Ah! would he were with me, with me already!’
Pit-a-pat went her heart.

原詩は、1895年に作られました。R.Strauss(1864-1949)が曲を付けています。全25行、全1連。「Kling klang」のオノマトペが13カ所、それに続いて「+schlug ihm das Herz」のリフレインの部分が9カ所。つまり、全体の36%の行が「Kling klang,schlug ihm das Herz.」の繰り返しになっていることがわかります。

15行目の「Über Berge und Wälder weht Frühlingswind,」と16行目の「Der treibt zu dir mich leise,lind,」の間に「Im Herzen mir innen weht Frühlingswind,(僕の胸の中に春風が吹きぬけて)」が挿入された3連構成のバージョンもあります。


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2020年12月24日

山村暮鳥「À FUTUR」㉒

「À FUTUR」第9連の、きのうの続きです。

何といふ痛める風景だ。何時(いつ)うまれた。どこから來た。粘土の音(ね)と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。盲目の翫賞家。自己禮拜。わたしのぴあのは裂け、時雨はとほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い。

祈り

「粘土の音と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝のなかなる火の祈祷。」の次には、「盲目の翫賞家。/自己禮拜。」と、漢字主体の二つの文が続きます。

「翫賞」は、風景、芸術作品など、美しいもの、美味なるものを味わい楽しむことでしょう。上田敏の『海潮音』(1905)の序には、「詩人も未だ説き及ぼさざる言語道断の妙趣を翫賞し得可し。故に一篇の詩に対する解釈は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心状を喚起するに在りとす。」(1)とあります。

「盲目」と「翫賞」というのも逆接的な表現です。そもそも「盲目」でありながら、風景、芸術作品など、美しいもの、美味なるものを味わい楽しむことができるのか。だが、だからこそこの表現にクッキリと表れてくるものがあります。

次に来る「自己禮拜」と何でしょう。クリスチャンなら、たいてい毎週日曜日には礼拝をしています。なぜ礼拝をするのか。創世記12章7節によれば、「主はアブラムに現われて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える」と。そこで、アブラムは自分に現われた主のために「そこに祭壇を築いた」とあります。アブラハムは神が自身を現わして恵みの約束について語りかけたことへの感謝として祭壇を築いて、神を礼拝したことになります。すなわち、礼拝とは本質的に、神の自己啓示に対する人間の信仰による応答ということになりそうです。(2)

一方、ヨハネによる福音書4章には、

まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はそのように礼拝する人たちを求めているからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない。(3)

これによると、真の礼拝とは霊的礼拝であって真実をもってする礼拝だということになります。霊的な礼拝というのは、肉たる自分を捨てて神に生きる礼拝、すなわち自己否定の礼拝ということになるでしょう。

自己を捨てる、「自己否定」が真の礼拝だとすると、この詩でいう「自己礼拝」というのもまた、本来の礼拝のあり方とはちがう逆説的な意味合いを含んだ言葉なのでしょうか?。このあたりはいまはちょっと保留して、次に進もうと思います。

「わたしのぴあのは裂け、時雨はとほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い」は、「粘土の音と金屬の色とのいづれの・・・・・」と並んで、この連の中心的なイメージを構築しています。

「わたしのぴあのは裂け」というところを読んで、私は、次にあげる長田恒雄の「ピアノ」という詩を思い出しました。

海鳴りの向うにかくれてゐる

風におくられて
そっと 私の肋骨の
木琴に合せにくる (4)

ピアノの音に、人間という存在がもつ郷愁のようなものを聴いているのでしょうか。
「時雨」とは、冬の初め、晴れていても急に雨雲が生じて、しばらく雨が降ったかと思うとすぐに止み、また降り出す現象をいいます。虚子に、

天地(あまつち)の間にほろと時雨かな (5)

の一句があります。たとえば長田恒雄のいう「肋骨の木琴」に共鳴するようにして、私の内面に響きわたっていた音楽は、裂き砕け、天地の間を「ほろ」と落ちていった時雨も通り過ぎてしまった。なのに、執着心は成熟せずに青いままだといいます。人間のとらわれ、固執しているものの根の深さ、浅はかさを言っているようにも思われます。

「À FUTUR」全体にも言えることだが、これまで見てきたように、蠱惑↔理性、粘土の音↔金屬の色、神聖↔泥溝、盲目↔翫賞のような、対偶表現、逆説的なシンメトリーが、この作品に特有の緊張感、力学を生み出しています。詩における、こうした対称的な言語表現は、どのような意味を持っているのでしょう。佐藤保氏は対偶表現について次のように解説していたので最後にあげておきます。

「言語にかぎらず、我々の周囲には二つのものが左右上下に並ぶ空間的な対象関係や、前後くり返しの時間的な対象関係をもつものが数多く存在する。たとえば、壮大な宮殿建築や寺院建築の多くが左右対称の構造をもっているし、主題提示部と間奏部のくり返しによるフーガの対位法様式なども空間的な対称関係の一つである。このように対称が数多く存在する理由は、我々がそれにある種の安定感や美的感覚を覚えるからで、対称性は人間の生来的な感性と深くかかわっているのである。したがって、言語の対偶表現も、人間の言語の最も基本的な表現方法として、民族や時代を超え、また詩文の別を問わず、古くから重視された修辞法であった」(6)

「À FUTUR」の場合で言えば、対偶表現が生み出す「不安定感」がまた独特の世界観を呼び起こしているように思われます。

(1)上田敏『海潮音』(新潮社、1990.8)序
(2)『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、2009)p.(旧)15
(3)同p.(新)169-170
(4)『現代作詩辞典 第2巻』(飯塚書店、1956.1)p.325-326
(5)『合本 俳句歳時記 第四版』(角川学芸出版、2014.12)p.689
(6)佐藤保『中国古典詩学』(放送大学教育振興会、1997.3)p.91


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月23日

山村暮鳥「À FUTUR」㉑

きょうは、「À FUTUR」の第9連を見ていきます。

何といふ痛める風景だ。
何時(いつ)うまれた。
どこから來た。
粘土の音(ね)と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。
盲目の翫賞家。
自己禮拜。
わたしのぴあのは裂け、時雨はとほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い。

ごま

第9連を文ごとに改行して書くと上記のようになります。第7連で、吐き出された「わたしのさみしさ」や「なげき」は、「蠱惑が理性の前で額づいた」をはさんで、「痛める風景」「かなしき様式」と、私流に言えば「四次元プリズム」の座標へと転写されていきます。

そこにあるのは、精神的にあるいはからだを「痛める風景」だというのです。その「風景」を視座に置きながら詩人は「何時(いつ)うまれた。/どこから來た。」とオード的な問いかけを発する。この問いこそ、まさに「何時」という時間軸と「どこ」という空間軸が一体化した「四次元プリズム」のオードと言えるのではないでしょうか。

次の「粘土の音と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。」は、「粘土の音と金屬の色」「神聖な泥溝」など対偶表現や逆接表現が立て続けに用いられている、魅惑的な一文です。

「粘土の音と金屬の色」というと私の頭は、銅鐸や土器のことが思い浮かんできます。しかし、これらを普通にとらえれば「粘土の色」と「金屬の音」でしょう。

土器の色は、粘土の性質によって色が変化する。窯を使って土器を焼く時の温度は1000度くらいの熱さになり、低い温度で土器を焼いた場合は、表面が茶色っぽくなるのに対して、窯を使って高い温度で焼くと灰色っぽい色になるという。(1)

一方、釣鐘型の青銅器である銅鐸は、たたくと独特の音色がして楽器として用いられていた時期もあったと考えられてきました。2015年6月に淡路島で発見された銅鐸からは、音を鳴らすための青銅製の「舌(=振り子)」も発見されています。(2)

こんな太古の遺物にイメージを委ねるのも一興かなと思って読みかかれば、そこに出て来るのは「粘土の音」と「金屬の色」である。私のイメージを崩す、若干のちぐはぐ感を味わうことになります。

「神聖な泥溝(どぶ)」というのも、なんとも逆説的で象徴的な表現です。どぶの底にたまっている泥、あるいはどぶから浚い出した泥に「神聖」という冠がかけられているのですから。でも、そんなあたりにも先入観念を払拭してくれるちょっとした発見があるとともに「わたしの」なかに「神聖な泥溝」をいうのか、直感的に共感しやすく思われます。

「火の祈祷」というと、私の眼に浮かんでくるのは、真言密教の修法の一つとされている護摩 (homa 焚焼)です。不動明王や愛染明王の前に護摩壇を設け、護摩木を焚いて、息災、増益、降伏などを祈ります。

「御火加持(おひかじ)」というのもあるそうです。鞄や財布など大切なものを御護摩の火にあてることでお不動さまのご利益が得られるのだとか(3)

キリスト教だと、私にはまず、レビ記第6章が頭に浮かんできます。

「焼き尽くす献げ物は祭壇の炉の上に夜通し、朝まであるようにし、祭壇の火を燃やし続ける。 朝、祭司は亜麻布の衣服を着け、亜麻布のズボンをはいて肌を隠し、祭壇の上で燃やした献げ物の燃え滓を祭壇の端にかき寄せ、 別の衣服に着替え、燃え滓を宿営の外の清い場所に運び出す。 祭壇の上の火は絶やさず燃やし続ける。祭司は朝ごとに薪をくべ、その上に焼き尽くす献げ物を並べ、更にその上に和解の献げ物の脂肪を置き、燃やして煙にする。祭壇の上の火は常に絶やさず燃やし続ける」。(4)

いずれにしても、「舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷」には、詩人の心象の状態が、分かりやすい造型で表現された巧みな一文だと思います。

(1)横浜市歴史博物館のサイト(https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/)から
(2)『奈良新聞』(2015.08.13付)
(3)「大本山成田山」のサイト(https://www.naritasan.or.jp/)から
(4)『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、2009)p.(旧)169


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2020年12月22日

山村暮鳥「À FUTUR」⑳

きょうから「À FUTUR」の第8・9連に入って行きます。

いたづらな蠱惑が理性の前で額づいた……

何といふ痛める風景だ。何時(いつ)うまれた。どこから來た。粘土の音(ね)と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。盲目の翫賞家。自己禮拜。わたしのぴあのは裂け、時雨はとほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い。

蠱惑

詩人の想像力が構築した「四次元三稜玻璃(プリズム)」のオードは続きます。まず、1文から成る第8連を、少し形を変えて分析していきます。

いたづらな蠱惑が
     理性の前で
     額づいた……

「いたづらな蠱惑」とは、前の行の「天をさして螺旋に攀ぢのぼる汚れない妖魔の肌の香。」の「香」がもたらすものなのでしょうか。そうなのかどうかは微妙ですが、その匂いらしきは感じられてきます。

日本国語大辞典によれば、「蠱惑」 は、珍しさ、美しさなどで人の心をひきつけてまどわすこと、「理性」は、感情に走らず、道理に基づいて考えたり判断したりする能力とあります。

また「額づく」は、額を地につけて礼拝する、丁寧に礼をすること。また、額を地面につけるという動作を表わすだけでなく、強大な力にひれ伏す、あるいは寺社に礼拝するといった宗教的所作であったと考えられる、といいます。

よく知られているように、カントによれば「理性」とは、情動的・衝動的な行動に対して、「 Sollen 」(なすべき事、義務、あるべき姿、当為) というある種「強制のかたち」の意識に基づく行為を遂行していく能力のことを指しています。(1)

第8連をカント的にそのまま解釈すれば、どちらかというと情動的である「いたづらな蠱惑」が、「理性」にひれ伏した、ということになります。詩人たるもの、「理性」にひれ伏すなんてこと、そう簡単に言ってはもらいたくないようにも思われるのではありますが。

ところで、カントのいうように「理性」と「情動的なもの」とは、相対するものなのでしょうか?

