2015年09月

2015年09月30日

「〔いま来た角に〕」③

きょうも「〔いま来た角に〕」のつづきを読んでいきます。

一梃の銀の手斧が
水のなかだかまぶたのなかだか
ひどくひかってゆれてゐる
太吉がひるま
この小流れのどこかの角で
まゆみの藪を截ってゐて
帰りにこゝへ落したのだらう
なんでもそらのまんなかが
がらんと白く荒さんでゐて
風がをかしく酸っぱいのだ……

銀の斧

「銀の手斧」というと、斧をなくしたきこりを主人公とするイソップ寓話を思い出しますが、日本では1891(明治24)年に巡洋艦「橋立」以来、船の進水式で、支綱切断のときに用いられることが多いそうです。

銀の斧は古くから悪魔を振り払うといわれている縁起物。斧の刃の左側に彫られた3本の溝は、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子(みはしらのうずのみこ)、右に彫られた4本の溝は四天王を表しているとか。

この「一梃の銀の手斧」を落としたのは、ここでは「太吉」となっていますが、先駆形の一つでは、

 ミーロがそらのすももばたけで
 おいぼれた木を伐ってゐて
 ねむたくなって落すのだろう
 なんでもそらの果樹園が
 ぼんやりをかしく酸っぱいから……

と「ミーロ」ということになっています。ミーロは、「ポラーノの広場」で「羊飼のミーロ」として、

 「ミーロ、おいで、地図を見よう。」
 すると山羊小屋の中からファゼーロよりも三つばかり年上の、ちゃんときゃはんをはいて、ぼろぼろになった青い皮の上着を着た顔いろのいいわか者が出てきて、わたくしにおじぎしました。

と、元気よく登場します。ミーロのモデルは「太吉」なのでしょうか?

「まゆみ」は、剛健で材質が強いうえよくしなるため、昔から弓の材料として知られるニシキギ科の落葉低木です。「おいぼれた木を伐って」いたミーロに対し「太吉」は、手斧で頑強な「まゆみの藪」と格闘していたわけです。

きっと「風」は、「そらの果樹園」の風味を運んできているのでしょう。


harutoshura at 22:11|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月29日

「〔いま来た角に〕」②

「〔いま来た角に〕」のつづきを読みます。
 
 シャープ鉛筆 月印
 紫蘇のかをりの青じろい風
 かれ草が変にくらくて
 水銀いろの小流れは
 蒔絵のやうに走ってゐるし
 そのいちいちの曲り目には
 藪もぼんやりけむってゐる

蒔絵

「シャープ鉛筆 月印」について『語彙辞典』では、「舶来のドイツのステッドラー(Staedtler)社製のもので右向きの半月に顔のついたもの」としています。確かに、ステッドラー社は1895年、擬人化した三日月をトレードマークとして登録。実際に東南アジアを中心に「ムーン鉛筆工場」という名前で取引が行われていました。

ただし企業情報によれば「シャープペンシルを取り扱い品群として導入」したのは、賢治の死後の1937年となっています。この作品が作られた1924年ころ、ステッドラー関係の「シャープ鉛筆」があったかどうかは分かりません。

1915年、早川金属工業(現在のシャープ)の創業者、早川徳次は、本業のかたわら金属製繰出鉛筆を発明し、「早川式繰出鉛筆」として特許を取得しています。それより前にもセルロイド製の繰出鉛筆がありましたが、壊れやすくて実用向きではありませんでした。

最初は芯が太かったものの翌1916年には、細い芯に改良し「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と改名しました。このころはまだノック式は発明されておらず、回転させて芯を送り出す先端スクリュー方式でした。

ちなみにシャープは1923年の関東大震災で工場を焼失しため筆記用具の製造販売をやめ、家電メーカーとして再生しました。

ほかにも当時、「月矢印」「ツキドモエ印」などのブランドのシャープペンシルや、「月星鉛筆」といった文具メーカーもあったようです。こうした国内メーカーの「シャープ鉛筆」である可能性も捨てられないでしょう。

「紫蘇」(シソ)は高さ1mほどになる一年草で、葉は対生につき、広卵形で先端は尖り、緑色または赤みを帯びています。

後漢末、洛陽の若者が蟹の食べすぎで食中毒を起こして死にかけたとき、名医・華佗が薬草を煎じて紫の薬を作り、これを用いたところ若者はたちまち健康を取り戻した。「紫の蘇る薬」ということで名づけられたそうです。ペリルアルデヒドに由来する特有の香りと辛味があります。

「水銀」は、常温、常圧で凝固しないただ一つの金属で、銀のような白い光沢を放ちます。賢治は、この水銀の特有の光沢をしばしば比喩的に用いています。

「蒔絵」(まきえ)=写真、wiki=は、漆器の表面に漆で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を蒔くことによって器の面に定着させる技法。ここでは「水銀いろの小流れ」すなわち川の流れの比喩に用いられています。

「曲り目」は、道路、川、線路などの曲がったあたりのこと。「蒔絵のやうに走」る「水銀いろ」の川の曲り目、一つ一つの「藪もぼんやりけむってゐる」といいます。それはもちろん、詩人の心の景色でもあるのでしょう。


harutoshura at 16:44|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月28日

「〔いま来た角に〕」①


 きょうから「〔どろの木の下から〕」と同じ「1924、4、19」の日付がついた無題の詩を読みます。冒頭は――

いま来た角に
二本の白楊(ドロ)が立ってゐる
雄花の紐をひっそり垂れて
青い氷雲にうかんでゐる
そのくらがりの遠くの町で
床屋の鏡がたゞ青ざめて静まるころ
芝居の小屋が塵を沈めて落ちつくころ
帽子の影がさういふふうだ

巻雲

「白楊(ドロ)」、ドロノキは、30mにもなる高木で、若木の樹皮は滑らかで帯緑灰色で、老木になると淡い緑色を帯びた暗灰色になり、縦に裂け目ができます。葉は、長い柄があって形の変化が多く、表面は濃緑色で光沢があり、裏面は淡緑色をしています。

花は雌雄とも尾状で下垂し「雄花」穂は円錐形でやや湾曲して下垂し、ほとんど柄がない。帯朱紅色で長さ5~10cm、雌花序より太い。雌花穂は、円筒形で湾曲し、淡黄色をしています。

北海道では全域、本州中部では標高800m以上に生育。亜寒帯から温帯にかけて、河岸など日当たりのよい湿潤地に生えます。

花期は4~5月、この詩の日付「4、19」のころはちょうど開花時期でしょう。果穂は長く垂れ下がって14㎝ほどになり、初夏に実って白い綿毛のついた種子をまき散らします。

「氷雲」は、氷晶からできている雲で、巻雲=写真、wiki=などを指します。 自然の大気では、凝結核に比べて氷晶核が極端に少ないため、雲粒の中で氷晶になるのはごくわずかです。気温が低くなるほど氷晶になる雲粒の数が増え、-40度くらいではほぼすべてが氷晶になります。

巻雲は対流圏の上部に発生し、ほぼすべて氷晶からできています。氷晶が小さいため、雲はあまり濃くありません。氷晶が落下しながら蒸発すると尾を引いたように見えますが、氷でできていて周囲の温度も低いためなかなか蒸発しにくく尾が長く伸びます。 

「くらがりの遠くの町」で、幾人ものお客たちの顔を写した床屋の大きな鏡が「たゞ青ざめて静まるころ」、賑わいを見せていた「芝居の小屋が塵を沈めて落ちつくころ」。

「帽子の影がさういふふうだ」といいます。「さういふふうだ」という例えの対象がなんともそこはかと無く大きい。そのあたりも、賢治作品の魅力です。



harutoshura at 17:48|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月27日

「〔どろの木の下から〕」⑥

 きょうは「〔どろの木の下から〕」の最後の部分です。

どこかで鈴とおんなじに啼く鳥がある
たとへばそれは青くおぼろな保護色だ
向ふの丘の影の方でも啼いてゐる
それからいくつもの月夜の峯を越えた遠くでは
風のやうに峡流も鳴る

峡谷

「睡った馬の胸に吊され/呼吸につれてふるへ」ていると思われる「鈴」の音。それは「足を折って蓐草の上にかんばしく睡ってゐる」のではと気遣われ、生の鼓動のようでもあります。

それと「おんなじに啼く」音色を、詩人は「栗の林」のあたりから聞こえてくる「鳥」の声に聞きます。

「保護色」とは、体色及び模様に見られる適応である。生物が体の色によって、背景と見分けがつきにくくなっている場合に、その体色のことを言います。

野外で生物を見つけようとしたとき、簡単に見つかる生物もいるが、なかなか見つからないのもいます。それは隠れているから、のこともありますが、背景に合わせて色を変えるなどするために、そこにいても目立たない姿をしているために見つからないケースもあります。

