2014年02月

2014年02月28日

「小岩井農場(四)」② ヴアンダイクブラウン

  パート四は次のようにつづいていきます。

ふゆのあひだだつて雪がかたまり
馬橇〈ばそり〉も通つていつたほどだ
 (ゆきがかたくはなかつたやうだ
  なぜならそりはゆきをあげた
  たしかに酵母のちんでんを
  冴えた気流に吹きあげた)
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
往つたりきたりなんべんしたかわからない
   (四列の茶いろな落葉松〈らくえふしよう〉)
けれどもあの調子はづれのセレナーデが
風やときどきぱつとたつ雪と
どんなによくつりあつてゐたことか
それは雪の日のアイスクリームとおなじ
 (もつともそれなら暖炉〈だんろ〉もまつ赤〈か〉だらうし
  muscovite も少しそつぽに灼〈や〉けるだらうし
  おれたちには見られないぜい沢〈たく〉だ)
春のヴアンダイクブラウン
きれいにはたけは耕耘された
雲はけふも白金〈はくきん〉と白金黒〈はくきんこく〉
そのまばゆい明暗〈めいあん〉のなかで
ひばりはしきりに啼いてゐる
  (雲の讃歌〈さんか〉と日の軋〈きし〉り)
それから眼をまたあげるなら
灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
亜鉛鍍金(あえんめつき)の雉子なのだ
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
もう一疋が飛びおりる

ダイク

「セレナーデ」は、夜曲、あるいは恋歌。昔、西洋では、夜に恋人のいる窓の下で愛の歌を歌ったというのが名前の起こり。

「白金」はプラチナ。灰白色の鮮明な光沢をもつ。賢治は、煙や雨の比喩として好んでこの金属を用いる。「白金黒」は微粉状の白金。黒色ビロード状の光沢を呈し、触媒として重用される。

「軋り」は、きしること。また、その音。 人と人との間の争い。軋轢。

「muscovite」マスコバイト。淡色の雲母。もともとは、muscovy glass、モスクワのガラスのこと。

「ヴアンダイクブラウン」。ヴァン・ダイク(1599~1640)=写真、自画像(wikiから)=は、フランドル派のバロック画家。イギリスの宮廷画家として、肖像画をたくさん描いた。焦げ茶色を好んだので、カッセル土(ケルン土)を原土とする褐色顔料をヴアンダイクブラウンと呼ぶようになった。

「亜鉛鍍金の雉子」。亜鉛の縮れた屑をキップの装置(Kipps gas generator)、すなわちガラス球を上下二つ連結させて、粒状固形に液体を作用させてガスを発生させる器具に詰めて希塩酸を滴下させると、化学反応で水素が発生する。その際、反応する黒くなった亜鉛が細かく移動して鳥が飛び立っているように見える。


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2014年02月27日

「小岩井農場(四)」① ロビンソン風力計

 きょうから「小岩井農場」のパート四に入ります。

パート四

本部の気取〈きど〉つた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない
 さつきの光沢消〈つやけ〉しの立派な馬車は
 いまごろどこかで忘れたやうにとまつてようし
 五月の黒いオーヴアコートも
 どの建物かにまがつて行つた
冬にはこゝの凍つた池で
こどもらがひどくわらつた
 (から松はとびいろのすてきな脚です
  向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
  それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
  氷滑りをやりながらなにがそんなにをかしいのです
  おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)
葱いろの春の水に
楊の花芽〈ベムベロ〉ももうぼやける……
はたけは茶いろに掘りおこされ
廐肥も四角につみあげてある
並樹ざくらの天狗巣には
いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり
遠くの縮れた雲にかかるのでは
みづみづした鶯いろの弱いのもある……
あんまりひばりが啼きすぎる
  (育馬部と本部とのあひだでさへ
   ひばりやなんか一ダースできかない)
そのキルギス式の逞ましい耕地の線が
ぐらぐらの雲にうかぶこちら
みじかい素朴な電話ばしらが
右にまがり左へ傾きひどく乱れて
まがりかどには一本の青木
 (白樺だらう 楊ではない)
耕耘部へはここから行くのがちかい

ロビンソン

「ロビンソン風力計」=写真=は、垂直な回転軸の周りに3~4個の半球殻か円錐殻の羽(風杯)をもつ。風杯に風が当たると、凸面よりも凹面の方が空気抵抗が大きいために、凹面が押される方向に軸が回転する。電気信号などに変換して表示・出力する。特に機械式で回転数を積算し、測定時間内の空気の移動距離を表示する方式のものを、発明者のロビンソン(英国)にちなんでロビンソン風速計と称した。

回転の有無や回転数が風向に依存しないため、風の変化に対する応答性が高いが、風向の観測には別に風向計を設置する必要がある。古くは、風杯を4つ持つ4杯式が主力で、かつては気象庁のシンボルマークに図案化されていた。検出機構が機械式から電気式のものに移行するにつれ、軸周りの慣性モーメントが少なく応答性のいい三杯型に代わってきた。

「風信器」は風向計のこと。ヨーロッパでは、家の屋根に風見鶏をつける風習があった。普通に使われている風向計の感部は,鉛直に支えられた回転軸に20度の開きをもった2枚羽根とその反対側につりあいを取るためのおもりを取り付けてある。この回転軸の回転角は、伝達装置を通して遠方に伝達され、風向を自記することができる。

「とびいろ」は鳶色。日本の伝統色の一つ。猛禽・トビの羽毛の色のような暗い茶褐色を言う。実際のトビの羽色より赤みが強い。

「ベムベロ」は、カワヤナギの花芽の方言。カワヤナギは、水辺近くに自生し、高さ2メートルほどの落葉低木。ネコヤナギ、エノコロヤナギとも呼ばれる。

厩肥(きゅうひ、うまやごえ)は、家畜の糞尿と藁や落葉等を混合し、牛馬に踏ませることで腐熟させた有機質肥料。もとは厩から出る大量の糞尿を利用して作られた。明治の農学者、酒匂常明はその著書『日本肥料全書』で、厩肥を「肥料三要素」と称される窒素、燐酸、カリウムを土中で補給、持続させるために有効な肥料として取り上げている。