やや余談になりますが、ポルトガル系アメリカ人の世界的神経科学者、アントニオ・ダマジオは「情動については、非理性的で受け入れがたいものとして科学と思考の長い歴史の中で捉えられてきた。しかし、情動は非理性的で混乱した行動ではなく、生物が無意識に管理している生物学的価値があるものだ」と主張しています。(2)

詳細は省きますが彼は「人間の情動とは理性の始まり」なのであり、非理性的なものとしてとらえる時代ではなくなっている、ととらえているのです。科学は「非理性」をのみ込みつつあります。長年、科学と詩を見つづけてきて、ひょっとしたら詩よりも、詩的なのではないだろうかとよく思います。

さて、詩を「想像せられたる事実=〈科学〉」(3)と考えていたという暮鳥がこでいう「理性」をどのよう意味合いで使っていたのでしょうか。大岡信氏をして「日本近代詩において、ほとんど空前の哲学的洞察を形象化している」(4)とされる「À FUTUR」だけに、単にカント的なレベルの「理性」で読むのは面白くないような気もします。

(1)八木緑「カント倫理学における「人間の目的」の意義について」(関西倫理学会『倫理学研究』2018 年 48 巻、 p. 79-81)
(2)アントニオ・ダマジオ本田賞受賞記念講演「情動の神経生物学~医学と文化の帰結」(2010年11月17日、本田財団主催)、科学技術振興機構「Science Portal」(https://scienceportal.jst.go.jp/)
(3)井上洋子「暮鳥と前衛絵画」九州大学国語国文学会『語文研究』65、1988.6、p.36
(4)大岡信「朔太郎問題」(『無限』1962年冬季号)


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2020年12月21日

山村暮鳥「À FUTUR」⑲

きょうは「À FUTUR」の第7連を分析していくことにします。

わたしのさみしさを樹木は知り、壺は傾くのである。そして肩のうしろより低語(ささや)き、なげきは見えざる玩具(おもちや)を愛す。猫の瞳孔(ひとみ)がわたしの映畫(フヰルム)の外で直立し。朦朧なる水晶のよろこび。天をさして螺旋に攀ぢのぼる汚れない妖魔の肌の香。

猫の眼

「壺は傾く」というと、私は内藤鳴雪の「壺焼の壺傾きて火の崩れ」という句を思い出します。もちろん、この詩の「壺」は、あの、胴がふくらんで口が狭くなった容器のことで、栄螺に調味料を加えて貝殻のまま火にかけて焼いた壺焼とは異なるでしょう。けれど、「さみしさを樹木は知り、壺は傾く」の「壺」からは、栄螺のような生命感も感じ取れます。

「なげきは見えざる玩具を愛す」というのは、素朴に読んでも納得できますが、それだけだと興味が失せてきます。

「猫の瞳孔がわたしのフヰルムの外で直立し」も、いま読むと平凡な感がしますが、「フヰルム」という言葉自体が当時としては相当に新鮮な響きをもっていたことを頭に入れておく必要があるでしょう。日本カメラ博物館のカメラの歴史についての解説には次のようにある。

「乾板」に使われているガラス板は重く、また割れてしまうという不便な点があったので新しい材料として「セルロイド」を使うことが考えだされた。当初はガラス板のかわりに使われたが、やがてアメリカ人のイーストマンが創設した「イーストマン・コダック」社が1889年にセルロイドの柔らかさを生かして巻物状にした「ロールフィルム」を発売した。この「ロールフィルム」の誕生が写真をそれまでの専門家だけのものから人々へと普及するきっかけとなった。また「ロールフィルム」が生まれたことで「映画」も誕生することとなった。(1)

「朦朧なる水晶のよろこび。」の「水晶」は、無色透明で結晶形のはっきりしている石英をいう。ふつう六角柱状で先がとがっていて、まさに「三稜玻璃(プリズム)」を連想させます。当たり前のことだが、「プリズム」できっちりと分光されえない、ぼんやりかすんではっきり見えない朦朧の中にこそ生きるものの「よろこび」はあるのです。

「天をさして螺旋に攀ぢのぼる汚れない妖魔の肌の香」。日本国語大辞典によれば、「妖魔」は、ばけもの、妖怪、魔物、変化のこと。それに、この詩によく出てくる逆説的な「汚れない」という形容詞がついています。しかし、この詩からは、ばけものが汚れている、というのはそもそも先入観なのかもしれないと思えてきます。

「螺旋」といえば、フランスのロワール地方にあるシャンポール城には、レオナルド・ダ・ヴィンチが発明したといわれる、登りと下りの人が会わないようにしたアイデアの二重螺旋階段があります。また、バチカンにも同じような二重螺旋階段があるそうです。(2)

天空への螺旋階段は、ほかにも、国内や中国などあちこちにあるようです。「天をさして螺旋に攀ぢのぼる」という欲求は、もしかすると人間の本性的なものかもしれない。いや、人間だけではない。たいていの生物は、生命にとって最も重要な遺伝情報の継承や発現を担う高分子生体物質であるDNAをもっている。そのDNAは、よく知られているように二重螺旋の構造をしているのです。

20世紀の生物学最大の出来事ともいわれる「DNAの二重らせん構造の発見」は1953年、25歳のアメリカ青年J・D・ワトソンと37歳の英国人F・ ク リックの二人によってなされました。発見論文で彼らは、「われわれが仮定した特定の塩基対が、そのまま遺伝情報の複製機構を示唆するものであることに、われわれは気づいている」と述べています。(3)

「天」と生命をつなぐ「螺旋」を、「肌の香」を放ちながら「攀ぢのぼる汚れない妖魔」とは何ともエロチックな表現です。ひょっとしたら、天と人間を結ぶものは透明なエロスかもしれません。

(1)日本カメラ博物館「カメラの歴史」(https://www.jcii-cameramuseum.jp/)
(2)若林拡「レオナルド ダ ヴィンチの階段」(日本弁理士会『月刊パテント』Vol. 66 No. 13 、2013、p.113)
(3)中村桂子「DNAの二重らせん構造」(高分子学会『高分子』56巻1月号、2007年)p.22-23


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月20日

山村暮鳥「À FUTUR」⑱

「À FUTUR」のつづき。きょうは、第6連について集中的に見ていきます。

靡爛せる淫慾の本質に湧く智慧。溺れて、自らの胡弓をわすれよ。わたしの祕密は蕊の中から宇宙を抱いてよろめき伸びあがる、かんばしく。

しべ

日本国語大辞典によれば、「靡爛」は かゆの煮えくずれたように、ただれくずれること。また、国などの乱れすたることや、人民の疲弊のはなはだしいことにたとえる、などとある。また、医療でも使われる。「糜爛」は表皮が基底層まで剥離欠損したもの。小水疱、水疱、膿疱等に続発するが、後に瘢痕を残さないものをいうそうです。(1)

室生犀星の『幻影の都市』(1921年)には、「かれはこうした予期はしなかったが、このふしぎな自動車のなかに女の肉顔を見いだしただけでも、かれの靡爛しつくしたような心をどれだけ強くゆすぶったか不明らなかった」(2)とあります。この当時、「靡爛」というのは、けっこう一般に馴染のある言葉だったのかもしれません。

「淫慾」は、色欲の意ですから、キリスト教でいわれる「八つ枢要罪」や「七つの大罪」とも関わりがありそうです。

「靡爛せる淫慾の本質に湧く智慧」を文字通りにたどれば、ただれくずれた色欲の「本質」のところに「智慧」がわいているというのです。イメージが湧いてきそうでいま一つ一歩手がとどきにくい表現ですが、「靡爛」と「淫慾」に対する「本質」と「智慧」という、質の違う二種の言葉のぶつかりは素直に面白いと思います。

第6連最終行の「わたしの祕密は蕊の中から宇宙を抱いてよろめき伸びあがる、」は、この詩の中でも出色の、魅力的な表現でしょう。

くさかんむりのなかに「心」が三つ。形象を写したような漢字「蕊」=写真=は、種子植物の生殖器官で、雄しべと雌しべの区別があります。紐の先端の総との境目につける飾りの意味もあるが、ふつうに解釈すれば前者でしょう。

学研のWebサイトでは、「花にはどうしておしべとめしべがあるの」という質問に対して、次のように答えています。

「きょくたんなことをいえば、がくや花びらがなくても、おしべとめしべさえあれば、花であるといえるのです。ですから、逆に、おしべとめしべのどちらもないものは、花とはいえません。ふつうおしべには、先の部分に花粉を入れるための花粉ぶくろとよばれるものがあります。この花粉ぶくろは、種類によって少しずつちがっています。それぞれに決まったしくみでふくろがさけて、花粉を外におし出しているのです。この花粉は、風でふき飛んだり虫の体にくっついたりしてめしべのところまで運ばれていきます。そして、めしべの頭にくっつくと、めしべのもとの子房の中にある「種のもと」がふくらんできます。ふくらんだ子房というのが植物の実であり、この実の中に種ができるのです。ふつうの花では、花粉がめしべにつかなければ、実はできませんし、もちろん種もできません。おしべとめしべは、仲間をふやすために、花にとってはなくてはならないものなのです。つまり、この質問の答えを一言でいうなら、「仲間をふやすため」ということになるでしょう。」(3)

「種のもと」を生み出す「蕊」。「蕊の中から宇宙を抱」くといいます。実際、「蕊」に比べてみると「宇宙」の種は、実に小さな存在です。1948年にジョージ・ガモフらが提唱したビッグバン理論によれば、初期の宇宙は超高温、超高密度の火の玉状態だったとされます。その火の玉が膨張して、いまのように果てしない大きさの宇宙ができたのです。