これを「保護色」といいます。姿形や行動によって行われる場合を擬態と言います。両方を兼ね備えている場合もあります。

生の鼓動をあらわすように鳴いているのに、月夜の林の「青くおぼろな保護色」に隠されて、姿がわからないというのでしょう。

よく聞き分けてみると、その声は「丘の影の方でも啼いてゐる」のがわかってきます。さらに、鳥たちの鳴き声を囲みこんでいる峰々のはるか向こうのほうからは「風のやう」にひゅうひゅうと「峡流」の鳴き声がしてくるというのです。

峡谷=写真、wiki=は、渓谷よりもさらに深い谷のことをいいます。V字形をなす両岸が険しい崖になっていて、地形輪廻の壮年期地形や河川の上流などの下刻作用の強い所に見られます。そうした険しい谷を流れる川が発する声なのです。

生を刻む馬の鈴の音から、それを二重三重と取り囲んでいる生き物や自然の声を感じ、聞き分ける。それこそ、詩人賢治の真骨頂なのでしょう。


harutoshura at 17:44|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月26日

「〔どろの木の下から〕」⑤

  きょうも「〔どろの木の下から〕」のつづきを読んでいきます。

鈴は睡った馬の胸に吊され
呼吸につれてふるへるのだ
きっと馬は足を折って
蓐草の上にかんばしく睡ってゐる
わたくしもまたねむりたい

曲がり家

どこかで鳴ってゐる「鈴」のほうへと注意を向けていくと、そこには「鍵なりをした巨きな家が一軒黒く建って」いました。

きのうみたようにそれは、カギのようなL字形をした南部曲家=写真、wiki=で、そこの南側の曲がりの部分は馬屋になっていて、鈴の音はそのあたりから聞こえてきたのでしょう。

詩人がどこまで馬に接近したのでしょうか。先駆形に「鈴がかすかにまたひびく」とあるところからすると、馬屋からまだかなり距離のあるところから「鈴は睡った馬の胸に吊され/呼吸につれてふるへるのだ/きっと馬は足を折って/蓐草の上にかんばしく睡ってゐる」と想像しているように思われます。

競走馬などでは、足首が骨折したりヒビが入ったりしやすいといいます。「足を折っ」たりすると、自重を他の健全肢で支えなければならないため他の脚にも過大な負荷がかかり、負重性蹄葉炎や蹄叉腐爛といった病気を発症することがあるそうです。

そのため病状が悪化すると自力で立つことができなくなり、最終的には衰弱死や痛みによるショック死にいたることもあるとか。

下肢部の負荷を和らげるために胴体をベルトで吊り上げるなどして治療するそうですが、予後不良の場合は安楽死の処置が取られて処分されることも多いようです。

「蓐草(じょくそう)」(しきぐさ)は、家畜小屋に敷く枯れ草やわらのこと。「馬の胸に吊され」た鈴が、呼吸に応じて「ふるへる」ように鳴っている。

もしかすると、もうしばらくすると途絶えることになるかもしれない、静かに輝く「生の鼓動」をも醸し出されてきます。

「かんばしく」というのは、好ましいもの、りっぱなものと認められるさまをいいます。

傷を負って敷き草のうえに眠りこむ馬のように「またねむりたい」と思う「わたくし」も、何らかの傷を負っているのでしょう。馬どころ岩手ならではの描写です。


harutoshura at 16:32|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月25日

「〔どろの木の下から〕」④

 きょうも「〔どろの木の下から〕」のつづきを読んでいきます。

ひるなら羊歯のやはらかな芽や
桜草〔プリムラ〕も咲いてゐたらう
みちの左の栗の林で囲まれた
蒼鉛いろの影の中に
鍵なりをした巨きな家が一軒黒く建ってゐる

サクラソウ

「羊歯」(シダ)には、根、葉、茎の区別はありますが、花が咲かずに種子もでず胞子でふえる植物です。種子が発芽して育つ植物と違い、胞子が発芽して前葉体ができ、前葉体で受精してシダ植物になります。

胞子のできる葉を実葉、つかない葉を裸葉といいます。「羊歯のやはらかな芽」というのは、シダ植物中でも、ワラビやゼンマイの芽のことをいっているのでしょう。ワラビは草原、谷地、原野などの日当たりのよいところに群生。成長すると50センチから1メートルほどの背丈になります。茎は地下を横にはい、よく伸びます。

葉は冬には枯れ、春に新芽を出します。春から初夏にまだ葉の開いてない若芽を採取して、おひたしや漬物、味噌汁の実などとして食用にするほか、根茎から取れるデンプンをワラビ粉として利用します。葉は羽状複葉で、小葉にはつやがなく、全体に黄緑色をしています。

「ひる」には、硬くつやのない葉とは対照的な「やはらかな芽」が春光のなかに顔を出します。

「桜草〔プリムラ〕」=写真、wiki=は、サクラソウ科サクラソウ属の多年草。林間の湿性地や原野の草間に生え、ときに群生します。地中に根茎があり、春に発芽して5~6葉を根生し、高さ15~40cmの花茎を直立させて5~10個の花をつけます。花は直径2~3センチで、花弁が5個に深く裂けています。淡紅色の清楚な花を咲かせます。

盛岡から、その北東の外山へと越える北上山地には、プリムラの谷があって、「そこには桜草がいちめんに咲いてその中から桃色のかげらふのような火がゆらゆらゆらゆらのぼって居り」(「若い木霊」)ともされています。

「蒼鉛」は、ビスマス(Bi)。やや赤みを帯びた銀白色の金属で、電気や熱の伝導性が小さく、易融合金のほか、医薬品、顔料、化合物半導体の材料として利用されます。活字用の合金や半導体、触媒、ヒューズなどに使われる輝蒼鉛鉱は、銀白色不透明で金属光沢をもちます。賢治はこれを「蒼鉛いろ」と呼んでいるようです。

「栗の林で囲まれた」ところにある、銀白色の金属光沢を帯びた「影」。その中に「鍵なりをした巨きな家が一軒黒く建って」いるといいます。

「鍵なり」とはカギのようなL字形のこと。旧盛岡藩領、とりわけ盛岡市周辺や遠野盆地に、母屋と馬屋が一体となったL字型の「鍵なりをした巨きな家」がたくさん見うけられます。岩手県に多いので「南部曲家(まがりや)」とも呼ばれています。

南部曲家には①寄せ棟が多い②長方の家屋の長径の側に入口がある平入り③屋根は母屋より馬屋が一段と低い④曲がりの部分は馬屋になっている、といった特徴があります。

一般的に東側が台所で、南側に馬屋が突出。馬屋の屋根には破風があり、かまどや炉でたく煙をはそこから排出されます。これによって馬の背や屋根裏の乾し草を乾かすことができます。


harutoshura at 17:36|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月24日

「〔どろの木の下から〕」③

 きょうも「〔どろの木の下から〕」のつづきです。

きねといふより一つの舟だ
舟といふより一つのさじだ
ぼろぼろ青くまたやってゐる
どこかで鈴が鳴ってゐる
丘も峠もひっそりとして
そこらの草は
ねむさもやはらかさもすっかり鳥のこゝろもち

チャグチャグ馬コ

「青い火を噴いて」だんだん下りてくる「きね」は「一つの舟」のようであり、また「一つのさじ」のようでもあるといいます。

きのうの一節は「ぼそぼそ青い火を噴いて」いましたが、ここでは「ぼろぼろ青くまたやって」いるとなっています。

「ぼそぼそ」も「ぼろぼろ」も、水分や粘りけがなくばらばらになっているさまを表すのに用いられますが、「ぼろぼろ」には、こぼれ落ちるさまや、もろく崩れたり砕けたりするニュアンスも加わてきます。

「どこかで鈴が鳴ってゐる」は、先駆形(「路傍」)では「厩では鈴がかすかに鳴ってゐる」となっています。馬に付けられた鈴を言っているようです。

岩手は馬の名産地。馬に鈴というと、「シャグシャグ」の鈴の音を鳴り響かせながら、色とりどりの装束をつけた百頭余りの「馬コ」たちが、15キロの道のりを行進する「チャグチャグ馬コ」=写真=を思い出します。

ひっそりとした夜の農村の草木のありさまが、「ねむさもやはらかさもすっかり鳥のこゝろもち」と、なんとも雑妙な比喩で表現されています。


harutoshura at 22:06|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月23日

「〔どろの木の下から〕」②

 「〔どろの木の下から〕」のつづきです。

横に小さな小屋もある
粟か何かを搗くのだらう
水はたうたうと落ち
ぼそぼそ青い火を噴いて
きねはだんだん下りてゐる
水を落してまたはねあがる

あわ

「水きね」の「横に小さな小屋」というのですから、水車を使って穀粉、製粉などをする水車小屋のことでしょう。最近では観光目的などに限られていますが、かつて農村では、米搗きなどを目的に全国各地に見られました。

「粟」(アワ)=写真、wiki=は、イネ科エノコログサ属の多年草。五穀の一つです。日本では米より早く栽培が始まり、縄文時代の遺跡からも発掘されることがあります。また、新嘗祭の供物としても、米とともにアワが用いられ、古くからヒエとともに庶民にとって重要な食料作物でもありました。