小岩井農場の経営を支えたのが、「育馬部」が担当していた競走馬の生産などをする育馬事業。イギリスから輸入された優秀な種牡馬から生まれた小岩井農場の競走馬たちは、昭和初期に創設された日本ダービーをはじめとする戦前の競馬界で優秀な成績を挙げた。

「キルギス式の逞ましい耕地」。当時は馬車幅くらいの農道が、馬トロ軌道と接して耕耘部方面に通っていた。道の途上で、広大な畑が目に入る。場内で「鶴が台」とよぶ下丸谷地2号畑。甲子園の球場部分がすっぽり入る22ヘクタールもあるという。

賢治も鶴が台の広大な畑に圧倒された。西域の歴史文化に関心を持っていた賢治は、キルギス・ステップ(草原)を連想した。この草原は、ウラルからアルタイ山脈に至る東西2000キロに及ぶ広大な草原地帯。

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2014年02月26日

「小岩井農場(三)」㊦ ハックニ―

 きょうはパート三の最後の部分です。

この荷馬車にはひとがついてゐない
馬は払ひ下げの立派なハツクニー
脚のゆれるのは年老つたため
 (おい ヘングスト しつかりしろよ
  三日月みたいな眼つきをして
  おまけになみだがいつぱいで
  陰気にあたまを下げてゐられると
  おれはまつたくたまらないのだ
  威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……馬車挽きはみんなといつしよに
向ふのどてのかれ草に
腰をおろしてやすんでゐる
三人赤くわらつてこつちをみ
また一人は大股にどてのなかをあるき
なにか忘れものでももつてくるといふ風〈ふう〉……(蜂函の白ペンキ)
桜の木には天狗巣病〈てんぐすびやう〉がたくさんある
天狗巣ははやくも青い葉をだし
馬車のラツパがきこえてくれば
ここが一ぺんにスヰツツルになる
遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは
(騎手はわらひ)赤銅〈しやくどう〉の人馬〈じんば〉の徽章だ

ハックニー

「ハツクニー」(Hackney)=写真=は、中間種、乗系種に分類される馬の品種のひとつ。脚を高く上げて馬車を引く優雅な仕草で知られ、馬車用としては最上級の品種。馬車競技に用いられるため輓系とされることもある。イギリス原産で被毛が美しく、栗毛、鹿毛、黒鹿毛と青毛の毛色を持つ。小さな頭に小さな耳、大きな目が特徴。首が長く、肩に対して垂直にたち、筋肉の発達いい。頑健で持久力に富み、馬車を引かせてもスピードと持久力が落ちない。軍馬としても需要が高かった。現在ではおもに馬車競技で使われている。

明治から昭和初期まで、実用馬として日本でも生産された。1902(明治35年)年には小岩井農場が種牡馬ブラックパフォーマーを輸入。模範賞や奨励賞をたびたび獲得し、1919年(大正8年)までに328頭の産駒を出した。当時、日本で一番多くのサラブレッド活躍馬を出していた小岩井農場でも、最盛期の大正15年にはサラブレッド42頭に対しハクニーは65頭が繋養され、取引価格も大正7年ごろには1頭あたりの平均価格はサラブレッドと並ぶ水準だったという。

小岩井農場は、独自にハクニーとサラブレッドの交配をした。だが、政府は中間種の改良はアングロノルマンに統一する方針に転じ、ハクニー生産を抑制。そのため、小岩井農場は警告の対象になり、昭和に入るとハクニーの生産は漸減、昭和9年以降は生産されなくなった。最後のころは、サラブレッドの100分の1まで暴落した。

「ヘングスト」は種馬のこと。しつかりしろよ、と人間に対するように、ハックニー(輓馬)の種馬に呼びかけている。

「馬の眼」は、陸上の生物では最大級の大きさをもつ。眼球の直径は約4.5cmで、人の眼球の2倍。重さ約100g。馬の眼球はピンポン球のようなきれいな球形ではなく、ややゆがんだ形をしている。焦点の合わせ方は人とは少し異なる。

馬の水晶体は、眼球と同じように大きいが、眼の筋肉の発達が貧弱なため、筋肉の動きだけでは焦点を合わせにくい。それを補うため、眼球のゆがみを焦点合わせに利用している。ちょうど遠近両用眼鏡を使うときのような感じで、遠くを見る時にはあごを引いて上目使い、近くを見る時には逆にあごをあげて注視する。

「天狗巣病」は植物病害の一種。樹木の茎や枝が、ほうきのように異常に密生する。高い木の上に巣のような形ができるためこの名がついた。直接の原因は、植物ホルモンの異常と考えられている。頂芽から出るオーキシンに拮抗するサイトカイニンの量が多くなると、多くの芽が一度に生長して天狗巣症状が現れる。これを起こす原因は菌類、昆虫、ウイルスなどさまざまだが、子嚢菌類タフリナ科に属するサクラの天狗巣病菌 (Taphrina wiesneri) がよく知られている。

「スヰツツル」はスイス(Switzerland)。


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2014年02月25日

「小岩井農場(三)」㊥ 石竹いろ

 「パート三」は次のようにつづきます。

木立がいつか並樹になつた
この設計は飾絵(かざりゑ)式だ
けれども偶然だからしかたない
荷馬車がたしか三台とまつてゐる
生(なま)な松の丸太がいつぱいにつまれ
陽(ひ)がいつかこつそりおりてきて
あたらしいテレピン油の蒸気圧(じようきあつ)
一台だけがあるいてゐる
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめつた黒い腐植質と
石竹(せきちく)いろの花のかけら
さくらの並樹になつたのだ
こんなしづかなめまぐるしさ

セキチク

「テレピン油」はマツなど松柏科の針葉樹の木材を蒸留して得られる揮発性芳香をともなった油。ドイツ語では、この油のとれる木をterpentinbaum(テレピンの木)という。

水に溶けない、アルコール類に溶け、油脂や樹脂などを溶かす性質がある。溶剤、あるいは塗料の材料として用いられ、油脂や樹脂をよく溶かす。主成分のピネンは人造樟脳などの原料にも用いられている。

マツのチップの水蒸気蒸留などによって得られるのがウッド・テレピン油。江戸末期に作られた石橋「通潤橋」には、松の葉や枝を煮立てて抽出した松汁が、水道石管の継ぎ目の水漏れを防ぐ漆喰の材料として使われ、松の油が水をはじき、まだ固まっていない漆喰が溶け出さないよう保護したとされる。