宇宙論の世界的権威、佐藤勝彦・東大名誉教授によると、創成直後の宇宙は、次のような大きさだったといいます。

宇宙創成の10のマイナス44乗秒後から、10のマイナス33乗秒後まで、つまり、1秒の1兆分の1をさらに1兆分の1にして、またさらに10億分の1以下にした、とてつもなくわずかの時間に、「インフレーション」と呼ばれる宇宙の異常膨張が起きた。その膨張により火の玉になったのだが、具体的にどれくらい宇宙が膨張したのかというと、インフレーション前の大きさは直径10のマイナス34乗cmだから、物質をこれ以上細分化できない究極の粒子といわれる素粒子よりもはるかに小さかった。それがインフレーション直後、いわゆるビッグバンの時には、直径1cm以上になっていた。(4)

「わたしの祕密」は、生殖を担う中核である「蕊」のふところにある「宇宙」の種をを抱いて、よろめきながら伸びあがる。かつて、「祕密」というものをこのように知的で、しなやかなイメージで捉えた詩人がいたでしょうか。もちろん暮鳥がビッグバンなど知ろうはずもありませんが、詩人の想像力による「四次元三稜玻璃(プリズム)」は、そんな最先端の「科学」をも包含しているように思わせます。

(1)愛知県薬剤師会薬事情報センター「皮膚疾患の用語」(https://www.apha.jp/)
(2) 室生犀星『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』(筑摩書房、2008.9)
(3)学研キッズネット(https://kids.gakken.co.jp/)
(4)アットホーム「こだわりアカデミー」https://www.athome-academy.jp/index.html


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月19日

山村暮鳥「À FUTUR」⑰

詩集『聖三稜玻璃』の「À FUTUR」のつづき。きょうから第6・7連に入ります。

靡爛せる淫慾の本質に湧く智慧。溺れて、自らの胡弓をわすれよ。わたしの祕密は蕊の中から宇宙を抱いてよろめき伸びあがる、かんばしく。

わたしのさみしさを樹木は知り、壺は傾くのである。そして肩のうしろより低語(ささや)き、なげきは見えざる玩具(おもちや)を愛す。猫の瞳孔(ひとみ)がわたしの映畫(フヰルム)の外で直立し。朦朧なる水晶のよろこび。天をさして螺旋に攀ぢのぼる汚れない妖魔の肌の香。

胡弓

いつものように文ごとに改行してみると、第6連3行、第7連5行で、次のようになります。

〔第6連〕
靡爛せる淫慾の本質に湧く智慧。
溺れて、自らの胡弓をわすれよ。
わたしの祕密は蕊の中から宇宙を抱いてよろめき伸びあがる、かんばしく。

〔第7連〕
わたしのさみしさを樹木は知り、壺は傾くのである。
そして肩のうしろより低語(ささや)き、なげきは見えざる玩具(おもちや)を愛す。
猫の瞳孔(ひとみ)がわたしの映畫(フヰルム)の外で直立し。
朦朧なる水晶のよろこび。
天をさして螺旋に攀ぢのぼる汚れない妖魔の肌の香。

試しに第6連の漢字を拾い上げてみると、面白いことに、2字漢字が「靡爛」「淫慾」「本質」「智慧」「胡弓」「祕密」「宇宙」、1文字漢字が「湧」「溺」「自」「蕊」「中」「抱」「伸」と7つずつ相半ばして用いられていることがわかります。

では、第7連はどうでしょう。「樹木」「低語」「玩具」「瞳孔」「映畫」「直立」「朦朧」「水晶」「螺旋」「妖魔」と2字漢字が10個。「知」「壺」「傾」「肩」「見」「愛」「猫」「外」「天」「攀」「汚」「肌」「香」と13個。ぴったりではありませんが、半々に近い。

これまでに見て来た詩篇にも言えることだが、「四次元三稜玻璃(プリズム)」のオードには、こうした幾何学的な舞台装置も重要なのです。

現在から見ると、言葉そのものについてはさほどの面白みはありません。「本質」「祕密」「宇宙」などは今ではごく日常的に使われているし、「靡爛」「淫慾」などもケバケバした古臭さも漂います。

しかし、暮鳥の時代からすれば、「本質」「宇宙」といった、いまでは普通になった言葉が、詩に登場すること自体が新鮮だったのかもしれません。


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月18日

山村暮鳥「À FUTUR」⑯

「À FUTUR」の第5連を読んでいます。最後に、この連の2カ所に出てくる「靈魂(たましひ)」について考えておきましょう。

蝙蝠と霜と物の種子(たね)とはわたしの自由。わたしの信仰は眞赤なくちびるの上にある。いづれの海の手に落ちるのか、靈魂(たましひ)。汝(そなた)は秋の日の蜻蛉(とんぼ)のやうに慌ててゐる。汝は書籍を舐る蠧魚と小さく甦る。靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢(おしやれ)な獸の哲理を知れ。翼ある聲。眞實の放逸。再び汝はほろぶる形象(かたち)に祝福を乞はねばならぬ。

トンボ

『岩波キリスト教辞典』によると、「聖書では、人間は霊魂と身体とに二分されず、神から与えられる命の霊によって生かされる具体的存在と考えられている。キリスト教の霊魂観は、霊魂と身体との結びつきを本性的とする点ではこれを継承しつつも、哲学的霊魂論の影響を受けて、人間の理性的霊魂が非物質的な人格存在として身体を離れても存続するという考えを強調するにいたった」といいます。(1)

すなわち聖書で人間は、「霊魂と身体とに二分されず、神から与えられる命の霊によって生かされる具体的存在」ととらえられているが、哲学思想の影響で「非物質的な人格存在として身体を離れても存続する」という考えが強調されている、というのです。

「霊魂」のもとになったギリシア語の「psychē」がどのように使われているか。仲島 陽一氏は、新約聖書でどのように扱われているかを調べたところ、その用いられかたは多義的で、次のように分類できるといいます。(2)

①「生命」とほぼ同義であり、特に生命原理としての「息」を意味するところや、「生物」とほぼ同義であるもの。
「この子の命を狙っていた者どもは死んでしまった」(マタイ 2:20)。「よい羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ 10:11)。「魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです」(ヤコブ 2:26)。

②「魂」を持ったものとしての人間個人。
「ペテロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人〔三千のpsychē〕ほどが仲間に加わった」(使徒 2:41)。

③感情の座としての「心」ないし「魂」。
「見よ、私の選んだ僕。私の心にかなった愛する者」(マタイ 12:18、旧約の引用)。「私の心は死ぬほど悲しい」(同 26:38、ゲッセマネでのイエスの言葉)。

④宗教的および道徳的意識の座としての「魂」。
「あなたがたは自分の心に安らぎを得よう」(マタイ 11:29)。「あなたがたの霊も魂も体も欠けたもののないものとして守り」(テッサ前5:23)。

⑤非物質的原理としての「魂」。
「体は殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(マタイ 10:28)。「その罪びとの魂を死から救い出し」(同 5:20)。「あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けている」(ペテロ前 1:9)。「殺された人々の魂を」(黙示 6:9)。「首をはねられた者たちの魂を見た」(同 20:4)。

⑥「内面」または再帰的な「自己」。
「こう自分に言ってやるのだ」(ルカ 12:19)。

さて、この連に出て来る「いづれの海の手に落ちるのか、靈魂。」と「靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢な獸の哲理を知れ。」の「靈魂」が、暮鳥の信仰とどう結びつき、どういういう意味でとらえられるのでしょう。

基本的には詩人の「宗教的および道徳的意識の座」としてあるものなのでしょうが、「生命」ととったり「人間個人」ととったりすることによって、詩のイメージはさまざまに変わってきます。

たとえば、「靈魂」を「生命」ととるなら、「生命」が「いづれの海の手に落ちるのか、」と問いかけていることになります。「海」は、「生命」発祥の場であり、地球の多様性を生み出す無数の受容体(手)ともとらえることもできます。天から授かった「生命」の運命を問うているようにも思えてくるのです。

(1)『キリスト教辞典』(岩波書店、2002)p.727。
(2)仲島 陽一「新約聖書』における「魂」の観念 」(東洋大学『国際地域学研究』巻 20、2017.3)p.83-84


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月17日

山村暮鳥「À FUTUR」⑮

「À FUTUR」のつづき、きょうも第5連について考えます。

蝙蝠と霜と物の種子(たね)とはわたしの自由。わたしの信仰は眞赤なくちびるの上にある。いづれの海の手に落ちるのか、靈魂(たましひ)。汝(そなた)は秋の日の蜻蛉(とんぼ)のやうに慌ててゐる。汝は書籍を舐る蠧魚と小さく甦る。靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢(おしやれ)な獸の哲理を知れ。翼ある聲。眞實の放逸。再び汝はほろぶる形象(かたち)に祝福を乞はねばならぬ。

赤い唇

「私達が理解してゐる「意識」といふ言葉と、宣長が使った意味合での「物」 といふ言葉とを使って、かう言つてみてもよさそうだ、歌とは、意識が出会ふ最初の物だ、と。さう言ひたかつた宣長を想像してみてもよいであらう。」

大江健三郎は、小林秀雄の『本居宣長』の、この一節を引き合いに出して、次のように述べています。

言葉なしで、意識が真に考えることはできない。意識は言葉に出会ってはじめて、明瞭に考えはじめる。その人間の言葉に、二種がある。歌とは、その日本語における典型的なモデルだが、いわゆる詩的言語。僕はそれを文学表現の言葉と呼ぶが、それに対して日常・実用の言葉。歌について考えればすぐ納得できるように、文学表現の言葉は、意味をつたえるための記号だけのもの、というのではない。文学表現の言葉は、かたちをそなえている。そのかたちの構成要素としての、音やリズム。このかたちを、散文では文体といいかえればなじみやすくなろう。かたちをそなえた文学表現の言葉は、そのかたちをとおしてものの手ごたえをかえしてくる。われわれの意識は、現実の事物におけるものに対してと同一の経験を、かたちをそなえた文学表現の言葉に対しておこなうことができる。胸のうちに歌が湧きおこってかたちをとる時、意識が歌として自己表現をおこなう時、いかなる外界の事物よりも魂のまぢかに、ものとしての手ごたえおもち、かたちをそなえた文学表現の言葉がある。

このように小林秀雄の言葉を読みときながら、大江は、ロシア・フォルマリズムへと導いていきます。「ものの手ごたえをそなえている、かたちのある文学表現の言葉。それは日常・実用の言葉に対して、どのようにしてつくりだされるのか? 定義にさきだってロシア・フォルマリストの用語を使えば、日常・実用の言葉が「異化」されることによって、文学表現の言葉となる」というのである。=大江健三郎『小説の方法』(岩波書店、1982.4)p.1-3

「意識が出会ふ最初の物」である「歌」を、ここでは具体的に、わたしたちがいま問題としている『聖三稜玻璃』の詩篇の問題として考えてみたいと思います。無論、「À FUTUR」にしても「意味をつたえるための記号だけのもの」でないところにこそ、その面白さはあります。だから、意味を深追いしても得られるものはそう多くはないと感じるのです。