稲作には不向きな場所でも栽培ができて、コメより収穫が安定しているので、しばしば冷害などによる凶作に見舞われた東北地方ではとくに粟やヒエがさかんに栽培され、重宝されました。

アワだけを炊いたり、アワ粥にして食べるほか、アワ1合、大麦2~3合、サツマイモ100匁、生のジャガイモ30匁を炊いて、別にジャガイモを下ろしておいて沸騰したところに加えるとよいともいわれているそうです。

ぬれた手でアワをつかめばアワ粒がごっそり手についてくることから、「濡れ手で粟」という諺もあります。また小さいものの喩えとして、よく「粟」の字が用いられます。

『平家物語』では「さすが我朝は粟散辺地の境」、『太平記』でも「いわんや粟散国の主として、この大内を造られたる事」などと、中国やインドなどの大国に比べて、日本がアワ粒を散らしたような小国であると自覚していることをうかがわせる記述もみられます。
「搗(つ)く」は「突く」と同語源で、「餅を搗く」「玄米を搗いて精白する」など、穀物を杵(きね)や棒の先で強く打って押しつぶしたり、殻を取り除いたりする意味です。

「月光のなか」に「青い火を噴いて」というと、サギの体が夜間などに青白く発光するといわれる青鷺火、五位の火を思い出します。柳の大木に毎晩のように青い火が見えて人々が恐れていましたが、「雨の夜なら火は燃えないだろう」と近づいたところ木全体が青く光り出して気を失った。そうした話が各地にあります。

このような怪光現象は、アオサギあるいはゴイサギの仕業、カモ、キジなどの山鳥が夜飛ぶとき羽が光る、といった伝承もあります。この作品の場合の「青い火」は、「たうたうと落ち」てくる水車の水が発しています。

「月光のなか」にあって、「水はたうたうと落ち/ぼそぼそ青い火を噴いて/きねはだんだん下りてゐる/水を落してまたはねあがる」。なかなか幻想的な夜の光景です。


harutoshura at 16:57|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月22日

「〔どろの木の下から〕」①

 きょうからは、「六九」の番号が付けられた詩です。「1924、4、19」の日付があります。

どろの木の下から
いきなり水をけたてて
月光のなかへはねあがったので
狐かと思ったら
例の原始の水きねだった

ドロノキ

「どろの木」(ドロノキ、泥の木)=写真=は、ヤナギ科ハコヤナギ属の落葉高木。ドロヤナギ、ワタドロ、ワタノキ、デロ、チリメンドロなどの別称もあります。

水分の多い土壌を好み、よく川岸や湿地などに生えています。葉は互生し、広楕円形で厚みがあります。裏は光沢があって白っぽい。春に葉よりも早く、雄花は7センチ、雌花は5センチほどの尾状の花穂を垂らして咲かせます。

木質は軽軟で荷重に弱く、腐りが早いうえ燃えやすいため建材には適しません。むかしは安物の下駄やマッチの軸に加工されましたが、折れやすいため下等の材とされ、現在では利用価値はないとされています。

どろの木の名の由来は、軽軟材なのにノミや鉋の刃の傷みが堅木より早いと言われる性質が根から泥を吸い込むせいとされたから、泥のように使い道が無いから、など諸説あるそうです。

賢治が北欧種のギンドロヤナギを好んだことは、よく知られています。羅須地人協会の庭にも植えられました。

「狐」は、夜行性で非常に用心深い反面、賢いくて好奇心が強く、人に慣れると餌をねだるなど大胆な行動をとることがあります。イヌ科の他の種よりも小型で、典型的なアカギツネの毛色は赤褐色で、尾の先が白いのがふつうです。

杵(きね)は臼といっしょに使って穀物の脱穀や籾すりなどに用いる道具ですが、「水きぬ」は木製の杵を使わず、水車など水力を利用する簡易な脱穀・精白装置です。ばったり、添水ともいいます。

どろの木が植わった、夜の月明かりの川か沼のべりで「はねあが」るように見えたものがあった。「狐」かと思ったら、昔ながらの「水きねだった」というわけです。


harutoshura at 17:24|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月21日

「休息」

 きょうは6行だけの短い詩「休息」です。「嬰児」と同じ「1924、4、10」の日付があります。

  五三  休息

風はうしろの巨きな杉や
わたくしの黄いろな仕事着のえりを
つぎつぎ狼の牙にして過ぎるけれども
わたくしは白金の百合のやうに
  ……三本鍬の刃もふるへろ……
ほのかにねむることができる

備中ぐわ

「風」は、「巨きな杉」や「黄いろな仕事着のえり」を「狼の牙にして過ぎる」と、この作品では「狼」を奇抜な比喩に使っています。風の勢いによって、杉や仕事着も牙のように鋭い凶器と化して見えたのでしょう。

「狼」は、ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属の動物。ふつうは、タイリクオオカミ(ハイイロオオカミ)のことを指します。

オオカミの近縁種とされていたイヌは、近年ではオオカミの一亜種とみなされつつあります。イヌはオオカミが飼い馴らされて家畜化したものと考えられています。

日本で古来「狼」と呼ばれてきたのはニホンオオカミで、12万-13万年前に枝分かれした、タイリクオオカミの一亜種と見なされています。

体胴長100-160cm、肩までの体高60-90cm、体重は25-50kgと、現生のイヌ科のなかで最大。高緯度ほど大きくなる傾向があるそうです。体色は灰褐色が多く、個体により白から黒まであります。

歯式は3/3·1/1·4/4·2/3 = 42で、上顎には6本の門歯、2本の犬歯すなわち「牙」、8本の小臼歯、それに4本の大臼歯があり、下顎には6本の門歯、2本の犬歯、8本の小臼歯、および6本の大臼歯をもっています。頭から鼻にかけての頭骨のラインはイヌより滑らかです。

かつては人畜に被害を与えたので、明治期に岩手県令の島維精は懸賞金を出して狼退治を奨励したそうです。雌の賞金は7円で、1頭捕らえると家族で1カ月楽に暮らすことができたとか。

賢治は、白百合を恋や恋人のシンボルとしているともいわれます。欧米でも処女性や純潔のシンボルと見られています。では「白金の百合」にはどのようなイメージが込められているのでしょう。

「白金」は、プラチナ。灰白色の鮮明な光沢をもつ金属で、触媒としても重要です。賢治は、煙や雨の比喩としても用いています。煙るような「百合」に「ねむ」りを誘うものを感じたのでしょうか。

百合は死を呼ぶ、ともいわれます。美しく死ぬには、百合の花をビニールハウスいっぱいに咲かせ、その中で一晩眠る事だとも。

「三本鍬」は、刃先がくしの歯のように分かれている備中鍬=写真=の一種で、開墾など基礎的な作業に用いる打ち鍬。古くから土をおこすために使われている代表的な農具です。

備中鍬は、弥生時代からあった股鍬が改良されたもの。むかしは木製でしたが、古墳時代になると鉄製のものも現れました。江戸時代・文化文政期になると、刃の先が2本から6本に分かれているものが「備中鍬」として普及します。「万能」「マンガ」などの別名もあります。

歯が3本の備中鍬は、三つ子、三本鍬、三本万能、三本マンガと呼ばれ、刃のかたちには、尖ったもの、角形、撥形があります。平鍬と違って、湿り気のある土壌を掘っても刃先に土がつきづらいといった長所があります。


harutoshura at 16:34|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月20日

「嬰児」②

 きょうは「嬰児」の後半部分です。

それはひとつづついぶった太陽の射面を過ぎて
いっぺんごとにおまへを青くかなしませる
  ……そんなら雲がわるいといって
    雲なら風に消されたり
    そのときどきにひかったり
    たゞそのことが雲のこころといふものなのだ……
そしてひとでもおんなじこと
鳥は矢羽のかたちになって
いくつも杉の梢に落ちる

矢羽

「いぶった」の「いぶる」は、十分に燃えずに煙が出る、けぶること。よく燃えないために炎が立たず、煙だけが出る意です。

それに対して、「煙る」は、煙が立ちこめたり立ちのぼったりするようす、「くすぶる」は火をつけようとしても燃えあがらずに煙が出たり、火を消したのに煙が出たりする場合を指します。

「それ」すなわち「縁のまばゆい黒雲」は、よく燃えずに煙だけが立っているような「太陽」の「射面」を過ぎていきます。

賢治が影響を受けたスウェーデンの天文学者スヴァンテ・アレニウスの『宇宙の始まり』には、「第一期間の長さは1600万年に亘ると考えられる。 その後にも温度は上昇してゆく――ただしその輻射面が急速に減少するために全体の輻射は温度が上ってもこれとともに増すわけにゆかない――」(寺田寅彦訳)とあります。

ここでいう「射面」というのは、太陽光線を放出している輻射面を言っているのでしょう。

「おまへ」とは、「そらたんぽぽだ/しっかりともて」と声援を送っていった対象、題になっている「嬰児」のことなのでしょうか。

ともかく「おまへ」を「青くかなしませる」非情に思える雲ではあるけれども、「風に消されたり/そのときどきにひかったり」する。「たゞそのこと」に詩人は「雲のこころ」を見ます。

