2020年04月

2020年04月30日

「至上善」(『海潮音』32)

『海潮音』のつづき。きょうもブラウニングの1篇です。

  至上善     

     ロバアト・ブラウニング

蜜蜂の嚢(ふくろ)にみてる一歳(ひととせ)の香(にほひ)も、花も、
宝玉の底に光れる鉱山(かなやま)の富も、不思議も、
阿古屋貝(あこやがひ)映(うつ)し蔵(かく)せるわだつみの陰も、光も、
香にほひ、花、陰、光、富、不思議及ぶべしやは、
   玉(ぎよく)よりも輝く真(まこと)、
   珠(たま)よりも澄みたる信義、
天地(あめつち)にこよなき真(まこと)、澄みわたる一(いち)の信義は
   をとめごの清きくちづけ。

真珠

この詩につづいて、訳者によって、ブラウニングに関する次のような説明が記されています。

ブラウニングの楽天説は、既に二十歳の作「ポオリイン」に顕(あらは)れ、「ピパ」の歌、「神、そらにしろしめす、すべて世は事も無し」といふ句に綜合(そうごう)せられたれど、一生の述作皆人間終極の幸福を予言する点に於(おい)て一致し「アソランドオ」絶筆の結句に至るまで、彼は有神論、霊魂不滅説に信を失はざりき。

この詩人の宗教は基督(キリスト)教を元としたる「愛」の信仰にして、尋常宗門の繩墨(じようぼく)を脱し、教外の諸法に対しては極めて宏量なる態度を持せり。神を信じ、その愛とその力とを信じ、これを信仰の基として、人間恩愛の神聖を認め、精進の理想を妄(もう)なりとせず、芸術科学の大法を疑はず、又人心に善悪の奮闘争鬩(そうげき)あるを、却て進歩の動機なりと思惟(しい)せり。

而(しか)してあらゆる宗教の教義には重(おもき)を措(お)かず、ただ基督の出現を以て説明すべからざる一の神秘となせるのみ。曰(いは)く、宗教にして、若(も)し、万世不易(ふえき)の形を取り、万人の為め、予(あらかじ)め、劃然(かくぜん)として具(そな)へられたらむには、精神界の進歩は直に止りて、厭(いと)ふべき凝滞はやがて来(きた)らむ。

人間の信仰は定かならぬこそをかしけれ、教法に完了といふ義ある可(べ)からずと。されば信教の自由を説きて、寛容の精神を述べたるもの、「聖十字架祭」の如きあり。殊(こと)に晩年に蒞(のぞ)みて、教法の形式、制限を脱却すること益(ますます)著るしく、全人類にわたれる博愛同情の精神愈(いよいよ)盛なりしかど、一生の確信は終始毫(ごう)も渝(かは)ること無かりき。

人心の憧(あこ)がれ向ふ高大の理想は神の愛なりといふ中心思想を基として、幾多の傑作あり。「クレオン」には、芸術美に倦(う)みたる希臘(ギリシヤ)詩人の永生に対する熱望の悲音を聞くべく、「ソオル」には事業の永続に不老不死の影ばかりなるを喜ぶ事のはかなき夢なるを説きて、更に個人の不滅を断言す。

「亜剌比亜(アラビア)の医師カアシッシュの不思議なる医術上の経験」といふ尺牘体(せきとくたい)には、基督教の原始に遡(さかのぼ)りて、意外の側面に信仰の光明を窺ひ、「砂漠の臨終」には神の権化を目撃せし聖約翰(ヨハネ)の遺言を耳にし得べし。

然れどもこれ等の信仰は、盲目なる狂熱の独断にあらず、皆冷静の理路を辿(たど)り、若しくは、精練、微を穿(うが)てる懐疑の坩堝(るつぼ)を経たるものにして「監督ブルウグラムの護法論」「フェリシュタアの念想」等これを証す。これを綜(す)ぶるに、ブラウニングの信仰は、精神の難関を凌(しの)ぎ、疑惑を排除して、光明の世界に達したるものにして永年の大信は世を終るまで動かざりき。

「ラ・セイジヤス」の秀什(しゆうじゆう)、この想を述べて余あり、又、千八百六十四年の詩集に収めたる「瞻望(せんぼう)」の歌と、千八百八十九年の詩集「アソランドオ」の絶筆とはこの詩人が宗教観の根本思想を包含す。

     ◇

訳詩「至上善」の初出は、「萬年艸」(明治36・2)。次に示す原詩は「Summum Bonum」という、倫理学説で最高徳目をさす「最高善」を意味するラテン語が標題になっています。

All the breath and the bloom of the year in the bag of one bee:
    All the wonder and wealth of the mine in the heart of one gem:
In the core of one pearl all the shade and the shine of the sea:
    Breath and bloom, shade and shine,—wonder, wealth, and—how far above them—
        Truth, that's brighter than gem,
        Trust, that's purer than pearl,—
Brightest truth, purest trust in the universe—all were for me
        In the kiss of one girl.

この詩は、ブラウニングの最後の詩集である『アソランドオ(Asolando)』(1889年)に収録されています。

この詩は、「climax(漸層法)」という修辞法を用いています。つまり、語句を重ねて用いることによって、徐々に詩や文章の意味を強めていき、読者の印象を絶頂に導き、最大の効果をあげようとする方法です。

ここでは、語句を積み重ねて、その勢いを最高潮に到達させて最後の1行「 In the kiss of one girl.」でぴたりとピリオドを打っています。上田敏の訳詩も、この手法を踏襲しています。

訳者は「阿古屋貝」としていますが、原詩で問題にしているのは、むしろ「one pearl 」すなわちアコヤガイから出る珠である阿古屋珠、真珠のことのようです。

「信義」は、原詩では「trust」(信頼)です。「澄みわたる一の信義」は、「purest trust」すなわち、いちばん純粋な信頼、ということになります。


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2020年04月29日

「春の朝」(『海潮音』31)

『海潮音』のつづき。きょうもブラウニングの1篇の訳です。

  春の朝

     ロバアト・ブラウニング

時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝(えだ)に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

ヒバリの

「春の朝」の初出は、『萬年艸』(明治35・12)。ブラウニングの劇詩「ピパは過ぎ行く」の第1幕(朝)で、少女ピパがうたう歌です。「Pippa's Song」として単独で詩の選集などにも採られています。

Pippa's Song

The year's at the spring
  And day's at the morn;
    Morning's at seven;
      The hill-side's dew-pearled.
The lark's on the wing;
  The snail's on the thorn;
    God's in his Heaven -
      All's right with the world!

「時は春」は、初出では「The year's at the spring」を直訳して「歳は春」となっています。

「ピッパが通る」(ピッパがとおる、英語: Pippa Passes)はイギリスの詩人ロバート・ブラウニング1841年作の詩劇である。日本では、その中にある詩で、上田敏が翻訳詩集『海潮音』(1905年)に載せた「春の朝」(はるのあした)で知られている。

純真無垢な機織り娘のピッパがイタリア・アーゾロを歩いて行く。町は悪人どもであふれているが、1年に一度の休みの正月にピッパが朝、昼、夕、晩に歩いて行くと、彼女に感化されて、彼らが改心して行くというような内容である[1]。

「片岡」は、① 裾の一方が他方より長く、なだらかに傾斜した岡。あるいは、一つだけの孤立した岡。② 岡の一方、片側、の二通りに解釈できます。原詩の「hill-side」が、山腹、丘陵の斜面、という意であることからすると、②のほうと解釈できます。

揚雲雀ヒバリが空に高く舞いあがること。また、そのヒバリ。《季・春》
※俳諧・蓼太句集(1769‐93)春「朝凪やただ一すぢにあげ雲雀」

「なのりいで」は、歌うことで自分の存在を知らせる。『明治大正訳詩集』の頭注によると、ホトトギスの鳴くのを「なのる」と表現することは、文献に現われたところでは万葉集の大伴家持の2首(4084、4091)に始まり、8代集以降で受け継がれました。杜鵑の鳴き声が“ホトトギス”とも聞えるところから、古代人が鳥が自分の名を名乗っていると受け取ったことに発したようです。その由来が忘れられて、後に鶯が「なのる」例も現れました。上田敏による雲雀の「なのりいで」も同様に転用の実例であったとみられています。

「枝に」は、原詩では「on the thorn」とあるので、サンザシや野バラの枝など、棘のある木が想像されます。

「知ろしめす」は、空にあって、天上天下をお治めになっている。そのため神の摂理が地上にまで及んで平和でのどかな情景が見られる、というもの。『明治大正訳詩集』の頭注には次のようにあります。

「片岡に露みちて、/揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、」の3行が、さわやかでのどかな情景を展開するのに五五調のリズムが一役買っている。それは漢字の四言詩のように簡古な調子をもった五五調の特徴によるもので、七五調の調子のよさや五七調の沈鬱ではこの味は出せない。

この8行の短詩中第3行から第7行に至る5行の行頭に、「朝(あした)―片岡―揚雲雀―蝸牛(かたつむり)―神」という具合に、ア・カ・ア・カ・カの明るく強い音がずらっと横に並ぶ。それが明朗な響きで、この訳詩に歌われている朝の景色に一段と明るさを加えている。


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2020年04月28日

「岩陰に」(『海潮音』30)

『海潮音』のつづき。きょうもブラウニングの1篇です。


  岩陰に

        ロバアト・ブラウニング


嗚呼(ああ)、物古(ものふ)りし鳶色(とびいろ)の「地(ち)」の微笑(ほほゑみ)の大(おほ)きやかに、
親しくもあるか、今朝(けさ)の秋、偃曝(ひなたぼこり)に其骨(そのほね)を
延(のば)し横(よこた)へ、膝節(ひざぶし)も、足も、つきいでて、漣(さざなみ)の
悦(よろこ)び勇み、小躍(こをどり)に越ゆるがまゝに浸(ひ)たりつゝ、
さて欹(そばた)つる耳もとの、さゞれの床(とこ)の海雲雀(うみひばり)、
和毛(にこげ)の胸の白妙(しろたへ)に囀(てん)ずる声のあはれなる。


この教こそ神(かん)ながら旧(ふる)き真(まこと)の道と知れ。
翁(おきな)びし「地(ち)」の知りて笑(ゑ)む世の試(こころみ)ぞかやうなる。
愛を捧げて価値(ねうち)あるものゝみをこそ愛しなば、
愛は完(まつ)たき益にして、必らずや、身の利とならむ。
思(おもひ)の痛み、苦みに卑(いや)しきこゝろ清めたる
なれ自らを地に捧げ、酬(むくひ)は高き天(そら)に求めよ。

いそしぎ

訳詩「岩陰に」の初出は、『英文学叢誌』第1輯(明治37・2)で、「秋の教」と題されていました。原作は、『登場人物(Dramatis Personae)』(1864年)の巻頭に置かれた「ジェイムズ・リーの妻」(全9章)の第7章。下記にあげる「Among the Rocks」です。

Oh, good gigantic smile o’ the brown old earth,
This autumn morning! How he sets his bones
To bask i’ the sun, and thrusts out knees and feet
For the ripple to run over in its mirth;
Listening the while, where on the heap of stones
The white breast of the sea-lark twitters sweet.

That is the doctrine, simple, ancient, true;
Such is life’s trial, as old earth smiles and knows.
If you loved only what were worth your love,
Love were clear gain, and wholly well for you:
Make the low nature better by your throes!
Give earth yourself, go up for gain above!

「地」は、大地。第1連は、全体が、からだを横たえて日向ぼっこをする老人を大地に喩えた擬人法になっています。

「今朝の秋」は、俳句で、立秋の日の朝。秋の気配を発見した感慨を述べた 秋の季語です。時を示すために、訳者はこれを借りてきたようですが、ここでは特定の朝を指しているわけではありません。

表題通り水に隣接した岩陰をうたっているわけですから、大地である老人が伸ばした足の上を、水は喜ばしげに「漣(さざなみ」となって越えてゆきます。

「欹つる」は、(耳を)かたむけることですが、その主語は1行目の「地」すなわち大地と考えられます。

「さゞれの床」は、さざれ石(小石)が積み重なって盛り上がったところ。。

「海雲雀」は、 「sea-lark」 の直訳。カモメやイソシギなどの数種が、このように呼ばれているようです。

「この教」とは、さざ波を躍り越えさせ、海雲雀の小さな命のさえずりにも耳を傾けるような大地の鷹揚な態度が教えるものなのでしょう。

「世の試」とは、人生がひとに与える試練。

「思の痛み、苦みに卑しきこゝろ清めたる」は、原詩では「Make the low nature better by your throes!」。

あなたの愛情が報いられないかもしれない低俗な性(さが)を、あなたの無償の愛(throes=思いの痛み・苦しみ)によって善導せよ、というのが真意のようです。

こうした無償の愛は地上での話で、天上ではそれが報いられるものと想定されて「酬は高き天に求めよ」、原詩では「go up for gain above!」で、この詩は結ばれています。


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2020年04月27日

「出現」(『海潮音』29)

きのうに続いて、ブラウニングの1篇の訳です。

  出現      

     ロバアト・ブラウニング

苔(こけ)むしろ、飢ゑたる岸も
  春来れば、
つと走る光、そらいろ、
  菫(すみれ)咲く。

村雲のしがむみそらも、
  こゝかしこ、
やれやれて影はさやけし、
  ひとつ星。

うつし世の命を耻(はぢ)の
  めぐらせど、
こぼれいづる神のゑまひか、
  君がおも。

スミレ

 きのうと同じく「ロバアト・ブラウニング」の詩の訳「出現」の初出は、『萬年艸』(明治36・2)。原詩は詩集『The Two Poets of Croisic(クロアジック二詩人)』(1878年)の「Prologue」で下記の通りです。

I
Such a starved bank of moss
    Till that May-morn,
Blue ran the flash across:
    Violets were born!

II
Sky—what a scowl of cloud
    Till, near and far,
Ray on ray split the shroud:
    Splendid, a star!

III
World—how it walled about
    Life with disgrace
Till God's own smile came out:
    That was thy face!

訳詩のリズムは、俳句と同じ五七五調。それを2行に分けて、1連4行の原詩にあわせています。

「苔むしろ、飢ゑたる岸」は、苔が一面に生えた岸辺。原詩「a starved bank of moss」では、寒い冬を越えて荒んだ感じがしたのを原詩では「starved」と表現したのでしょうが、訳者はズバリ「飢ゑたる」としています。

「春来れば」は、原詩では「May-morn(5月の朝)」。このように訳したのは、北に位置するイギリスと日本の季節のずれを考慮したものと思われます。

「つと走る光、そらいろ/菫咲く」は、原詩では「Blue ran the flash across:/Violets were born!」。空色の光がさっと広がる、それは咲き出した菫たち、といった感じです。

「村雲のしがむみそら」は、群がり集まった雲が険悪の相を見せる空。「しがむ」は「しかむ」。ここでは空の様子を、眉や額にしわを寄せてしかめっつらをする姿に例えています。

「こゝかしこ、/やれやれて」は、あちらこちらに雲の切れ目ができてきて。やがて星(a star)の姿が現れる、ということになります。

「うつし世の命を耻(はぢ)の/めぐらせど、/こぼれいづる神のゑまひか、/君がおも」は、原詩を直訳すれば「どんなに世間は(そこに住む私の)人生のまわりを恥辱で取り囲んだことか。しかし、やがて神自身の微笑があらわれた。他でもない、それがあなたの顔だった」ということになります。


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2020年04月26日

「瞻望」(『海潮音』28)

きょうは、英ビクトリア朝を代表する詩人の1篇です。

  瞻望(せんぼう)

      ロバアト・ブラウニング

怕(おそ)るゝか死を。――喉(のど)塞(ふた)ぎ、
 おもわに狭霧(さぎり)、
深雪(みゆき)降り、木枯荒れて、著(し)るくなりぬ、
 すゑの近さも。
夜(よる)の稜威(みいづ)暴風(あらし)の襲来(おそひ)、恐ろしき
 敵の屯(たむろ)に、
現身(うつそみ)の「大畏怖(だいいふ)」立てり。しかすがに
 猛(たけ)き人は行かざらめやも。
それ、旅は果て、峯は尽きて、
 障礙(しようげ)は破(や)れぬ、
唯、すゑの誉(ほまれ)の酬(むくい)えむとせば、
 なほひと戦(いくさ)。
戦(たたかひ)は日ごろの好(このみ)、いざさらば、
 終(をはり)の晴(はれ)の勝負せむ。
なまじひに眼(まなこ)ふたぎて、赦(ゆ)るされて、
 這(は)ひ行くは憂(う)し、
否残(のこり)なく味(あぢは)ひて、かれも人なる
 いにしへの猛者(もさ)たちのやう、
矢表(やおもて)に立ち楽世(うましよ)の寒冷(さむさ)、苦痛(くるしみ)、暗黒(くらやみ)の
 貢(みつぎ)のあまり捧げてむ。
そも勇者には、忽然(こつねん)と禍(わざはひ)福(ふく)に転ずべく
 闇(やみ)は終らむ。
四大(したい)のあらび、忌々(ゆゆ)しかる羅刹(らせつ)の怒号(どごう)、
 ほそりゆき、雑(まじ)りけち
変化(へんげ)して苦も楽(らく)とならむとやすらむ。
 そのとき光明(こうみよう)、その時御胸(みむね)
あはれ、心の心とや、抱(いだ)きしめてむ。
 そのほかは神のまにまに。

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原題は「Prospice」。ラテン語で、前方を見よ、という意味です。「瞻」は、見るの意で、瞻望のは、はるかに仰ぎ見る、遠く見渡すこと。鴎外訳・即興詩人には「偕に戸外に出でて瞻望したり」とあります。

「ロバアト・ブラウニング」(Robert Browning、1812 - 1889)は、テニソンとともにビクトリア朝のイギリスを代表する詩人。「神、そらに知ろしめす。/すべて世は事も無し」(上田敏訳『ピッパが通る』)という言葉に見られるように、人間性に対する信頼と楽天主義を表現しました。

正規の教育は当時新設のロンドン大学に短期間在学した程度ですが、少年時代から文学・美術・音楽に関する深い教養を身につけ、1838年と1844年のイタリア旅行は、イタリアに対する終生変わらぬ愛情の源となりました。

1833年に処女作『ポーリーン』を出版。歴史上の人物を主題とした『パラケルスス』(1835)、『ソルデロ』(1840)を発表する一方、当時劇壇で勢力のあったW・C・マクリーディの勧めで『ストラフォード』(1837)から『ルリア』(1846)までの劇を書きました。

1841年から46年にかけて『鈴とザクロ』という表題で8冊の小冊子を出版。これが契機となってエリザベス・バレット(詩人)と知り合い、彼女の父親の反対を押し切って46年9月ひそかに結婚、その直後にイタリアへ駆落ちし、フィレンツェに住んみました。このあと『 男と女(Men and Women)』(1855)、『登場人物(Dramatis Personae)』(1864)、『指輪と本(The Ring and the Book)』(1868~69)などの代表作を次々に発表しました。

「Prospice」は、夫人を亡くした1861年に、悲しみをおさえて作った詩。3年後に出た『登場人物』に収められました。1889年秋、イタリア旅行に出かけ、その途中、ベネチアで客死しています。