試みに、日常・実用の言葉の「異化」という観点から第5連の表現で気づいた点をいくつかあげてみたいと思います。

・「翼ある聲」は、「聲」に、常識的にはくっつくはずのない「翼」をくっつける隠喩表現だ。が、これは、翼の羽ばたく3次元空間と、時間軸に響く「聲」を組み合わせて「4次元」に置かれ、新たな「異化」時空を作っているとみることはできないだろうか。

・「眞實の放逸」は、「眞實」と、それとは逆の意味で使われることが多く、煩悩のひとつでもある「放逸」を結びつけることで、「眞實」と「放逸」の両方の言葉を揺るがせる「異化」の働きが生まれているように思う。「獸の哲理」にもまた同じような働きが考えられる。

・この連では「異化」を呼ぶのとは正反対の、「眞赤なくちびる」「秋の日の蜻蛉のやうに」といったどうということのない日常的な表現も目立つ。だが、「信仰」が「眞赤なくちびる」に、「秋の日の蜻蛉」が「慌てて」と結びつくと、とたんに、暮鳥ならではの「異化」時空が動き出す。


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月16日

山村暮鳥「À FUTUR」⑭

詩集『聖三稜玻璃』の「À FUTUR」のつづき、きょうから第5連に入ります。

蝙蝠と霜と物の種子(たね)とはわたしの自由。わたしの信仰は眞赤なくちびるの上にある。いづれの海の手に落ちるのか、靈魂(たましひ)。汝(そなた)は秋の日の蜻蛉(とんぼ)のやうに慌ててゐる。汝は書籍を舐る蠧魚と小さく甦る。靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢(おしやれ)な獸の哲理を知れ。翼ある聲。眞實の放逸。再び汝はほろぶる形象(かたち)に祝福を乞はねばならぬ。

コウモリ

いつものように、まずは一文ごとに改行して眺めてみます。すると、第4連と同じように、さまざまな長さの九つの文から成り立っていることがわかります。さらに、この連は、次のように、3行ずつ3節に分けて考えられるように思われます。

(1節)
蝙蝠と霜と物の種子(たね)とはわたしの自由。
わたしの信仰は眞赤なくちびるの上にある。
いづれの海の手に落ちるのか、靈魂(たましひ)。

(2節)
汝(そなた)は秋の日の蜻蛉(とんぼ)のやうに慌ててゐる。
汝は書籍を舐る蠧魚と小さく甦る。
靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢(おしやれ)な獸の哲理を知れ。

(3節)
翼ある聲。
眞實の放逸。
再び汝はほろぶる形象(かたち)に祝福を乞はねばならぬ。

第1節には、「わたしの自由」「わたしの信仰」と、「わたし」が二つ。「わたし」について語られています。しかし、2節目からは、語りのベクトルが180度転換して、「汝」が立て続けに四つ登場することになります。

すべてを知る神から「わたし」への語りかけでしょうか。「汝は」が三つ。そして、もう一つの「汝」は、「靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢な獸の哲理を知れ。」と、これぞオードという雰囲気を醸す、重い(堅苦しい)訴えかけをしています。

ざっくり、この連の各節について、その特徴を見てみましょう。

第1節は、この詩集の特色でもある色のコントラストが鮮明です。「蝙蝠」は黒、「霜」は白、そして「眞赤なくちびる」と、青系の「海」。まさに、プリズムで、光全体をきれいに分光したような彩りです。

2節では、「動き」がテーマになります。秋の日の蜻蛉は「慌て」、蠧魚が書籍を「舐る」。そして、脆い華奢な獸が「這ひよる」のです。

3節では、「翼ある聲」「眞實の放逸」など異化的な表現によって独特の「形象」を生み出しています。

それぞれに特性をもつ、これら「3節」によって、暮鳥ならではの「三角形」(三角空間)が構築されているといってもいいかもしれません。

前に説明したように、この詩について私は、「三稜玻璃」=「プリズム」の3次元三角空間に、「聖」(=信仰)という次元を加えた4次元の〈幾何学〉、すなわち「四次元プリズム(三稜玻璃)」のオードではないか、と考えています。

そんな中で、キリスト教信仰や思想の「聖」の次元に属する言葉がふんだんに盛り込まれているのが、この第5連といえるのではないでしょうか。


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2020年12月15日

山村暮鳥「À FUTUR」⑬

山村暮鳥「À FUTUR」の第4連、きょうは「奇蹟」について考えてみます。

わたしをめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟がわたしのやはらかな髪を梳る。誰だ、わたしを呼び還すのは。わたしの腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる。青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ。愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光。のぞみ。煙。生(いのち)。そして一切。

奇蹟

聖書の中には「奇蹟」がたくさん登場します。たとえば「マタイによる福音書」には、湖の上を歩く奇跡が語られます。

夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。(1)

「À FUTUR」第4連の「「わたし」のやはらかな髪を梳る」という「奇蹟」。これもおそらく、詩人のキリスト教信仰から発しているものでしょう。

しかし、それが「かなたの空へのびてゐる」「わたし」の腕」で、不動の星である「北極星を叩きおと」すというようなものだとすれば、「湖の上を歩く奇跡」のような信仰のレベルを超えた、大きなスケールをもち、詩的であるとともに〈科学〉的、現代的な、「奇蹟」が念頭に置かれているように思えてきます。

節の後半、「愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光。」の「びおろん」は、上田敏『海潮音』の

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。(2)

に比べると、なんとも力強くたくましい。これも、これまで見てきた、詩人の信仰に導かれた〈科学〉の賜物なのでしょうか。

また、3節では「蒼褪めた」「紫紺色」だったのが、この節では「青に朱を含めた夢」と、鮮やかな彩りが添えられている点も注目されます。

(1)『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、2009)p.(新)28
(2)上田敏『海潮音』(新潮社、1990.8)p.56


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2020年12月14日

山村暮鳥「À FUTUR」⑫

きょうも引きつづき、山村暮鳥「À FUTUR」の第4連を追っていきます。

わたしをめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟がわたしのやはらかな髪を梳る。誰だ、わたしを呼び還すのは。わたしの腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる。青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ。愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光。のぞみ。煙。生(いのち)。そして一切。

とき

第4連冒頭の「悲しい時計のうれしい針」というフレーズは、奇妙なようで理に合っています。「悲しい時計」といえば、萩原朔太郎の「時計」では、

古いさびしい空家の中で
椅子が茫然として居るではないか。
その上に腰をかけて
編物をしてゐる娘もなく
暖爐に坐る黒猫の姿も見えない。
白いがらんどうの家中で
私は物悲しい夢を見ながら
古風な柱時計のほどけて行く
錆びたぜんまいの響を聴いた。
じぼ・あん・じゃん! じぼ・あん・じあん!(1)

と、「私は物悲しい夢を見ながら/古風な柱時計のほどけて行く/錆びたぜんまいの響を聴」きます。

それは深い過去からの時間の響きでしょうか。朔太郎の過去は「じぼ・あん・じゃん!」とのんびりと迫ってきますが、ボードレールの「時計」は、

時計! 恐怖と非情との不吉な神、
その指はおびやかしつつ告げる、『思い出せ!
鳴りひびく「苦悩」は、恐れ戦くお前の心臓を、
やがては的を射るように、突き刺すだろう。

「快楽」は煙となって地平の涯に飛び去るだろう、
舞台裏に引込んだ空気の精をさながらに。
人おのおのに許されたその時々の愉しみも、
刻一刻に時は啖(くら)う、お前からも、きれぎれに。

一時間に三千六百回、「秒」はささやく、
思い出せ! と。——虫にも似たその声音で、
「現在」は言う、僕は「過去」だ、忌わしい
僕の吻管で、お前の命は吸い上げた、と。(2)

というように、実に騒々しい。時間はいまを幸福へと導くものではなく、過ぎ去ったものへの悔恨でしかないのでしょう。「時間」とは、強迫観念のようなものだったように思えて来ます。

朔太郎やボードレールの詩の「時計」が、ザックリ見ると時間を象徴的にとらえているのに対して、暮鳥の「「わたし」をめぐる悲しい時計のうれしい針」では、「時間」の置き場がかなり違っているように思われます。

暮鳥の詩は、これまで見て来たように、アインシュタイン的な四次元時空に置かれた時計のように思われます。時間という一つの次元で「悲し」さを刻み、残り三つの次元でつくる空間では針が楽しく「わたし」をめぐって回っている時計。そんな時計のイメージは、四次元時空をよりどころにすれば〈幾何学〉的にすんなりとおさまるのです。

こうした、読み飛ばしてしまいそうななんでもない表現のなかにも、暮鳥の「実験」を感じ取ることができるでしょう。

(1)伊藤信吉編『朔太郎のうた』(社会思想社、1965.9)p.180
(2)福永武彦編『ボードレール全集Ⅰ』(人文書院、1963.9)p.177


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2020年12月13日

山村暮鳥「À FUTUR」⑪

きょうも引きつづき、山村暮鳥「À FUTUR」の第4連を検討していきます。

わたしをめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟がわたしのやはらかな髪を梳る。誰だ、わたしを呼び還すのは。わたしの腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる。青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ。愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光。のぞみ。煙。生(いのち)。そして一切。

手

「「わたし」の腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる。」。それは、量子論的・相対論的な世界の「想像せられたる事実に於て」考えるのなら、不思議でもなんでもない理路整然とした〈科学〉の世界といえるでしょう。

第1節にでてきた「私の肉體は底のしれない孔だらけ」というのは量子論的にはあたりまえの「私の肉體」像といってもいいでしょう。ものの最小単位である素粒子があちこち確率論的に飛び回っているスカスカの空間が、「わたし」の腕、でもあり、「醉つてる北極星」でもあり、「のぞみ」でも「煙」でも「生」でも「一切」でもあります。

量子の世界では大きいも、小さいも、確定的なことはなにも言えません。

「生」も「死」も相対化されて、日常の空間における実在性のようなものは埒外に置かれる。生死などという線引き越えた時空にある「わたし」がここにあります。そうでありながら、「「わたし」を呼び還すのは。」と問いかけ、「醉つてる北極星を叩きおとせ。」とオード的な訴えかけをする。それが人間というものなのでしょう。

大昔はともかく、相対性理論以降の宇宙は、空間の三つの座標と同質の時間という座標が加わった「4次元」として見られるのは常識なのです(現代の超弦理論によれば、本当は、われわれの世界は正しくは11次元らしいけれど)。