そして、こうした「雲のこころ」を「ひと」にもふと、あてはめてみています。

「矢羽」=写真=は、矢に取り付けられている羽のことで、矢を旋回させ、正確に鋭く的中させるためにつけられます。鷲、鷹、白鳥、七面鳥、鶏、鴨などさまざまな種類の鳥の羽が使用されます。

特に鷲や鷹といった猛禽類の羽は最上品として珍重され、中近世には武士間の贈答品にもなっています。手羽から尾羽まで幅広い部位が使われますが、尾羽の一番外側(石打)が最も丈夫で、希少価値も高いとされます。

鳥の羽は表裏があり、これを半分に割いて使用するため、矢は2種類できます。矢が前進したときに時計回りに回転するのが甲矢(はや)で、逆が乙矢(おとや)。甲矢と乙矢あわせて一対で一手(ひとて)といい、甲矢から射ます。

そんな「矢羽のかたち」をして、「いくつも杉の梢に落ちる」鳥の姿で作品は結ばれています。「杉の梢に落ちる」矢羽の鳥は、「雲のこころ」にも、「ひと」のこころにも訴えかけているものがあるのでしょう。


harutoshura at 14:55|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月19日

「嬰児」①

 きょうから「嬰児」です。「1924、4、10」の日付があります。

 五二  嬰児

なにいろをしてゐるともわからない
ひろぉいそらのひととこで
縁〔へり〕のまばゆい黒雲が
つぎからつぎと爆発される
     (そらたんぽぽだ
      しっかりともて)

黒雲

「嬰児」は、生まれて間もない子供、3歳ぐらいまでの幼児のこと。もともとは「緑児」と書き、「みどりこ」と語尾を濁らずに読んでいたようです。

赤ちゃんは新芽や若葉のように生命力にあふれていることから、大宝令(701年)では、3歳以下の男児・女児を「緑」と称する規定がありました。

「嬰」という漢字は、首飾りの「貝」をつけた女の子、という説や、エ~ン、エ~ンと泣く赤ん坊の声を表した擬声語だ、とする説があるそうです。

一般に雲は可視光線(光)を反射しやすいため、白く見えます。特に白く見える雲は小さな雲粒が密に浮かんでいる状態にあるため太陽光の反射率が高くなります。白い雲は雨粒があまり成長せず、雨が降ることは少ないのです。

しかし、厚さや内部の雲粒の密度、太陽光の角度によって雲はいろんな色に見えます。積雲や層雲などは、鉛直方向に発達して厚みを増し、雲底のあたりが次第に暗くなります。「黒雲」は、分厚いあらわれなのです。

雲を構成する水滴や氷晶などの粒子は可視域の太陽放射をほとんど吸収しませんが、これらの粒子によって雲の内部で散乱、反射、屈折されるため、雲底付近に至るまでにエネルギーがかなり減少してしまうためです。

「たんぽぽ」は、キク科タンポポ属の総称。多年生。タンポポはもともと鼓を意味する小児語で、江戸時代にはタンポポはツヅミグサ(鼓草)と呼ばれていたのが転じて植物もタンポポと呼ばれるようになったようです。

多くの種では黄色い花を咲かせ、綿毛のついた種子を作ります。50センチ以上の長い根を持ち、生命力の強い植物でアスファルトの裂目など厳しい環境下でも生えます。

詩人はどこかの「嬰児」に、たくましく育つことを願いながら、「そらたんぽぽだ/しっかりともて」と心の中で声援をおくっているのでしょうか。


harutoshura at 18:06|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月18日

「山火」②

 きょうは、「山火」の後半です。

  ……けたたましくも吠え立つ犬と
    泥灰岩(マール)の崖のさびしい反射……
或いはコロナや破けた肺のかたちに変る
この恐ろしい巨きな夜の華の下
     (夫子夫子あなたのお目も血に染みました)
酔って口口罵りながら
村びとたちが帰ってくる

プロミネンス

「泥灰岩(マール)」は、堆積岩の一種で、粘土質成分と多量の炭酸石灰が浸み込んで硬くなった泥岩をいいます。

炭酸塩を 35~65%含み、残りは粘土でできています。地層として広く分布するケースと、砂岩や泥岩中に不規則に含まれることがあります。

たしかにキラキラと光り輝くのではなく、たしかに「さびしい反射」が似合いそうな岩石です。

「コロナ 」(Corona) は、太陽の周りに見える自由電子の散乱光、または太陽表面の最も外縁にある電気的に解離したガス層のことです。

プラズマの一種。「コロナ」は2000年以上前から冠の代名詞として使われ、「クラウン(王冠)」という言葉につながったようです。

そういう意味では、きのう読んだ「奇怪な王冠のかたちをつくり」と対応していると読むこともできます。ただ、賢治は「プロミネンス(紅炎)」=写真=のことを、コロナとして把握していたところがあるようです。

プロミネンスは、太陽の下層大気である彩層の一部が、磁力線に沿って上層大気であるコロナ中に突出したもの。皆既日食の際に、月に隠された太陽の縁から立ち昇る赤い炎のように見えることから名づけられました。

数ヶ月にわたり安定に存在する静穏型紅炎と、激しく形を変え、主に黒点に伴って発生する活動型紅炎があります。

「夫子」は、むかし中国で、大夫以上の人に用いた敬称。また長者、賢者、先生などを敬う呼称でした。

ここでは、その当人を指す語、あなた、あの人の意でしょう。漱石の『三四郎』に「僕の事を丸行灯だといったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」とあります。

詩人は、山火の炎に、燃えたたぎる太陽の姿をダブらせてみます。そして最後は、やや意外な、目も前の「酔って口口罵りながら」帰ってくる「村びとたち」に視線が切り替わって終わります。


harutoshura at 13:18|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月17日

「山火」①

今度の詩は「山火」です。「測候所」「烏」「海蝕台地」と同じ「1924、4、6」の日付があります。

  四六 山火

血紅の火が
ぼんやり尾根をすべったり
またまっ黒ないたゞきで
奇怪な王冠のかたちをつくり
焔の舌を吐いたりすれば
瑪瑙の針はげしく流れ
陰気な柳の髪もみだれる

瑪瑙 (2)

「山火」はふつう、山火事をさす場合は「さんか」、山焼きの火の意では「やまび」と読むことが多いようです。

日本では、春先のまだ草木の新芽が出ない時期に、野山の枯れ草を焼くことがあります。それが山焼き。枯れ草を焼くことで灰が肥料になったり、害虫の卵の駆除になったりします。

ここでいう山火とは、こうした山焼きなのか、山焼きなどが原因で起こった山火事なのでしょうか。それとも、山に火を入れる何かの行事なのでしょうか。

いずれにしても、「血紅の火が/ぼんやり尾根をすべったり」「まっ黒ないたゞきで/奇怪な王冠のかたちをつくり/焔の舌を吐いたり」といった表現を見ると、大きな規模で燃えているようです。

「血紅」は「けっこう」と呼んで「楓(もみじ)の血行たる」というように、血のような赤、血紅色のこと。

あるいは「のりべに」とすれば、血糊を表すのに用いる芝居の小道具。古くは蘇芳(すおう)、いまは朱の染料にうどん粉などをまぜて煮たものを用いているようです。

「瑪瑙」(メノウ)=写真、wikiから=は、縞状の玉髄の一種で、蛋白石(オパール)、石英、玉髄が、火成岩や堆積岩の空洞中に層状に沈殿してできた鉱物の変種です。

オニックス(縞瑠璃)、サードオニックス(紅縞瑪瑙)、モスアゲート(苔瑪瑙)、ブラッドストーン(血石、ヘリオトロープ)の中の赤い縞色は「キリストの血」をあらわすとも、「太陽を呼び戻す石」ともいわれます。

賢治は1919(大正8)年ころ、宝石商になることを考えていて、父政次郎への手紙で「瑪瑙に縞を入る」などの宝石改造の知識を披露しています。

「瑪瑙の針はげしく流れ」とは、山火事で鋭く立ち上がった火柱のようなものを瑪瑙の縞に見立てているのでしょう。「陰気な柳の髪もみだれる」という表現からも、山火が走る不気味な山の様子が伝わってきます。


harutoshura at 19:11|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月16日

「海蝕台地」④

  きょうは、「海蝕台地」の最後の部分です。

たよりなくつけられたそのみちをよぢ
憔悴苦行の梵士をまがふ
坎坷な高原住者の隊が
一れつ蔭いろの馬をひいて
つめたい宙のけむりに消える

苦行 (2)

「よぢ」の終止形「よづ」で、すがりつくようによじ登ること。「そのみち」は、実際の光景と心象風景にまたがって、「海蝕台地」に「粛々起伏をつゞけながら/あえかなそらのけむりにつゞ」いているのでしょう。