荷馬車の荷台いっぱいに積みこまれた丸太の木々に陽がいっぱいに当たった。松ヤニのむせ返るような匂いが立ち上っているようすを「蒸気圧」と表現しているのか。

「しめつた黒い腐植質」とは、腐食分解した植物のよく混じった肥沃な黒い土。雪が溶け、陽光を浴びて、農作業が始まる春を迎えた様子が感じられる。

石竹色は、ナデシコ科の植物セキチク=写真、wiki=の花のような淡い赤色のこと。セキチクは中国原産で、おもに観賞用に栽培されている。

実際の花は、赤や白、それらの色を組み合わせた模様など多くの種類があるが、色名は、桃色に近い花の色のことをさす。撫子色やピンクに近い。

「石竹いろの花のかけら」ということは、桜の花の咲きかけか、咲き終わりか。


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2014年02月24日

「小岩井農場(三)」㊤  fluorescence

 きょうから「小岩井農場」の「パート三」に入ります。

 パート三

もう入口だ〔小岩井農場〕
 (いつものとほりだ)
混〈こ〉んだ野ばらやあけびのやぶ
〔もの売りきのことりお断り申し候〕
 (いつものとほりだ ぢき医院もある)
〔禁猟区〕 ふん いつものとほりだ
小さな沢と青い木〈こ〉だち
沢では水が暗くそして鈍〈にぶ〉つてゐる
また鉄ゼルの fluorescence
向ふの畑〈はたけ〉には白樺もある
白樺は好摩〈かうま〉からむかふですと
いつかおれは羽田県属に言つてゐた
ここはよつぽど高いから
柳沢つづきの一帯だ
やつぱり好摩にあたるのだ
どうしたのだこの鳥の声は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小学校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
あの木のしんにも一ぴきゐる
禁猟区のためだ 飛びあがる
  (禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく)
一ぴきでない ひとむれだ
十疋以上だ 弧をつくる
  (ぎゆつく ぎゆつく)
三またの槍の穂 弧をつくる
青びかり青びかり赤楊〈はん〉の木立
のぼせるくらゐだこの鳥の声
  (その音がぼつとひくくなる
   うしろになつてしまつたのだ
   あるいはちゆういのりずむのため
   両方ともだ とりのこゑ)

fluorescence

「鉄ゼル」は、鉄ゲルのこと。寒天やこんにゃくのように、コロイド溶液が流動性をなくしてゼリー状に固化したものがゲル。鉄ゼルとは、水酸化鉄コロイド溶液がかたまったもの。土中の鉄がゲル状の酸化鉄にになっている状態で、土色は赤茶けていて、これを「赤渋」と呼んだりする、ともいわれる。

「fluorescence」=写真。フルーアレセンスは、蛍光性。物質が光やX線などによって照射されるとき、固有の色を発する性質をいう。

「白樺」明るい場所を好み、成長が早い。ブナなどの樹木にとって代わられ、ふつう一代限りで消えていく。高さは20~30mで、まっすぐに伸びる。外皮は薄く、黄色みを帯びた白色で光沢があって紙状に剥がれる。花期は春。雌雄同株で、5cmほどの雄花は長枝の先から尾状に垂れ下がる。賢治は、清楚で女性的な植物として描くことが多い。

「好摩」は、かつての岩手県玉山村の大字。玉山村には合併で、石川啄木の生地、渋民も含まれている。1891年開設の好摩駅には、IGRいわて銀河鉄道のいわて銀河鉄道線と、JR東日本の花輪線が乗り入れている。玉山村は、2006(平成18)年、盛岡市に編入された。

「羽田県属」は、羽田正(はだただし)。県属は、県庁の属官。旧判人官待遇。羽田は、稗貫郡担当の岩手県視学(地方教育行政官)だった。

「柳沢」は、現在の滝沢市(滝沢野)の一集落。陸羽街道と津軽街道の分岐点で、岩手山神社がある。滝沢市は、盛岡のベッドタウンとして開発が進められている。

「Rondo Capriccioso」(ロンド・カプリチョーソ)。ロンドは主題が挿入部をはさんで繰り返される形式。カプリチョーソは、イタリア語で「きまぐれに」。

「たくさんの鳥」「鳥の小学校」などといっているのは、いろんな種類が混ざった鳥たちがたくさんいて混声となって「ぎゆつくぎゆつく」と聞こえたのか。

「赤楊」(ハンノキ)は、カバノキ科の落葉高木。山野の低地や湿地、沼に自生し、高さは20mに達する。湿原のような湿地で森林を形成する数少ない樹木。楕円形の葉に先立って2月ごろ、ひも状の花を垂らす。花はあまり目立たない。果実は松かさ状で、10月ごろ熟す。

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2014年02月23日

「小岩井農場(二)」㊦ 

 きょうは、「小岩井農場」パート二の後半部分です。

うしろから五月のいまごろ
黒いながいオーヴアを着た
医者らしいものがやつてくる
たびたびこつちをみてゐるやうだ
それは一本みちを行くときに
ごくありふれたことなのだ
冬にもやつぱりこんなあんばいに
くろいイムバネスがやつてきて
本部へはこれでいいんですかと
遠くからことばの浮標(ブイ)をなげつけた
でこぼこのゆきみちを
辛うじて咀嚼(そしやく)するといふ風にあるきながら
本部へはこれでいゝんですかと
心細(こころぼそ)さうにきいたのだ
おれはぶつきら棒にああと言つただけなので
ちやうどそれだけ大(たい)へんかあいさうな気がした
けふのはもつと遠くからくる

インパルス

「イムバネス」=写真、wiki=は、長くてゆったりとした袖なしの外套。袖の代りにケープが付く。名はスコットランドの都市インバネスにちなむ。19世紀に男子洋服コートとして西欧ではやった。鹿撃ち帽、パイプと合わせた姿は、シャーロック・ホームズのトレードマークとして知られている。