こうした時空にあって、時間軸の方向へと「醉つてる北極星を叩きおと」すことは実に〈科学〉的な理にかなった「訴え」なのです。


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2020年12月12日

山村暮鳥「À FUTUR」⑩

ひきつづき、山村暮鳥「À FUTUR」の第4連を読んでいきます。

わたしをめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟がわたしのやはらかな髪を梳る。誰だ、わたしを呼び還すのは。わたしの腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる。青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ。愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光。のぞみ。煙。生(いのち)。そして一切。

プリズム

井上洋子氏によれば、暮鳥にとって〈詩〉とは
わが詩は想像せられたる事実に於て、それ自らを体現する。(略)詩歌のために事実は一切である。残余は放肆なるイリュージョンである。(「水の上」大3・8)
のごとく、〈事実〉にかかわる営為であり、・・・・・・・この〈想像せられたる事実〉は、〈イリュージョン〉や〈空想〉と峻別される〈科学〉であると考えられている。そしてこの〈科学〉は〈幾何学〉である。(1)
20世紀初頭は、科学の大変革期でした。1900年12月、黒体放射の分光放射輝度に関するマックス・プランクの論文を皮切りに「量子論」という20世紀のさまざまな分野に影響を及ぼすパラダイムシフトが巻き起こります。そして、1905年、アインシュタインの特殊相対性理論が世に出るのです。

科学の世界でパラダイムシフトが起こるときには、それに呼応するように、文化のさまざまな方面で、似かよった思潮の変革が起こることがしばしばあります。たとえば、マックス・プランクにはじまる量子論的な思想は、量子力学が完成する、1913年から1927年にかけて出版された世紀の大文学、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の底を流れているように私は思っています。

さて、『聖三稜玻璃』はどうでしょう。「〈想像せられたる事実〉としての〈科学〉」であり「〈科学〉は〈幾何学〉」なのだと井上氏がいうこの詩集は、アインシュタインの特殊相対性理論から10年後の1915年に刊行されています。

特殊相対性理論は、古代ギリシア以来のユークリッド幾何学をベースにした4次元の空間のうえに築かれています。きのうも触れたように「三稜玻璃」=「プリズム」=「3次元の三角柱」とみれば、3次元の三角空間に「聖」(=信仰)の次元を加えた4次元の〈幾何学〉がこの詩集ではないか、とも思えてくるのです。

「À FUTUR」もアインシュタインの4次元空間的な意味での〈幾何学〉を想像してみるのもおかしくはないと私は思っています。実際、『聖三稜玻璃』が生まれた当時、相対性理論の〈幾何学〉が世界的な話題となっていました。

そして、このころ詩を書き始めた宮沢賢治が生前唯刊行した詩集『春と修羅』は、たとえば草野心平が「四次元空間、時空世界。三次元の物理的空間に第四次元として時間の軸を考えたもの」と註をつける「第四次延長のなかで主張され」たのです。(2)

(1)井上洋子「暮鳥と前衛芸術」(九州大学国語国文学会『語文研究』65、1988.6)p.36
(2)草野心平『賢治のうた』(社会思想社、1971.8)p.14


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2020年12月11日

山村暮鳥「À FUTUR」⑨

山村暮鳥『聖三稜玻璃』の「À FUTUR」を読んでいますが、きょうから第4連に入ります。

わたしをめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟がわたしのやはらかな髪を梳る。誰だ、わたしを呼び還すのは。わたしの腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる。青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ。愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光。のぞみ。煙。生(いのち)。そして一切。

とけい

これまでのように、この節も文ごとに改行してみると(「」は私の挿入)——

「わたし」をめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟が「わたし」のやはらかな髪を梳る
誰だ、「わたし」を呼び還すのは
「わたし」の腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる
青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ
愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光
のぞみ
生(いのち)
そして一切

長短9行。この節だけでも一つの詩として楽しめそうです。第1節、第2節、第3節では、一つずつ入っていた「わたし」ですが、この節にくると一気に四つの「わたし」が登場します。

「奇蹟」が起こったのか、「「わたし」を呼び還」そうとする力学に応じて、「わたし」の近傍へと収束しそうですが、「「わたし」の腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる」という逆のベクトルをもっている。このちぐはぐさが、何とも面白い。

先日も触れましたが、この詩は一種の「オード」(ode、頌歌)ではないのだろうか、と感じています。もっと言えば「四次元三稜玻璃(プリズム)」のオードではないか、と思うのです。

「三稜玻璃」=「プリズム」=「3次元の三角柱」とみれば、3次元の三角空間に、「聖」(=信仰)という次元を加えた4次元の〈幾何学〉がこの詩集ではないか、とも思えてくるのです。


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2020年12月10日

山村暮鳥「À FUTUR」⑧

「À FUTUR」の第2節と第3節のつづき。きょうは詩のなかにある「雪の匂ひ」になどについて考えてみます。

 わたしをまってゐるのは誰。

 黎明のあしおとが近づく。蒼褪めたともしびがなみだを滴らす。眠れる嵐よ。おお、めぐみが濡らした墓の上はいちめんに紫紺色の罪の靄、神経のきみぢかな花が顫へている。それだのに病める光のない月はくさむらの消えさつた雪の匂いに何をみつけやうといふのか。嵐よ。わたしの幻想の耳よ。

雪匂

「蒼褪めたともしび」が「滴らす」「なみだ」は、「めぐみ」によって「濡ら」された「墓」に、さらには、空気中の水蒸気が凝結して細かい水滴となった「靄」へと感応し、「黎明のあしおと」とともに一刻も早くその彩りを見せびらかそうとする「きみぢかな花」は律動し、逆に陽の訪れとともに光を持たない「病める」「月」が正体をさらけ出すのです。

さらに、そうした「光のない月」は「消えさつた雪の匂ひ」に何かを見つけんとしているといいます。「雪の匂ひ」というと、私は、

  蝋燭のうすき匂ひや窓の雪(広瀬惟然)

という一句を思い出します。雪国で育ったせいか、何かに感応して「雪の匂ひ」を感じることが私にもあります。それは、決まって朝がたです。

全国町村会のサイトの「コラム・論説」に、山本 兼太郎氏は「雪に匂いのあることを知ったのは少年のころである。暖かい布団の中で、ふと目が覚める。あたりはまだ真っ暗で、凛と張りつめた寒気の中に、一種の匂いのような気配を感じて、雨戸を開けてみると、雪が一面に降り積っていた。香りの研究家の諸江辰男さんが、北陸の人らしく「雪の匂いで目が覚める」として「透明で鼻の奥をツーンと刺激するような匂いで、こんな朝はたいてい雪が積もっている」と著書でいっておられるのを後に読んで、やっぱりそうだったのか、と納得したものである。」と書いている。(6)

詩人の感触と同じかどうかはわからないが、「香り」の達人も確かに「雪の匂ひ」を感じているのだ。「À FUTUR」のこの第3節を、こうした「感応」の連鎖と読んでみても面白いように思われます。

「蒼褪めたともしび」「病める光のない月」「雪の匂ひ」などと、この節は全般的に、波長の短い白っぽい色彩を放っています。そんな中で、例外的に浮き上がって来るのが「罪」の色あいです。

「霞」の色というと普通に思い浮かべるのは、透けてみえるような白でしょう。霞色というと、ほんのり紫みのある灰色、あるいは、やや青みがかった薄紫色に用いられます。また、霞の衣というと灰色、喪服の色が連想されるでしょう。

ところが、ここに出てくる「罪の靄」は、「紫紺色」をしているというのです。紫紺とは、紺色がかった暗めの紫色のことだろう。高校野球の甲子園大会の「紫紺の優勝旗」が、思い浮かびます。

ここに出てくる「靄」は、透けてどこかへ行ってしまうようなことはありません。「紫紺の優勝旗」のようにはっきりと存在感を放って、そこにあります。ここには、あいまいなものではなく確たる「罪の自覚」を、詩人がもっていることが表象されているように私は思います。


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2020年12月09日

山村暮鳥「À FUTUR」⑦

きょうも「À FUTUR」の第2節と第3節のつづきです。「オード」についてもう少し考えたいと思います。

わたしをまってゐるのは誰。

黎明のあしおとが近づく。蒼褪めたともしびがなみだを滴らす。眠れる嵐よ。おお、めぐみが濡らした墓の上はいちめんに紫紺色の罪の靄、神経のきみぢかな花が顫へている。それだのに病める光のない月はくさむらの消えさつた雪の匂いに何をみつけやうといふのか。嵐よ。わたしの幻想の耳よ。

朝

現代の日本の詩でオードというと、私は鮎川信夫(1920 - 1986)の次の詩を思い出します。

  秋のオード

見知らぬ美しい少年が
わたしの母の手をひいて
明るい海岸のボートへ連れさっていった
母が戻ってくるのを待ちながら
ひとりぼっちの部屋のなかで
波の音がひどく怖ろしく
わたしにはながい悪夢の日がつづいた

母はついに帰らなかった
わたしの机のうえの一枚の写真も
今ではなつかしい面影のようにうすれてしまった
あの美しい少年は何処へいったか
卑しい心に問うてはならぬ
淋しい睫毛と
ちいさな赤い唇とは
この世のそとでも離れがたいことを信じよう
海岸に捨てられたボートを眺めていると
美しい少年を失った母が
なんだか迷っていそうにも思えてくる

秋風がたつ頃になると
木や野茨が枯れて
海岸への道が不思議と宙にうかんでくる
夕映えの海にただよう
おもいみだれた母と美しい少年のボートが
木の葉のようにも
蜻蛉のようにも見えてくる
大人になった幻影の子よ
とおい夏の日に
波にさらわれた母と美しい少年を許せ!