「すゑの近さ」は、死の接近。ここは倒置法で、前行の「著るくなりぬ」の主語になっています。

「夜の稜威」は、夜の畏(おそ)るべき威力。「稜威」は、 尊厳な威光、天子・天皇の威光。みいつ。峻厳な威力のことをいう「いつ」に「み」を添えた敬称です。

「現身の「大畏怖」」は、「死」を具象化、人格化した言葉です。

「行かざらめやも」は、反語で、行かないだろうか、断固として行く、が本意でしょう。

「旅は果て」は、人生の旅が終わり。

「峯は尽きて」のところは「the summit attained」。人生の峰を登れるところまで登った、と解するほうが原詩には忠実です。

「障礙(しようげ)」は、障害、妨げ。仏教では、悟りの障害となるものをいいます。ここでは、生死の境をなす険しい壁、といった感じでしょうか。

「すゑの誉の酬」は、人生の最後に与えられる名誉ある報償。

「ふたぎて」のふたぐ(塞ぐ)は、ふさぐの古語。覆う、ふたをする、遮る。

「残なく味ひて」は、死の瀬戸際の苦しみを存分に味わって。

「かれも人なる/いにしへの猛者たち」。江戸中期の大名・安藤信友が「樽拾ひ」(酒屋の丁稚)を不憫に思ってよんだ句に「雪の日やあれも人の子樽拾ひ」があります。

「楽世の」のところは、原詩では「pay glad life's arrears」。gladは、payにかかる副詞とみられますが、上田敏は「glad life」と読んで、あっさり楽世としたようです。

「貢のあまり捧げてむ」は、「寒冷、苦痛、暗黒」といった、人生のおさめ残した年貢をおさめよう、というのでしょう。

「忽然」は、たちまちにおこるさま、にわかなさま、急なさま。

「四大のあらび」は、荒れ狂う風雨。5行目の「暴風の襲来」に対応します。四大は、仏教用語で、万物の構成要素とされる、地・水・火・風の四つの元素のこと。暴風雨ですから、ここでは水と風が関係してきます。

「羅刹」は梵語からの音訳で、人をたぶらかし、血肉を食うという悪鬼。男は醜悪で、女はきわめて美麗。後に仏教の守護神となりました。

「雑りけち」は、雑りあいながら消えてゆき。「けつ」は、消すの意味の古語で他動詞ですが、ここでは自動詞のように用いられています。

「御胸」は、生死の境の向う側にある亡き夫人の胸。原詩では「thy breast」と明示されています。詩人が死苦に打ち勝って神の国に達したとき、光明輝く中、その胸に象徴される夫人が現れます。

「あはれ、心の心とや」は、原詩では「O thou soul of my soul!」(ああ、私の魂のそのまた魂であるそなた)となっていて、要を得た訳になっているとは思われません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・欄外篇(竜泉から)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

水ぬるむ木綿豆腐にけづり節

童顔で逝きたる友や春の夢

麗らかやバケツに絵筆渦の色

(り)


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)上田敏 

2020年04月25日

「花のをとめ」(『海潮音』27)

『海潮音』のつづき。きょうは、ハイネの一篇の訳です。

  花のをとめ   

      ハインリッヒ・ハイネ

妙(たへ)に清らの、あゝ、わが児(こ)よ、
つくづくみれば、そゞろ、あはれ、
かしらや撫でゝ、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは妙にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。

ルテイン

この訳詩の後には、訳者による次のような注記が付いています。

ルビンスタインのめでたき楽譜に合せて、ハイネの名歌を訳したり。原の意を汲くみて余さじと、つとめ、はた又、句読停音すべて楽譜の示すところに従ひぬ。

「花のをとめ」の初出は、『音楽』第8巻3号(明治38・7)。原詩は、ハイネ(Heinrich Heine、1797-1856)の『Buch der Lieder(歌の本)』中の連作「Die Heimkehr(帰郷)」の第49歌(初行のDu bist wie eine Blumeを表題にしています)で、次の通り。

Du bist wie eine Blume,
So hold und schön und rein;
Ich schau dich an,und Wehmut
Schleicht mir ins Herz hinein.

Mir ist,als ob ich die Hände
Aufs Haupt dir legen sollt,
Betend,daß Gott dich erhalte
So rein und schön und hold.

大意は――

きみは一輪の花のように
やさしく、美しく、清らかかだ。
きみをじっと眺めると切なさが
私の心にそっと忍び込んでくる。

私はこのもろ手を
きみの頭に添えて祈りたい
神がきみをこのように清らかに美しく
やさしくお守りくださるようにと

です。あらためて説明するまでもなく、ハイネ(Heinrich Heine、1797 - 1856)は、ドイツの詩人、評論家。貧しいユダヤ人商人の子として生れ、ハンブルクの叔父のもとで銀行業務の見習いをした後、ボン、ゲッティンゲン、ベルリンの各大学で法律、文学、哲学を学びながら本格的な文学活動に入りました。

2人の従妹に対する悲恋などを歌った詩集『Buch der Lieder(歌の本)』  (1827)、風刺的な紀行文集『Reisebilder(旅の絵)』(1826 - 1831)などを発表し、世界的に文名を高めます。 しかし、1830年春に喀血。七月革命の知らせを聞いて、翌年パリに亡命し、新聞・雑誌へ寄稿してドイツとフランス相互の文化交流に努めました。

ドイツを批判した評論『Die Romantische Schule(ロマン派)』  (1834)、『Zur Geschichte der Religion und Philosophie in Deutschland (ドイツの宗教と哲学の歴史)』(1834)によって1835年、ハイネと仲間の「若きドイツ」派はドイツ連邦議会によって著作発表を禁止されましたが、以後も『 Atta Troll (アッタ・トロル)』(1843) 、『 Deutschland,ein Wintermärchen(ドイツ・冬物語)』 (1844) など、反動ドイツを批判風刺する詩作品を発表し、精力的な活動を続けました。

日本では抒情的な恋愛詩人としての側面のほうがクローズアップされ、この訳詩もそうしたハイネの理解を形成する要因となりました。しかしハイネの本領は、政治的論客、ジャーナリストとしての時代批判の鋭さにありました。ハイネは脊椎をおかされ、48年ころから病床に伏す身となりましたが、物語詩集『Romanzero(ロマンツェーロ)』  (1851) などを書き続けました。

「ルビンスタイン」(Anton Rubinshtein、1829 - 1894)=写真=は、ロシアのピアニスト、作曲家。1839年にモスクワでデビューし、その後パリ、ロンドンをはじめ、オランダ、ドイツ、スウェーデンを演奏してまわりました。1844年以降、ベルリンとウィーンで音楽理論・作曲を学び、1848年に帰国。その後ペテルブルグを拠点にして、1859年にロシア音楽協会を創設、1862年にはペテルブルグ音楽院を創設して院長に就任しました。その間ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。ムソルグスキーらの国民楽派とは対立する国際派の巨匠としてロシアの楽界を高めました。

訳者が「ルビンスタインのめでたき楽譜に合せて、ハイネの名歌を訳したり」と述べているように、この楽譜が翻訳の原本であったと考えられます。つまり、ルビンスタインの作品第32番「ハイネの詩による六つの歌曲」のうちの第5曲です。

原詩が2節8行であるのに訳詩が6行の構成になっているのは、楽譜において第2節の後半2行が二度繰返されているからとみられます。

訳詩の最初の行「わが児よ」と最終行「わがめぐしご」からは、この詩が自分の愛娘を詠じたように読めます。しかし、原詩からすれば明らかに、若い恋人への歌と受け取ることができます。


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2020年04月24日

「水無月」(『海潮音』26)

『海潮音』のつづき。きょうは、『みずうみ』などで知られるシュトルムの短詩です。

  水無月(みなづき)

     テオドル・ストルム

子守歌風に浮びて、
暖かに日は照りわたり、
田の麦は足穂(たりほ)うなだれ、
茨(いばら)には紅き果(み)熟し、
野面(のもせ)には木の葉みちたり。
いかにおもふ、わかきをみなよ。

麦穂

「水無月」の初出は「萬年艸」第5号(明治36・4)。

水無月(みなづき)は、陰暦6月の異称です。原題は「Juli」つまり七月であり、訳詩と異なります。7月の和名は「文月」ですが、これは詩語としての通用度が低いので、この題が選ばれたのでしょうか。

とはいえ、今日の陽暦では水無月は7月に相当しますから、実質的には水無月でいいのかもしれません。暑熱が激しく、水泉が滴り尽きるのでそういう水無月というのだとされます。常夏月、風待月、鳴神月、水待月など、猛暑の季節にふさわしい、生活に根づいた異称も多く、古くから詩歌にも数多くうたわれてきました。

「テオドル・ストルム」すなわちシュトルム(Theodor Storm、1817 - 1888)は、ドイツの詩人、小説家です。弁護士の息子に生れて法律を修め、1843年に生地で弁護士を開業しました。デンマーク支配下の故郷を 10年余り離れましたが64年ドイツに帰属した郷里フーズムに戻り、知事をつとめました。

北ドイツの風土に強く結びついたすぐれた短編小説で知られます。初めロマン派に親しみ、シュティフター、アイヘンドルフ、ハイネに私淑しました。哀愁に満ちた抒情詩から出発し、この基調は『インメン湖』(Immensee、1850)、『遅咲きのばら』 (Späte Rosen、1860)などの初期の短編にもみられます。不可避な運命との抗争を力強く、写実的に描くようになり、詩的リアリズムの作家に数えられています。

原詩は次の通りです――。

   Juli.

      Theodor Storm

Klingt im Wind ein Wiegenlied,
Sonne warm herniedersieht,
Seine Aehren senkt das Korn,
Rothe Beere schwillt am Dorn,
Schwer von Segen ist die Flur –
Junge Frau, was sinnst du nur?

「茨には紅き果熟し」の「茨」は、多くは野薔薇をさすと解されますが、原詩の「Rothe Beere schwillt am Dorn」からすれば、「紅い果」をつけるとげのある灌木、すなわちキイチゴの類と考えることができます。

「野面には木の葉みちたり」のところ、原詩は「Schwer von Segen ist die Flur」で、田畑は(自然の)恵みに満ちて重い、という意味になります。誤訳の感があります。

「をみな」は、若く美しい女性、女。万葉集(巻20・4317)に「秋野には今こそ行かめもののふの男(をとこ)をみなの花にほひ見に」( 秋の野に今こそ行こう。宮仕えの男性や女性が花に美しく映えるのを見に)


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2020年04月23日

「わかれ」(『海潮音』25)

きょうも各4行2連からなる詩です。

   わかれ

        ヘリベルタ・フォン・ポシンゲル

ふたりを「時」がさきしより、
昼は事なくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲まず、
はたたれをかも怨むべき。

されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。

ベッドの

「わかれ」の初出は、『萬年艸』第5号(明治36・4)。

原詩を作った「ヘリベルタ・フォン・ポシンゲル」(Heriberta von Poschinger、1844-1905)は、ドイツの女性の詩人、芸術家であること以外はほとんど知られていません。

 島田謹二氏の調べによると、「時」について現存の2種の草稿と初出を検すると、第1稿では「時はふたりをさきしより」、第2稿と初出では「ふたりを「時」のさきしより」となっています。「「時」が」として、その主語としての役割に特に力点を置いたのは、『海潮音』に収録された際のことでした。

「はたたれをかも怨むべき」は、第1稿では「または怨ずる事もなく」でした。「Und auch ohne Klage.」からすると、内容的には第1稿のほうが原詩に忠実ですが、口調は『海潮音』のほうがまさっています。

「怨む」ことをしない、という表現には、逆に、ある人に対する怨情を巧みに暗示されているようでもあります。「たれをかも」に変更したのには、「たれをかも知る人にせむ高砂の松もむかしの友ならなくに」(古今集・巻17)が響いている、という見方もあります。

「みゆるとき」も、みえそめば、みえそむれば、という2段階の案の後に、この定稿を得ています。

「ちご」は、「乳子」の意で、ちのみご、赤子、乳児。「ちごのやう」も、草稿では「ちごのやうに」から「ちごのこと」に変えられ、3度目にこのかたちに落ち着いています。

「うめきいづ」も、「うめきいでぬ」「うめきたり」という2案を経ています。


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2020年04月22日

「秋」(『海潮音』24)

「春」につづいて、きょうは「秋」の1篇です。

  秋       

     オイゲン・クロアサン

けふつくづくと眺むれば、
悲(かなしみ)の色口(いろくち)にあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲める。

秋風わたる青木立(あをこだち)
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。

青木立

「オイゲン・クロアサン」(Eugen Croissant、1898 - 1976)は、ドイツ南西部のプファルツ生まれの作家。ミュンヘンの大学で学んだ後、30歳ごろからプファルツのツヴァイブリュッケンに住んで地方の記者として働くかたわら詩作に励みました。詩集3冊、小説「Heimliche Liebe(悲恋)」(1900)などがあります。夫人のアンナ・クロアサン・ルストも作家で、「いつの日か君帰ります」と題する一篇が鷗外によって翻訳されています。

原詩は次の通りです。

  Herbst 

Ich sah dich heute lange an.
Um deine Lippen lag's wie Schmerz,
Man hat dir nichts zu Leid gethan,
Und doch bekümmert schien dein Herz.

Der Herbstwind rüttelt Baum um Baum,
Daß tausend Blätter niederwallen―
Ich glaub' in deinen Jugendtraum
Ist auch ein herbstlich Blatt gefallen!

「眺むれば」が誰をながめているのかは、はっきりしません。原詩では「汝を(dich)」となっていて、次行の「口にあり」も「汝の口(deine Lippen)」、さらに「つらくはあたらぬ」も「汝に対して(doch)」、「なぜに心の」も「汝の心(dein Herz)」ということになります。

訳詩では、第2連に「きみが心の」と一度出てくるだけなので、第1連では、詩人が対しているのは、特定の個人なのかどうかはわかりません。これも訳者のねらいだったのでしょうか。

第2連の「青木立」は、冒頭の「けふつくづくと」からしても、この詩が秋のはじめ、木の葉が散りかかったころの情感をうたったことがわかります。そこで緑の葉を示す「青」が使われているわけですが、原詩では「木から木へ秋風がざわめき渡る(Der Herbstwind rüttelt Baum um Baum)」と言っているだけです。

「きみが心のわかき夢」は、原詩では「汝の若い夢の中でも、一枚の秋の木の葉が散った(in deinen Jugendtraum/Ist auch ein herbstlich Blatt gefallen!)」の意になっているので、夢そのものが秋の葉と化して散った、というこの訳詩は、悲傷感を原詩よりもやや強めているようにも思われます。


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2020年04月21日

「春」(『海潮音』23)

『海潮音』のつづき。きょうは春の詩です。

  春       

      パウル・バルシュ

森は今、花さきみだれ
艶(えん)なりや、五月(さつき)たちける。
神よ、擁護(おうご)をたれたまへ、
あまりに幸(さち)のおほければ。

やがてぞ花は散りしぼみ、
艶(えん)なる時も過ぎにける。
神よ擁護(おうご)をたれたまへ、
あまりにつらき災(とが)な来(こ)そ。

Paul Barsch

「パウル・バルシュ」(Paul Barsch、1860 - 1931)=写真=は、シュレジア生まれの作家。家具職人の徒弟として青年時代を国内各地の遍歴に送り、この経験を生かして徒弟生活を題材にした小説や詩集を発表しました。詩集3巻、小説『Von einem,der auszog(出て行った男)』(1905年)などの著作があります。

原詩は次の通りです。

  Mai

Nun steht der Wald in Blüten,
Hold kam der Mai zurück,
Da mag Dich Gott behüten
Vor allzureichem Glück.

Doch welken dann die Blüten,
Vergeht die holde Zeit―
Dann mag Dich Gott behüten
Vor allzutiefem Leid.

「春」が、どういう機会に発表されたかは明らかではありません。原題は「Mai(五月)」で、訳詩の「春」とはニュアンスが少し異なります。

「艶なり」は、第2連の「艶なる時」と同じく言語は「hold」、やさしい、かわいらしい、という意味です。これを「艶なる」と訳したことで、線的・直截的な感の原詩に比べてふくらみと幅のある味わいを醸し出しているように思われます。

「擁護」は本来、仏教用語で、仏、菩薩などが人の祈願に応じて守り助けることをいいます。「大法秘法の効験もなく、神明三宝の威光もきえ、諸天も擁護(をうご)したまはず」(高野本平家物語)


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2020年04月20日

「山のあなた」(『海潮音』22)

『海潮音』のつづき。これも、よく知られた一篇です。

  山のあなた 

      カアル・ブッセ

山のあなたの空遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。

Carl_Busse

初出は『萬年艸』第5号(明治36・4)。原詩は、下記の通りです。

  Über den Bergen

        Karl Busse

Über den Bergen, weit zu wandern, 
Sagen die Leute, wohnt das Glück.
Ach, und ich ging im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zurück.
Über den Bergen, weit, weit drüben, 
Sagen die Leute, wohnt das Glück.

「カアル・ブッセ」(Carl Busse、1872 - 1918)=写真=は、ドイツの詩人、小説家。ビルンバオム(後のポーランド領ミェンジフト)生まれ。ブレスラウの大学で文学を学んで学位を得、ベルリンの評論界で活躍しました。シュトルムなどに影響を受けた新ロマン派の一人で、1892年「詩集」や小説「青春の嵐」(1896)などで新鮮な才能を示し、故郷の風土や生活を題材とした散文作品も書きました。ジャーナリスト、文学史家でもありましたが、いまでは忘れられた存在になっています。

「あなた」は、遠くのほう、場所をさします。あちらのほう。むこう。かなた。「 あなたの岸に車引立てて」(更級日記)

「空遠く」は、原詩では「越えて遠くゆけば」(weit zu wandern )の意で、「空」という語は用いられていません。しかし、「空遠く」という日本語は、山を越えていった遠いところに、という原詩の印象を伝えるのに効果を発揮しています。

「尋めゆきて」は、原詩では「人の群れといっしょに私は出かけて行った」(ich ging im Schwarme der andern)とあるだけです。

「尋(と)む」は、さがしもとめる、たずねる。新古今集(春上)に「とめ来(こ)かし梅盛りなるわが宿を」( たずねて来てほしい、梅の花が盛りの私の家を)。

「さしぐむ」(差し含む)は、(涙が)わいてくること。源氏物語(帚木)に、「うちも笑(ゑ)まれ、涙もさしぐみ」( 自然に(よい事に)ほほえみ、(悪い事に)涙もわいてきて)


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2020年04月19日

「わすれなぐさ」(『海潮音』21)

『海潮音』のつづき。きょうは、平仮名だけの4行詩です。

  わすれなぐさ  

     ウィルヘルム・アレント

ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。

ワスレナグサ

「わすれなぐさ」の初出は『明星』(明治38・8)。原詩は次の通りです。

  Vergißmeinnicht

Ein Blümchen steht am Strom
Blau wie des Himmels Dom ;
Und jede Welle küßt es,
Und jede auch vergißt es.