幕末に洋服をとり入れた日本でもこれが着用され,その形からトンビと呼ばれた。福沢諭吉が片山淳之助の名で著した《西洋衣食住》(1867)に,〈合羽 マグフエロン 日本ニテ俗ニトンビト云〉とある。明治初年から、その着用が見られる。和服の上にも着られるので、和装防寒コートに利用された。

日本では1900(明治33)年ごろから、大正、昭和初期にかけて流行した。当時は「二重回し」「二重マント」とも呼ばれ、「お大尽」だけが着ることのできるものだった。和服の大きな袖が邪魔にならないため、実用性が高かったことが流行の一因とされる。

伊丹十三は「着物にインバネスってのは、ライスカレーと福神漬け、と同じように和洋折衷大成功の一例である」と語った。賢治は「くろいイムバネスがやつてきて」というように、それを着る人を指してよく用いている。

「浮標(ブイ)」は、浮き袋、救命袋、あるいは、海や川に浮かべて暗礁などの場所や航路を知らせる標識。ここでは、黒いイムバネスの男が「ことばの浮標(ブイ)」をなげつける。新鮮な表現だ。

「咀嚼(そしゃく)」は、摂取した食物を歯で咬み、粉砕すること。消化を助け、栄養をとることができる。「物事や言葉の意味をよく整理して理解する」という意味で使われるケースも多い。ここでは、歩く様子を「辛うじて咀嚼するといふ風に」と巧みな形容をしている。


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2014年02月22日

「小岩井農場(二)」㊤ 空のたむぼりん

 きょうから、賢治の長編詩「小岩井農場」のパート二に入ります。

  パート二

たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
雨はけふはだいぢやうぶふらない
しかし馬車もはやいと云つたところで
そんなにすてきなわけではない
いままでたつてやつとあすこまで
ここからあすこまでのこのまつすぐな
火山灰のみちの分だけ行つたのだ
あすこはちやうどまがり目で
すがれの草穂(ぼ)もゆれてゐる
 (山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし
  かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)
ひばり ひばり
銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ
たつたいまのぼつたひばりなのだ
くろくてすばやくきんいろだ
そらでやる Brownian movement
おまけにあいつの翅(はね)ときたら
甲虫のやうに四まいある
飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる
よほど上手に鳴いてゐる
そらのひかりを呑みこんでゐる
光波のために溺れてゐる
もちろんずつと遠くでは
もつとたくさんないてゐる
そいつのはうははいけいだ
向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える

タンバリン

「たむぼりん」は、タンバリン(tambourine)のこと。胴に小さなシンバルを付けた浅く小型の片面太鼓。打楽器、膜鳴楽器に分類される。起源は、メソポタミア文明のアッカド語までさかのぼるという。安価で、簡単に音を出すことができるため、教育用楽器として多用される。

胴に数カ所、鼓面と水平に細長い穴を開け、中央に細い棒を通す。そこに、小さなシンバルを向かい合わせて棒に通し、タンブリンの動きによってシンバルが打ち合わされるようになっている。タンブリンは太鼓の一種だが、音の多くをこのシンバルに依っている。

タンバリンが「遠くのそらで鳴つてる」のは、幻聴なのか、荒天の比喩なのか。「すがれ」は、末枯れるの意味。盛りが過ぎて衰えた状態をいう。

「ひばり」は、上空を長時間飛翔したり、草や石の上などに止まりながら囀る。繁殖期が始まるとオスが囀りながら高く上がって行く「揚げ雲雀」という縄張り宣言の行動が古くから親しまれている。

「Brownian movement」は、ブラウン運動。液体のような溶媒中に浮遊するコロイドなどの微粒子が、不規則に運動する現象で、1827年、ロバート・ブラウンが、水の浸透圧で破裂した花粉から水中に流出し浮遊した微粒子を、顕微鏡下で観察中に発見した。

1905年、アインシュタインにより、熱運動する媒質の分子の不規則な衝突によって引き起こされる現象として説明する理論が発表された。0.001 - 1μm (1 - 1000nm) 程度の粒子が、媒質と呼ばれる気体、液体あるいは固体に浮遊、分散している状態がコロイド。

「そらでやる Brownian movement」は、賢治が、大気、さらには宇宙全体をコロイド溶液として感じていたあらわれといえる。

「飴いろ」は、半透明のやや明るい褐色。デンプンと麦芽を主材料にして作った水飴の色をさす。古来の水飴は麦芽を加えていたため、薄い褐色に色づく。皮革製品、ガラス工芸品などに多くみられ、使い込んだような風合いがある。タマネギを香りが出るまで炒めるときに「飴色になるまで」と表現する。

光には粒子性と波動性があり、屈折、反射、干渉、回折、偏光などの性質を示す。波動としての光を「光波」と呼ぶ。

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2014年02月21日

「小岩井農場(一)」④ 緑褐

 きょうは、「小岩井農場」パート1の最後の部分になります。

馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
そしてずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき
ひとはふたりで赤い
雲に濾〈こ〉された日光のために
いよいよあかく灼〈や〉けてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変つたとはいへそれは雪が往き
雲が展〈ひら〉けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液〈じゆえき〉がながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転〈ばんぼふるてん〉のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起〈けいき〉するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草〈かれくさ〉
松木がをかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰欝にふるびて見える

緑褐

「燐光」はここでは、外部エネルギーを吸収した物質が、熱を伴わない光を放出し、エネルギーの補給をやめてもしばらく残る青白い光をいっている。「樹液」は、樹木が地中から吸い上げ、養分としている液体。

「心象の明滅」は、心や意識の明滅、明暗という認識論的、仏教的な用法。明滅する現象として自己の存在や心象を捉えるという認識方法は、倶舎論の刹那滅の思想に近く、その影響を受けたものとする解釈もある。

「万法流転」は、万法とは万物、万象のこと、流転は移り変わることで、万物は流転して止まることがないという思想。

「七つ森」は、小岩井駅の南西約1キロほどに位置し、大森、石倉森、鉢森、稗糠森、勘十郎森、見立森、三角森の七つの山からなる。高さは300メートル前後。見立森は、御所ダム建設のため採石が行われ、賢治の好んだ景観は変わりつつある。