暮鳥の「À FUTUR」と鮎川のこのオードは、もちろん主題や手法は異なります。けれど、「わたしをまつてゐるのは、誰。」「幻想の耳よ。」と呼びかける「わたし」と、「見知らぬ美しい少年が」「連れさっていった」「母が戻ってくるのを待」っていた「幻影の子」とのあいだに、交差するものがあるように私には思われてなりません。

ところでこの第3節、「黎明のあしおと」「蒼褪めたともしび」「眠れる嵐」「めぐみが濡らした墓」「紫紺色の罪の靄」「神經のきみぢかな花」「病める光のない月」「消えさつた雪の匂ひ」など、かなり込み入った独特のメタファーが畳みかけています。

日本国語大辞典によると、夜明けを意味する「黎明」の「黎」は、「頃おい、明ける頃の意。一説に、黒で、天のまだくらいこと」なのだそうです。 夜明けは、闇をつくっていた黒色から、藍色、群青、そして赤色光が混じりあい、とまさにプリズム(三稜玻璃)のようにさまざまな色彩や表情を刻んでいきます。まさに詩集のタイトルである「聖三稜玻璃」の時なのです。


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2020年12月08日

山村暮鳥「À FUTUR」⑥

きのうにつづいて、「À FUTUR」の第2節と第3節を読んでいきます。

 わたしをまってゐるのは誰。

 黎明のあしおとが近づく。蒼褪めたともしびがなみだを滴らす。眠れる嵐よ。おお、めぐみが濡らした墓の上はいちめんに紫紺色の罪の靄、神経のきみぢかな花が顫へている。それだのに病める光のない月はくさむらの消えさつた雪の匂いに何をみつけやうといふのか。嵐よ。わたしの幻想の耳よ。

嵐

きのう検討したオードの特徴としては、①もともとは有韻で複雑な形式をもつものではあったが、ある意味では特殊の形式をもたない内容上のものだともいえる②荘重な題材を荘重に扱うという共通点がある③しばしば呼びかけの形をとる、といったあたりがあげられそうです。

たとえば、有名なJohn Keats(1795 - 1821)の「Ode on a Grecian Urn(ギリシャの壺のオード)」は、

Thou still unravish'd bride of quietness,
Thou foster-child of silence and slow time,
Sylvan historian, who canst thus express
A flowery tale more sweetly than our rhyme:
What leaf-fring'd legend haunts about thy shape
Of deities or mortals, or of both,
In Tempe or the dales of Arcady?
御身、今なお純潔を保つ 静寂の花嫁よ、
沈黙とゆるやかな時光に育まれし子よ、
森の史(ふびと) かくの如く抒(の)べうる者よ
華やぐ物語を 吾らが詩(うた)に優り 妙なる調(しらべ)に。
木の葉の縁取るいかなる伝承が絶えず顕(た)ちくるのか
御身の象(かたど)る神々もしくは人々、はたその双方の姿を廻(めぐ)り、
テンペかはたまたアルカディアの谿谷(けいこく)にして。

とはじまります。高度な文化的達成を成し遂げ、ヨーロッパの人たちの精神的故郷でもある古代ギリシアを讃え、呼びかけます。一方、私の大好きなチリのノーベル賞詩人Pablo Neruda(パブロ・ネルーダ、1904 - 1973)の「Alturas de Macchu Picchu(マチュ・ピチュの高み)」は、古代インカ帝国の遺跡を題材にして、

Madre de piedra, espuma de los cóndores.
Alto arrecife de la aurora humana.
Pala perdida en la primera arena.
Ésta fue la morada, éste es el sitio:
aquí los anchos granos del maíz ascendieron
y bajaron de nuevo como granizo rojo.
石の母よ 禿鷹(コンドル)の泡よ。
人類の曙に高く聳えたつ岩礁よ。
原初の砂のなかに失われたシャベルよ。
これは住居だった ここがその場所だった
ここで大粒の玉蜀黍(とうもろこし)がきあつぎあげられ
そしてまた赤い霰(あられ)のようにふりおとされた。

などと語りかけています。

「花嫁よ」「育まれし子よ」「抒べうる者よ」「禿鷹の泡よ。」「岩礁よ。」「失われたシャベルよ。」と、これら二つのオードには、「~よ」等の呼びかけが多く含まれています。「眠れる嵐よ。」「嵐よ。」「わたしの幻想の耳よ。」と呼びかけがつづく「À FUTUR」の第3節も、その点については共通しています。


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2020年12月07日

山村暮鳥「À FUTUR」⑤

暮鳥「À FUTUR」のつづき。第1節の「まってゐるのは誰。土のうへの芽の合奏の進行曲である。もがきくるしみ轉げ廻ってゐる太陽の浮かれもの、心の向日葵の音樂。永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす、そのうごめく純白な無數のあしの影、私の肉體は底のしれない孔だらけ……銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讃美をかい探る。」につづいて、今日から、第2節と第3節を読んでいきます。

 わたしをまってゐるのは誰。

 黎明のあしおとが近づく。蒼褪めたともしびがなみだを滴らす。眠れる嵐よ。おお、めぐみが濡らした墓の上はいちめんに紫紺色の罪の靄、神経のきみぢかな花が顫へている。それだのに病める光のない月はくさむらの消えさつた雪の匂いに何をみつけやうといふのか。嵐よ。わたしの幻想の耳よ。

青

第1節は「まつてゐるのは誰。」で始まりましたが、第2節は「わたしをまつてゐるのは、誰。」1行だけです。冒頭の「まつてゐるのは誰。」とちがって、「わたしを」と対象を限定したうえ、「まつてゐるのは」と「誰」の間に読点が打ちこまれています。

そして第3節。文ごとに区切って行分けしてみると、次のように荘重な雰囲気をかもす長短7つの文から成り立っていることがわかります。「~よ」の呼びかけが3カ所、「のか」の問いかけが1カ所あるのが目につきます。

黎明のあしおとが近づく。
蒼褪めたともしびがなみだを滴らす。
眠れる嵐よ。
おお、めぐみが濡らした墓の上はいちめんに紫紺色の罪の靄、神經のきみぢかな花が顫へてゐる。
それだのに病める光のない月はくさむらの消えさつた雪の匂ひに何をみつけやうといふのか。
嵐よ。
わたしの幻想の耳よ。

「黎明のあしおと」「蒼褪めたともしび」「紫紺色の罪の靄」といった荘重な素材、そして「眠れる嵐よ。」「何をみつけやうといふのか。」「嵐よ。」「わたしの幻想の耳よ。」といった呼びかけ・問いかけ。それらを読み連ねていくと、「オード(頌歌)」なのではないだろうか、と感じられてきました。「オード」は、ヨーロッパではしばしば登場する詩の形式。英文学者の船戸英夫は次のように説明しています。

頌歌(しょうか)、賦(ふ)。古代ギリシア文学においては、神殿を回る際、第1節は右回り、第2節は左回り、そして次は静止して歌う合唱隊の詩のことを意味し、これが詩型としてピンダロス風オード(Pindaric ode)となった。しかしこの形式はきわめて厳密な法則によるので、もっと自由な形のオードも多くの詩人たちによってつくられ、ギリシアのサッフォー、アナクレオン、ローマのホラティウスなどが優れた作品を書き、ホラティウス風オード(Horatian ode)といわれた。イギリスには、17世紀に紹介され、ドライデンの『アレキサンダーの饗宴(きょうえん)』に優れた例をみるが、さらに19世紀のロマン派の詩人たちによって愛用され、キーツの『ギリシア甕(よう)の賦』、シェリーの『西風の賦』などがある。=小学館『日本大百科全書』デジタル版


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2020年12月06日

山村暮鳥「À FUTUR」④

きょうも、「À FUTUR」第1節を検討していきます。

まつてゐるのは誰。土のうへの芽の合奏の進行曲である。もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、心の日向葵の音樂。永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす、そのうごめく純白な無數のあしの影、わたしの肉體(からだ)は底のしれない孔だらけ……銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る。

日

「日向葵」に象徴されるように、植物の地上部には、重力に逆らって伸びる性質(負の屈地性)があります。

生物学の辞典には「負の屈地性」について「植物が示す屈性のうち、重力方向に対して示す屈性。植物ホルモンのオーキシンが重力に従って下方に移動するので、発芽した植物体を横に置くと、芽では茎の下側が伸長促進されて起き上がり、根では下側が伸長阻害を受けて地中方向へ伸長する」とありました。

能天気な「太陽の浮かれもの」にも思える「日向葵」は、実は地球の重力に逆らってのびる「反逆者」であるという負の特性をも内在させているわけです。

そんなふうに考えると「もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、」という一節も、また、違った味わいで読めてきます。

安藤一郎の詩「向日葵」には、

いつの夏だつたらう
巨大な顔を廻す
ひき捩ぢられたパッションよ
金色の縁取りをした
残酷な炎の中で
私の記憶は燃えしきつた (6)

とあります。「もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、心の日向葵の音樂」とは、安藤のいう「巨大な顔を廻す/ひき捩ぢられたパッション」の奏でる音色なのかもしれません。

鼻からは空気、口からはいろん食べ物を取り入れます。また、皮膚もいたるところ穴だらけで、汗や老廃物の通り道になっているのです。実際、「肉體は底のしれない孔だらけ」なのは、あたりまえなのです。

やや時事ネタっぽくなりますが、ざっと10000分の1ミリほどの大きさのウイルスたちも、こうした肉体の「底のしれない孔だらけ」を自在に出入りしています。

逆に見れば、ウイルスという「銀の長柄の投げ鎗」が、現代のわれわれの「よるの讚美をかい探」っているともいえるのではないでしょうか。

最後の「銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る。」からは、ウイルス禍にあるたったいまの現実(「事實」)をも、連想させられてきます。


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2020年12月05日

山村暮鳥「À FUTUR」③

ひきつづき「À FUTUR」の第1節を読んでいきたいと思います。

まつてゐるのは誰。土のうへの芽の合奏の進行曲である。もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、心の日向葵の音樂。永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす、そのうごめく純白な無數のあしの影、わたしの肉體(からだ)は底のしれない孔だらけ……銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る。

太陽

ここに出てくる「胎兒のだんす」は、以前に検討した『聖三稜玻璃』の中でもよく知られた作品「だんす」に絡んでくると考えられるでしょう。

  だんす

あらし
あらし
しだれやなぎに光あれ
あかんぼの
へその芽
水銀歇私的利亞(ヒステリア)
はるきたり
あしうらぞ
あらしをまろめ
愛のさもわるに
烏龍(ウウロン)茶をかなしましむるか
あらしは
天に蹴上げられ。

これと重ねて読むと、「À FUTUR」の「土のうへの芽」は、「あかんぼの/へその芽」とつながってくるように思えてきます。

また、詩「だんす」では「あしうら」でしたが、ここでは「あしの影」になっているところも興味深いところです。

「畸形」について日本国語大辞典には、「 動植物が、個体発生の異常や種々の障害などのために、解剖学的に異常、不整の形をしていること。また、そのもの。母体の感染症や薬物摂取と関係するものもある」とあり、さらに高橋晄正『くすり公害』(1971)からの引用で、「睡眠剤を飲んだお母さんたちのなかから、ひどい手足の奇形をもった不幸な子供たちが大ぜい生れたことは」という例文がのっていました。

この高橋の現実の例とはちがって、「À FUTUR」の「畸形」児は「永遠にうまれない」のです。

大きなよだれかけの上に死児はいる
だれの敵でもなく
味方でもなく
死児は不老の家系をうけつぐ幽霊
もし人類が在つたとしたら人類ののろわれた記憶の荊冠
永遠の心と肉の悪臭
一度は母親の鏡と子宮に印された
美しい魂の汗の果物

昨日も見ましたが、「うまれない」のに存在しつづける生命、それはまさに吉岡実「死児」にあった「不老の家系をうけつぐ幽霊」といってもいいのではないでしょうか。


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2020年12月04日

山村暮鳥「À FUTUR」②

山村暮鳥の「À FUTUR」。きょうから断片ごとに詳しく検討していこうと思います。まずは冒頭の最初の節です。

まつてゐるのは誰。土のうへの芽の合奏の進行曲である。もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、心の日向葵の音樂。永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす、そのうごめく純白な無數のあしの影、わたしの肉體(からだ)は底のしれない孔だらけ……銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る。