ひと目でわかるように、訳詩は『海潮音』で唯一、すべて平仮名で書かれています。今様体をとった、と推測されています。

島田謹二氏の研究(『海潮音の「わすれなぐさ」その他』)によると、「わすれなぐさ」には、鷗外が編んだ『於母影』の「花薔薇」(わがうへにしもあらなくに/などかくおつるなみだぞも/ふみくだかれしはなさうび/よはなれのみのうきよかな)の影響が見られるといいます。

島田氏は「わすれなぐさ」について、「殆ど逐語の直訳で、しかもぴったり原詩のいはんとするところを写し出している」としています。

ウィルヘルム・アレント(Wilhelm Arent、1864年 - 没年不明)に関する研究書・伝記等はほとんどなく、その生涯についてはあまり知られていません。

1864年7月3日、ヴィトゲンシュタイン侯国の森林監督官カール・アーレント(Karl Arent)の子としてベルリンで生まれました。シュールプフォルタのギムナジウムで学んだ後、ダルムシュタットで俳優の勉強をしています。

1882年、18歳の若さで最初の詩集『懊悩詩集(Lieder des Leids)』を出したのを皮切りに、30冊近い詩集を出版したといわれますが、それらは今日ほとんど伝わっていません。ただ、当時のドイツ文壇に衝撃を与えた、ベルリンに本拠を置く自然主義の詩人サークルの詞華集『現代詩人気質(Moderne Dichter-Charaktere)』(1884年)の編者の一人として名前が残っています。

そしてアーレントは、神経衰弱が昂じ、1897年に『新たなる軌道(Auf neuen Bahnen)』を残して世間から姿を消し、没年も分からないままとなってしまいました。

「ひともと」は、原詩では花の「一輪」の意。「ひともと」というやまと言葉には、「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る( 紫草のその一本のために武蔵野の草がすべていとおしく見える)」(古今集・巻17)が響いている、という指摘もあります。

「みづあさぎ」の「あさぎ」は、「浅葱」または「浅黄」とも書きますが、漢字が与える印象としては違って、緑色ではなく薄い藍色、水色です。「みづあさぎ」とつづければ言葉どおりには、さらに淡い感じとなりますが、この「みづ」は「ながれ」「なみ」の縁語として選ばれたのだろうと考えられています。

原詩ではただ「空のように青い色」と言っていて、淡い色というニュアンスはありません。訳者のくふうで、みやびやかな印象がひきき立てられているわけです。

ワスレナグサは、ムラサキ科の多年草。茎は高さ15~60センチ。葉は長楕円形で、粗い毛があります。5~6月、枝先に尾状に巻いた花序を伸ばし、淡青色で中央が黄色の五弁花を開きます。ヨーロッパ原産で、水辺や溝に群生します。


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2020年04月18日

「礼拝(後半)」(『海潮音』20)

きのうのつづき、「礼拝」の後半を読みます。

  礼拝(後半)      

       フランソア・コペエ

燈明(とうみよう)くらがりに金色(こんじき)の星ときらめき、
香炉かぐはしく、静寂(せいじやく)の香(か)を放ちぬ。
殿上、奥深く、神壇に対(むか)ひ、
歌楼(かろう)のうち、やさけびの音(おと)しらぬ顔、
蕭(しめ)やかに勤行(ごんぎよう)営む白髪長身の僧。
噫(ああ)けふもなほ俤(おもかげ)にして浮びこそすれ。
モオル廻廊の古院、
黒衣僧兵のかばね、
天日、石だたみを照らして、
紅流に烟(けぶり)たち、
朧々(ろうろう)たる低き戸の框(かまち)に、
立つや老僧。
神壇龕(づし)のやうに輝き、
唖然(あぜん)としてすくみしわれらのうつけ姿。
げにや当年の己は
空恐ろしくも信心無く、
或日精舎(しようじや)の奪掠(だつりやく)に
負けじ心の意気張づよく
神壇近き御燈(みあかし)に
煙草つけたる乱行者(らんぎようもの)、
上反鬚(うはぞりひげ)に気負(きおひ)みせ、
一歩も譲らぬ気象のわれも、
たゞ此僧の髪白く白く
神寂(かみさ)びたるに畏(かしこ)みぬ。

「打て」と士官は号令す。

誰有(あつ)て動く者無し。
僧は確に聞きたらむも、
さあらぬ素振(そぶり)神々(かうがう)しく、
聖水大盤(たいばん)を捧げてふりむく。
ミサ礼拝(らいはい)半(なか)ばに達し、
司僧(しそう)むき直る祝福の時、
腕(かひな)は伸べて鶴翼(かくよく)のやう、
衆皆(しゆうみな)一歩たじろきぬ。
僧はすこしもふるへずに
信徒の前に立てるやう、
妙音澱(よどみ)なく、和讃(わさん)を咏じて、
「帰命頂礼(きみようちようらい)」の歌、常に異らず、
声もほがらに、
      「全能の神、爾等(なんぢら)を憐み給ふ。」

またもや、一声あらゝかに
「うて」と士官の号令に
進みいでたる一卒は
隊中有名(なうて)の卑怯者、
銃執(じゆうと)りなほして発砲す。
老僧、色は蒼(あを)みしが、
沈勇の眼(まなこ)明らかに、
祈りつゞけぬ、
      「父と子と」

続いて更に一発は、
狂気のさたか、血迷(ちまよひ)か、
とかくに業(ごう)は了(をは)りたり。
僧は隻腕(かたうで)、壇にもたれ、
明(あ)いたる手にて祝福し、
黄金盤(おうごんばん)も重たげに、
虚空(こくう)に恩赦(おんしや)の印(しるし)を切りて、
音声(おんじよう)こそは微(かすか)なれ、
闃(げき)たる堂上とほりよく、
瞑目(めいもく)のうち述ぶるやう、
      「聖霊と。」

かくて仆(たふ)れぬ、礼拝(らいはい)の事了りて。

盤(ばん)は三度び、床上(しようじよう)に跳りぬ。
事に慣れたる老兵も、
胸に鬼胎(おそれ)をかき抱き
足に兵器を投げ棄てて
われとも知らず膝つきぬ、
醜行のまのあたり、
殉教僧のまのあたり。

聊爾(りようじ)なりや「アアメン」と
うしろに笑ふ、わが隊の鼓手。

聖体の

「燈明くらがりに金色の星ときらめき」は、初出では「灯明は金色の星に紛(まが)ひて、もの影にきらめき」

「静寂の香(か)」は、初出では「不断の香(かをり)」

「神壇に対(むか)ひ」は、初出では「祭壇にむかひ」

「歌楼のうち、やさけびの音しらぬ顔」のところは、初出では「歌楼のうち、戦の響きかぬが如く、白髪長身の僧、しめやかに勤行いとなむ」。「歌楼」は、choeurの訳語で、聖歌隊の席、内陣のこと。

「噫けふもなほ俤にして浮びこそすれ」のところは、初出では原文が直訳されて「噫、今も、この憂(う)れたきおぼえ、俤にして見ゆ。君に語らふたゞの今も、まのあたり浮べる如しや」

「モオル廻廊の古院」は、モオル風の正面をもった古い修道院、の意。モオル(モール)人は、8世紀初め以降イベリア半島に侵入した北アフリカのイスラム教徒に対するヨーロッパ人による呼称です。北アフリカ地方の原住民を意味するMauri(ラテン語)、Moros(スペイン語)に由来しています。実際にはベルベル人をさす場合が多く、のちにはイスラム教徒一般の意味でも使われました。

「黒衣僧兵のかばね」は、原詩では、修道士たちの浅黒い死骸の山、の意です。

「框(かまち)に」は、額縁に、の意。

「立つや老僧」は、この司祭と聖遺物匣(ばこ)のように輝くこの祭壇、という意味です。

「すくみし」は、初出では原文が直訳されて「地にくぎうたれ」。

「当年の己は」は、初出では「其頃のおのれは」

「負けじ心の意気張づよく」からのところは、初出では「年少の客気衍(てら)はむと、祭壇のみあかしに煙草すひつけし乱行ものゝ髯(ひげ)の形に凶暴の性をみせて」

「乱行者」は、原詩では、腰にカバンをさげた空威張りの軍人、の意味です。

「士官」は、初出では直訳されて「一士官」となっています。

「さあらぬ素振」は、そしらぬそぶり。

「聖水大盤」は、saint sacrement(聖体顕示台)=写真。すなわち、カトリック教会で行われる聖体賛美式の際に用いる聖体を顕示するための容器のことです。

「ミサ」は、カトリックで聖体と聖血を神に奉献する儀式です。

「司僧むき直る祝福の時」は、初出は「司僧むき直りて信徒と祝福する時となりぬ」となっています。

「腕は伸べて鶴翼のやう」は、初出では「腕を伸べて、翼はりたらむ如し」。

「僧はすこしもふるへずに」の前に原詩では「聖体顕示台をもって空中に十字を描いたときに」という意味の詩句がありますが、省略して訳されています。

「立てるやう」は、初出では「立てるかのさまなり」。

「和讃を咏じて」は、原詩では、詩篇を頌(しょう)して、の意。これを日本的に訳してます。

「「帰命頂礼」の歌、常に異らず」は、初出では「「帰命頂礼」の歌、法教師の常と異ならず」。「帰命頂礼」はラテン語の“Oremus”(祈祷、ともに祈らんの意)を、前に出てきた「和讃」にちなんで訳したもの。

「全能の神、爾等を憐み給ふ」は、ラテン語の“Benedicat vous omnipotens Deus”の訳です。

「またもや、一声あらゝかに」のところは、初出では、「一声」荒らかに、「うて、用捨てぬぞ」時しもあれ一卒」となっています。

「隊中有名の卑怯者」のところは、初出では、これは一隊の卑怯者、銃をかまへて、発砲す。

「老僧、色は蒼みしが」は、初出では「老僧の色、少し蒼みぬ。しかも、鬱然たる沈勇の眼明らか、たじろぎもなく繰返しぬ」

「父と子と」はラテン語の“Pater et Filius,”の訳語。

「続いて更に一発は」からは、初出では「こゝに一隊は放ちぬ、怒か、そも血迷か、われ覚なし」

「とかくに業は了りたり」は、初出では「かくて悪業終りぬ」

「僧は隻腕(かたうで)、壇にもたれ」は、初出では「僧は隻腕(せきわん)を祭壇の上にもたせ」

「黄金盤も重たげに」の「黄金盤」は、金の聖体顕示台のこと。

「恩赦の印を切りて」は、十字を描いたことをいいます。原詩ではこの前に「三度目に」の意味の句がありますが、省略されています。

「音声こそは微なれ」は、初出では「音声微かなれど」

「闃(げき)たる堂上」の初出は「あたりの闃たるに」

「聖霊と。」は、ラテン語の“Et Spirtus sanctus”の訳。

瞑目(めいもく)のうち述ぶるやう、
      
「床上に」は、石の上に、の意。

「事に慣れたる老兵も」は初出では「胸には恐、足のもとに銃、慣れたる老兵、人もわれも、跪(ひざまづ)きぬ」

「殉教僧のまのあたり」は、初出では「殉教の僧のまのあたり、鬱々として、安からず」

「聊爾(りようじ)なりや」は、失礼千万の意ですが、訳者が補った言葉で原詩にはありません。

キリスト教で祈りの最後にとなえる「アアメン」(Amen)は、「しかあらせたまえ」という意味です。


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2020年04月17日

「礼拝(前半)」(『海潮音』19)

きょうから半島戦争を扱った「礼拝」を、前・後半、2回に分けて読みます。  
    
  礼拝

       フランソア・コペエ

さても千八百九年、サラゴサの戦、
われ時に軍曹なりき。此日惨憺(さんたん)を極む。
街既に落ちて、家を囲むに、
閉ぢたる戸毎に不順の色見え、
鉄火、窓より降りしきれば、
「憎(に)つくき僧徒の振舞」と
かたみに低く罵(ののし)りつ。
明方(あけがた)よりの合戦に
眼は硝煙に血走りて、
舌には苦(に)がき紙筒(はやごう)を
噛み切る口の黒くとも、
奮闘の気はいや益(ま)しに、
勢猛(いきほひもう)に追ひ迫り、
黒衣長袍(こくいちようほう)ふち広き帽を狙撃(そげき)す。
狭き小路(こうじ)の行進に
とざま、かうざま顧みがち、
われ軍曹の任(にん)にしあれば、
精兵従へ推しゆく折りしも、
忽然(こつねん)として中天(なかぞら)赤く、
鉱炉(こうろ)の紅舌(こうぜつ)さながらに、
虐殺せらるゝ婦女の声、
遙かには轟々(ごうごう)の音(おと)とよもして、
歩毎に伏屍(ふくし)累々(るいるい)たり。
屈(こごん)でくゞる軒下を
出でくる時は銃剣の
鮮血淋漓(りんり)たる兵が、
血紅(ちべに)に染みし指をもて、
壁に十字を書置くは、
敵潜(ひそ)めるを示すなり。
鼓うたせず、足重く、
将校たちは色曇り、
さすが、手練(てだれ)の旧兵(ふるつはもの)も、
落居ぬけはひに、寄添ひて、
新兵もどきの胸さわぎ。

忽ち、とある曲角(きよくかく)に、
援兵と呼ぶ仏語の一声、
それ、戦友の危急ぞと、
駆けつけ見れば、きたなしや、
日常(ひごろ)は猛(た)けき勇士等も、
精舎(しようじや)の段の前面に
たゞ僧兵の二十人、
円頂(えんちよう)の黒鬼(こくき)に、くひとめらる。
真白の十字胸につけ、
靴無き足の凜々(りり)しさよ、
血染の腕(かひな)巻きあげて、
大十字架にて、うちかゝる。
惨絶、壮絶。それと一斉射撃にて、
やがては掃蕩(そうとう)したりしが、
冷然として、残忍に、軍は倦(う)みたり。
皆心中に疾(やま)しくて、
とかくに殺戮(さつりく)したれども、
醜行已(すで)に為し了(を)はり、
密雲漸く散ずれば、
積みかさなれる屍(かばね)より
階(きざはし)かけて、紅(べに)流れ、
そのうしろ楼門聳(そび)ゆ、巍然(ぎぜん)として鬱たり。

ゴヤ

「礼拝」の初出は『中学生活』(明治35・1)で、本文には多くの異同があります。『海潮音』の中で最も古い作品です。

「フランソア・コペエ(François Coppée)」(1842 - 1908)は、フランスの詩人、劇作家。貧しい家に生まれ、陸軍省、上院図書館、フランス座に勤めるかたわら、早くから高踏派の詩人たちと交わり、1866年に処女詩集『Le Reliquaire(聖遺物匣 (こう)) 』 を出版。ロマン主義の伝統に忠実な詩劇『 Le Passant(行人)』 (1869) がサラ・ベルナール主演で上演され名声を得ました。

以後、庶民の生活と感情を素朴に描き出した詩や劇を次々と発表し、やや古風で感傷的なスタイルで大いに人気を博しました。代表作は詩集『Les Humbles(貧しき人々)』  (1872) 、ほかに『 Récits et élégies(物語とエレジー)』 (1878)、詩劇『Pour la couronne(王位のために)』(1895) などがあります。

上田敏は、この作品を『中学世界』に発表するにあたって、次のような前書きをつけ、訳詩も散文体に書き下してありました。
仏蘭西翰林院(かんりんゐん)学士フランソア、コツペヱ(1842生)の作「礼拝(らいはい)」の短詩は、屈伸自在なる婉曲の律語にして、簡頸の筆路わざとならず、劇詩の力、劇詩の力、著るしき凄壮の一篇なり。

半島戦争の役(えき)、勇将ランス大軍を提(ひつさ)げて、アラゴンの首府サラゴサを囲み、1809年2月21日激戦の後、終に之を陥(おとしい)る、エブロの水、為に赤かりきと伝ふ。

市民、兵士、ともに寺院に退き、奮戦数時に亘(わた)りて退かず、火薬に粉砕せらるゝに至て黙しぬ。この時、僧兵はじめより隊伍に加はり、法敵の奮心をもて、軍気を励まし、胚衂(はいぢく)の刻(こく)、身を殺して、国に殉ぜし悲壮の物語、この詩の後景を為せり。

巷(ちまた)の酣戦(かんせん)と御堂(みだう)の幽玄と対照の妙、いふべからず、就中(なかんづく)、最後の一節、鼓手の嘲笑はハイネの歌に潜めるやうなる譏謔(きぎやく)にして、掉尾(たうび)の一振(いつしん)といふべし
「千八百九年」といっているのは、いわゆる“半島戦争”のこと。つまり、1808~1814年に行われたナポレオン1世支配に対する、スペイン、ポルトガルの民族主義的反抗、独立戦争です。

1807年 10月フランス軍はピレネー山脈を越え、イベリア半島を横断して 11月末リスボンを占領、ポルトガルを征服し、次いでスペイン占領に着手するため、1808年5月スペインを封建制から解放するという名目で、ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトをスペイン国王とし議会を招集しました。しかし、このことが両国民の反感を引起し、5月2日マドリードで反フランス蜂起が起り、反乱は各地に広がりました。

一方、8月には、イギリスのウェリントンが上陸してスペイン、ポルトガルの抵抗運動と合同、国民は各地でゲリラ戦を展開してフランス軍を追いつめ、デュポン将軍はアンダルシアのバイレンで、ジュノー将軍はポルトガルのシントラで降伏しました。さらに1812年ウェリントンの指揮するイギリス・スペイン連合軍がマドリードを占領、14年にはフランスのバイヨンヌで最後の戦闘が行われ、半島戦争は終りました。この戦争はナポレオン没落の一因となります。

「サラゴサ」はスペイン北東部の都市。半島戦争でサラゴサは、1808年から1809年にかけて2度にわたって攻囲されました(サラゴサ包囲)。当時廃位されていたフェルナンド7世に対して忠実であったサラゴサは、アラゴン貴族ホセ・デ・パラフォクスの指揮でアルハフェリア宮殿をフランスから奪い返しました。フランスはサラゴサを包囲したものの、住民の激しい抵抗戦にあい断念。55000人いたサラゴサの人口は、この戦いで12000人にまで減少したといわれます。

「明方よりの合戦に」は、原詩ではこの前に「遠くに逃げていくのを見たとき」の意の1行がありますが、訳詩では省かれています。

「紙筒」は、小銃用の火薬を包装した紙製の筒。

「いや益しに」は初出では、「いやまさりて」。

「勢猛に追ひ迫り」は、原詩では、陽気に、そして急にもっと快活に射撃していた、という意味。

「黒衣長袍」は、すべての長い黒マントを、の意。僧たちを示しています。

「とざま、かうざま顧みがち」は、左、右と屋根を観察しながら、という意味です。

「鉱炉の紅舌さながらに」は、原詩では、鍛冶屋の炉の息のように、という意です。

「歩毎に伏屍累々たり」は、絶えず死者をとび越えて行かねばならなかった、という意味です。

「鮮血淋漓」は、なまなましい血がしたたり落ちること。

「敵潜めるを示すなり」は、原詩ではこの前に、これらの隘路(あいろ)に、の意の句があります。

「鼓うたせず、足重く」からの部分は初出では「鼓もうたず、隊伍なく、士官は思々沈み、さすが老功の旧兵も、落居ぬけはい著るしく互に寄り添ひ、たよりつゝ胸は新兵のやうに跳りぬ」となっています。

「それ、戦友の危急ぞと」からの部分は初出では「さては危急の戦友をと、近づきみれば、きたなしや、常は勇壮の猛者たちも」

「勇士等」は、擲弾(原始的な手榴弾)兵たち、の意。

「精舎の段の前面に」のところは、ただ20人の修道士によって守られている修道院の前庭で、という意味。

「円頂の黒鬼」は、頭を円く剃った修道士たちのことです。

「真白の十字」は、白い羊毛の十字架、の意。

「皆心中に疾しくて」は、初出では原詩を直訳して「みな心中に、疚しきをおぼええてとかくに、この恐しき勇士を殺戮したけれど」とされています。

「楼門聳ゆ」は、初出では「楼門ひらきぬ」。「楼門」は、寺院の意味です。


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)上田敏 

2020年04月16日

「良心」(『海潮音』18)