「憔悴」(しょうすい)は、病気や心痛のため、やせおとろえること、やつれること。苦行(くぎょう)は、よく知られているように、からだを痛めつけることによって自らの精神を高めようとする禁欲主義的な宗教的行為。

釈迦は、出家した後、断食などを伴う激しい苦行を積みましたが、苦行はいたずらに心身消耗するのみで求めていたものは得られぬと説いたそうです。

しかし、仏性を目覚めさせるという仏教の姿勢から、苦行はその手段としての重要性を失うことはなく、禅宗の只管打坐に極まります。

「梵士」は、梵天をあがめるもの、梵志ともいいます。下書稿では、最初は「梵志」となっています。

『語彙辞典』によれば、梵志とは法華経安楽行品第十四に見える語で、島地大地編『漢和対照妙法蓮華経』の巻末注釈には「婆羅門の生活に四期ある中の第二。師に就て修学する間をいふ」とある。ただし、四期ある中の第二とは誤りで第一とすべき、とされています。

「坎坷」(かんか)は、車が思うように進まないこと、世に志を得ないで、不遇なことをいいます。 鷗外の『舞姫』には、「坎坷数奇なるは我身の上なりければなり」とあります。

そんな不遇な「高原住者」の「馬をひい」た一隊が、「一れつ蔭」をひきながら「つめたい宙のけむりに消え」ていくといいます。神秘的な情景です。


harutoshura at 18:29|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月15日

「海蝕台地」③

きょうも「海蝕台地」のつづきを読んでいきます。

  ……かなしくもまたなつかしく
    斎時の春の胸を噛む
    見惑塵思の海のいろ……

北斎

「波がしら」は、波の盛り上がった頂。波頭。波の立ってくずれる形を模様化したもののこともいいます。長野県出身の私には小布施にある、葛飾北斎の天井絵「怒涛図」=写真、wiki=を思い出します。

たとえば北海道では、この詩の日付のある前年、大正12(1923)年には全道で約1万haの植栽が行われましたが、そのほとんどがカラマツでした。こうしたカラマツの造林は、昭和30年代後半まで、年間2~4万haの規模で行われています。

このようにカラマツは当時、全国各地で造林に用いられていました。岩手県の状況はよく知りませんが、「からまつばやし」は自生しているだけでなく、造林ラッシュの時代でもあったのです。

「あえか」は、か弱く、さわれば落ちそうな頼りないさま、きゃしゃで弱々しいさまをいいます。源氏物語に「まだいと―なる程もうしろめたきに」(藤裏葉)などとあります。

「劫(こう)」(カルパ)は、サンスクリット語のカルパの音写文字「劫波(劫簸)」を省略したもので、仏教などインド哲学で極めて長い宇宙論的な時間の単位、1つの宇宙(あるいは世界)が誕生し消滅するまでの期間のことをいいます。

ヒンドゥー教では、1劫(カルパ)=1000マハーユガ、1マハーユガ=4ユガ=神々の12000年、神々の1年=360太陽年、つまり1劫 = 43億2000万年とされているそうです。

仏教では、劫には大劫と中劫の2種類があります。中劫は大劫を均等に80分割したもので、大劫がヒンドゥー教の劫に当たりますが、ヒンドゥー教と違って具体的な時間の長さは特に決められていません。

ただ、八大地獄の中で最も恐ろしいと言われる無間地獄の刑期は一中劫とされますが、これは人間界の6400年を1日とした場合の6万4000年を1日として6万4000年と言われます。

これは人間界の時間では349京2413兆4400億年に当たり、これを1中劫とすれば、1大劫は人間界の時間で2垓7939京3075兆2000億年になるようです。

いずれにしても、こうした仏教的な時間を「海蝕台地」の地質学的時間と結びつけて「古い劫の紀念碑である」などと、巨大なスケールで表現できる。それも、賢治でしかなしえない魅力的な世界です。


harutoshura at 13:49|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月14日

「海蝕台地」②

「海蝕台地」のつづきです。

  ……かなしくもまたなつかしく
    斎時の春の胸を噛む
    見惑塵思の海のいろ……

煩悩の海
 
「斎時」のところの下書稿には、仏の教えや悟りの道を求める「求法」ともあるようですから、ここでいう「斎」は、汚れを清め、行為をつつしむ意でしょう。

仏教では、特に身を慎み持戒清浄であるべき日とされた6日を「六斎日」といいます。1カ月のうち8日、14日、15日、23日、29日、30日です。前半の3日と後半の3日に分け、それぞれの3日を三斎日とも称します。

六斎日には、八斎戒といわれる八つの行動を慎まなければなりません。①殺さない(不殺生戒)②盗みをしない(不偸盗戒)③あらゆる性行為を行わない(不淫戒)④嘘をつかない(不妄語戒)⑤酒を飲まない(不飲酒戒)⑥正午以降は食事をしない⑦歌舞音曲を見たり聞いたりせず、装飾品、化粧・香水など身を飾るものを使用しない⑧天蓋付きで足の高いベッドに寝ない、の8つの戒があります。

「見惑塵思」は、仏教の真理について迷うこと、もっというと三界(欲界・色界・無色界)内に存する煩悩のことを言っているのでしょう。

「見惑」は、「けんなく」ともいい、仏教の真理に迷う思想・観念上の誤り。「思惑」は、修惑ともいわれ、貪(とん)、瞋(じん)、痴など、修行によって打ち消すべき煩悩。

また「塵」は、仏教では六境、すなわち感覚器官の対象である色、声、香、味、触、法のこと。真実の心性をけがすことから塵と呼ばれています。

身を慎み持戒清浄すべき春の日にうごめく、天才とはいっても俗人でもある「煩悩の海」。端的にうまく表現していると思います。


harutoshura at 23:19|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月13日

「海蝕台地」①

  きょうから「海蝕台地」に入ります。「測候所」や「烏」と同じ「1924、4、6」の日付があります。
  
  四五  海蝕台地

日がおしまひの六分圏(セキスタント)にはひってから
そらはすっかり鈍くなり
台地はかすんではてない意慾の海のやう

洞門

「海蝕」は、潮の流れや波が海岸や海底を少しずつ崩し削り取る浸食作用の総称。「海蝕台地」という言葉はあまり聞き慣れませんが、波による侵食によって波打ち際の崖に形成された洞窟、海蝕洞のことが連想されます。

海岸の崖に断層や割れ目などの比較的弱い部分があると、侵食が早く進むために海蝕洞ができます。大きなものでは人が居住できるほどの大きさのも洞もあって、古代人の生活跡が残されているケースもあります。

水面近くに形成されると、干満の度合いによって波が来るたびに海水を中の空気と一緒に吹き出すことがあります。これを潮吹き穴と呼びます。海岸が沈むと海底洞窟ができ、岩を貫通してトンネル状の洞門になることもあります。

岩手県にある三陸海岸の海蝕洞群をはじめ、大桟橋(秋田県)、蘇洞門(福井県)、熊野灘の鬼ヶ城(三重県)、但馬御火浦の下荒洞門(兵庫県)=写真、wiki=、国賀海岸の通天橋 (島根県隠岐諸島)など、日本列島のあちこちで海蝕洞を見ることができます。

「六分圏(セキスタント)」は前にも見ましたが、六分儀ともいわれ、航海や測量で使う八分儀(オクタント)に望遠鏡を付けるなど改良したものです。

円の6分の1の60度の扇形盤に、鏡、アーム、目盛などをつけた器機で、2点間の角距離を測ります。たとえば水平線と星との角度を測れば、いま居る位置が割り出せます。

「日がおしまひの六分圏(セキスタント)にはひって」は、下書稿では「日がおしまひの八分圏(オクタント)にはひって」となっています。六分儀だと日没前4時間、八分儀だと3時間前ということでしょうか。

国立天文台暦計算室の資料によれば、盛岡における今年4月6日の日の入りは18時4分。賢治の時代もだいたい午後6時ごろとすれば、「日がおしまひの六分圏(セキスタント)にはひっ」たのは午後2時以降ということになります。

そのころから「そらはすっかり鈍くなり/台地はかすんではてない意慾の海のやう」になったといいます。

「はてない意慾の海」というのはどういうことかよく分かりませんが、空は薄暗くなり台地はかすんで、潮流や波の勢いが果てることのない海の中にあるように見えたのかもしれません。


harutoshura at 15:37|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月12日

「烏」③

  きょうは「烏」の最後の部分です。

風がどんどん通って行けば
木はたよりなくぐらぐらゆれて
烏は一つのボートのやうに
  ……烏もわざとゆすってゐる……
冬のかげろふの波に漂ふ
にもかかはらずあちこち雪の彫刻が
あんまりひっそりしすぎるのだ

カラス

「風がどんどん通って行けば/木はたよりなくぐらぐらゆれて/烏は一つのボートのやう」は、だれの目にも浮かんでくる光景です。そして「……烏もわざとゆすってゐる……」は、烏の頭がよく、狡猾な感じがよく出ています。