向日葵

この第1節を、試しに、句読点などの節目で改行して並べてみると次のようになります。

まつてゐるのは誰。
土のうへの芽の合奏の進行曲である。
もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、
心の日向葵の音樂。
永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす、
そのうごめく純白な無數のあしの影、
わたしの肉體は底のしれない孔だらけ……
銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る。

こうして眺めて読んで見ると、これまでの『聖三稜玻璃』の改行詩とさほどの違いは見られません。イメージも浮かべやすい。ボードレールの時代的のような素朴な「散文詩」といっていいのかもしれませんが、あえて「散文詩」というワクで囲いこむ必要もないように思われます。

第1節の全体の構造としては、冒頭で「まつてゐるのは誰」と問い、まずは「芽の合奏の進行曲である」と応じたうえで、「太陽の浮かれもの」「心の日向葵の音樂」「うまれない畸形な胎兒のだんす」「うごめく純白な無數のあしの影」「肉體は底のしれない孔だらけ」と畳みかけて、そのうえで、「投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る」と着地しています。

単純に読めば、「心の日向葵の音樂」「畸形な胎兒のだんす」「そのうごめく純白な無數のあしの影」などなどが織りなす「よるの讚美」の感触を、「事實」なるものが「投げ鎗」を用いてさぐっている、というイメージになるでしょう。

ここの節では、「心の日向葵の音樂」までの前半部は「太陽」「土」「芽」「日向葵」といった言葉に象徴されるように、一見明るくわかりやすい設定になっています。しかし、「永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす、」からの後半部は、雰囲気がガラリと変わります。

「太陽」や「日向葵」の明るさとは対照的に、いきなり異様な雰囲気を醸し出す「永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす」が来ます。この一節を目にして、私の頭には吉岡の「死児」という詩が浮かんできました。

大きなよだれかけの上に死児はいる
だれの敵でもなく
味方でもなく
死児は不老の家系をうけつぐ幽霊
もし人類が在つたとしたら人類ののろわれた記憶の荊冠
永遠の心と肉の悪臭
一度は母親の鏡と子宮に印された
美しい魂の汗の果物

「永遠にうまれない畸形な胎兒」と「死児は不老の家系をうけつぐ幽霊」は、私の頭のなかでは、二重らせんのように絡みついて離れなくなったのです。


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2020年12月03日

山村暮鳥「À FUTUR」①

かなり長いあいだ中断しましたが、再び、山村暮鳥の『聖三稜玻璃』のつづきを読んでいきたいと思います。きょうからしばらくは、散文詩風の長篇詩「À FUTUR」です。

     ◇

まつてゐるのは誰。土のうへの芽の合奏の進行曲である。もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、心の日向葵の音樂。永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす、そのうごめく純白な無數のあしの影、わたしの肉體(からだ)は底のしれない孔だらけ……銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る。

わたしをまつてゐるのは、誰。

黎明のあしおとが近づく。蒼褪めたともしびがなみだを滴らす。眠れる嵐よ。おお、めぐみが濡らした墓の上はいちめんに紫紺色の罪の靄、神經のきみぢかな花が顫へてゐる。それだのに病める光のない月はくさむらの消えさつた雪の匂ひに何をみつけやうといふのか。嵐よ。わたしの幻想の耳よ。

わたしをめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟がわたしのやはらかな髪を梳る。誰だ、わたしを呼び還すのは。わたしの腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる。青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ。愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光。のぞみ。煙。生(いのち)。そして一切。

蝙蝠と霜と物の種子(たね)とはわたしの自由。わたしの信仰は眞赤なくちびるの上にある。いづれの海の手に落ちるのか、靈魂(たましひ)。汝(そなた)は秋の日の蜻蛉(とんぼ)のやうに慌ててゐる。汝は書籍を舐る蠧魚と小さく甦る。靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢(おしやれ)な獸の哲理を知れ。翼ある聲。眞實の放逸。再び汝はほろぶる形象(かたち)に祝福を乞はねばならぬ。

靡爛せる淫慾の本質に湧く智慧。溺れて、自らの胡弓をわすれよ。わたしの祕密は蕊の中から宇宙を抱いてよろめき伸びあがる、かんばしく。

わたしのさみしさを樹木は知り、壺は傾くのである。そして肩のうしろより低語(ささや)き、なげきは見えざる玩具(おもちや)を愛す。猫の瞳孔(ひとみ)がわたしの映畫(フヰルム)の外で直立し。朦朧なる水晶のよろこび。天をさして螺旋に攀ぢのぼる汚れない妖魔の肌の香。

いたづらな蠱惑が理性の前で額づいた……

何といふ痛める風景だ。何時(いつ)うまれた。どこから來た。粘土の音(ね)と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。盲目の翫賞家。自己禮拜。わたしのぴあのは裂け、時雨はとほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い。

はるかに燃ゆる直覺。欺むかれて沈む鐘。棺が行く。殺された自我がはじめて自我をうむのだ。棺が行く。音もなく行く。水すましの意識がまはる。

黎明のにほひがする。落葉だ。落葉。惱むいちねん。咽びまつはる欲望に、かつて、祕めた緑の印象をやきすてるのだ。人形も考へろ。掌の平安もおよぎ出せ。かくれたる暗がりに泌み滲み、いのちの凧のうなりがする。歡樂は刹那。蛇は無限。しろがねの弦を斷ち、幸福の矢を折挫いてしくしくきゆぴとが現代的に泣いてゐる。それはさて、わたしは憂愁のはてなき逕をたどり急がう。

おづおづとその瞳(め)をみひらくわたしの死んだ騾馬、わたしを乘せた騾馬――記憶。世界を失ふことだ。それが高貴で淫卑なさろめが接吻の場(シイン)となる。そぷらので。すべてそぷらので。殘忍なる蟋蟀は孕み、蝶は衰弱し、水仙はなぐさめなく、歸らぬ鳩は眩ゆきおもひをのみ殘し。

おお、欠伸(あくび)するのはせらぴむか。黎明が頬に觸れる。わたしのろくでもない計畫の意匠、その周圍をさ迷ふ美のざんげ。微睡の信仰個條(クリイド)。むかしに離れた黒い蛆蟲。鼻から口から眼から臍から這込むきりすと。藝術の假面。そこで黄金色(きんいろ)に偶像が塗りかへられる。

まつてゐるのは誰。そしてわたしを呼びかへすのは。眼瞼(まぶた)のほとりを匍ふ幽靈のもの言はぬ狂亂。鉤をめぐる人魚の唄。色彩のとどめを刺すべく古風な顫律(リヅム)はふかい所にめざめてゐる。靈と肉との表裏ある淡紅色(ときいろ)の窓のがらすにあるかなきかの疵を發見(みつ)けた。(重い頭腦(あたま)の上の水甕をいたはらねばならない)

わたしの騾馬は後方(うしろ)の丘の十字架に繋がれてゐる。そして懶(ものう)くこの日長を所在なさに糧も惜まず鳴いてゐる。

未来

タイトルの「À FUTUR」は、ふつうに解すれば、フランス語の「未来(将来)へ」「未来(将来)に」といった意味になるでしょう。

ただし、「A」に accent graveが付いた前置詞の「À」は、下記のように他にもさまざまな意味をとりえます。どういうニュアンスでこのタイトルをとらえるのがベストなのか。詩を読み進めていくなかで、逐次ふりかえりながら考えて見たいと思います。

 à(前置詞)
①《方向》へ、に
②《場所・時》に(おいて)、で
③《所属》の、に属する
④《手段》によって、による
⑤《価格》(いくら)で、の
⑥に(対して)
⑦のための
⑧のある、を持った (1)

「À FUTUR」は『聖三稜玻璃』のこれまでの作品のように、文や分節単位の細かな改行はありません。ならば「散文詩」と呼ばれるものかというと、単純にそう割り切れるものでもないように思われます。

もともと「詩」と「散文」は対立する概念のはず。「散文詩」という言葉自体に、矛盾を含んでいるわけです。

散文詩という概念を意識的に考え始められたとされるボードレールの時代には「詩と韻律とを結びつけて考えていた」ようです。しかし、いまではおおよそ「詩的精神を散文の形式によって追求したもの」といったあたりで散文詩をとらえている様子。(2)

要は、詩人が「散文詩」と言えば「散文詩」ということになるのでしょうが、暮鳥がどうとらえていたかは私は把握していません。

(1)鈴木信太郎『新スタンダード仏和辞典』(大修館書店、1988.4)p.1
(2)菅原克己『詩の辞典』(飯塚書店、1968.1)p.84「散文詩」


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)山村暮鳥 

2020年12月02日

デーメル「労働者(Der Arbeitsmann)」⑥

リヒャルト・デーメル(Richard Dehmel)の詩「労働者(Der Arbeitsmann)」のつづきです。

Wir haben ein Bett,wir haben ein Kind,
Mein Weib!
Wir haben auch Arbeit,und gar zu zweit,
Und haben die Sonne und Regen und Wind,
Und uns fehlt nur eine Kleinigkeit,
Um so frei zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
ぼくらにはベッドがある、子どももいる
ぼくの妻!
ぼくらには仕事がある、たっぷり二人分の
そして、お日さまが、雨が、風がある
けれど、たったひとつ何てことないものが欠けている
鳥たちみたいに、自由であるための
時間だけが

Wenn wir sonntags durch die Felder gehn,
Mein Kind,
Und über den Ähren weit und breit
Das blaue Schwalbenvolk blitzen sehn,
Oh,dann fehlt uns nicht das bißchen Kleid,
Um so schön zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
日曜になればぼくらは畑へ出かける
ぼくの子
穂波のうえの、あちら、こちらで
青いツバメたちのむつみ戯れるキラめき
ああ、ぼくらにだってちょっとしたドレスくらいはある
鳥たちみたいに、快くあるための
時間だけが

Nur Zeit! wir wittern Gewitterwind,
Wir Volk.
Nur eine kleine Ewigkeit;
Uns fehlt ja nichts,mein Weib,mein Kind,
Als all das,was durch uns gedeiht,
Um so kühn zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
時間だけが! ぼくらは嵐が来るのを嗅ぎつける
ぼくらは庶民
ほんの小さな永遠だけ
ぼくらに欠けているものはない、ぼくの妻、ぼくの子、
ぼくらを豊かにするもののほかには
鳥たちみたいに、大胆であるための
時間だけが

拓次

詩の中に「Nur eine kleine Ewigkeit(ほんの小さな永遠だけ)」という一節がありますが、この「小さな永遠」を中心に、デーメルの芸術論にかかわる言葉をいくつか拾っておきたいと思います。