『海潮音』のつづき。きょうは、大詩人ヴィクトル・ユゴーの創世記を扱った叙事詩です。

  良心

      ヴィクトル・ユウゴオ

革衣(かはごろも)纏(まと)へる児等(こら)を引具(ひきぐ)して
髪おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインは離(さか)り迷ひいで、
夕闇の落つるがまゝに愁然(しゆうねん)と、
大原(おほはら)の山の麓(ふもと)にたどりつきぬ。
妻は倦(う)み児等も疲れて諸声(もろごゑ)に、
「地(つち)に伏していざ、いのねむ」と語りけり。
山陰(やまかげ)にカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉(うばたま)の暗夜(やみよ)の空を仰ぎみれば、
広大の天眼(てんがん)くわつと、かしこくも、
物陰の奥より、ひしと、みいりたるに、
わなゝきて「未だ近し」と叫びつつ、
倦(う)みし妻、眠れる児等を促して、
もくねんと、ゆくへも知らに逃(のが)れゆく。
かゝなべて、日には三十日(みそか)、夜(よ)は、三十夜(みそよ)、
色変へて、風の音(おと)にもをのゝきぬ。
やらはれの、伏眼(ふしめ)の旅は果もなし、
眠なく休(いこ)ひもえせで、はろばろと、
後の世のアシュルの国、海のほとり、
荒磯(ありそ)にこそはつきにけれ。「いざ、こゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ来し、
いざ」と、いへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつも、いつも、天眼(てんがん)ひしと睨(にら)みたり。
おそれみに身も世もあらず、戦(をのの)きて、
「隠せよ」と叫ぶ一声(いつせい)。児等はただ
猛(たけ)き親を口に指あて眺めたり。
沙漠の地、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
「このむたに幕ひろげよ」と命ずれば、
ひるがへる布の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髪の
孫むすめ曙のチラは語りぬ。
「かくすれば、はや何も見給ふまじ」と。
「否なほも眼(まなこ)睨(にら)む」とカインいふ。
角(かく)を吹き鼓をうちて、城(き)のうちを
ゆきめぐる民草(たみぐさ)のおやユバルいふ、
「おのれ今固き守や設けむ」と。
銅(あかがね)の壁築(つ)き上げて父の身を、
そがなかに隠しぬれども、如何(いかに)せむ、
「いつも、いつも眼睨(まなこにら)む」といらへあり。
「恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。砦(とりで)守(も)る城(しろ)築(つき)あげて、
その邑(まち)を固くもらむ」と、エノクいふ。
鍛冶(かぢ)の祖(おや)トバルカインは、いそしみて、
宏大の無辺(むへん)都城(とじよう)を営むに、
同胞(はらから)は、セツの児等こら、エノスの児等を、
野辺かけて狩暮(かりくら)しつゝ、ある時は
旅人(たびびと)の眼(まなこ)をくりて、夕されば
星天(せいてん)に征矢(そや)を放ちぬ。これよりぞ、
花崗石(みかげいし)、帳(とばり)に代り、くろがねを
石にくみ、城(き)の形、冥府(みようふ)に似たる
塔影は野を暗うして、その壁ぞ
山のごと厚くなりける。工成りて
戸を固め、壁建(かべたて)終り、大城戸(おほきど)に
刻める文字を眺むれば「このうちに
神はゆめ入る可からず」と、ゑりにたり。
さて親は石殿(せきでん)に住はせたれど、
憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき。
「おほぢ君、眼は消えしや」と、チラの問へば、
「否、そこに今もなほ在り」と、カインいふ。
「墳塋(おくつき)に寂しく眠る人のごと、
地の下にわれは住はむ。何物も
われを見じ、吾(われ)も亦(また)何をも見じ」と。
さてこゝに坑(あな)を穿(うが)てば「よし」といひて、
たゞひとり闇穴道(あんけつどう)におりたちて、
物陰の座にうちかくる、ひたおもて、
地下(ちげ)の戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天眼(てんがん)なほも奥津城(おくつき)にカインを眺む。

Victor_Hugo_by_Étienne_Carjat_1876_-_full

この訳詩の後には、次のような、訳者・上田敏のコメントが付いています。

ユウゴオの趣味は典雅ならず、性情奔放にして狂颷(きようひよう)激浪の如くなれど、温藉静冽(おんしやせいれつ)の気自(おのづ)からその詩を貫きたり。対聯(たいれん)比照に富み、光彩陸離たる形容の文辞を畳用して、燦爛(さんらん)たる一家の詩風を作りぬ。

「ヴィクトル・ユウゴオ」(Victor Hugo、1802-1885)=写真=は、フランスの詩人、小説家、劇作家。ナポレオン軍の将軍を父にもち、早くから自己の文学的使命に目ざめました。1822年に処女詩集『オードと雑詠集(Odes et Poésies diverses)』を発表。以後約 60年間にわたり、国民的大詩人として、また一貫した共和主義者として、フランス文学史上不朽の足跡を残しました。

代表作に、ロマン派の宣言と勝利を記念する戯曲『クロムウェル (Cromwell)』 (1827)、『エルナニ( Hernani)』 (1830) ,詩集『東方詩集 (Les Orientales) 』(1829)、『秋の木の葉( Les Feuilles d'automne)』 (1831)、『静観詩集( Les Contemplations)』 (1856)、『諸世紀の伝説( La Légende des siècles)』(1859~1883)、小説『ノートル・ダム・ド・パリ( Notre-Dame de Paris)』(1831)、よく知られている『レ・ミゼラブル( Les Misérables)』 (1862)などがある。

「良心」の初出は『帝国文学』(明治36・4)。原題は「La conscience」です。上田敏は「19世紀文芸史」の中で、次のように述べています。

「われは『レジェンド・デ・シエクル』中の『良心』及び『貧しきやから』の2篇及び『コンタムプラシオン』中に『眠れるボオズ』を以て彼が絶唱とするのみか、仏蘭西詩歌の最高線と為すを躊躇せざる可し」

この詩は、旧約聖書の創世記に見られる物語、弟の羊をかう者アベルを妬み殺したためエホバの神の怒りにふれ、「汝地を耕すとも地は再(ふたゝび)其力を汝に效(いた)さじ 汝は地に吟行(さまよ)ふ流離子(さすらひびと)となるべし」と宣告して追放されたカインをうたった叙事詩です。

「革衣纏へる児等を引具して」は、原詩では、獣の皮を着た子どもたちとともに(Lorsque avec ses enfants vêtus de peaux de bêtes,)の意。

「髪おどろ」は、髪を乱して、の意。

「降る雨を」は、暴風雨の中を。

「エホバ」は、ユダヤ教の神。初めは「シナイ山の神」「軍神」であったらしいが,モーセ以後はしだいに倫理と律法の神となり、全能の創造主、超越神となり、ヘブライ人の信仰する唯一神となったものとみられます。

「カイン」は、創世記に記されているアダムとイブの長子。ヤハウェがカインの捧げた農産物の供物よりも弟アベルの捧げた動物犠牲のほうを喜んだのをねたんでアベルを殺害しました。この罪で、罰として定住していた土地より追われ、放浪の旅に出ました。

「離り迷ひいで」は、逃亡したという意。

「愁然と」は、この陰鬱な男は、の意で、この意訳です。

「大原の」は、広い平原の。

「妻は倦み児等も疲れて」は、疲れた妻や息を切らした息子たちは。

「諸声に」は、訳者が補った言葉。声をあわせて。

「いのねむ」は、眠ろう。

「語りけり」は、「Lui dirent」。言う、の意で、現在形です。

「山陰に」は、山のふもとで。

「夢おぼろ」は、思いにふけっていた。

「烏羽玉の」は、 烏羽玉(檜扇の種子)が黒いところから「くろ(黒)」に、さらには「やみ(闇)」「よる(夜)」「ゆうべ(夕)」「かみ(髪)」「ゆめ(夢)」などにかかります。

「広大の天眼くわつと、かしこくも」は、闇の中に大きく見ひらかれた一つの眼を見た、という意。

「促して」は、眠りから覚めて、の意。

「もくねんと、ゆくへも知らに逃れゆく」は、不吉な予感にかられ、空間の中を再び逃げはじめた、という意。

「かゝなべて、日には三十日、夜は、三十夜」は、彼は三十日歩いた、彼は三十夜歩いた、の意。「かゝなべて」は、日日並(かがな)べて、で日数を重ねて。古事記(中)に「迦賀那倍弖(カガナベテ) 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」

「色変へて、風の音(おと)にもをのゝきぬ」のところは、彼はだまって、青ざめて、そして物音におののきながら、こそこそと後を見ることもなく、停止することもなく、休息もなく眠りもなく進んでいた、という意。相当省略して訳しています。

「やらはれの」は訳者の補った言葉で、追放の。

「はろばろと」は初出は、はるばると、となっています。

「アシュルの国」は、アッシリア。ティグリス川中流域のアッシュール市から興ったセム人の国家で、紀元前3000年紀後半から前610年まで存続しました。ティグリス、ユーフラテス川の流域地方をバビロニアと称するのに対し、その北の地方をアッシリアと称することもあります。

「荒磯」は、砂浜の意。

「いざ、こゝに/とゞまらむ」の次に原詩では、なぜならこの隠れ家は確かだから、という意の詩句がありますが、省略されています。

「陰雲暗きめぢのあなた、/いつも、いつも、天眼ひしと睨みたり」は、彼が坐っていたとき、彼は暗い空に、地平線の奥の同じ場所に、あの眼を見た、という意。

「おそれみに身も世もあらず、戦きて」は、そこで彼は暗い悪寒にとりつかれてふるえた、という意。

「叫ぶ一声」は、初出では、一声叫ぶ。

「ヤバル」は、Jabal。カインの子孫で、レメクとその最初の妻アダの子。創世記でヤバルは、「天幕に住んで畜類を飼う者の始祖」と呼ばれています。

「このむたに」は、こちら側に、の意。

「鉛もて地に固むるに」は、鉛のおもしで固定したとき、の意。

「曙の」は、曙のようにやさしい、という意味。

「チラ」は、Tsilla。カインの末裔であるレメクの妻の一人です。創世記には「レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダといい、ひとりの名はチラといった」とあります。

「角(かく)」は角笛。

「城(き)」は、部落の意。

「ユバル」は、Jubal。レメクとアダの子。創世記には「アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった」とあります。

「城築あげて」の初出は、「城、築かなむ」。

「エノク」は、カインの子。創世記には「カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた」とあります。

「トバルカイン」(Tubalcain)は、チラの子。創世記に「チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった」とあります。

「宏大の無辺都城」は、巨大で超人的な都会、の意。

「セツ」(Seth)は、アダムの子。創世記には次のようにあります。アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。

「エノス」(Enos)は、セツの子。創世記に「セツは百五歳になって、エノスを生んだ」とあります。

「野辺かけて」は、平原で、の意。

「狩暮(かりくら)しつゝ」は、初出では、狩り暮し。

「旅人の」は、通っている者は誰でも、の意。

「星天に」は、初出では、星影に。

「征矢」は、いくさに用いる矢。

「くろがねを/石にくみ」は、石のブロックを鉄の結び目で縛った、という意。

「野を暗うして」は、野に夜をもたらす、の意。初出では「野に暗をなげ」

「工成りて/戸を固め、壁建(かべたて)終り、大城戸(おほきど)に/刻める文字を眺むれば「このうちに/神はゆめ入る可からず」と、ゑりにたり。」の部分は、上田敏の拠ったテキストの原文が誤っていました。正しい原詩は――

Ils donnèrent aux murs l’épaisseur des montagnes ;
Sur la porte on grava : « Défense à Dieu d’entrer. »
Quand ils eurent fini de clore et de murer,
On mit l’aïeul au centre en une tour de pierre ;
(彼らは壁を山のように厚くした。門に「神の立ち入り禁止」と彫った。彼らが囲いをし壁を塗るのを終わったとき、石の塔の真ん中に御祖(みおや)を置いた)

ところが、上田がテキストにしたH.E.Berthon編の「Specimens of Modern French Verse」(1899)には、このうち2行が
Quand ils eurent fini de clore et de murer,
Sur la porte on grava : « Défense à Dieu d’entrer. »
次のように入れ替わっていたのです。

「大城戸」は、大きな城門。

「憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき」は、彼は相変わらず沈痛でものすごかった、という意。

「チラの問へば」は、チラはふるえながら言う、という意。

「闇穴道に」は、暗い円天井の下に。「闇穴道」は、唐僧一行(いちぎょう)阿闍梨が玄宗皇帝の怒りを買い、果羅(から)の国に送られた時に通ったという道の名をいいます。平家物語では、重罪の人が通る、七日七夜日月の光が見えない道としています。「件の国へは三つの道あり。〈略〉暗穴道とて重科の者をつかはす道也」(平家二)

「物陰の座にうちかくる」は、物陰の椅子に座ったとき、の意。

「ひたおもて」は、原詩では、直面で、面のあらわなこと、直接にさしむかうこと。  


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)上田敏 

2020年04月15日

「落葉」(『海潮音』17)

きょうは『海潮音』の中でも特に有名な1篇です。

  落葉      

       ポオル・ヴェルレエヌ

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

Feuilles_mortes

訳詩の後には、次のような一文も添えられています。

仏蘭西(フランス)の詩はユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具(そな)へ、ヴェルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉(とら)へむとす。

「落葉」(らくえふ)の初出は『明星』(明治33・8)。「象徴詩」と題された7篇中の1篇です。原題は 「Chanson d'automne(秋の歌)」。1867年に出版された「サテュルニアン詩集(Poèmes saturniens)」の「哀しき風景」(Paysages tristes)で発表されました。

この詩を作ったのはヴェルレーヌが20歳のころ。波乱に満ちた人生の中で、最も幸福で平和な日々をおくっていたころと考えられます。原詩と逐語訳(『明治大正訳詩集』補注)は次のとおりです。

  Chanson d'automne

Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon cœur
D'une langueur
Monotone.
Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure;
Et je m'en vais
Au vent mauvais
Qui m'emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.

秋のヴィオロン(複数)の長いすすり泣きはひとつの単調な物憂さでわたしの心を傷つける。
時(一説には「最後の詩」)の鐘が鳴ると、全く息苦しくそして蒼ざめ、わたしは昔の日々を思い出し、そして私は泣く。
そして、枯葉のように、あちらこちらわたしを運ぶ意地の悪い風のまにまに、わたしは去る(一説では「死ぬ」)

「秋の日の」は、原詩では「秋の(De l'automne)」。1行を5音にするため、「日の」を補ったと考えられます。

「ヴィオロン」は、ヴァイオリン。「Des violons」と複数形です。「ヴィオロンの/
ためいきの」は、秋風が颯々と吹いてもの悲しい音をたてていること。

「ひたぶるに」は、ひたすらに、ただもうむやみに。万葉集(巻19)に「うら悲し」は、心悲しい。「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも」(春の野原に霞がでてきて、悲しく感じる。夕暮れの光の中でウグイスが鳴いているよ)

「胸ふたぐ」の「ふたぐ」は、ふさぐと同意で、胸がいっぱいになっての意。

「色かへて」は、顔色を変えて。

「おもひでや」は、初出では、おもひでに。意味上からすれば、おもひでに「涙ぐむ」と初出のほうがすっきりします。

「うらぶれて」は、しょんぼりと力なく、心のしおれるような状態をいい、心うく思う、うれいしおれる、悄然とする、などの意があります。万葉集(5巻・877)に「人もねの宇良夫礼(ウラブレ)をるに立田山御馬(みま)近づかば忘らしなむか」

今日では「うらぶる」が、 おちぶれたり不幸に出会ったりして、みじめな有様になる、また、みすぼらしい様子となる、といった意味でも用いられます。そうなったのには、この訳詩の負っているいるところが大きそうです。言葉が文学を作るだけでなく、文学が言葉を作ることもあるのです。

「とび散らふ」は、「とび散る」に継続をあらわす接尾語の「ふ」がついたかたち。ただ、しきりに飛び散る落葉は日本的で、原詩のそれからは遠いようです。たとえば窪田般彌訳では、ここの最後の連は「いじわるな/風に吹かれて/わたしは飛び舞う/あちらこちらに/枯れはてた/落葉のように」となっています。

上田敏は「ポオル・ヴェルレエヌ」の中で、「試みに彼が『秋の歌』を読むに、『秋の「ヴィオロン」の長き吐息は疲れたる単調を以て吾心を痛ましむ』等の句あり、以てヴェルレエヌの詩が諸の審美的感触を仮りて前人の敢て言はざりし所を述べたるを知るべし」と言っています。また、明治31年7月の「帝国文学」に発表し、『文芸論集』に収めた「仏蘭西詩壇の新声」の中でも、サムボリスト(Symbolistes)を紹介して――

「此新派は文学在来の詩形に慊らず、自在流暢にして思想の微韻を捉ふべき新躰歌を作らむとす、而して『パルナッシヤン』誌社が謹厳なる作詩法に正面より反対し、特に其押韻に就て説を異にす。此派の詩歌に於ては、各行の連鎖益々密にして、毎行の末に於て詩句を終らず、所謂enjambementの法を用ゐること頻なり。かの有名なるヴェルレエヌが秋の歌の如きは此新派の源を発する所なるべし」としたうえで、原詩を全文引用しています。

また、内藤濯氏は、「落葉」について次のように分析しています『近代詩の成立と展開』)。

「落葉」には、もとの詩のひびきがほとんどそのまま移されている美しさがある。「あきのひの――ヴィオロンの――ためいきの……」と「オ」音を軸にして動くひびきは、Les sanglots longs(レ サングロ ロン)――Des violons(デ ヴィオロン)――De l'autome(デ ロートンヌ)ともとの詩が紡ぎだすひびきそっくりである。さらに、「みにしみて――ひたぶるに――うらがなし」といちど子音に席をゆずった音の軸が、また母音にもどる感じがまた、Blessent mon coeur(ブレス モン クール)――D'une langueur(デュヌ ラングール)――Monotone(モノトーヌ)と、すぼまっては開くともいえる音の感じと二つのものではない。だれも一ようにこの訳詩を名訳という。だがこの場合は、詩のもつ空気ばかりでなく、その空気をかもし出している音楽までが、適切な言葉となっている意味で名訳なのである。

人はよく、この訳詩の淡々たる措辞と、もとの詩のもつ近代的な頽廃感とのあいだに、可なりの隔りがあることをいう。「うらがなし」というあっさりしすぎた一句が、Blessent mon coeur という言葉のもつ沈痛さをあらわすに足りないといわれていることは、わけても否みがたい。だがこれは、もとの詩のもつリズムとひびきをできるだけ日本語に移して、ヴェルレーヌ振りの綾を伝えようとした訳者の耳のよさが然らしめたことで、部分的な弱さを全体に及ぼして考えるわけには行かない。まさに訳詩の珠玉である。


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)上田敏 

2020年04月14日

「よくみるゆめ」(『海潮音』16)

『海潮音』のつづき。きょうもヴェルレーヌのソネットです。

  よくみるゆめ  

      ポオル・ヴェルレエヌ

常によく見る夢ながら、奇(あ)やし、懐(なつ)かし、身にぞ染む。
曾ても知らぬ女(ひと)なれど、思はれ、思ふかの女(ひと)よ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異(ことな)りて、
また異らぬおもひびと、わが心根(こころね)や悟りてし。

わが心根を悟りてしかの女(ひと)の眼に胸のうち、
噫(ああ)、彼女(かのひと)にのみ内証(ないしよう)の秘めたる事ぞなかりける。
蒼ざめ顔のわが額(ひたひ)、しとゞの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむ術(すべ)あるは、玉の涙のかのひとよ。

栗色髪のひとなるか、赤髪(あかげ)のひとか、金髪か、
名をだに知らね、唯思ふ朗ら細音(ほそね)のうまし名は、
うつせみの世を疾(と)く去りし昔の人の呼名(よびな)かと。

つくづく見入る眼差(まなざし)は、匠(たくみ)が彫(ゑ)りし像の眼か、
澄みて、離れて、落居(おちゐ)たる其音声(おんじよう)の清(すず)しさに、
無言(むごん)の声の懐かしき恋しき節の鳴り響く。

regard-de-statue

初出は『明星』(明治38・7)、「海潮音」と題された5篇中の1篇です。原題は「Mon rêve familier」

1866年(ヴェルレーヌ22歳)に詩人らが稿を持ち寄った第1次「現代高踏詩集」(Le Parnasse contemporain)に発表された7篇中の1篇。他が高踏派の作品であった中で「捉へがたなき茫漠たる感情を定着して、華麗の視覚を棄て模糊たる幻想に走つた」作品(鈴木信太郎『フランス象徴詩派覚書』)とされています。