「稠密」は、密集しているさま、ぎっしり詰まっているさま。「緑褐」=写真=は、緑掛かった茶色、 暗いウグイス色。


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2014年02月20日

「小岩井農場(一)」③ sun-maid

 きょうも「小岩井農場」(パート1)のつづきを読みます。

ひらつとわたくしを通り越す
みちはまつ黒の腐植土で
雨〈あま〉あがりだし弾力もある
馬はピンと耳を立て
その端〈はじ〉は向ふの青い光に尖り
いかにもきさくに馳けて行く
うしろからはもうたれも来ないのか
つつましく肩をすぼめた停車場〈ば〉と
新開地風の飲食店〈いんしよくてん〉
ガラス障子はありふれてでこぼこ
わらぢや sun-maid のから函や
夏みかんのあかるいにほひ
汽車からおりたひとたちは
さつきたくさんあつたのだが
みんな丘かげの茶褐部落や
繋〈つなぎ〉あたりへ往くらしい
西にまがつて見えなくなつた
いまわたくしは歩測のときのやう
しんかい地ふうのたてものは
みんなうしろに片附〈づ〉けた
そしてこここそ畑になつてゐる
黒馬が二ひき汗でぬれ
犁〈プラウ〉をひいて往つたりきたりする
ひはいろのやはらかな山のこつちがはだ
山ではふしぎに風がふいてゐる
嫩葉〈わかば〉がさまざまにひるがへる
ずうつと遠くのくらいところでは
鶯もごろごろ啼いてゐる
その透明な群青のうぐひすが
 (ほんたうの鶯の方はドイツ読本の
  ハンスがうぐひすでないよと云つた)

Sun-Maid_Logo

「腐植土」は、森林生態系で、地上部の植物により生産された有機物が朽木や落葉、落枝となって地表に堆積し、それを資源として利用するバクテリアなどの微生物やミミズなど土壌動物による代謝作用で分解され、土状になったもの。厳密には土ではない。長い月日をかけて自然が作り出す天然の肥料で、植物の栽培や昆虫の飼育に適した堆肥だ。

「つつましく肩をすぼめた停車場」は小岩井駅、 そして「新開地風の飲食店」とは、当時菓子・そば屋をやっていた工藤商店か。

「ガラス障子」は、障子紙の代わりにガラスをはめ込んだ障子。

「sun-maid」(サン・メイド)は、カリフォルニア産ほしブドウの商標で、この当時(「小岩井農場」の日付は、1922・5・21)、広く愛好されていた。加熱したブドウを天日乾燥や火力乾燥したもの。そのまま食べるほか、菓子や料理の材料として用いられる。

ドライフルーツ産業は、1894年のゴールドラッシュに続く農業ブームをきっかけに発展した。カリフォルニアでは、1800年代後半にはレーズン用ブドウの栽培農地が急速に拡大。1912年になって、地域全体の支援を受けて「California Associated Raisin Company」が設立された。

1915年には「Sun-Maid」=写真=というブランド名が決まった。ある日、ロレーン・コレット・ピーターセンという地元の少女が会社のトップの目にとまった。赤い日よけ帽をかぶり、とりたてのブドウのバスケットを持って微笑む彼女の姿は、その後、太陽の恵みを受けた栄養豊富なカリフォルニア・レーズンの代名詞となった。

「犁〈プラウ〉」は、種まきや苗の植え付けに備えて最初に土壌を耕起する農具。トラクターの作業機。plough。


harutoshura at 19:45|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月19日

「小岩井農場(一)」② みんな幻燈

 「小岩井農場」のパート1は、次のようにつづいていきます。

わたくしはあるいて馬と並ぶ
これはあるいは客馬車だ
どうも農場のらしくない
わたくしにも乗れといへばいい
馭者がよこから呼べばいい
乗らなくたつていゝのだが
これから五里もあるくのだし
くらかけ山の下あたりで
ゆつくり時間もほしいのだ
あすこなら空気もひどく明瞭で
樹でも艸でもみんな幻燈だ
もちろんおきなぐさも咲いてゐるし
野はらは黒ぶだう酒〈しゆ〉のコツプもならべて
わたくしを款待するだらう
そこでゆつくりとどまるために
本部まででも乗つた方がいい
今日ならわたくしだつて
馬車に乗れないわけではない
 (あいまいな思惟の蛍光〈けいくわう〉
  きつといつでもかうなのだ)
もう馬車がうごいてゐる
 (これがじつにいゝことだ
  どうしようか考へてゐるひまに
  それが過ぎて滅〈な〉くなるといふこと)

小岩井農場の本部事務所

19世紀に馬を動力として鉄道を走る馬車鉄道が発明されたが、蒸気機関車が発明されたことから、馬車鉄道は衰退。蒸気機関車発明後もどこでも自由に移動できる「馬車」は、ヨーロッパ社会などで盛んに利用された。

日本では、中世にウシを用いた牛車が存在したものの、その後家畜に車を引かせる習慣はなくなっていたが、明治時代の1869年から東京―横浜間を乗客輸送用として乗合馬車の営業がスタート。これを機に馬車は日本各地に普及し、自動車やバスが普及されるまで存続した。

「五里」。1里は36町(約4キロ)だから、その5倍の約20キロ。

「幻燈」は、江戸後期、享和年間(19世紀初め)からオランダ渡来の「写し絵」として利用されていた。明治初め、それがマジック・ランタン(MAGIC LANTERN)の訳語として名前が普及した。

「本部」すなわち小岩井農場の本部事務所=写真=は1903(明治36)年に建設。木造一部二階建、鉄板葺、下見板張り。玄関ポーチの円形の垂れ飾りがついた鼻隠し、重厚な扉、窓枠、窓台などが意匠的に注目される。

当初は周辺の樹木が小さく、二階の望楼部分から農場全体を見渡すことができた。1996(平成8)年、登録制度の導入と同時に文化財となった場内の建造物9棟は、すべて明治末期から昭和初期にかけての建築。半分以上が現役で使用されている。