・誰でも、聖書を自分のささやかな行動の基本にすることができます。これを実践し、どんな人の前でもこの基本に立つ人は、自分の人生を高めていけるでしょう。そういう人は、イエスが言うように、永遠の命が与えられるわけです。(Dehmel1922、S.20)=(1)

・ところが、(イエスの)自己放棄が意味不明でわからず、自分の感覚世界で生きている大ぜいの人には、実際理解できません。だから、そういう人は、永遠があるはずのところ、そこに通じる道から外れてしまっています。(Dehmel1922、S.29)

・人類の命、永遠の命を持つために個人が何をすればよいかをわかっている者は、できる限り、思考や感情に留まることなく、個々の行動を通して人類のための人間である義務がある。(Dehmel1922、S.31)

・もっとも私は誰に対しても、ましてや下層の人たちに気休めを言う性分ではありません。幸福は、一人ひとりが内面や外的状況に応じて自ら心の救済を行うことでしか得られません。しかし、自分や生活を投げ打ち、人のために何かすることで、その当人が自分を救済しよう、みんなのために尽くそうという気持ちになる。これこそ、私の人生の願望であり、私自身の救済だと心底思っていることです。これまでもこれからもそう思うでしょう。(Dehmel1922、S.59)

こうした芸術論の一方で、デーメルは『ドイツ兵士の本』、『SDSの戦争ファイル』などに煽動的な戦争賛美を含んだ作品をたくさん投稿しました。ところが、1914年、51歳のとき第1次世界大戦の戦線行きを志願し、戦争の現実を目の当たりにすることによって、戦後には平和主義者への転向を果たしています。(2)

「Der Arbeitsmann」は、1889年、リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss、1864-1949)の作曲で歌曲になっています。リヒャルト・シュトラウスは、デーメル(1863-1920)と同世代で、1895-1901年の間に11の詩に曲をつけているといいます。

シュトラウスはデーメルの政治的な側面にはあまり興味を示さなかったものの、ともにニーチェの思想に共感していました。2人が直接顔を合わせたのは、1899年3月23日が最初で、ホフマンスタールもいっしょだったといいます。

シェーンベルクも『女と世界』の「Erwartung(期待)」「Erhebung(高揚)」などの詩をもとに4つの曲を、1898年から1900年にかけて作っています。シェーンベルクがデーメルに送った手紙には「あなたの詩は、私の音楽の発展に決定的な影響を及ぼしました。詩に触発されて、初めて抒情詩に新しい音を探す必要に迫られたのです」(3)という一節があるそうです。

萩原朔太郎、室生犀星とともに白秋門下の三羽烏とよばれた詩人、大手拓次(1887-1934)=写真=は、デーメルの作品をたくさん訳しています。最後に、デーメルの「Narzissen(水仙)」という詩の拓次訳「お前はまだ知つてゐるか」をあげておきます。  

お前はまだ知つてゐるか、
ひるの数多い接吻のあとで
わたしが五月の夕暮のなかに寝てゐた時に
わたしの上にふるへてゐた水仙が
どんなに青く、どんなに白く、
お前のまへのお前の足にさわさわとさはつたのを。

六月真中の藍色の夜のなかに、
わたし達が荒い抱擁につかれて
お前の乱れた髪が二人のまはりに絡んだとき、
どんなにやはらかくむされるやうに
水仙の香が呼吸(いき)をしてゐたかを
お前はまだ知つてゐるか。

またお前の足にひらめいてゐる、
銀のやうなたそがれが輝くとき、
藍色の夜がきらめくとき、
水仙の香は流れてゐる。
まだお前は知つてゐるか。
どんなに暖かつたか、どんなに白かつたか。

(1)Richard Dehmel:Ausgewählte Briefe aus den Jahren 1883 bis 1902,Berlin 1922=新田誠吾訳
(2)真貝恒平「文筆家による組織的なプロパガンダ」(『北大独語独文学研究年報』32、2005.12)p.35
(3)新田誠吾「リヒャルト・デーメルの『浄められた夜』」(『法政大学多摩論集』30、2014.3))


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)デーメル 

2020年12月01日

デーメル「労働者(Der Arbeitsmann)」⑤

いま読んでいるリヒャルト・デーメル(Richard Dehmel)の詩「労働者(Der Arbeitsmann)」について、きょうは詩が作られた時代の歴史的背景について検討していきます。

Wir haben ein Bett,wir haben ein Kind,
Mein Weib!
Wir haben auch Arbeit,und gar zu zweit,
Und haben die Sonne und Regen und Wind,
Und uns fehlt nur eine Kleinigkeit,
Um so frei zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
ぼくらにはベッドがある、子どももいる
ぼくの妻!
ぼくらには仕事がある、たっぷり二人分の
そして、お日さまが、雨が、風がある
けれど、たったひとつ何てことないものが欠けている
鳥たちみたいに、自由であるための
時間だけが

Wenn wir sonntags durch die Felder gehn,
Mein Kind,
Und über den Ähren weit und breit
Das blaue Schwalbenvolk blitzen sehn,
Oh,dann fehlt uns nicht das bißchen Kleid,
Um so schön zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
日曜になればぼくらは畑へ出かける
ぼくの子
穂波のうえの、あちら、こちらで
青いツバメたちのむつみ戯れるキラめき
ああ、ぼくらにだってちょっとしたドレスくらいはある
鳥たちみたいに、快くあるための
時間だけが

Nur Zeit! wir wittern Gewitterwind,
Wir Volk.
Nur eine kleine Ewigkeit;
Uns fehlt ja nichts,mein Weib,mein Kind,
Als all das,was durch uns gedeiht,
Um so kühn zu sein,wie die Vögel sind:
Nur Zeit.
時間だけが! ぼくらは嵐が来るのを嗅ぎつける
ぼくらは庶民
ほんの小さな永遠だけ
ぼくらに欠けているものはない、ぼくの妻、ぼくの子、
ぼくらを豊かにするもののほかには
鳥たちみたいに、大胆であるための
時間だけが

小山内

1900年前後の世界の経済の状況について、経済史の教科書には「(イギリスは)1880年代前半にはアメリカ合衆国に追い抜かれ、1900年代に入るとドイツがイギリスを凌駕しはじめる。20世紀初頭には、アメリカ合衆国が世界工業生産の3割5分のシェアを占めるようになり、世界最大の工業国としての地位を確立した。このように、先進国であるイギリスに対して、後発国のドイツとアメリカ合衆国が急速に追いつき追い越しをなしとげ、相互の産業上の地位が逆転したこと、これがこの時代にみられる特徴の1つであった」(図参照)とあります(1)。        

また、ドイツ史の本には、次のように記されています。

ビスマルク退陣後の1890年から1914年の第一次世界大戦勃発まで、世紀交を挟んだ四半世紀はとくにヴィルヘルム時代と呼ばれている。この名称は皇帝ヴィルヘルム2世からきているが、この時期区分はたんに国家指導者の交代によるものだけではなく、すでに同時代人からも、国民経済の停滞と発展、内向きの現状維持政治と外向きのダイナミックな政治という対比で明瞭な時代基調の違いがあったと認識されていた。

帝国創設後最初の20年間で人口は約800万人増加したが、つぎの20年間ではそれは倍の1600万人になり、大戦直前のドイツの人口は6700万人に達した。急速な人口拡大によって、この時期のドイツはまた文字どおり若いドイツになった。1910年の時点では、ドイツ国民の過半数は30歳以下の人々によって構成されていたのである。

こうした人口増、労働力増を吸収できたのは、工業を軸とする経済・貿易の持続的な向上であり、この期間の年平均成長率4.5%という数字がそれを端的に示している。世界経済は1890年代なかばようやく長期の低成長期を脱して、以後大戦直前まで、1900-01年、07-08年の短い景気後退を挟みながらも、ほぼ20年にわたる歴史的な好況期にはいった。ドイツはこの好況を先導した国のひとつであり、またその最大の受益者の一人であった。ドイツの鉄鋼生産は世紀交にはイギリスを凌駕し、石炭・鉄鋼の生産は大戦までに3-4倍になり、また輸出の伸びも4倍になっている。(2)

すでに19世紀の中ごろから、 政治的なシャンソンとよびうるものがドイツで栄えていました。 20世紀に入ると、ドイツのシャンソンが今日我々が知っているような形式にまとまり、「若きドイツ派」が萌芽として感じ取っていた市民社会の崩壊が顕在化し、 一方ではニーチェの文明批判がようやく注目されるようになった時代、 他方ではコミュニズムが現実のものとなり始めてきた時代に入ってからです。 

ドイツの政治的シャンソンは、 芸術運動の流れにおける自然主義、 表現主義、 新即物主義、 ダダイズムなどとの関連において、 また労働者の文化活動などとの関連において急速にひろまり、 相対的な安定の時期であった20年代にその絶頂を迎えます。しかし、それはやがてナチスの興趣と重なり合い、30年代の初頭にはドイツからほぼ完全に姿を消すに至るのです。

劇作家の小山内薫(1881-1928)=写真=は、明治42(1909)年にヨーロッパにわたり、 各地で芝居を見てその印象を書き残しています。 大正15(1926)に彼は『マックス・ラインハルトの歩いた道』という評論を発表し、 その中で 詩人ビーアバウムが1901年に出したアンソロジー「ドイツのシャンソン」の序文を次のように紹介しています。

寄席の為の芸術——こんなことを言うと、 それは芸術の冒漬だと言う人があるかもしれない。抒情詩と見世物が一緒になって堪るものかと言う人があるかも知れない・・・・・・そう言われても構わない。 吾々は極めて真面目に、 芸術を寄席の為に役立てようとしているのだ。

応用抒情詩——そこに吾々の題目がある・・・・・・第一 にその詩はあなた方が歌える歌でなければならない。 第二にその詩は単に少数の知識階級を喜ばせるばかりでなく、普通一 般の民衆を喜ばせなければならない。

寄席は、電車と同じく、 吾々の時代と文化との典型的な表現である。 今日の都会人は寄席神経といったようなものを持っている。 大きな芝居の引力に引き寄せられる者は極めて稀である。 都会人は変化を求める―多種多様を求める。若し芸術家として、 吾々が人生その者と接触し続けて行こうとするなら、 吾々はこれが実現に努めなければならぬ……。

ビーアバウムのこのアンソロジーに収められた詩人は、 彼自身のほか、 リヒアルト・ デーメル、 グスターフ・ ファルケ、 アルノー・ ホルツなどが主なものである。(3)

(1)石坂昭雄『新版 西洋経済史』(有斐閣、1994.1)p.255
(2)『新版世界各国史13 ドイツ史』(山川出版社、2001.8)p.243-244
(3)諏訪功「もうひとつのドイツ文化」(『一橋論叢』67、1972.4)p.568-569


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