「常によく見る夢ながら、奇やし、懐かし、身にぞ染む」で始まる最初の連の前半は、原詩では、私はしばしば、私が愛し、私を愛してもいる、ひとりの未知の女性の不思議に、身にしみる夢を見る、という意味です。

「夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異りて、/また異らぬおもひびと、わが心根や悟りてし」は、そのたびごとに、まったく同じでもなければまったく違ってもいず、しかも私を愛し私を理解する女性、という意。

「わが心根を悟りてしかの女の眼に胸のうち、/噫、彼女にのみ内証の秘めたる事ぞなかりける」は、彼女が私を理解してくれるので、私の心は、ただ彼女にのみ透明で、ああ、彼女にのみ不可解であることをやめる。

「涼しくなさむ術あるは、玉の涙のかのひとよ」のところの原詩は「Elle seule les sait rafraîchir, en pleurant.」。彼女だけが、泣きながら、それを冷やすことができる、という意になります。

「名をだに知らね、唯思ふ朗ら細音のうまし名は、/うつせみの世を疾く去りし昔の人の呼名かと」の原詩は「Son nom ? Je me souviens qu'il est doux et sonore/Comme ceux des aimés que la Vie exila.」。彼女の名前? それは、生が追放した愛人たちの名のように、優しく響きのよいことを私は思い出す、という意味です。

「つくづく見入る」は、原詩には見当たりません。訳者の補った言葉です。

「眼差は、匠が彫りし像の眼か」の原詩は「Son regard est pareil au regard des statues,」。彼女の視線は、彫像の眼つきに似ている、という意になります。

「澄みて、離れて、落居たる其音声の清しさに、/無言の声の懐かしき恋しき節の鳴り響く」は、原詩では「Et, pour sa voix, lointaine, et calme, et grave, elle a/L'inflexion des voix chères qui se sont tues.」。そして、彼女の遠く、静かで、落ち着いた声には、黙ってしまった懐かしい声の抑揚がある、という意です。

「落居る」は、落ち着く、ゆったりすること。源氏物語(桐壺)に「女御(にようご)も御心おちゐたまひぬ」( 女御もお心が落ち着きなさった)とあります。


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2020年04月13日

「譬喩」(『海潮音』15)

『海潮音』のつづき。きょうはヴェルレーヌのソネットです。

  譬喩(ひゆ)

      ポオル・ヴェルレエヌ

主は讃(ほ)むべき哉(かな)、無明(むみよう)の闇や、憎(にく)み多き
今の世にありて、われを信徒となし給ひぬ。
願はくは吾に与へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く狗子(いぬ)のやうに従ひてむ。

生贄(いけにへ)の羊、その母のあと、従ひつつ、
何の苦もなくて、牧草を食(は)み、身に生(お)ひたる
羊毛のほかに、その刻(とき)来ぬれば、命をだに
惜まずして、主に奉る如くわれもなさむ。

また魚とならば、御子(みこ)の頭字(かしらじ)象(かたど)りもし、
驢馬(ろば)ともなりては、主を乗せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉より禳(はら)ひ給ひし豕(ゐのこ)を見いづ。

げに末(すゑ)つ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
心素直(すなほ)にも忍辱(にんにく)の道守るならむ。

paul-verlaine2

「ポオル・ヴェルレエヌ」(Paul Marie Verlaine、1844 - 1896)=写真=は、フランスの詩人。パリ大学法学部を中退し、市役所に勤めながら詩作。高踏派の詩集『現代高踏詩集』 (1866) に寄稿、『サチュルニアン詩集( Poèmes saturniens)』(1866)、『艶なるうたげ( Fêtes galantes)』(1869)、『よき歌( La Bonne Chanson)』(1870) によって名声を確立しました。

 1872年、家族を捨ててランボーとともにベルギー、ロンドンを放浪。翌年、感情のもつれからランボーを傷つけて入獄し、カトリックに改宗。『言葉なき恋歌( Romances sans paroles)』(1874)を出版したあと、1875年に釈放。再び飲酒と男色と放浪の生活に戻り、デカダン派の首領と称せられながらも晩年は詩藻も枯れ、貧窮のうちに生涯を閉じました。

他にカトリックへの回心を歌った詩集『叡智(Sagesse)』(1880)、ランボー、マラルメなど近代詩の鬼才たちを紹介したエッセー『呪われた詩人たち(Les Poètes maudits)』 (1884) などがあります。

原題は「 Paraboles」。日夏耿之介は『明治大正詩史』の中で、「ヴェルレーヌの『譬喩』はこの『睿智集』の詩人が加持力的信仰の心緒から見て、わざと陳套な教会内部の用語を鏤めて尋常の祈祷となした処がかへって詩人内心の真意をあらはし、一種云ひやうのない含蓄美を創造して居る。」としています。

「主は讃むべき哉」と、冒頭から、教会の祈祷の調子の言葉で訳されていきます。たとえば、『天主公教要理』(明治32・7)の主祈文には――

天に在(ましま)す我等の父よ願くは御名の尊崇(とふとま)れんことを、御国の格(きた)らんことを、御旨の天に行わるゝ如く地にも行はれんことを。我等の日用の糧(かて)を、今日(こんにち)我等に与え給へ。我等が人に免(ゆる)す如く我等の罪を免し給へ。我等を試みに引き給はざれ。我等を悪より援(すく)ひ給へ。亜孟(アーメン)。

「無明の闇」は、原詩では、狂暴な無知、の意。「無明」は仏教用語で、存在の根底にある根本的な無知をいいます。真理にくらい無知のことで、最も根本的な煩悩。生老病死などの一切の苦をもたらす根源として、十二因縁では第一に数えられます。

「信徒」は、キリスト教徒の意。「いつまでも永く狗子のやうに従ひてむ」は、あなたに対して永久に犬のように忠実であるように、という意味です。

「生贄の羊」は、運命づけられた羊、の意。

「何の苦もなくて、牧草を食み」は、牧人にいかなる苦痛を与えることも知らない、という意味です。

「身に生ひたる/羊毛のほかに、その刻来ぬれば、命をだに/惜まずして、主に奉る如くわれもなさむ」は、彼がその財産を役立たせようとするときには、羊毛につづいて、その命もまた主人に支払わねばならぬと感じている羊のように、の意。

「魚とならば、御子の頭字象りもし、」は、御子に頭文字として役立つように魚となるために、の意。ギリシャ語で「魚」という意味をもつ「ΙΧΘΥΣ(イクテュス)」は、同時に、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもあります。

森鷗外の『即興詩人』(「隧道、ちご」)にも、「基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘(ギリシア)文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇(やそ)基督(キリスト)神子(かみのこ)救世者と云ふ。」とあります。

「驢馬ともなりては、主を乗せまつりし昔思ひ」は、ある日御子が意気揚々と乗ったいやしい驢馬の子になるために、の意です。

「わが肉より禳ひ給ひし豕を見いづ」は、私の肉体については御子が深淵に投げた豚たちになるために、という意味。イエスが悪霊を人から豚に乗りうつらせ、湖へおとしておぼれ死にさせた話は、新約聖書にも見られます。次にあげるのは、「ルカによる福音書」(口語訳)の第8章26~33節です。

8:26
それから、彼らはガリラヤの対岸、ゲラサ人の地に渡った。
8:27
陸にあがられると、その町の人で、悪霊につかれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた人に、出会われた。
8:28
この人がイエスを見て叫び出し、みまえにひれ伏して大声で言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。お願いです、わたしを苦しめないでください」。
8:29
それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足かせとでつながれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。
8:30
イエスは彼に「なんという名前か」とお尋ねになると、「レギオンと言います」と答えた。彼の中にたくさんの悪霊がはいり込んでいたからである。
8:31
悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。
8:32
ところが、そこの山べにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。
8:33
そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。

「表裏」は、ここでは、二枚舌・偽善の意です。

「人間よりも、畜生の身ぞ信深くて」は、動物が男や女よりもよりよく、の意。

「心素直にも忍辱の道守るならむ」は、純朴につつましやかな義務を果たすから、の意。 「忍辱」は、耐えしのび、怒りの気持を起こさないこと。種々の苦難や迫害に耐え、安らぎの心を持つこと。また、その修行の徳目である忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)をいいます。ここでは、この仏教用語を転用しているわけです。


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2020年04月12日

「梟」(『海潮音』14)

『海潮音』のつづき。ボードレールのソネットです。

  梟(ふくろふ)   

        シャルル・ボドレエル

黒葉(くろば)水松(いちゐ)の木下闇(このしたやみ)に
並んでとまる梟は
昔の神をいきうつし、
赤眼(あかめ)むきだし思案顔。

体(たい)も崩さず、ぢつとして、
なにを思ひに暮がたの
傾く日脚(ひあし)推しこかす
大凶時(おほまがとき)となりにけり。

鳥のふりみて達人は
道の悟(さとり)や開くらむ、
世に忌々(ゆゆ)しきは煩悩と。

色相界(しきそうかい)の妄執(もうしゆう)に
諸人(しよにん)のつねのくるしみは
居(きよ)に安(やすん)ぜぬあだ心。

フクロウ

原題は「Les Hiboux」。

「黒葉水松の木下闇に/並んでとまる梟は」の原詩は、「Sous les ifs noirs qui les abritent,/Les hiboux se tiennent rangés,」。おおう黒いイチイの下に梟たちが並んでとまっている、という意。

「昔の神をいきうつし」は、「Ainsi que des dieux étrangers,」(異郷の神々のように)。梟の姿に、アジア的な偶像を感じたようです。

「赤眼(あかめ)むきだし思案顔」は、「Dardant leur oeil rouge. Ils méditent.」。彼らの赤い単眼をむき出し、彼らは瞑想にふけっている、という意になります。

「なにを思ひに暮がたの/傾く日脚推しこかす」は「Jusqu'à l'heure mélancolique/
Où, poussant le soleil oblique,」。斜めにさす陽をおしのけながら暗闇が身を落ち着けるであろう、メランコリックなときまで、という意です。

それを「なにを思ひに暮がたの」と、原詩にはない掛け言葉を補うなどして意訳しています。

「大凶時」は、わざわいの起こるときの意から、夕暮れの薄暗いとき(Les ténèbres s'établiront.)のことをいいます。

「鳥のふりみて達人は/道の悟や開くらむ、/世に忌々しきは煩悩と」の原文は「Leur attitude au sage enseigne/Qu'il faut en ce monde qu'il craigne/Le tumulte et le mouvement,」。彼らの態度は賢者に教える、この世では喧騒と活動をおそれねばならぬと」という意味になります。

最後の連、「色相界の妄執に/諸人のつねのくるしみは/居に安ぜぬあだ心」は、「L'homme ivre d'une ombre qui passe/Porte toujours le châtiment/D'avoir voulu changer de place.(過ぎ行く一つの影に酔う人間は、常に場所を変えようとした罪を受ける)」。「色相界」とは、肉眼で見ることのできる世界のことです。

この訳詩の後に、次のような散文がつづいています。最初のはエミール・ヴェルハーレン(Émile Adolphe Gustave Verhaeren、1855-1916)の文章(原文未詳)で、「仏蘭西の哀観詩人」からの抄出。ヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo、1802-1885)のほうは、ボードレールが1859年に『テオフィル・ゴオチエ論』を刊行したとき、その序文として掲げたユゴーからの手紙に見られる言葉です。

「現代の悲哀はボドレエルの詩に異常の発展を遂げたり。人或は一見して云はむ、これ僅に悲哀の名を変じて鬱悶(うつもん)と改めしのみと、しかも再考して終(つひ)にその全く変質したるを暁(さと)らむ。ボドレエルは悲哀に誇れり。即ちこれを詩章の竜葢帳(りようがいちよう)中に据ゑて、黒衣聖母の観あらしめ、絢爛(けんらん)なること絵画の如(ごと)き幻想と、整美なること彫塑(ちようそ)に似たる夢思とを恣(ほしいまま)にしてこれに生動の気を与ふ。ここに於てか、宛(あたか)もこれ絶美なる獅身女頭獣なり。悲哀を愛するの甚(はなはだ)しきは、いづれの先人をも凌(しの)ぎ、常に悲哀の詩趣を讃して、彼は自ら「悲哀の煉金道士」と号せり。
      *
先人の多くは、悩心地定かならぬままに、自然に対する心中の愁訴を、自然その物に捧げて、尋常の失意に泣けども、ボドレエルは然らず。彼は都府の子なり。乃(すなは)ち巴里(パリ)叫喊(きようかん)地獄の詩人として胸奥の悲を述べ、人に叛(そむ)き世に抗する数奇の放浪児が為に、大声を仮したり。その心、夜に似て暗憺(あんたん)、いひしらず汚れにたれど、また一種の美、たとへば、濁江の底なる眼、哀憐(あいりん)悔恨の凄光(せいこう)を放つが如きもの無きにしもあらず。」

  ―――エミイル・ヴェルハアレン

ボドレエル氏よ、君は芸術の天にたぐひなき凄惨の光を与へぬ。即ち未だ曾(かつ)てなき一の戦慄(せんりつ)を創成したり。

  ―――ヴィクトル・ユウゴオ


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2020年04月11日

「人と海」(『海潮音』13)

『海潮音』のつづき。きょうもボードレールの詩の訳です。

  人と海     

        シャルル・ボドレエル

こゝろ自由(まま)なる人間は、とはに賞(め)づらむ大海を。
海こそ人の鏡なれ。灘(なだ)の大波(おほなみ)はてしなく、
水や天(そら)なるゆらゆらは、うつし心の姿にて、
底ひも知らぬ深海(ふかうみ)の潮の苦味(にがみ)も世といづれ。

さればぞ人は身を映(うつ)す鏡の胸に飛び入(い)りて、
眼(まなこ)に抱き腕にいだき、またある時は村肝(むらぎも)の
心もともに、はためきて、潮騒(しほざゐ)高く湧くならむ、
寄せてはかへす波の音(おと)の、物狂ほしき歎息(なげかひ)に。

海も爾(いまし)もひとしなみ、不思議をつゝむ陰なりや。
人よ、爾(いまし)が心中(しんちゆう)の深淵探(さぐ)りしものやある。
海よ、爾(いまし)が水底(みなぞこ)の富を数へしものやある。
かくも妬(ねた)げに秘事(ひめごと)のさはにもあるか、海と人。

かくて劫初(ごうしよ)の昔より、かくて無数の歳月を、
慈悲悔恨の弛(ゆるみ)無く、修羅(しゆら)の戦(たたかひ)酣(たけなは)に、
げにも非命と殺戮(さつりく)と、なじかは、さまで好(この)もしき、
噫(ああ)、永遠のすまうどよ、噫、怨念(おんねん)のはらからよ。

海と人

「人と海」の初出は『明星』(明治38・7)、「海潮音」と題された5篇中の1篇です。原題は「L’homme et la mer」です。

第1連の「海こそ人の鏡なれ」の後は、原詩では「tu contemples ton âme/Dans le déroulement infini de sa lame,/Et ton esprit n’est pas un gouffre moins amer.」。お前はお前の魂を波の無限の展開の中にじっと見つめる、そしてお前の精神も海に劣らない苦い一つの淵である、という意です。原文の真意が十分つたえられていない感があります。

「水や天なるゆらゆらは」は、水と天の区別のつかない活動は、という意。新後拾遺和歌集に「水やそら空や水とも見え分かず通ひて澄める秋の夜の月」。

「さればぞ人は身を映す鏡の胸に飛び入りて、/眼に抱き腕にいだき、」は、原詩では「Tu te plais à plonger au sein de ton image ;/Tu l’embrasses des yeux et des bras,」で、お前は自分の映像の胸の中に浸ることが好きである、お前は眼でそして腕で彼を抱く、という意。

「またある時は村肝の/心もともに、はためきて、潮騒高く湧くならむ、/寄せてはかへす波の音の、物狂ほしき歎息に」は原詩では、「et ton coeur/Se distrait quelquefois de sa propre rumeur/Au bruit de cette plainte indomptable et sauvage.」。またお前の心はときどき、この抑制しがたい野生の海の嘆きの音に、その固有のざわめきをまぎらわす、という意味です。

「不思議をつゝむ陰なりや」は、初出では「かぐろひつゝむ陰なりや」。暗く秘密を守る、という意のようです。

「爾が心中の深淵探りしものやある」は、原詩では「nul n’a sondé le fond de tes abîmes ;」。だれもお前の深淵の底を測らなかった、の意で、過去形です。

「爾が水底の富を数へしものやある。」は、原詩では「nul ne connaît tes richesses intimes,」。だれもお前の内に蔵する富を知らない、という意で、こちらは現在形になっています。

「かくも妬げに秘事のさはにもあるか」は、「Tant vous êtes jaloux de garder vos secrets !」。それほど君たちはその秘密を守るのに汲々としている、の意です。

「かくて劫初の昔より、かくて無数の歳月を、」は「Et cependant voilà des siècles innombrables」。そしてその間数えきれない世紀が経過した、という意。

「慈悲悔恨の弛無く、修羅の戦酣に」は、「Que vous vous combattez sans pitié ni remord,」。憐憫も悔恨もなく君たちは戦い合っている、という意です。

「げにも非命と殺戮と、なじかは、さまで好もしき、」は、「Tellement vous aimez le carnage et la mort,」。それほどまでに君たちは殺戮と死を愛している、という意です。


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2020年04月10日

「破鐘」(『海潮音』12)

『海潮音』のつづき。きょうもボードレールで、ソネットの一篇です。

  破鐘(やれがね)      

        シャルル・ボドレエル

悲しくもまたあはれなり、冬の夜の地炉(ゐろり)の下(もと)に、
燃えあがり、燃え尽きにたる柴の火に耳傾けて、
夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、きゝつゝあれば、
過ぎし日のそこはかとなき物思ひやをら浮びぬ。

喉太(のどぶと)の古鐘(ふるがね)きけば、その身こそうらやましけれ。
老(おい)らくの齢(とし)にもめげず、健(すこ)やかに、忠(まめ)なる声の、
何時(いつ)もいつも、梵音(ぼんのん)妙(たへ)に深くして、穏(おほ)どかなるは、
陣営の歩哨(ほしよう)にたてる老兵の姿に似たり。

そも、われは心破れぬ。鬱憂のすさびごこちに、
寒空(さむぞら)の夜(よる)に響けと、いとせめて、鳴りよそふとも、
覚束(おぼつか)な、音(ね)にこそたてれ、弱声(よわごゑ)の細音(ほそね)も哀れ、

哀れなる臨終(いまは)の声(こゑ)は、血の波の湖の岸、
小山なす屍(かばね)の下(もと)に、身動(みじろぎ)もえならで死(う)する、
棄てられし負傷(ておひ)の兵の息絶ゆる終(つひ)の呻吟(うめき)か。

われ鐘

初出は『明星』(明治38・9)。「白琺瑯」と題された9篇中の1篇です。原詩は「La cloche fêlée(ひび割れた鐘)」です。

「燃えあがり、燃え尽きにたる」は、原詩では、palpite et qui fume(パチパチ音をたて、また煙る)。

「夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、きゝつゝあれば、/過ぎし日のそこはかとなき物思ひやをら浮びぬ。」は、原詩では「Les souvenirs lointains lentement s'élever/Au bruit des carillons qui chantent dans la brume.(霧の中で歌っている鐘の音につれて、遠い思い出がゆっくりとわきおこって来るのを聞くのは)」となっています。

「喉太の古鐘」は、原詩は「la cloche au gosier vigoureux(たくましいのどをもった鐘)」。

「老(おい)らくの齢(とし)にもめげず」は、老齢にもかかわらず(malgré sa vieillesse)の意。伊勢物語に「桜花散りかひくもれ老らくの来むといふなる道まがふまに」とあります。

「健やかに、忠なる声の」は、「alerte et bien portante(機敏で、すこやかで)」

「何時もいつも、梵音妙に深くして、穏どかなるは」は、「Jette fidèlement son cri religieux(忠実にその信心深い音声をあげている)」

「そも、われは心破れぬ」は、「Moi,mon âme est fêlée(自分は、自分の魂はひびわれている)」。

「覚束な、……弱声の細音も哀れ」は、「しばしば弱った声は……となる」の意。

原詩では「身動もえならで死する」の前に「dans d'immenses efforts.(あらん限り努力をしながら)」が来るはずですが、訳詩ではこれが省略されています。


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2020年04月09日

「薄暮の曲」(『海潮音』11)

きょうもボードレールの詩の和訳。「ヴィオロン」が出てきます。

  薄暮(くれがた)の曲(きよく)

           シャルル・ボドレエル

時こそ今は水枝(みづえ)さす、こぬれに花の顫(ふる)ふころ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦(う)みたる眩暈(くるめき)よ。

花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
痍(きず)に悩める胸もどき、ヴィオロン楽(がく)の清掻(すががき)や、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ、
神輿(みこし)の台をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ。

痍(きず)に悩める胸もどき、ヴィオロン楽(がく)の清掻(すががき)や、
闇の涅槃(ねはん)に、痛ましく悩まされたる優心(やさごころ)。
神輿(みこし)の台をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ、
日や落入りて溺(おぼ)るゝは、凝(こご)るゆふべの血潮雲(ちしほぐも)。

闇の涅槃(ねはん)に、痛ましく悩まされたる優心(やさごころ)、
光の過去のあとかたを尋(と)めて集むる憐れさよ。
日や落入りて溺るゝは、凝(こご)るゆふべの血潮雲、
君が名残(なごり)のたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒(せいたいごう)。

ostensoir

原詩は次にあげる「Harmonie du soir(夕暮のハーモニー) 」という題の詩です。

  Harmonie du soir

Voici venir les temps où vibrant sur sa tige
Chaque fleur s'évapore ainsi qu'un encensoir ;
Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir ;
Valse mélancolique et langoureux vertige !