「艸」は、草のこと。雑然と生える草。二本の草の芽が並んで生えているさまを描いた象形文字。


harutoshura at 18:30|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月18日

「小岩井農場(一)」① 酪農のメッカ

きょうから、全9部からなる賢治の一大長編詩「小岩井農場」を読んでいきます。

  小岩井農場

     パート一

わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
けれどももつとはやいひとはある
化学の並川さんによく肖〈に〉たひとだ
あのオリーブのせびろなどは
そつくりおとなしい農学士だ
さつき盛岡のていしやばでも
たしかにわたくしはさうおもつてゐた
このひとが砂糖水のなかの
つめたくあかるい待合室から
ひとあしでるとき……わたくしもでる
馬車がいちだいたつてゐる
馭者〈ぎよしや〉がひとことなにかいふ
黒塗りのすてきな馬車だ
光沢消〈つやけ〉しだ
馬も上等のハツクニー
このひとはかすかにうなづき
それからじぶんといふ小さな荷物を
載つけるといふ気軽〈きがる〉なふうで
馬車にのぼつてこしかける
 (わづかの光の交錯〈かうさく〉だ)
その陽〈ひ〉のあたつたせなかが
すこし屈んでしんとしてゐる

小岩井農場

「小岩井農場」=写真、wiki=は岩手県・雫石町にある日本最大の民間総合農場。盛岡市から西北約12kmに位置し、岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇る。

1891(明治24)年、日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の共同創始者3人の姓の頭文字をとり「小岩井」農場と名付けられた。

当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌だったという。そのために、土壌改良や防風、防雪林などの基盤整備に数十年を要した。

1938(昭和13)年から小岩井農牧株式会社として事業活動を行っている。

賢治は農場とその周辺の景観を愛し、しばしば散策した。詩「小岩井農場」は、1922(大正11)年5月の散策がもとになって書かれた。詩の中には、飼育されていたハクニー馬や倉庫など当時の農場の様子も描写されている。

小岩井農場は、大胆な西洋式農法と近代的植林、洋種畜産業によって、日本になかった大農場、牧畜、酪農のメッカとなっている。

賢治を魅了したのは、日本離れした北欧の大農場を思わせる近代的雰囲気と、愛してやまない岩手山麓にひらけた広大な自然環境。現実から抜けた異空間を経験しているようなここでの時間が、限りない想像力をかきたてたのだろう。

「オリーブのせびろ」とは、オリーブの実の色の、わずかに茶色を帯びた緑色をした背広という意味か。

「ハックニー」はイギリス原産の輓馬。多くは軍馬として活躍した。おとなしくて耐久力が強い。1900年ごろ、馬どころ岩手県には、10万頭の馬がいたという。

harutoshura at 21:58|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月17日

「蠕虫舞手」㊦ 燐光

 「蠕虫舞手」は次のようにつづいていきます。

赤い蠕虫〈アンネリダ〉舞手〈タンツエーリン〉は
とがった二つの耳をもち
燐光珊瑚の環節に
正しく飾る真珠のぼたん
くるりくるりと廻ってゐます
 (えゝ 8〈エイト〉 γ〈ガムマア〉 e〈イー〉 6〈スイツクス〉 α〈アルフア〉
  ことにもアラベスクの飾り文字)
脊中きらきら燦〈かがや〉いて
ちからいっぱいまはりはするが
真珠もじつはまがひもの
ガラスどころか空気だま
 (いゝえ、それでも
  エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
  ことにもアラベスクの飾り文字)
水晶体や鞏膜〈きやうまく〉の
オペラグラスにのぞかれて
おどってゐるといはれても
真珠の泡を苦にするのなら
おまへもさっぱりらくぢやない
   それに日が雲に入ったし
   私は石に座ってしびれが切れたし
   水底の黒い木片は毛虫か海鼠〈なまこ〉のやうだしさ
   それに第一おまへのかたちは見えないし
   ほんとに溶けてしまったのやら
それともみんなはじめから
おぼろに青い夢だやら
 (いゝえ あすこにおいでです おいでです
  ひいさま いらっしゃいます
  8〈エイト〉 γ〈ガムマア〉 e〈イー〉 6〈スイツクス〉 α〈アルフア〉
  ことにもアラベスクの飾り文字)
ふん 水はおぼろで
ひかりは惑ひ
虫は エイト ガムマア イー スイックス アルファ
   ことにもアラベスクの飾り文字かい
   ハッハッハ
 (はい まったくそれにちがひません
   エイト ガムマア イー スイックス アルファ
   ことにもアラベスクの飾り文字)」

燐光

「燐光」=写真、wiki=は、リンの自然発火による蒼白い光。蛍光に比べて寿命が長い。ここでは「燐光珊瑚」と、珊瑚を形容している。励起光が消失したあとも長く発光するので蓄光性とも呼ばれ夜光塗料として利用される。青白い燐光は、瞬発生と動きの要素。科学的現象でありながら、神秘的、宗教的雰囲気ももっている。賢治の感覚にぴったりする。

「真珠」は貝の体内で生成される宝石。生体鉱物(バイオミネラル)と呼ばれる。アコヤガイやクロチョウガイなどの貝の体内に挿入した核を中心に、貝の生理作用によって作られる炭酸カルシウムの玉。乳白色のほか黒真珠もある。

貝殻成分を分泌する外套膜が、貝の体内に偶然に入りこむことで天然真珠が生成される。つまり成分は貝殻と等しい。小石や寄生虫などの異物が貝の体内に侵入したときに、外套膜が一緒にはいり、結果、真珠が生成される。

天然では産出がまれで、加工が容易。「月のしずく」「人魚の涙」とも呼ばれているほどの美しい光沢に富む。

エジプトでは紀元前3200年頃から既に知られていたとされるが、宝飾品としてあるいは薬として珍重されるようになったのは後の時代。クレオパトラが酢に溶かして飲んでいたと伝えられる。

日本は古来から、真珠の産地として有名だ。日本書紀や古事記、万葉集には、真珠の記述が見られる。『魏志倭人伝』にも邪馬台国の台与が曹魏に白珠(真珠)5000を送ったと記されている。

1893年に御木本幸吉が英虞湾神明浦で養殖アコヤガイの半円真珠、1905年には英虞湾の多徳島で真円真珠の生産に成功している。

この詩で賢治は、「正しく飾る真珠のぼたん」などと、「蠕虫」についた気泡のたとえに使っているほか、「じつはまがひもの/ガラスどころか空気だま」と模造真珠を持ち出してきたりしている。