「かげろふ」は、陽炎(heat shimmer)のことでしょう。局所的に密度の異なる大気が混ざり合うことによって光が屈折して起こる現象をいいます。

晴れて日射が強く風があまりない日に、アスファルトや自動車の屋根のうえなどに立ちのぼる、もやもやとしたゆらめきがそれです。

光はふつう直進しますが、空気の密度が異なる場所では密度のより高い方へ進む性質があります。光の発信源と見ている人の間に密度のちがう空気が接しているところがあると、そこを通る光は通常と異なる経路をたどって、景色や物体が通常とは異なる見え方をします。

温度の異なる大気がとなり合っている場合、光は冷たい空気の方へ屈折します。ですから、暖かい大気と冷たい大気とが混ざり合って起こる上昇気流の周辺を通る光が、さまざまな向きに屈折するときなどに陽炎が見えます。

日射しが強い砂浜や平原、自動車の排熱付近、焚き火の炎のなど、また空気の中だけでなく水中でも見られます。

大気が光を屈折させて起こる現象には蜃気楼もあります。陽炎をこの意味で用いることもありますが、厳密には、陽炎は密度の違う空気がばらばらに混ざって起こる小規模なもので、蜃気楼は密度の異なる大気が層状に接した際に起こる大規模なものをいっています。

「かげろふ」というと、有名な『万葉集』の柿本人麻呂の歌「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」を思い出します。しかし、この歌の場合は「炎」を「かぎろひ」と読んだもので、明け方の太陽の光、つまり曙光のことを指しているようです。

賢治の「冬のかげろふの波に漂ふ」の「かげろふの」は、単に「ゆらめく」「ほのめく」といった形容詞の意味で使っているのかもしれませんが、「かげろふの波」とすることでぐっと情景の奥行きが増してくるように思われます。

「冬のかげろふの波に漂」っている烏を見つめていた視線は、その周辺から遠景のほうへと移っていきます。「にもかかはらずあちこち雪の彫刻が/あんまりひっそりしすぎるのだ」。

「かげろふの波に漂」う烏と「あちこち雪の彫刻」の対比が、「ひっそりしすぎ」ている静寂さをいっそう際だたせています。絶妙な眼力と描写です。


harutoshura at 17:34|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月11日

「烏」②

  「烏」のつづきを読んでいきます。

茶いろに黝んだからまつの列が
めいめいにみなうごいてゐる
烏が一羽菫外線に灼けながら
その一本の異状に延びた心にとまって
ずゐぶん古い水いろの夢をおもひださうとあせってゐる

唐松

賢治の『氷と後光』には、「それから息をかけました。 そのすきとほった氷の穴から黝(くろず)んだ松林と薔薇色の雪とが見えました」とあります。「黝」は、いまは、「黝いあざ」というように「あおぐろ」と読むのがふつう。青みがかった黒い色をさしていいます。

「菫外線」とは、紫外線(ultraviolet)のこと。波長が10-400 nm、可視光線より短く軟X線より長い、不可視の電磁波です。光のスペクトルで紫よりも外側にあたるのでこう呼ばれています。violetはスミレですから菫外線と呼ぶのも頷けます。

紫外線には化学的な作用が著しく、殺菌消毒やビタミンDの合成、血行促進などに役立つ反面、長時間さらされると、皮膚、目、免疫系などの病気を起こす可能性もあります。

紫外線照射に対する生体の防御反応として、ヒトの体は茶色の色素のメラニンを分泌して皮膚表面に沈着させます。これが日焼けです。

それによって、紫外線の皮膚組織へのさらなる侵入を防いで、皮膚組織へのダメージを軽減させようとするのです。この分泌度は人種によって異なるため、皮膚の色に違いがでてくるわけです。

烏が黒いのと紫外線が関係するのかどうかは知りませんが「烏が一羽菫外線に灼けながら」というのは、どこかコミカルで、光景が目に浮かんでくるような気もします。

「水色」は空や海の色。いきいきと変化をくり返す、新鮮なイメージがします。夢占いでは、若々しい心を象徴しているそうです。特に水色が好きでないのに、「水色の夢」を見たときは、気持ちが活性化していて、生活にも意欲的になれる状態だとか。

一方で水色は、「未熟さ」を示すケースもあるようです。心が乱れたり、生活リズムが整わないなどのマイナス面を象徴しているとも考えられています。

この場合は、「あせってゐる」というのですから、「古い水いろの夢」とは若々しく張りのある夢のほうで、「一本の異状に延びた心」をたよりに懸命に「おもひださう」としているのでしょう。

このあたり、ややセンチメンタルな感もなくはありませんが、詩情豊かな味わいがあります。


harutoshura at 14:28|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月10日

「烏」①

 きょうから「烏」に入ります。「測候所」と同じ「1924、4、6」の日付があります。

  四〇  烏

水いろの天の下
高原の雪の反射のなかを
風がすきとほって吹いてゐる

ハシブトガラス

「烏」はだれもが知っている、カラス科の鳥。多くは全身が黒く、黒い鳥の代表とみられ、白いサギと対比させられこともよくあります。

日本でふつうに見かけるのは、小型のハシボソガラスか大型のハシブトガラス=写真、wiki=です。渡り鳥では、北海道にワタリガラス、九州にミヤマガラスとコクマルガラスが冬鳥として飛来します。

ハシブトガラスは、翼長は32~39cm。鳥類のなかでも最も知能が発達しているとされ、ある程度の社会性を持っていて、鳴き声で意思を交わしたり、電線にぶら下がって遊んだりといったことをしているようです。

ハシボソガラスも、硬くて嘴では砕けない食べ物を飛行場の滑走路や防波堤などに落として割ったり、道路にクルミを置きいて自動車にひかせて殻を割るといった行動が観察されています。

カラスは雑食性で、生ゴミや動物の死骸をついばんでいるところを見かけることもあります。ハシブトガラスは動物食傾向、ハシボソガラスは植物食傾向が強いといわれています。

太陽の使い、神の使いなどの神話や伝承が世界各地にあります。視力や知能が高いとされることから、炯眼、慧眼とされて、神話や伝承で、密偵や偵察のような役回りで描かれることもよくあります。

日本ではカラスは古来、吉兆を示す鳥とされました。神武天皇の東征の際には、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」が松明を掲げ導いたという神話もあります。そういえば、サッカー日本代表のシンボル八咫烏です。

賢治の作品に登場する大烏や山烏はハシブトガラス、「烏の北斗七星」で山烏の助命を乞うのはハシボソガラスと見られています。また賢治は、サソリのように、烏座を意識して用いることもよくあります。

北上山地にしばしばチベット高原を見ていた賢治。「高原」というのは、同じ日付のある「測候所」のように北上山地のどこか、たとえば種山ヶ原あたりとかなのでしょう。

それにしても「水いろの天の下/高原の雪の反射のなかを/風がすきとほって吹いてゐる」というのは、「うしろの方の高原も/をかしな雲がいっぱいで/なんだか非常に荒れて居ります」という「測候所」は正反対に、澄んではればれとした書き出しです。


harutoshura at 16:18|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月09日

「測候所」③

  きょうは「測候所」の最後の部分です。

  ……炭酸表をもってこい……
いま雷が第六圏で鳴って居ります
公園はいま
町民たちでいっぱいです

六分儀

「炭酸表」とは何でしょうか? 下書稿では「(三月までの海温表をもってこい)」となっています。

「炭酸」はふつう水溶液(炭酸水)の中にだけ存在し、水に二酸化炭素を溶かすことによってできます。

海水中の二酸化炭素は、植物プランクトンが光合成に使うと減りますが、海水温が上がると栄養分が減ってプランクトンも少なくなり二酸化炭素が増えます。

当時の測候所に「炭酸表」と呼ばれるようなものがあったかどうかは分かりませんが、二酸化炭素濃度や海水温に関するなんらかの一覧表があったのでしょう。

「第六圏」は、天体の高度測定や自身の位置の割り出しなどに使う道具である六分儀=写真=のこと。弧が、円の6分の1の60度であるところから、この名がつきました。

二点間の角距離を測る器械。航海や測量で使う八分儀(オクタント)に望遠鏡をつけて改良したもので、60度の扇状の盤に鏡、目盛がついています。

大型の六分儀がおもに天体観測用に使われたのに対し、小型の六分儀は船舶の天測航法用に使用されました。

「第六圏」は下書稿では「第六天」とされています。

「第六天」は、他化自在天(たけじざいてん)ともいわれます。仏教では三界のうち欲界の最高位で、六道の天道(天上界)の最下部にあたります。

他人の変現する楽事をかけて、自由に己が快楽とする、というところからこの天の名があるそうです。

この天の男女は互いに見つめるだけで淫事を満足することができ、子を欲する時はその欲念に随って膝の上に化現するといわれます。

雷が鳴って居るという「第六圏」という言葉には、科学的であり宗教的でもある響きを感じます。宗教用語が、科学用語に転成されて、自在に表現される。賢治作品の非常に大きな魅力です。


harutoshura at 17:44|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月08日

「測候所」②

 「測候所」のつづきです。

  ……凶作がたうとう来たな……
杉の木がみんな茶いろにかはってしまひ
わたりの鳥はもう幾むれも落ちました

杉赤枯病

やませの発生による冷害などを主因とする東北地方の凶作は、江戸時代には天明の大飢饉、天保の大飢饉をもたらしましたが、明治以降もしばしば発生しました。明治から敗戦までの78年間のうち、44年は不作の年だったとされています。