Chaque fleur s'évapore ainsi qu'un encensoir ;
Le violon frémit comme un coeur qu'on afflige ;
Valse mélancolique et langoureux vertige !
Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir.

Le violon frémit comme un coeur qu'on afflige,
Un coeur tendre, qui hait le néant vaste et noir !
Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir ;
Le soleil s'est noyé dans son sang qui se fige.

Un coeur tendre, qui hait le néant vaste et noir,
Du passé lumineux recueille tout vestige !
Le soleil s'est noyé dans son sang qui se fige...
Ton souvenir en moi luit comme un ostensoir !

ボードレールの人生に大きな影響を与えた、一種の高級娼婦ともいうべき才女、サバティエ夫人(Madame Sabatier)との恋の思い出をうたった作品と見られています。

原詩はパントゥム(Pantoum)と呼ばれる詩形で、4行1節からなり、前節の第2行と第4行が、それぞれ、次節の第1行と第3行になっていくように構成されています。この詩に用いられている聴覚・視覚・嗅覚のコレスポンダンス(交感)こそ、後の象徴詩の先駆けをなしたものとみなされています。

「水枝(みづえ)さす」は、訳者の補った言葉で、みずみずしい枝のさし出たといった意。万葉集(巻6・907)に「滝の上の御舟の山に瑞枝さし繁に生ひたる」(滝の上の御舟山に瑞々しく繁った栂の木のように)

「こぬれ」は、こずえ。

「不断の香の炉」は、encensoir。平家物語(灌頂)に、仏前で絶えずたく香の煙のように、霧が絶えることなくたちこめることを「いらか破れては霧不断の香を焚き」とあります。

「とうとうたらり、とうたらり」は、原詩では、まわるという意味。「とうとうたらり」は能の「翁」や江戸長唄「三番叟(さんばそう)」に見られる言葉。「とうとう」は、笛の音取の譜、「たらり」は、篳篥(ひちりき)の音取の譜といわれます。

「ワルツの舞の哀れさよ」は、メランコリックなワルツよ、の意。

「痍に悩める胸もどき、ヴィオロン楽の清掻や」は、ヴァイオリンは傷つけられた心のようにふるえる、という意味。「胸もどき」は、胸のように。「清掻」は、和琴の弾き方の一つ。また、筝や三味線を歌なしで弾くことをいいます。

「神輿の台」は、原詩では、reposoir。カトリック教の聖体遷置所。

「悲みて艶だちぬ」は、原詩は現在形で、悲しくも美しい、の意。「艶だつ」は、あだめくこと。

「闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心」は、広大で暗黒な虚無をにくむ優しい心、という意味。

「光の過去のあとかたを尋めて集むる憐れさよ」は、光り輝く過去のあらゆる名残りを集める、という意。

「日や落入りて溺るゝは、凝るゆふべの血潮雲」は、原詩は過去形で、太陽はこごる彼の血の中に溺れた、という意。

「君が名残のたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒」は、お前の思い出は私に聖体盒のように輝くという意味。「聖体盒」(ostensoir)=写真=は、カトリックで、キリストの肉をあらわすパンを入れて祭壇に飾る器。太陽をかたどった金銀細工でできています。


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2020年04月08日

「信天翁」(『海潮音』10)

『海潮音』のつづき。きょうは、ボードレールの『悪の華』からの訳です。

  信天翁(おきのたゆう)     

         シャルル・ボドレエル

波路遙けき徒然(つれづれ)の慰草(なぐさめぐさ)と船人(ふなびと)は、
八重の潮路の海鳥(うみどり)の沖の太夫(たゆう)を生檎(いけど)りぬ、
楫(かぢ)の枕のよき友よ心閑(のど)けき飛鳥(ひちよう)かな、
奥津(おきつ)潮騒(しほざゐ)すべりゆく舷(ふなばた)近くむれ集(つど)ふ。

たゞ甲板(こうはん)に据ゑぬればげにや笑止(しようし)の極きはみなる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙(つたな)くも、
あはれ、真白き双翼(そうよく)は、たゞ徒(いたづ)らに広ごりて、
今は身の仇(あだ)、益(よう)も無き二つの櫂(かい)と曳きぬらむ。

天(あま)飛ぶ鳥も、降(くだ)りては、やつれ醜き瘠姿(やせすがた)、
昨日(きのふ)の羽根のたかぶりも、今はた鈍(おぞ)に痛はしく、
煙管(きせる)に嘴(はし)をつゝかれて、心無(こころなし)には嘲けられ、
しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行(ひぎよう)の空に憧(あこ)がるゝ。

雲居の君のこのさまよ、世の歌人(うたびと)に似たらずや、
暴風雨(あらし)を笑ひ、風凌(しの)ぎ猟男(さつを)の弓をあざみしも、
地(つち)の下界(げかい)にやらはれて、勢子(せこ)の叫に煩へば、
太しき双(そう)の羽根さへも起居(たちゐ)妨(さまた)ぐ足まとひ。

アホウドリ1

「ボドレエル」すなわちボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、
1821-1867)は、言わずと知れた、フランス近代を代表する詩人です。

5歳で父を失い、翌年母が再婚、義父とは不和でした。早くから文学青年たちと交遊し奔放な生活をおくりましたが、1845年ごろから美術評論家として活躍しました。

唯一の定型詩集『悪の華』(Les Fleurs du mal、1857)で、近代文明に対する鋭い批判と、そこに生きる自己の苦悩と絶望を明確に意識化し、それを音楽性と喚起力に富む言語で表現することによりフランス近代詩を確立したとされています。

その影響は、象徴派をはじめとするフランス詩のみでなく世界各地に及んでいますが、出版当時はほとんど認められず、そればかりか風俗壊乱のかどで起訴され、罰金と詩6編の削除を命じられました。

この挫折は、ボードレールにとって大きな痛手となり、生涯尾をひくことになります。ほかに、散文詩集『パリの憂鬱』(Le Spleen de Paris 、1869)、E.A.ポーの翻訳5巻や芸術論があります。

上田敏は「19世紀文芸史」の中で、「『パルナッシヤン』の詩社には属せざれどシャアル・ボドレイル(1821-1867)が幽聳の鬼才は「悪の花」(1857)といふ詩集を以て病的作品を著はし、深く近代の詩人を動かしたり。『アルバトロス』の歌に詩人を海鵝に比べ、星雲のあなたに翔り嵐をあなどるの長翼はあれど、地に下りては却て其為に歩む能はずと嘆き、『夕暮の調』『破鐘』『梟』『猫』『人と海』の歌に於て世に珍らしき奇聳の想を吐けり」と述べています。

「信天翁」の原題は「L'Albatros.(アホウドリ)」=写真。初出は『明星』(明治38・7)で、「海潮音」と題された5篇のうちの1篇です。この詩は、1841年にボードレールが、ボルドーからカルカッタ行きの船に乗ってインド洋上のモーリシャス島やレユニオン島に旅したときの印象に暗示を受けて作られた、と考えられています。

「波路遙けき徒然の慰草と」は、原詩では、しばしば気晴らしに、の意。「波路遙けき」は、訳者の補った言葉です。

「八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生檎りぬ」は、原詩では、海の巨鳥、あほうどりたちをとらえる、の意。「沖の太夫」は「信天翁」と同じで、アホウドリのことです。

「楫の枕のよき友よ心閑けき飛鳥かな」は、旅ののんきな仲間、の意です。七五七五調に表現しています。

「奥津潮騒すべりゆく」は、苦い深海のうえをすべって行く、の意。「奥津潮騒」は、沖で潮が満ちて来るとき、波が騒ぐことをいいます。万葉集(巻15・3710)に「潮干なばまたも我来むいざ行かむ沖つ潮騒高く立ち来ぬ」とあります。

「舷(ふなばた)近くむれ集ふ」は、船に従う、の意。

「たゞ甲板に据ゑぬれば」は、彼ら(船人)がアホウドリたちを甲板に置くや否や、の意。

「この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも」は、この不器用なそして恥ずかしがり屋の青空の帝王たちは、という意味。

「あはれ、真白き双翼は、たゞ徒らに広ごりて」は、彼らの大きな白い翼をみじめにも、の意。初出では「真白き」は「白羽の」になっています。

「今は身の仇、益も無き二つの櫂と曳きぬらむ」は、彼らのそばに櫂のように引きずるばかりである、の意で、現在形です。「今は身の仇、益も無き」は、訳者の補った言葉です。

「天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き瘠姿」は、原詩では、この翼ある旅人の何とぎこちなく意気地のないことよ、の意です。

「昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍(おぞ)に痛はしく」は、先ほどまではあんなに美しかったのに、彼のなんと醜いことよ、の意です。

「煙管」は、brûle-gueule、陶製の短いパイプのことです。「煙管に嘴をつゝかれて、心無には嘲けられ」は、ある者はパイプで彼のくちばしをいらいらさせ、の意です。

「しどろの足を摸ねされて、飛行の空に憧がるゝ」は、他の者はびっこをひきながら、飛行していた廃疾者のまねをするよ、という意。

「雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや」のところの原詩は――

Le Poète est semblable au prince des nuées
Qui hante la tempête et se rit de l'archer; 
(詩人は暴風雨と交わりそして射手を冷笑する叢雲の君主に似ている)

です。これについて福田陸太郎氏は「主格は『詩人』である。敏の訳では『雲居の君』すなわちあほうどりの方が主客であって、前からの叙述のつづきの体をなしている。だから、最後の節で詩人を新しく話題にとり上げたことが、はっきりしていない。これはちょっと重大な点である」(『近代詩の成立と展開』)と指摘しています。


「猟男(さつを)」は、猟をするひと。

「勢子(せこ)の叫」は、huées。獲物を追うときの喚声から、嘲罵の声、ののしり声、やじ、の意にもなります。


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2020年04月07日

「夢」(『海潮音』9)

『海潮音』のつづき。きょうは、第1回ノーベル文学賞詩人の作品です。

  夢       

        シュリ・プリュドン

夢のうちに、農人(のうにん)曰(いは)く、なが糧(かて)をみづから作れ、
けふよりは、なを養はじ、土を墾(ほ)り種を蒔(ま)けよと。
機織(はたおり)はわれに語りぬ、なが衣(きぬ)をみづから織れと。
石造(いしつくり)われに語りぬ、いざ鏝(こて)をみづから執(と)れと。

かくて孤(ひと)り人間の群やらはれて解くに由なき
この咒詛(のろひ)、身にひき纏(まと)ふ苦しさに、みそら仰ぎて、
いと深き憐愍(あはれみ)垂れさせ給へよと、祷(いの)りをろがむ
眼前(まのあたり)、ゆくての途のたゞなかを獅子はふたぎぬ。

ほのぼのとあけゆく光、疑ひて眼まなこひらけば、
雄々しかる田つくり男、梯立(はしだて)に口笛鳴らし、
繒具(はたもの)の蹋木(ふみき)もとゞろ、小山田に種(たね)ぞ蒔きたる。

世の幸(さち)を今はた識(し)りぬ、人の住むこの現世(うつしよ)に、
誰かまた思ひあがりて、同胞(はらから)を凌(しの)ぎえせむや。
其日より吾はなべての世の人を愛しそめけり。

Prudhomme

原作者のシュリ・プリュドム(Sully Prudhomme、1839-1907)=写真=は、フランスの詩人。商人の息子としてパリに生まれ、技師を目ざしましたが眼病のため科学技術学校への進路を断念、法律事務所などに勤めました。

1865年、友人の強い勧めによって最初の詩集『スタンスと詩』(Stances et poèmes)を刊行、文芸批評家のサント・ブーブに認められるなど、好評を得ました。以後、文芸の道を進んで、81年にはアカデミー・フランセーズの会員。1901年、第1回ノーベル文学賞を受賞しました。

はじめは高踏派の詩人とみなされ、哲学的・科学的な趣向をにじませ、完成された優雅な詩を発表しました。後に、激しく自己をみつめる哲学的姿勢を強め、高踏派の枠をこえて独自の詩風を確立しました。

『孤独Les Solitudes』(1869)、『正義(La Justice)』(1878)、『幸福(Le Bonheur)』(1888)などの作品があります。

上田敏は「19世紀文芸史」のなかで、「シュリイ・プリウドム(1839生)は哲学的眼光を以て、高俊の材を雅醇の詩に作り、往々筆を恋愛に向けて珠の如き抒情詩を作れり」としています。

「夢」の初出は『白百合』(明治36・11)。原題は「Un Songe.(夢)」で、『スタンスと詩』(Stances et poèmes)の中に入っています。

「なが糧を」は、原詩では、お前のパンを、の意。

「機織はわれに語りぬ」は、織工は私に言う、の意で、現在形になっています。

「石造」は、石工の意。

「人間の群やらはれて」は、すべての人類から見捨てられて、という意味。「やらはれて」は追放されてということ。古事記(上)に「かれ、やらはえて、出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふところに降りたまひき」とあります。

「解くに由なき」は、やわらげがたい、という意。

「身にひき纏ふ苦しさに」は、至るところひきずっていた、ということ。

「ゆくての途のたゞなかを獅子はふたぎぬ」は、原詩では、私の道にライオンたちが立っているのを見出していた、の意。

「ほのぼのとあけゆく光、疑ひて眼まなこひらけば」は、私は目を開いた。曙が本当であるかを疑いながら、という意味です。

「雄々しかる田つくり男」は、大胆な職人たちの意で、原詩では石造を指しています。

「梯立(はしだて)に」は原詩では、はしごの上で、の意。 梯立は、はしごを立てること。立っているはしご。また、その形に似たもの。日本書紀に「故諺に曰はく、神の神庫も樹梯(ハシタテ)の随(まま)にといふは、此れ其の縁なり」。

「繒具(はたもの)の蹋木(ふみき)もとゞろ」は、原詩では、織機はうなっていた、の意。

「繒具(はたもの)」は、布を織る機具。「蹋木」は、機織り機械で、緯(よこいと)を通す時、経(たていと)を上下させるために足で踏む板のこと。万葉集(巻10・2062)に「機(はたもの)の蹋木(ふみぎ)持ち行きて天の河打橋わたす君が来むため」とあります。

「小山田に種ぞ蒔きたる」は、畑は蒔かれていた、という意。

「世の幸を今はた識りぬ」は、私は自分の幸福を知った、の意。

「誰かまた思ひあがりて、同胞を凌ぎえせむや」は、何人も他の人々なしですますと自慢することはできない、という意。「凌ぐ」は侮ることです。


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2020年04月06日

「出征」(『海潮音』8)

きょうはエレディアが、祖先たちの偉業に思いを馳せて作ったソネットです。

  出征      

      ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ

高山(たかやま)の鳥栖巣(とぐらす)だちし兄鷹(しよう)のごと、
身こそたゆまね、憂愁に思は倦(うん)じ、
モゲルがた、パロスの港、船出して、
雄誥(をたけ)ぶ夢ぞ逞(たく)ましき、あはれ、丈夫(ますらを)。

チパンゴに在りと伝ふる鉱山(かなやま)の
紫摩黄金(しまおうごん)やわが物と遠く、求むる
船の帆も撓(し)わりにけりな、時津風(ときつかぜ)、
西の世界の不思議なる遠荒磯(とほつありそ)に。

ゆふべゆふべは壮大の旦(あした)を夢み、
しらぬ火(ひ)や、熱帯海(ねつたいかい)のかぢまくら、
こがね幻(まぼろし)通ふらむ。またある時は

白妙の帆船の舳(へ)さき、たゝずみて、
振放(ふりさけ)みれば、雲の果、見知らぬ空や、
蒼海(わだつみ)の底よりのぼる、けふも新星(にひぼし)。

Palos de la Frontera

「高山の鳥栖巣だちし兄鷹のごと」は、原詩では、生れた貯肉所から飛び立つ大隼の一群のように、という意。「鳥栖」は、鳥のねぐら。「兄鷹」は、雄の鷹。

万葉集・巻2(182)に「鳥垣(とぐら)立て 飼ひし鷹(かり)の児(こ)栖立(すだ)ちなば檀(まゆみ)の岡に飛びかへり来ね」。

「身こそたゆまね、憂愁に思は倦(うん)じ」は、彼らの気高い不幸を耐え忍ぶのに疲れて、という意。

「モゲルがた、パロスの港、船出して」の「モゲル」(Moguer)は、スペイン南西部、アンダルシア州ウエルバ県にある小都市。「がた」は「方」。「パロス」は、その近くの港、パロス・デ・ラ・フロンテーラ(Palos de la Frontera)=写真=のことで、コロンブスの船団が1492年8月3日に、この港を出航したことで知られます。

「チパンゴに在りと伝ふる鉱山の/紫摩黄金やわが物と遠く、求むる」は、彼らはチパンゴがその遠い鉱山の中で成熟させていた伝説的な金属を奪い取ろうと進んでいた、という意味。

「チパンゴ(Cipango)」は日本のこと。マルコ・ポーロの旅行記でヨーロッパに紹介されてから、日本はこのような名で呼ばれました。宮殿は黄金で屋根を葺き、床も窓も金づくめだと伝えられ、宝の島と考えられていました。

「時津風」(ときつかぜ)には、良いタイミングで吹く追い風という意味で、時節に応じて吹く風、貿易風の訳語として用いられました。万葉集・巻2に「船浮けて わが漕ぎ来れば 時つ風雲居に」 吹くに 沖見ればとい波立ち辺見れば」。

「西の世界」は、いまのアメリカ大陸のこと。

「遠荒磯に」は、遠い荒磯に。コロンブスが最初に上陸したのは、西インド諸島のサン・サルバドル島でした。コロンブスは西へ西へと航海することによって、アジアの東端のチパンゴにたどり着けると考えていました。彼は3回にわたってアメリカへ航行していますが、そこがチパンゴであると死ぬまで信じて疑わなかったといいます。

「ゆふべゆふべは壮大の旦(あした)を夢み」は、毎晩叙事詩的な明日を望みながら、という意。「壮大の旦」は、水平線のかなたに新しい陸地を発見する、劇的な朝のことを言ったのでしょう。

「しらぬ火」は、有明海と八代海の沿岸で真夏にみられる光の異常屈折現象。海上の漁火が実際の数よりもずっと多く明滅し,また横に広がってみえる奇観を呈します。原詩の「熱帯の海の燐光」の意を、こう翻訳したわけです。

「かぢまくら」は、楫(かじ)を枕に眠ること。「舟の中には何とおよるぞ。苫を敷寝に、楫を枕に」(狂言・靫猿)

「白妙の帆船の舳さき、たゝずみて」は、白い帆前船の舳さきに身をもたせて、の意。

「蒼海の底よりのぼる」は、初出では「蒼海の底よりいでぬ」。

「新星」は、はじめて見る南天の星。南十字星のような南天の星々のことでしょう。

原詩は次のように、1行12音綴詩句で全12行からなるソネットです。

Les conquérants

Comme un vol de gerfauts hors du charnier natal,
Fatigués de porter leurs misères hautaines,
De Palos, de Moguer, routiers et capitaines
Partaient, ivres d’un rêve héroïque et brutal.