「鞏膜」は、白膜ともいい、眼球の角膜以外の部分のいちばん外側の層を含む強靱な膜のこと。「水晶体」は瞳孔のうしろの凸レンズの役割を担う透明体。

harutoshura at 22:20|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月16日

「蠕虫舞手」㊤ ボーフラ

次は、ボーフラの動きを独特の文字と音を使って見事に表現した詩「蠕虫舞手」に入ります。

 蠕虫〈アンネリダ〉舞手〈タンツエーリン〉

 (えゝ、水ゾルですよ
  おぼろな寒天〈アガア〉の液ですよ)
日は金〈きん〉の薔薇
赤いちいさな蠕虫〈ぜんちゆう〉が
水とひかりをからだにまとひ
ひとりでおどりをやつてゐる
 (えゝ、8〈エイト〉 γ〈ガムマア〉 e〈イー〉 6〈スイツクス〉 α〈アルフア〉
  ことにもアラベスクの飾り文字)
羽むしの死骸
いちゐのかれ葉
真珠の泡に
ちぎれたこけの花軸など
 (ナチラナトラのひいさまは
  いまみづ底のみかげのうへに
  黄いろなかげとおふたりで
  せつかくおどつてゐられます
  いゝえ、けれども、すぐでせう
  まもなく浮いておいででせう)

ボウフラ

賢治は「赤いちいさな蠕虫」が「おどりをやつてゐる」と、蠕虫(ぜんちゅう)をボーフラ(カの幼虫)=写真、wiki=のこととして使っている。だが正確にはボーフラは、ムカデなどと同じ節足動物に族する。

実際の蠕虫は、ミミズやヒル類など体が細長く蠕動により移動する小動物の総称。脚を持たず、骨格や貝殻のような硬い構造も持たない。昔は分類群として認められ、リンネは無脊椎動物の中の一群の名にこれを用いているが、次第に用いられなくなった。

しかし、分類が不明確だったり、あまり頓着しない場合、扱いやすい用語としてその後も用いられた。また大まかにその動物の姿を現す言葉として“蠕虫様”という表現もある。

ルビはドイツ語のAnnelida Tänzerin。Annelida〈アンネリダ〉は蠕形動物の学名。Tänzerinは、女性のダンサーを意味する。

「寒天」は、英語でagar〈アガア〉。天草を煮て固め、凍らせて乾燥させたものを再び煮て冷やすと、半透明乳白色になって固まる。

賢治は、ボーフラの滑稽な動きを、ギリシャ文字の表記と音で巧みに表現。さらに、アラベスクの飾り文字にたとえている。

アラベスク(arabesque)は、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式。幾何学的文様を反復して作られている。ムスリムにとって、これらの文様は、可視的物質世界を超えて広がる無限のパターンを構成している。

「ナチラナトラのひいさま」のナチラナトラは意味不明だが、ラテン語のナトゥラ(自然)の音をかりて、“天然自然”を含意したエキゾチックな表現にしたのか。「ひいさま」は姫様のなまり。

harutoshura at 20:12|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月15日

「真空溶媒」⑩ 犬神

 きょうは「真空溶媒」の最後の部分になります。

恐るべくかなしむべき真空溶媒は
こんどはおれに働きだした
まるで熊の胃袋のなかだ
それでもどうせ質量不変の定律だから
べつにどうにもなつてゐない
といつたところでおれといふ
この明らかな牧師の意識から
ぐんぐんものが消えて行くとは情ない
 (いやあ 奇遇ですな)
 (おお 赤鼻紳士
  たうとう犬がおつかまりでしたな)
 (ありがたう しかるに
  あなたは一体どうなすつたのです)
 (上着をなくして大へん寒いのです)
 (なるほど はてな
  あなたの上着はそれでせう)
 (どれですか)
 (あなたが着ておいでになるその上着)
 (なるほど ははあ
  真空のちよつとした奇術〈ツリツク〉ですな)
 (えゝ さうですとも
  ところがどうもをかしい
  それはわたしの金鎖ですがね)
 (えゝどうせその泥炭の保安掛りの作用です)
 (ははあ 泥炭のちよつとした奇術〈ツリツク〉ですな)
 (さうですとも
  犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)
 (なあにいつものことです)
 (大きなもんですな)
 (これは北極犬です)
 (馬の代りには使へないんですか)
 (使へますとも どうです
  お召しなさいませんか)
 (どうもありがたう
  そんなら拝借しますかな)
 (さあどうぞ)
おれはたしかに
その北極犬のせなかにまたがり
犬神のやうに東へ歩き出す
まばゆい緑のしばくさだ
おれたちの影は青い沙漠旅行〈りよかう〉
そしてそこはさつきの銀杏〈いてふ〉の並樹
こんな華奢な水平な枝に
硝子のりつぱなわかものが
すつかり三角になつてぶらさがる

犬神

「質量不変の定律」すなわち「質量保存の法則」は、「化学反応の前と後で物質の総質量は変化しない」とする化学の法則。フランスの科学者、アントワーヌ・ラヴォアジエが1774年、精密な定量実験を行ったところ化学反応の前後で質量が変わらないという結論を得て、後に提唱した。現在では相対性理論に基づく質量とエネルギーの等価性がよって、基本法則とはいえないと考えられているが、実用上広く用いられている。

どんな触媒を使っても、たとえ「真空溶媒」であっても、「質量不変の定律」が成り立っているからには、何がどう解け合い姿が変わろうと全体としてみれば同じこと、「べつにどうにもなつてゐない」というわけだ。

その後には、賢治の詩によく出てくる丸カッコに囲まれた部分が続く。だれとだれの問答かはっきりしない内的会話だ。詩にこうした自由自在な会話を導入したのは、賢治がはじめてなのだろう。

「犬神」=写真、wiki=は、狐憑き、狐持ちなどとともに、西日本に最も広く分布する犬霊の憑き物だが、賢治が用いている犬神の姿は「黄いろの髪をばさばささせ大きな口をあけたり立てたりし歯をがちがち鳴らす恐ろしいばけもの」(「サガレンと八月」)。

詩の最初の部分には、

  しきりにさつきからゆれてゐる
  おれは新らしくてパリパリの
  銀杏〈いてふ〉なみきをくぐつてゆく
  その一本の水平なえだに
  りつぱな硝子のわかものが
  もうたいてい三角にかはつて
  そらをすきとほしてぶらさがつてゐる