明治2年、35年、38年は平年作の半分以下となり、大正2年、10年、昭和6年、9年、16年、20年も大半が平年作(当時の平年反収は280kg前後)の半分以下。特に昭和5年から9年(1930~1934)にかけて発生した昭和東北大凶作は、飢饉に近い深刻な状況でした。

下村千秋「飢餓地帯を歩く――東北農村惨状報告書――」(1932年1月)には次のようにあります。

「岩手県下は、この岩手郡を始め、二戸郡、八戸郡の大部分、下閉伊郡、上閉伊郡、和賀郡の一部分が、飢餓地帯と化した。その総面積は約三千町歩であるという。殊に問題であることは、八戸郡、下閉伊郡の交通不便の山地であるという。鉄道はなし、道路も山地の凸凹道で、トラックは勿論、馬橇ばそりもろくに通れない部落が多い。この地方は、水田が殆んどないので、平年でも、畑作もの、即ち、粟や稗を常食としているのだが、今年はその粟や稗も殆んど取れず、代用食であるシダミ(楢の実)トチの実もまたよく実らなかったというので、今唯一の食物は、わらびの根であるが、これにも限りあり、また雪が尺余に積れば、それを掘り取ることが出来なくなるので、この時になって、今言った交通不便のため、他所からの食糧運搬が不充分であったなら、彼等は文字通り餓死するのではないかと言われているのである」

この詩が作られたのは大正13(1924)年のこと。当時はきっと「凶作がたうとう来たな」という恐怖心が、東北の農民たちに常に付きまとっていたのでしょう。

「杉の木がみんな茶いろにかはってしまひ」は、下書稿では「杉の木がみんな黒布にかはってしまひ」となっています。針葉や緑枝に発生すると褐色から暗褐色を呈するようになり、全滅の被害をおこす伝染病、スギ赤枯病=写真=が連想されます。

サーコスポラ・セコイアエという菌類によって起こされ、病枝葉中で越冬して、4~10月に胞子による伝染を繰り返します。明治中期に北アメリカから持ち込まれた侵入病害と推測されています。

今年の3月に、米アイダホ州で、ハクガン2000羽以上が、渡りの途中で水辺や野生動物保護区に落下しているのが見つかったという記事を目にしました。鳥類コレラが原因とみられているようです。

あたたかくなって営巣地の北へと帰ってゆく「わたりの鳥」が、「幾むれも落ち」てしまう。なんともいたたまれない残酷な状況を象徴しています。


harutoshura at 16:18|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月07日

「測候所」①

きょうから「測候所」を読みます。農学校の新学期が始まったばかりの「1924、4、6」の日付があります。

  三五  測候所

シャーマン山の右肩が
にはかに雪で被はれました
うしろの方の高原も
をかしな雲がいっぱいで
なんだか非常に荒れて居ります

カイラス山

異稿には「凶歳」というタイトルがついています。「測候所」は、観測した気象資料の通報、報告をおもな業務とする気象庁管区気象台の下部組織。作品の中に直接、測候所らしきものは出て来ませんが、賢治を縁が深かった水沢の測候所が念頭に置かれているようです。

「シャーマン」は、通常とは異なる意識のトランス状態に入って、霊、神霊など超自然的存在と交信する現象を起こすとされる呪術者、巫、巫女、祈祷師、ムーダンなどをいいます。 

もともとツングース語で呪術師の一種を指す言葉に由来し、19世紀以降、民俗学者や旅行家たちによって、極北や北アジアの呪術、宗教的職能者を呼ぶのに用いられるようになりました。

賢治は北上山地にしばしばチベット高原のイメージを重ねていましたが、「シャーマン山」とは、その中の早池峰山(標高1917m)を指しているようです。

山頂と麓の岳集落には早池峰神社があって、むかしから山岳信仰が盛ん。ふもとの集落で伝承されている、刀を手に勇壮に踊る早池峰神楽もよく知られています。

チベット高原西部に位置する独立峰に、カイラス山(標高6656m)=写真、wiki=があります。チベット仏教では須弥山とも考えられ、信仰の山であるために登頂許可は下りません。賢治は早池峰山にカイラス山の面影をみていたとも考えられています。

ようやく春になったというのに「にはかに雪で被はれ」て「うしろの方の高原も/をかしな雲がいっぱい」。天気が「なんだか非常に荒れて」不穏なようすになってきました。


harutoshura at 21:56|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月06日

「休息」④

 きょうは「休息」の最後の部分です。

三本立ったよもぎの茎で
ふしぎな曲線(カーヴ)を描いたりする
    (eccolo qua!)
風を無数の光の点が浮き沈み
乱積雲の群像は
いまゆるやかに北へながれる

ヨモギ

「よもぎ」=写真=は、畦や草地などあちこちに自生するキク科の多年草。夏から秋にかけて茎を高く伸ばし、あまり目立たない花を咲かせます。葉は大きく裂けて裏面には白い毛を密生するのが特徴です。

特有の香りがあり、春につんだ新芽を茹で、おひたしや汁物の具、草餅(蓬餅)、あるいは天ぷらなどにして食べます。灸に使うもぐさ(艾)は、葉を乾燥させ、裏側の綿毛を採取したものです。

きのう読んだように「つめたい風」が吹いてきて「すがれの禾草を鳴らしたり」して、今度は「三本立ったよもぎの茎で/ふしぎな曲線(カーヴ)を描いたりする」というのです。

枯れた稲穂を鳴らしたかと思えば、大きく裂けた葉を付けて畦のあたりに立っている「よもぎの茎で」カーブを描いたりする。詩人にはきっと、風のすがたや動きがはっきり見えているのでしょう。

『語彙辞典』によれば、「eccolo qua!」(エッコロ クア)は、「彼(それ)がここにいる(ある)」という意味だそうで、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」にも召使いがこれを使って「ほら、旦那さまがおいでなすったぞ」という場面があるそうです。

光は、波としての性質と、粒子としての性質を同時に併せ持っています。アインシュタインが提唱した粒子(量子)としての光を光子(光量子)といいます。

この作品の「光の点」とは、光子のことを直接いっているわけではないでしょうが、風のなかをきらきらと「浮き沈み」する「無数の光」を詩人はとらえています。

そして、そうした風に促されるように、「Libido の像を/肖顔のやうにいくつか掲げ」た「乱積雲の群像」が「ゆるやかに北へ」と動いていくのです。なんとも雄大で、美しい描写です。


harutoshura at 17:25|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月05日

「休息」③

 きょうも「休息」のつづきです。

  ……さむくねむたい光のなかで
    古い戯曲の女主人公(ヒロイン)が
    ひとりさびしくまことをちかふ……
氷と藍との東橄欖山地から
つめたい風が吹いてきて
つぎからつぎと水路をわたり
またあかしやの棘ある枝や
すがれの禾草を鳴らしたり
 
早池峰山

「橄欖(かんらん)岩」は、超塩基性の火成岩(深成岩)。マントル上部を構成する岩石の一つで、ほとんどが地下深くにあります。

地表で見られるのは、地殻が捲れあがってマントル物質が地表に現れたものや、マグマが上昇するとき捕獲されて運ばれてきたもの。変成作用を受けやすいので地表で見られるものは、たいてい蛇紋岩に変化しています。

「東橄欖山地」は、賢治が愛した早池峰山(標高1917m)=写真、wiki=付近を指しているようです。「氷と藍との」とは、早春の「さむくねむたい光」があたる、雪でかたどられた蛇紋岩の岩肌を見ているのでしょう。

「あかしや」は、北米原産のマメ科ハリエンジュ属の落葉高木、ニセアカシア のこと。

樹高は20-25m、街路樹や公園にも植えられますが、作品で「棘ある枝」とされているように枝や幹に鋭い棘があって剪定しにくく、風で倒れやすいなどの理由で庭木などにはあまり向かないともいわれます。

「禾草(かそう)」は、稲科に属する植物のことをいいます。

黄河文明の主食はアワで、長江文明の主食であるイネは殷周時代を通じて華北では作られることはなかったそうです。

そのため「禾」はもともとアワを意味し、その穂が垂れる様子が象られています。後代にはイネを意味するようになりましたが、「米」が実だけを指すのに対し、「禾」は茎や穂を含めた全体をいいます。 