Ils allaient conquérir le fabuleux métal
Que Cipango mûrit dans ses mines lointaines,
Et les vents alizés inclinaient leurs antennes
Aux bords mystérieux du monde occidental.

Chaque soir, espérant des lendemains épiques,
L’azur phosphorescent de la mer des Tropiques
Enchantait leur sommeil d’un mirage doré ;

Où, penchés à l’avant des blanches caravelles,
Ils regardaient monter en un ciel ignoré
Du fond de l’Océan des étoiles nouvelles.

(生れた貯肉所から飛び立つ大隼の一群のように、
彼らの気高い不幸を耐え忍ぶのに疲れて、
水先案内と船長たちは雄々しくも荒々しい夢に酔って、
モゲルのパロスから船出していた。

彼らはチパンゴがその遠い鉱山の中で成熟させていた
伝説的な金属を奪い取ろうと進んでいた。
そして貿易風が彼らの帆げたを
西の世界の不思議な岸へと向けていた。

毎晩、熱帯の海の燐光を発する紺碧が、叙事詩的な
明日を期待する彼らの眠りを金色の幻影で魅惑していた。

あるいは白い帆前船の舳に身をもたせて、彼らは大洋の底から
見知らぬ空に新しい星々がのぼるのを見つめていた。)

上田敏は、この「壮麗体」を翻訳するにあたって、各行を五七五調と七五七調とを交錯させる新たな韻律形態を試みたことになります。

これが、後の『有明集』で試みられた蒲原有明の七五七調と五七五調を交錯させる14行詩を生み出すきっかけになったと考えられます。


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2020年04月05日

「床」(『海潮音』7)

『海潮音』のつづき。きのうと同じく、エレディヤのソネットの訳です。

  床       

       ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ

さゝらがた錦を張るも、荒妙(あらたへ)の白布(しらぬの)敷くも、
悲しさは墳塋(おくつき)のごと、楽しさは巣の如しとも、
人生れ、人いの眠り、つま恋ふる凡(す)べてこゝなり、
をさな児(ご)も、老(おい)も若(わかき)も、さをとめも、妻も、夫も。

葬事(はふりごと)、まぐはひほがひ、烏羽玉(うばたま)の黒十字架(くろじゆうじか)に
浄(きよ)き水はふり散らすも、祝福の枝をかざすも、
皆こゝに物は始まり、皆こゝに事は終らむ、
産屋(うぶや)洩る初日影より、臨終の燭(そく)の火までも、

天(あま)離(さか)る鄙(ひな)の伏屋(ふせや)も、百敷(ももしき)の大宮内(おほみやうち)も、
紫摩金(しまごん)の栄(はえ)を尽して、紅(あけ)に朱(しゆ)に矜(ほこ)り飾るも、
鈍色(にびいろ)の樫(かし)のつくりや、楓(かへで)の木、杉の床にも。

独(ひと)り、かの畏(おそれ)も悔も無く眠る人こそ善けれ、
みおやらの生れし床に、みおやらの失(うせ)にし床に、
物古りし親のゆづりの大床(おほどこ)に足を延ばして。

ベッド

「床」の初出は『明星』(明治38・7)で、「海潮音」と題された5篇中の1篇です。原詩は「Le Lit.」。

「さゝらがた錦を張るも、荒妙の白布敷くも」は、原詩では「錦をカーテンとしてもサージをカーテンとしても」の意。「さゝらがた」は訳者が補った言葉で、細かな模様をいいます。さゝらがた錦のひもを解き放(さ)けて」(允恭紀・歌謡)。

「いの眠り」は、原詩では、休息するの意。いのねむり、とは眠ることです。「霍公鳥(ほととぎす)いたくな鳴きそ独り居て寐(い)寝らえぬに聞けば苦しも」(霍公鳥よそんなに鳴かないでおくれ。独り寝の寂しくて眠れない夜に聞くとよけいに寂しくなる)(万葉集・巻8)

「つま恋ふる」は、原詩では、結婚する、の意。また、「まぐはひほがひ」は、結婚式です。

「烏羽玉の黒十字架に/浄き水はふり散らすも」は、聖水が黒い十字架像の下でふりかけられるのも、という意。

「祝福の枝をかざすも」は、いわゆる「枝の主日」(復活祭直前の日曜日)に、ベッドの頭のほうに棕櫚の小枝をかかげること。

「臨終の燭(そく)の火」というのは、カトリックの国における、遺骸の置かれたベッドの四隅にロウソクをともす習わしのことを指しています。

「百敷の大宮内も」は訳者の補った言葉で、初出では「玉敷の大宮内も」。

「紫摩金の栄を尽して、紅に朱に矜り飾るも」は、金や朱で立派に描かれた紋章付きの帳を誇っても、の意。紫摩金というのは、紫摩黄金のことです。

「鈍色の樫のつくりや、楓の木、杉の床にも」は、自然のままの樫か、糸杉か、あるいは楓であっても、の意。「鈍色」とは、「こまやかなる鈍色の御直衣装にて」(源氏物語・薄雲)にあるように、薄墨色のことです。


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2020年04月04日

「珊瑚礁」(『海潮音』6)

『海潮音』のつづき。きょうは、ソネット形式・14行詩の訳です。

  珊瑚礁(さんごしよう)     

          ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ

波の底にも照る日影、神寂(かみさ)びにたる曙(あけぼの)の
照しの光、亜比西尼亜(アビシニア)、珊瑚の森にほの紅く、
ぬれにぞぬれし深海(ふかうみ)の谷(たに)隈(くま)の奥に透入(すきい)れば、
輝きにほふ虫のから、命にみつる珠(たま)の華。

沃度(ヨウド)に、塩にさ丹(に)づらふ海の宝のもろもろは
濡髪(ぬれがみ)長き海藻(かいそう)や、珊瑚、海胆(うに)、苔(こけ)までも、
臙脂(えんじ)紫(むらさき)あかあかと、華奢(かしや)のきはみの絵模様に、
薄色ねびしみどり石、蝕(むしば)む底ぞ被(おほ)ひたる。

鱗(こけ)の光のきらめきに白琺瑯(はくほうろう)を曇らせて、
枝より枝を横ざまに、何を尋(たづ)ぬる一大魚(いちだいぎよ)、
光透入(すきい)る水かげに慵(ものう)げなりや、もとほりぬ。

忽ち紅火(こうか)飄(ひるが)へる思の色の鰭(ひれ)ふるひ、
藍(あゐ)を湛(たた)へし静寂のかげ、ほのぐらき清海波(せいがいは)、
水(みづ)揺(ゆ)りうごく揺曳(ようえい)は黄金(おうごん)、真珠、青玉(せいぎよく)の色。

サンゴ礁

ホセ・マリア・デ・エレディア(Jose Maria de Heredia、1842-1905)はフランスの詩人。キューバのサンチアゴ近郊で、キューバ生まれのスペイン人の父親と、フランス人の母親の間に生まれる。ホセ・マリアの名は親類だったキューバの作家ホセ・マリア・エレディア(Jose Maria Heredial、1803-1839)にちなんでいます。

1851年にフランスへ。1862年、古文書学校に入学し、古典の学識を蓄えるとともに本格的に詩人として活動を始めます。高踏派の詩風を体現し、詩を造形美術にもっとも近づけた詩人として評価され、1893年に生涯唯一となる詩集『戦勝牌』(Les Trophees)を世に出しました。

上田敏は「十九世紀文芸史」の中で、エレディアについて「ルコント・ドゥ・リイルの衣鉢を伝へて、「レ・トロフェイ」(1893)の小詩集に壮麗の「ソネット」を公にし、古史の事跡を叙し、南海東洋の瑰麗なる風色を写して、宛も丹精の名什を成せるが如し」と述べています。

詩「珊瑚礁」の原題は「Le Récif de corail」。初出は、『明星』(明38・9)に「白琺瑯」と題せられた9篇中の1篇として掲載されました。

「波の底にも照る日影」と「神寂びにたる曙の照しの光」は同格です。

「ぬれにぞぬれし深海の谷隈の奥に透入れば、/輝きにほふ虫のから、命にみつる珠の華」は、原詩では、珊瑚の森はなまぬるい泉の奥で、花のように咲いた動物と生ある植物をまぜ合わせている、という意。

「ぬれにぞぬれし」は、訳者の補った言葉。千載集(巻4)に「見せばやなをじまのあまの袖だにもぬれにぞぬれしいろはかはらじ」(あなたに見せたいものです。松島にある雄島の漁師の袖でさえ、波をかぶって濡れに濡れても色は変わらないというのに)とあります。

「沃度(ヨウド)に、塩にさ丹づらふ海の宝のもろもろは」は、塩やヨードが彩るすべてのものは、という意。「さ丹づらふ」は、赤い頬をした、あるいは赤い色のさした。万葉集・巻10に「さ丹づらふ妹をおもふと霞立つ春日もくれに恋ひわたるかも」

「珊瑚」(anémones)は、花虫綱サンゴ科に属する刺胞動物の総称で、通常その骨格をいいます。サンゴ虫が集まって樹枝状の群体をつくり、個体が死ぬと石灰質からなる骨軸だけがのこります。骨軸を加工して首かざり、かんざしなどの装飾品をつくります。

「臙脂紫あかあかと」は、暗い帯紫紅色で、の意味。「臙脂紫」は、赤の濃い紫色。与謝野晶子の『みだれ髪』(1901)に、「湯あがりを御風(みかぜ)めすなのわが上衣(うはぎ)ゑんじむらさき人うつくしき」とあるように『明星』派が好んで使った言葉として知られます。

「薄色ねびしみどり石」は、色のさめたみどり石の、の意。「ねぶ」は、ふける、年をとったさま。

「白琺瑯」(はくほうろう)の原詩は、Les émauxで、鉄、アルミニウムなどの金属材料表面にシリカを主成分とするガラス質の釉薬を焼き付けた琺瑯(ホーロー)のほか、花などの鮮やかな彩りの意味もあります。

「もとほりぬ」は、泳ぎまわる、という意。

「藍を湛へし静寂のかげ、ほのぐらき清海波、/水揺りうごく揺曳は黄金、真珠、青玉の色」は、物憂く動かない、そして青い水晶のような水を通して、金・真珠母・エメラルドの戦慄を走らす、という意。

「清海波」はもともと雅楽の楽曲名で、これに用いる波形を描いた衣服の染模様をいいます。


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2020年04月03日

「象」(『海潮音』5)

『海潮音』のつづき。きょうもリイルの作品の訳詩です。

   象    
        ルコント・ドゥ・リイル

沙漠は丹(たん)の色にして、波漫々(まんまん)たるわだつみの
音しづまりて、日に燬(や)けて、熟睡(うまい)の床に伏す如く、
不動のうねり、大(おほ)らかに、ゆくらゆくらに伝(つた)はらむ、
人住むあたり銅(あかがね)の雲、たち籠むる眼路(めぢ)のすゑ。

命も音も絶えて無し。餌(ゑば)に飽きたる唐獅子(からじし)も、
百里の遠き洞窟(ほらあな)の奥にや今は眠るらむ。
また岩清水迸(ほとばし)る長沙(ちようさ)の央(なか)ば、青葉かげ、
豹(ひよう)も来て飲む椰子森(やしりん)は、麒麟(きりん)が常の水かひ場。

大日輪の走(は)せ廻(めぐ)る気重き虚空(こくう)鞭(むち)うつて、
羽掻(はがき)の音の声高き一鳥(いつちよう)遂に飛びも来ず、
たまたま見たり、蟒蛇(うはばみ)の夢も熱きか円寝(まろね)して、
とぐろの綱を動せば、鱗(うろこ)の光まばゆきを。

一天(いつてん)霽(は)れて、そが下に、かゝる炎の野はあれど、
物鬱(ものうつ)として、寂寥(せきりよう)のきはみを尽すをりしもあれ、
皺(しわ)だむ象の一群よ、太しき脚の練歩(ねりあし)に、
うまれの里の野を捨てゝ、大沙原(おほすなばら)を横に行く。

地平のあたり、一団の褐色(くりいろ)なして、列(つら)なめて、
みれば砂塵を蹴立てつゝ、路無き原を直道(ひたみち)に、
ゆくてのさきの障碍(さまたげ)を、もどかしとてや、力足(ちからあし)、
蹈鞴(たたら)しこふむ勢(いきほひ)に、遠(をち)の砂山崩れたり。

導(しるべ)にたてる年嵩(としかさ)のてだれの象の全身は
「時」が噛みてし、刻みてし老樹の幹のごと、ひわれ
巨巌の如き大頭(おほがしら)、脊骨(せぼね)の弓の太しきも、
何の苦も無く自(おの)づから、滑(なめ)らかにこそ動くなれ。

歩(あゆみ)遅(おそ)むることもなく、急ぎもせずに、悠然と、
塵にまみれし群象をめあての国に導けば、
沙(すな)の畦(あぜ)くろ、穴に穿(うが)ち、続いて歩むともがらは、
雲突く修験山伏(すげんやまぶし)か、先達(せんだつ)の蹤蹈(あとふん)でゆく。

耳は扇とかざしたり、鼻は象牙(ぞうげ)に介(はさ)みたり、
半眼(はんがん)にして辿(たど)りゆくその胴腹(どうばら)の波だちに、
息のほてりや、汗のほけ、烟(けむり)となつて散乱し、
幾千万の昆虫が、うなりて集(つど)ふ餌食(ゑじき)かな。

饑渇(きかつ)の攻(せ)めや、貪婪(たんらん)の羽虫(はむし)の群(むれ)もなにかあらむ、
黒皺皮(くろじわがは)の満身の膚(はだへ)をこがす炎暑をや。
かの故里(ふるさと)をかしまだち、ひとへに夢む、道遠き
眼路(めぢ)のあなたに生ひ茂げる無花果(いちじゆく)の森、象(きさ)の邦(くに)。

また忍ぶかな、高山(たかやま)の奥より落つる長水(ちようすい)に
巨大の河馬(かば)の嘯(うそぶ)きて、波濤たぎつる河の瀬を、
あるは月夜(げつや)の清光に白(しろ)みしからだ、うちのばし、
水かふ岸の葦蘆(よしあし)を蹈(ふ)み砕きてや、降(お)りたつを。

かゝる勇猛沈勇の心をきめて、さすかたや、
涯(きはみ)も知らぬ遠(をち)のすゑ、黒線(くろすぢ)とほくかすれゆけば、
大沙原(おほすなはら)は今さらに不動のけはひ、神寂(かみさ)びぬ。
身動(みじろぎ)迂(う)とき旅人(たびうど)の雲のはたてに消ゆる時。

象

「象」の初出は、よくわかっていません。原詩はリイルの「Les Eléphants」。インド、ユダヤ、エジプト、北欧の宗教的伝説などをうたった作品からなる『異邦詩集(Poemes barbares)』(1862)に収められています。原詩の複数を尊重すれば「群象」ということになります。

「沙漠は丹の色にして、波漫々たるわだつみの」は、原詩では、赤い砂漠は果てしない海のようである、という意。

「熟睡の床に伏す」は、力なく床に横たわっている。「床」は海底をさしているのでしょう。

「不動のうねり」は、砂丘のつらなりを指しています。

「大らかに、ゆくらゆくらに」は訳者が補った言葉。「大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我が寝る夜らは 数みもあへぬかも」(万葉集・巻13・3329)のように「ゆくらゆくらに」は、ゆれうごく様子を形容しています。

「唐獅子」は、原詩では、すべてのライオン、の意。

「眠るらむ」は、原詩では、眠っている、の意で現在形です。

「また岩清水迸る長沙の央」は、訳者の補った言葉。「長沙」は、広い砂漠のことをいいます。

「青葉かげ、/豹も来て飲む椰子森は、麒麟が常の水かひ場」は、キリンは、青い泉を飲んでいる。かなたのヒョウのよく知っている椰子の木の下で、の意。

「鞭うつて」は、空気を翼で打って、鋭い音をたてること。

「円寝して」は、訳者が補った言葉。「円寝」は着物を着たまま寝る意味ですが、ここでは、蛇がとぐろをまくようにまるまって寝ている姿が連想されます。

「とぐろの綱を動せば」は、原詩では、その背を波打たせる、という意。

「物鬱として、寂寥のきはみを尽す」は、すべてがものうい孤独の中で眠っている。

「皺だむ象の一群よ、太しき脚の練歩に」は、きめの粗い象たち、ゆったりした粗野な旅行者たちが、の意で、「太しき脚の練歩」は意訳。

「練歩」は、節会の時、内弁など殿上人の歩き方の一つ。威儀を正して足を一か所に踏み定めながら歩きます。

「うまれの里の野を捨てゝ」の前後の原詩は――

Les éléphants rugueux, voyageurs lents et rudes,
Vont au pays natals à travers les déserts

きめの粗い象たち、ゆっくりとして粗野な旅人たちは、砂漠を横切り、生まれ故郷を指して行く、の意で、「捨てゝ」というのは誤訳のようです。

「地平のあたり、一団の褐色なして、列なめて」の原詩の意は、地平線の一点から、褐色のかたまりのように彼らは来る。

「列なめて」は、行列を作ってというニュアンスを出すため訳者が補ったのでしょう。

「路無き原を直道に、ゆくてのさきの障碍を、もどかしとてや、力足」は、いちばんまっすぐな道からはずれないようにするため、彼らの巨大な確固とした足の下で、遠くで砂丘がくずれるのが見える、という意味です。

「蹈鞴しこふむ勢に」は訳者が補った言葉。「蹈鞴」は、鋳物に用いる、足で踏んで風を送る大きなふいごのこと。それを、両足かわるがわるに行う、というのです。

「導にたてる年嵩のてだれの象」は、原詩では、先頭に立つのは年老いた首長である、という意。

「めあての国に」は、たしかな目的に。

「雲突く修験山伏」は、重厚な巡礼たちの意の原詩を、日本語的に表現しています。

「先達」は、長老の意。

「幾千万の昆虫が、うなりて集ふ餌食かな」は、まわりには数知れぬ激しい昆虫がうなっている、の意です。

「貪婪」は、むさぼってあきることがないこと。

「かの故里をかしまだち、ひとへに夢む、道遠き/眼路のあなたに生ひ茂げる無花果の森、象の邦」の原詩は――

Ils rêvent en marchant du pays délaissé, 
Des forêts de figuiers où s'abrita leur race. 
(彼らは歩きながら見棄てた国を、彼らの種族が身を寄せた無花果の森を夢見ている)