早春の光のなかで「古い戯曲の女主人公が/ひとりさびしくまことをちか」い、山から吹き下ろしてきた「つめたい風」が「またあかしやの棘ある枝や/すがれの禾草を鳴ら」す。なんとも目映くも美しい情景です。


harutoshura at 16:37|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月04日

「休息」②

 きのうに続いて「休息」を読んでいきます。

そこには暗い乱積雲が
古い洞窟人類の
方向のない Libido の像を
肖顔のやうにいくつか掲げ
そのこっちではひばりの群が
いちめん漂ひ鳴いてゐる

積乱雲

「乱積雲」は、積乱雲=写真、wiki=のこと。何らかの原因で発生した強い上昇気流によって積雲から成長し、塔や山のように立ち上り、雲頂がときに成層圏の下部にも達する巨大な雲をいいます。

入道雲、雷雲、あるいは板金でつかうかなとこに似ているので金床雲と呼ばれることもあります。積乱雲の鉛直方向の長さは雲の種類の中でも最大で、高さ1万メートルを超えることもあります。

「古い洞窟人類の」は、下書稿では「巨大な洪積人類の」となっています。洪積世は、更新世のことで、約258万年前から約1万年前までの地質時代。

とすると、ここでいう「洞窟人類」は、現生人類ではなく、約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種、ネアンデルタール人が念頭に置かれているのでしょう。

科学的研究の対象となったネアンデルタール人類の化石が見つかったのは1856年のこと。場所はドイツのデュッセルドルフ郊外、ネアンデル谷の洞窟でした。

20世紀初めには、ネアンデルタール人の完全に近い骨格化石がフランスのラ・シャペローサンなどヨーロッパ各地で見つかり、話題を呼びます。

そして、ネアンデルタール人は現生人類と類人猿との中間の特徴を持ち、曲がった下肢と前かがみの姿勢で歩く原始的な人類などと考えられるようになります。

「古い洞窟人類」という言葉には、新たな人類観が芽生えつつある当時の状況がうかがえます。

「Libido」(リビドー)は、もともとはラテン語で、ふつう性的欲望または性衝動の意味で用いられています。

精神分析のジークムント・フロイトが「性的衝動を発動させる力」とする解釈を、心理学で使用されていた用語「Libido」にあてたことにはじまる用語です。

一方でカール・グスタフ・ユングは、すべての本能のエネルギーのことをLibidoとしました。精神分析学ではリビドーを、様々の欲求に変換可能な心的エネルギーであると定義しています。

単に性的な性質というだけでなく、フロイトは、すべての人間活動をリビドーの変形として理解していたともいわれます。世間一般では、押さえきれない性的衝動や特に男性の露骨な性的欲求を表現する言葉として、しばしば用いられています。

『語彙辞典』によれば、賢治はフロイトの心理学を知っていて、森佐一の作った春の詩について「実にいい。それは性欲ですよ。〈中略〉フロイド学派の精神分析の、好材料になるような詩です」と語り、突出したものは男性で、へこんだものは女性だと説明したとされます。

また賢治はハバロック・エリスの『性学体系』を読んでいて、この作品にあるように、とくに春の雲を性欲に結びつけて考えていたようです。

「肖顔」(にがほ)というと、石川啄木の

  ひと塊の土に涎し
  泣く母の肖顔つくりぬ
  かなしくもあるか

を思い出します。

それにしても「暗い乱積雲」が、「古い洞窟人類の/方向のない Libido の像を/肖顔のやうにいくつか掲げ」ているという着想は、啄木でも思いつかない、卓抜した賢治ワールドの賜です。


harutoshura at 15:33|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月03日

「休息」①

 次は「休息」です。「1924、4、4」の日付があります。

 二九  休息

中空(なかぞら)は晴れてうららかなのに
西嶺(ね)の雪の上ばかり
ぼんやり白く淀むのは
水晶球の滃(くも)りのやう
  ……さむくねむたいひるのやすみ……

水晶球

この作品の日付の翌日、4月5日には、新しく若葉町に建った新校舎で花巻農学校の新学期が始まっています。

「中空(なかぞら)」は、その名の通り、空の中ほど、中天のこと。芥川龍之介の「地獄変」に「中空までも立ち昇る烈々とした炎の色は」とあります。

「西嶺」すなわち、西の高いみね、ここでは山の頂の雪の上あたりに「ぼんやり白く淀む」ものがあるといいます。

「水晶球」とは、水晶を球状に加工したもの。水晶を球形に加工する技術は弥生時代中期にまでさかのぼることができるそうです。

水晶球は、宝石の加工品としての装飾品や呪術的な力があるとしてパワーストーンとして扱われたりします。私などは、占いや手品で、手をかざしている姿が目に浮かびます。

「滃」という漢字は日本ではほとんど使われませんが、地図上で地表の起伏を短い線群によって表現する方法を「暈滃(うんおう)」といいます。

「水晶球の滃(くも)り」は、透明で光っていた「水晶球」が、ほかのものに薄く覆われたりえぎられたり、あるいは運気が翳ることもあるのか、よく見通せない、どんよりとくもる状況になったということなのでしょう。

ちなみに、下書稿では「ぼんやり白く淀んでゐる/そこにいくつもの雲の肖像画」となっています。

「中空(なかぞら)は晴れてうららか」なのに、地上は「さむくねむたいひるのやすみ」だといいます。当然、新学期を目前としたそのときの詩人の気分や体調も反映しているのでしょう。


harutoshura at 15:37|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月02日

「早春独白」⑥

 きょうは「早春独白」の最後の部分です。

わたくしの黒いしゃっぽから
つめたくあかるい雫が降り
どんよりよどんだ雪ぐもの下に
黄いろなあかりを点じながら
電車はいっさんにはしります

花巻電鉄

「しゃっぽ」は、フランス語由来の帽子のこと。帽子が一般に普及するのは、洋装が広まる明治期になってから。
 
1871(明治4)年に散髪廃刀令が出ると、あちこちで帽子の買い占めが行われたそうです。このころから帽子のことをしゃれてシャッポと呼ばれるようになりました。

農事講演の打合せで役場をまわるのが目的だったとすれば、「黒いしゃっぽ」というのは、フェルト製で上部が丸くて高くつばのある山高帽でしょうか。

車窓に写っている「わたくしの黒いしゃっぽ」を見つめていると「つめたくあかるい雫が降」っているように見えたのでしょう。

初期の花巻電鉄の「デハ」(電動車+3等車)=写真、wiki=は、運転席の窓の下に、円い大きな電灯が一つ付いています。それが「どんよりよどんだ雪ぐもの下に/黄いろなあかりを」ともしながら、電車は「いっさんにはし」っているのでしょう。

当時この電車は、向かい合って座れば膝が擦れ合うほど車幅が狭く「お見合い電車」といわれていたといいます。そんな中で詩人は、きっと顔をくっつけるようにして車窓に向かっているのでしょう。

川端康成の『雪国』の有名な“夕景色の鏡”の「外は夕闇がおりているし、汽車のなかは明りがついている。それで窓ガラスが鏡になる。けれども、スチイムの温みでガラスがすっかり水蒸気に濡れているから、指で拭くまでその鏡はなかったのだった」と同じような構図です。

山道を駆けてきた貨物電車にすがった「あなた」(農婦)を思いやりながら、窓ガラス越しの景色とガラスに写った電車内の世界との二重写しの情景は、いつしか幻のように消え去り、「どんよりよどんだ雪ぐもの下」を「いっさんにはし」る電車の光景となって作品は締めくくられます。


harutoshura at 22:11|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2015年09月01日

「早春独白」⑤

 きょうも「早春独白」のつづき

   ……氷期の巨きな吹雪の裔(すゑ)は
     ときどき町の瓦斯燈を侵して
     その住民を沈静にした……

氷期
 
「氷期」は、氷河期、地球の気候が長期にわたって寒冷化する期間を指します。極地の氷床や山地の氷河群が拡大する時代です。

地質時代の区分でいうと私たちは、第四期完新世という最も新しい時代に生きています。その前の第四期更新世は、約258万年前から約1万年前までの期間。そのほとんどは氷河時代でした。

最も新しい氷期とは、およそ7万年前に始まって1万年前に終了したと考えられています。この時代、ヨーロッパ北部やカナダのほぼ全域と、西シベリア平原の北半分が巨大な氷床に覆われていました。

最終氷期が終わってまだ1万年しかたっていない今日でも、世界各地に氷河の跡を残しています。

「裔(すゑ)」は子孫のことで、「瓦斯燈」(ガスとう)は、ガス燃料を燃やす照明。

日本で最初に西洋式ガス灯が灯されたのは1871年(明治4年)年、大阪府大阪市の造幣局の近くで、機械の燃料として使っていたガスを流用して、工場や近隣の街路に点されました。

1873年には、銀座にもガス灯が設置されました。こうしたガス街灯の点灯・消灯業務にあたる人を点消方といったそうです。

ガスは、配管や配線による供給が難しため街路灯として主に用いられ、一般家庭では石油ランプが長く用いられ、やがて白熱電球に変わっていきました。

電車の中の詩人は、地球史の大きなスケールで、「ときどき町の瓦斯燈を侵して/その住民を沈静にした……」と車窓の町を眺めています。


harutoshura at 21:32|PermalinkComments(0)宮澤賢治