象たちが、むかし見棄てた国、むかし身を寄せた無花果の森を回想しているのです。

「水かふ」は、馬などに水を飲ませること。

「また忍ぶかな、高山の奥より落つる長水に」からの節の原詩は――

Ils reverront le fleuve échappé des grands monts,
Où nage en mugissant l’hippopotame énorme,
Où, blanchis par la lune et projetant leur forme,
Ils descendaient pour boire en écrasant les joncs.
(彼らは大きな山々から逃れ出た川を見るであろう、そこは巨大な河馬がうなりながら泳ぎ、そこでは、月に白く照らされ、その姿をうき出させながら、彼らはよく藺を踏みつぶしながら水を飲みに降りて行ったものであった。)

象たちのめざしている故郷の風景を叙していると考えられます。

「涯も知らぬ遠のすゑ、黒線とほくかすれゆけば」は原詩では、彼らは黒い一本の線のように果てしない砂に移動して行く、という意です。

「今さらに不動のけはひ、神寂びぬ」は、再びその不動の状態を取り戻す、という意。「神寂びぬ」は、訳者が補った言葉です。

「雲のはたて」は、雲のはて、空のはてのこと。原詩では、地平線の意です。


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2020年04月02日

「大饑餓」(『海潮音』4)

『海潮音』のつづき。きょうは、きのうの「真昼」と同じリイル詩の訳です。

  大饑餓     

        ルコント・ドゥ・リイル

夢円(まどか)なる滄溟(わだのはら)、濤(なみ)の巻曲(うねり)の揺蕩(たゆたひ)に
夜天(やてん)の星の影見えて、小島(をじま)の群と輝きぬ。
紫摩黄金(しまおうごん)の良夜(あたらよ)は、寂寞(じやくまく)としてまた幽に
奇(く)しき畏(おそれ)の満ちわたる海と空との原の上。

無辺の天や無量海、底(そこ)ひも知らぬ深淵(しんえん)は
憂愁の国、寂光土、また譬(たと)ふべし、炫耀郷(げんようきよう)。
墳塋(おくつき)にして、はた伽藍(がらん)、赫灼(かくやく)として幽遠の
大荒原(だいこうげん)の縦横(たてよこ)を、あら、万眼(まんがん)の魚鱗(うろくづ)や。

青空(せいくう)かくも荘厳に、大水(だいすい)更に神寂(かみさ)びて
大光明の遍照(へんじよう)に、宏大無辺界中(こうだいむへんかいちゆう)に、
うつらうつらの夢枕、煩悩界(ぼんのうかい)の諸苦患(しよくげん)も、
こゝに通はぬその夢の限も知らず大いなる。

かゝりし程に、粗膚(あらはだ)の蓬起皮(ふくだみがは)のしなやかに
飢(うゑ)にや狂ふ、おどろしき深海底(ふかうみぞこ)のわたり魚(うを)、
あふさきるさの徘徊(もとほり)に、身の鬱憂を紛れむと、
南蛮鉄(なんばんてつ)の腮(あぎと)をぞ、くわつとばかりに開いたる。

素(もと)より無辺天空を仰ぐにはあらぬ魚の身の、
参(からすき)の宿(しゆく)、みつ星(ぼし)や、三角星(さんかくせい)や天蝎宮(てんかつきゆう)、
無限に曳(ひ)ける光芒(こうぼう)のゆくてに思馳(おもひは)するなく、
北斗星前(ほくとせいぜん)、横(よこた)はる大熊星(だいゆうせい)もなにかあらむ。

唯、ひとすぢに、生肉(せいにく)を噛まむ、砕かむ、割(さ)かばやと、
常の心は、朱(あけ)に染み、血の気に欲を湛(たた)へつゝ、
影暗うして水重き潮の底の荒原を、
曇れる眼(まなこ)、きらめかし、悽惨(せいさん)として遅々たりや。

こゝ虚(うつろ)なる無声境(むせいきよう)、浮べる物や、泳ぐもの、
生きたる物も、死したるも、此空漠(くうばく)の荒野(あらぬ)には、
音信(おとづれ)も無し、影も無し。たゞ水先(みづさき)の小判鮫(こばんざめ)、
真黒(まくろ)の鰭(ひれ)のひたうへに、沈々として眠るのみ。

行きね妖怪(あやかし)、なれが身も人間道(にんげんどう)に異ならず、
醜悪(しゆうお)、獰猛(どうもう)、暴戻(ぼうれい)のたえて異なるふしも無し。
心安かれ、鱶(ふか)ざめよ、明日(あす)や食らはむ人間を、
又さはいへど、汝(なれ)が身も、明日や食はれむ、人間に。

聖なる飢(うゑ)は正法(しようほう)の永くつゞける殺生業(せつしようごう)、
かげ深海(ふかうみ)も光明の天(あま)つみそらもけぢめなし。
それ人間も、鱶鮫(ふかざめ)も、残害(ざんがい)の徒も、餌食(ゑじき)等も、
見よ、死の神の前にして、二つながらに罪ぞ無き。

水の星

「大饑餓」の初出は、明治38年7月の『明星』です。「海潮音」と題された5篇のうちの1篇。原題は「Sacra Fames.」。ラテン語で「聖なる飢え」の意味があります。『悲壮詩集(Poemes Tragiques)』(1884)に入っています。

この詩は、ルコント・ドゥ・リイル(1818-1894)が1845年、レユニオン島からフランスへ帰る船の中でサメを見て想を得たといわれています。

リイルは、インド洋上のフランス植民地レユニオン島に生まれ、少年時代をそこで過しました。この島の熱帯の風物は彼に深い印象を残し、作品にも多くの影響を与えました。

その後、フランス本国へ。青年時代にはフーリエ派の社会主義に共鳴して政治に関心をもちましたが、2月革命後の反動時代に絶望を感じ、古代ギリシアを讃美してカトリック教を憎悪しました。そして、インドの宗教・哲学をきわめ、人生を無と観ずるに至っています。

「夜天の星の影見えて、小島の群と輝きぬ」は、原詩では、波の上に空がきらめく島々を置いている、の意味。水面に映る星を島々に見たてています。

「紫摩黄金の良夜は」は、黄金の夜は、の意。紫摩黄金は、紫色を帯びた最上の黄金のことをいいます。

「寂寞としてまた幽に、/奇しき畏の満ちわたる海と空との原の上」のところは、夜が、魔法のような不思議な沈黙で、空と海の驚くべき恐怖を満たしている、という意。

「無辺の天や無量海、底ひも知らぬ深淵は」は、二つの淵は悲哀と平和と眩惑との果てしない一つの深淵しかつくらない、という意。

「炫耀郷」は、まばゆいまでに光り輝く土地のこと。上田敏の造語とみられます。

「赫灼として幽遠の/大荒原の縦横を」は、原詩からすれば、燦然たるそして憂鬱な無人境、の意。「縦横を」は訳者の補った言葉です。

「あら、万眼の魚鱗や」は、そこでは数百万の眼がじっと見つめている、という意。この前後は原詩では次のようになっていて、「魚鱗」には限定されていません。

Les deux gouffres ne font qu’un abîme sans borne
De tristesse, de paix et d’éblouissement,
Sanctuaire et tombeau, désert splendide et morne
Où des millions d’yeux regardent fixement.
(二つの淵は悲哀と平和と眩惑との果てしらぬ一つの深淵しかつくらない、神殿と墳墓、数百万の眼がじっと見つめている燦然たるそして憂鬱な無人境)

「大水更に神寂びて」は、尊敬すべき海水は、という意。

「大光明の遍照に」は、原詩ではシンプルに「光りの中で」の意。「遍照」は、あまねく照らすこと。仏教語を用いて、敷衍して訳しています。

「宏大無辺界中に」は、荘厳さの中で、という意。

「うつらうつらの夢枕」は原詩では、眠っている、の意。「うつらうつら」は、調子をととのえるために訳者が補った言葉です。

「煩悩界の諸苦患」も、仏教的な訳の試みで、原詩は、あわれむべき生物たちのざわめき、という意味です。

「こゝに通はぬその夢の限も知らず大いなる」は、初出では「こゝに達(とど)かぬそれ夢の」。原詩は、あたかも彼らの限りない夢を決して乱さなかったかのように、の意です。

「粗膚の蓬起皮のしなやかに」は、たるんだざらざらした皮膚に、の意。「蓬起皮(ふくだみがは)」は上田敏の造語で、「ふくだむ」はけばだつことです。

「おどろしき深海底のわたり魚」は、原詩では、海の大草原(ステップ)の不気味な放浪者、という意。

「あふさきるさの徘徊」は、来り、行ったり、まわったり、といった意。「あふさきるさ」は、あるいは左し、あるいは右すること。

「身の鬱憂を紛れむと、/南蛮鉄の腮をぞ、くわつとばかりに開いたる」は、原詩では、遠く孤独の匂いを嗅ぎながら、アンニュイで鉄のあごを細目にあける、という意味。「鬱憂」は「ennui」の訳語。「南蛮鉄」は、南蛮渡来の精錬された鉄のことです。

「素より無辺天空を仰ぐにはあらぬ魚の身の」は、確かに、彼は青い無限の広がりを気にしない、という意。

「参の宿、みつ星や」の初出は「觜(とろき)の宿のみつ星も」となっています。原詩は「Trois Rois」で、オリオン座の三つ星のことをいいます。「参の宿」は28宿の一つでオリオン座の中央部、「觜の宿」も28宿の一つでオリオン座の北部にあります。

「三角星」の原詩は「Triangle」で、三角座のことです。

「天蝎宮、/無限に曳ける光芒のゆくてに思馳するなく」は、無限の中でその燃える尾をねじるさそり座をも気にしない、という意。

「唯、ひとすぢに、生肉を噛まむ、砕かむ、割かばやと」は、彼は、砕かれ切りきざまれる肉しか知らない、という意。

「常の心は、朱に染み、血の気に欲を湛たたへつゝ」は、そして常に血なまぐさい欲望に夢中になって、という意。

「影暗うして水重き潮の底の荒原を」は、厚い影の重い水の堆積の中で

「曇れる眼、きらめかし、悽惨として遅々たりや」は、そのどろんとした無感動で鈍い眼のおもむくままに委せている、という意。

「こゝ虚なる無声境」は、すべては空しく無言である、という意味。

「音信も無し、影も無し」は、彼が聞いたり見たりできるものは何もない。

「たゞ水先の小判鮫」。原詩の意は「彼は動かず、盲(めし)いたままである。そして彼のきゃしゃな水先案内人は……」とつづいています。前半は翻訳されていないことになります。

「人間道に異ならず」は、われわれのありかたと別のものではない、の意です。

「醜悪、獰猛、暴戻のたえて異なるふしも無し」は、もっと恥知らず、もっと獰猛、あるいはもっと絶望的である、という意。

「鱶(ふか)ざめよ」は、汝(なんじ)よ。

「正法の永くつゞける殺生業、/かげ深海も光明の天つみそらもけぢめなし」も仏教語を用いて訳しています。原詩を直訳すれば、影の深みから輝く空まで、長い間の合法的な殺害である、という意になります。

「残害の徒」は、殺戮者の意です。

「見よ、死の神の前にして」は、原詩では、おお死神よ、汝の前では、の意になります。


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2020年04月01日

「真昼」(『海潮音』3)

『海潮音』のつづき。きょうはフランス高踏派の詩人、ルコント・ドゥ・リイルの詩の訳です。     

  真昼

       ルコント・ドゥ・リイル

「夏」の帝(みかど)の「真昼時(まひるどき)」は、大野(おほの)が原に広ごりて、
白銀色(しろがねいろ)の布引(ぬのびき)に、青天(あをぞら)くだし天降(あもり)しぬ。
寂(じやく)たるよもの光景(けしき)かな。耀く虚空(こくう)、風絶えて、
炎(ほのほ)のころも、纏(まと)ひたる地(つち)の熟睡(うまい)の静心(しづごころ)。

眼路(めぢ)眇茫(びようぼう)として極(きはみ)無く、樹蔭(こかげ)も見えぬ大野らや、
牧(まき)の畜(けもの)の水かひ場(ば)、泉は涸(か)れて音も無し。
野末遙けき森陰は、裾(すそ)の界(さかひ)の線(すぢ)黒み、
不動の姿夢重く、寂寞(じやくまく)として眠りたり。

唯熟したる麦の田は黄金海(おうごんかい)と連(つら)なりて、
かぎりも波の揺蕩(たゆたひ)に、眠るも鈍(おぞ)と嘲(あざ)みがほ、
聖なる地(つち)の安らけき児等(こら)の姿を見よやとて、
畏(おそ)れ憚(はばか)るけしき無く、日の觴(さかづき)を嚥(の)み干しぬ。

また、邂逅(わくらば)に吐息なす心の熱の穂に出でゝ、
囁声(つぶやきごゑ)のそこはかと、鬚長頴(ひげながかひ)の胸のうへ、
覚めたる波の揺動(ゆさぶり)や、うねりも貴(あて)におほどかに
起きてまた伏す行末は沙(すな)たち迷ふ雲のはて。

程遠からぬ青草の牧に伏したる白牛(はくぎゆう)が、
肉置(ししおき)厚き喉袋(のどぶくろ)、涎(よだれ)に濡(ぬ)らす慵(ものう)げさ、
妙(たへ)に気高(けだか)き眼差(まなざし)も、世の煩累(わづらひ)に倦(う)みしごと、
終(つひ)に見果てぬ内心の夢の衢(ちまた)に迷ふらむ。

人よ、爾(いまし)の心中を、喜怒哀楽に乱されて、
光明道(こうみようどう)の此原(このはら)の真昼(まひる)を孤(ひとり)過ぎゆかば、
逭(の)がれよ、こゝに万物は、凡(す)べて虚(うつろ)ぞ、日は燬(や)かむ。
ものみな、こゝに命無く、悦(よろこび)も無し、はた憂無し。

されど涙(なんだ)や笑声(しようせい)の惑(まどひ)を脱し、万象(ばんしよう)の
流転(るてん)の相(そう)を忘(ぼう)ぜむと、心の渇(かわき)いと切(せち)に、
現身(うつそみ)の世を赦(ゆる)しえず、はた咀(のろ)ひえぬ観念の
眼(まなこ)放ちて、幽遠の大歓楽を念じなば、

来れ、此地の天日(てんじつ)にこよなき法(のり)の言葉あり、
親み難き炎上(えんじよう)の無間(むげん)に沈め、なが思、
かくての後は、濁世の都をさして行くもよし、
物の七(なな)たび涅槃(ニルヴアナ)に浸りて澄みし心もて。

リール

ルコント・ドゥ・リイル(Charles-Marie-René Leconte de Lisle、1818-1894)=写真=は、フランスの詩人。法律を学んだが詩人を志し、『ファランジュ』誌に詩を発表するかたわら、フーリエ主義者として二月革命 (1848) を支持しました。

そのため、家族との間に不和を生じ、以後貧窮生活を強いられたました。やがて政治から遠ざかり、ホメロスやギリシア悲劇などの翻訳研究に専念しました。

この古代との交わりから、独特の「客観的抒情」という理念を得て、『古代詩集』(Poèmes antiques、1852)、『夷狄 (いてき) 詩篇』(Poèmes barbares、1862)を完成。ロマン派に対立して、感情を極力排した冷たい形式美を目標とする高踏派を形成しました。

1866年にこの派の詞華集『現代高踏詩集』(Le Parnasse contemporain)を刊行 (続巻1871、1876)、一世を風靡しました。ほかに、『悲劇詩集』(Poèmes tragiques、1884)などがあります。

「真昼」の原詩である「Midi」は、古代ギリシアをうたった作品やインドに関する詩などが収められた第1詩集『古代詩集』の一篇です。

「夏」の帝の「真昼時」の「夏」と「真昼時」は同格で「」は擬人化を示しています。

「白銀色の布引に」は、真昼の日光が燦々とふりそそいでいる形容です。原文にある「nappe」は、食卓をおおう白い布の意味から滝の意にも用いられ、「布引の滝」など日本語の表現と相通じるところがあります。

「青天くだし天降しぬ」は、原詩では、青空の高みから落ちているの意味です。「天降」は、あまくだるの意。万葉集の巻二に「高麗剣(こまつるぎ)和射見が原の行宮(かりみや)に 天降(あも)りいまして」とあります。

「炎のころも、纏ひたる」は、火の衣を着て、の意。「炎のころも」は、もえるような大気をさしています。

「地(つち)の熟睡(うまい)の静心(しづごころ)」は、大地はまどろんでいるという意。「静心」は訳者が補った言葉です。

「眼路(めぢ)眇茫(びようぼう)として極(きはみ)無く」は、ひろがりは果てしもなくという意。「眼路」は、視界のことです。

「樹蔭(こかげ)も見えぬ大野らや」は、野には影ひとつない、の意。

「牧の畜(けもの)の水かひ場」は、羊の群れが水を飲んでいた、という意。「水かひ場」は上田敏の造語と見られます。

「裾の界の線(すぢ)黒み」は、その縁が暗く見える、という意。

「不動の姿夢重く」は、動くこともなく、重い休息のうちに。

「寂寞として眠りたり」は、原詩では、かなたに眠っている、の意。「寂寞として」は、訳者がおぎなった言葉です。

「かぎりも波の揺蕩(たゆたひ)に」は、もとは遠くにひろがっている、の意。それに「かぎりもなく」と「波」をかけ、「揺蕩」を補って調子を整えています。

「眠るも鈍(おぞ)と嘲(あざ)みがほ」は、眠りを軽蔑して、の意。「鈍」は、にぶいことを示すため、訳者の補った言葉です。

「聖なる地(つち)の安らけき児等」 原詩は「 Pacifiques enfants de la terre sacrée」(聖なる大地の平和な子どもたち)で、熟した麦のことを指しています。

「日の觴(さかづき)」は、la coupe du soleil(太陽の盃)。あふれるような太陽をこのように表現したと考えられます。

「嚥(の)み干しぬ」は、原詩では、飲みほしている、の意で、現在形になっています。

「また、邂逅(わくらば)に」は、ときおりの意。「鬚長頴(ひげながかひ)」は、重く垂れさがった麦を、あごひげを長く垂らした穂、というように擬人化したもの。

ここの節を原詩の意味に即して訳せば――

ときおり、彼らの燃えるような心の一つのため息のように、ささやき合っているところの重い穂の胸から、壮大でゆったりとした一つの活動が目ざめ、そして塵まみれの地平線に消えて行く。

「肉置(ししおき)厚き喉袋(のどぶくろ)」は、厚い喉の垂れ肉の意。

「涎(よだれ)に濡らす慵(ものう)げさ」は、ゆっくりと涎を垂らしているという意で、「慵げさ」は訳者の補った原詩にない言葉です。

「妙に気高き眼差も、世の煩累(わづらひ)に倦みしごと」は、憔悴した、そして崇高な彼らの眼で、の意。

「内心の夢の衢(ちまた)に迷ふらむ」は、内心の夢を追っている、という意味。原詩は現在形になっています。

「光明道の此原」は、光り輝く野の意。「光明道」は、光明土からの造語と考えられます。

「日は燬(や)かむ」の原詩は、太陽はすべてをやきつくす、の意で、現在形です。

「万象の/流転の相を忘ぜむと」は、動揺するこの世を忘却しようと渇望して、の意。

「現身(うつそみ)の世を」は訳者の補った言葉で、次は、もはや赦したり呪ったりすることもできず、の意になります。

「幽遠の大歓楽を念じなば」は、至高で玄妙な快楽を味わおうと欲するのなら、の意になります。


harutoshura at 03:00|PermalinkComments(0)上田敏