ここにある「硝子のわかもの」というのはイチョウの若葉で、それが三角に変わるということなのだろうか。とすれば「硝子」とか「そらをすきとほして」という表現が気にかかる。

山本太郎は、「いかにも北国らしい樹氷の描写」と見る。

〈賢治は樹氷、つららを「岩手軽便鉄道の一月」という詩でも実にリズミカルに歌っている。

  よう くるみの木 ジュグランダー 鏡を吊し
  よう かはやなぎ サリックスランダー 鏡を吊し

こうした「よう」などという語りかけのなかにも自然のなかをその一分子として歩く賢治の若やぎが感ぜられ彼独自の発想だ。氷片もまた彼にとって同志――三角のわかものである。〉(『「春と修羅」研究Ⅱ』)

イチョウの葉そのものか、樹氷かは知らないが、ともかく「すつかり三角になつて」ぶらさがる「硝子のりつぱなわかもの」で、詩「真空溶媒」はしめくくられます。


harutoshura at 19:13|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月14日

「真空溶媒」⑨ マヂエラン星雲

 ひきつづき「真空溶媒」を読んでいきます。

そらの澄〈ちよう〉明 すべてのごみはみな洗はれて
ひかりはすこしもとまらない
だからあんなにまつくらだ
太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず
おれは数しれぬほしのまたたきを見る
ことにもしろいマヂエラン星雲
草はみな葉緑素を恢復し
葡萄糖を含む月光液〈げつくわうえき〉は
もうよろこびの脈さへうつ
泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる
 (もしもし 牧師さん
  あの馳せ出した雲をごらんなさい
  まるで天の競馬のサラアブレツドです)
(うん きれいだな
  雲だ 競馬だ
  天のサラアブレツドだ 雲だ)
あらゆる変幻の色彩を示し
……もうおそい ほめるひまなどない
虹彩はあはく変化はゆるやか
いまは一むらの軽い湯気〈ゆげ〉になり
零下二千度の真空溶媒〈しんくうようばい〉のなかに
すつととられて消えてしまふ
それどこでない おれのステツキは
いつたいどこへ行つたのだ
上着もいつかなくなつてゐる
チヨツキはたつたいま消えて行つた

マゼラン

「マヂエラン星雲」は2つの銀河からなる。大マゼラン雲=写真、wiki=と小マゼラン雲。ともに、局部銀河群に属する矮小銀河で、銀河系の伴銀河である。互いには7万5000光年離れ、地球からは21度離れて見える。

両銀河は棒渦巻状の構造を持つが、潮汐力により大きく乱れている。両銀河の速度はハッブル宇宙望遠鏡により正確に測定され、480km/sと出ている。肉眼で容易に見えるので、南半球および北半球低緯度の人々には、原始時代から知られていたと思われる。

ヨーロッパ人に知られるようになったのは、1519年から1522年のフェルディナンド・マゼランによる世界一周航海に参加したヴェネツィアのアントニオ・ピガフェッタが記録してから。マゼランの名が冠されるようになったのはかなり後のこと。

賢治は小銀河であることは知らなかったが、発見者のマゼランの名を意識してか、この星雲に殉教的な決意を託していたようだ。賢治は星雲を輪としてとらえるくせがあった。

「月光液」は、光合成で生成されたブドウ糖やデンプンを運ぶ月光の色をして樹液のことをあらわしているようだ。あたりは幻に彩られ、やがて溶けて消えてしまう。

「虹彩(こうさい)」は、角膜と水晶体の間にある目の薄い膜。瞳孔の大きさを調節して網膜に入る光の量を調節する役割を持つ。カメラの絞りにあたる。

harutoshura at 22:43|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月13日

「真空溶媒」⑧ テナルディエ軍曹

 きょうも「真空溶媒」のつづきを読み進めていきます。

いゝ気味だ ひどくしよげてしまつた
ちゞまつてしまつたちひさくなつてしまつた
ひからびてしまつた
四角な背嚢ばかりのこり
たゞ一かけの泥炭〈でいたん〉になつた
ざまを見ろじつに醜〈みにく〉い泥炭なのだぞ
背嚢なんかなにを入れてあるのだ
保安掛り じつにかあいさうです
カムチヤツカの蟹の缶詰と
陸稲〈をかぼ〉の種子がひとふくろ
ぬれた大きな靴が片つ方
それと赤鼻紳士の金鎖
どうでもいゝ 実にいゝ空気だ
ほんたうに液体のやうな空気だ
 (ウーイ 神はほめられよ
  みちからのたたふべきかな
  ウーイ いゝ空気だ)

180px-Thenardiers

『レ・ミゼラブル』のテナルディエ軍曹=写真、wiki=みたいな小悪党の「保安掛り」はほどなく、しょげて、縮まり、干からびて、植物化石化たのか「泥炭」になってしまう。泥炭は、主に低気温地域の沼地で、植物遺骸が十分分解されずに堆積して形成される。

植物遺骸などの有機物の堆積する速度が、堆積した場所の微生物が有機物を分解する速度を上回ると泥炭が形成される。泥炭は石炭の成長過程の最初の段階にあると考えられるので、不純物や含水量が多い品質の悪い燃料のため日本では工業用燃料としての需要は少ない。

繊維質を保ち、保水性や通気性に富むので、園芸では腐植土として混入し土質を改善させるためによく使われる。排水後20センチ以上の泥炭層を有する土地を泥炭地という。泥炭はわずかな荷重で圧縮するため、泥炭地は地盤として極めて軟弱。建築や道路には問題とされる。

「カムチャツカ」は、ユーラシア大陸の北東部にある、南南西方向に伸びた半島。面積は472,300平方キロ、長さ1,250キロ。亜寒帯気候からツンドラ気候で、全域がロシアの領土。東部の山脈は、千島列島に連なる火山帯。沿岸は、サケ、マス、タラ、カレイ、ニシン、タラバガニなどの漁場になっている。

1905(明治38)年以降、日本もカムチャツカの沿岸漁業権を手に入れ、1917(大正6)年には217区、全漁業権の9割の権利を持ち、海岸には日本の水産会社の冷凍工場や缶詰工場が並んでいた。第二次世界大戦後、その権利は失う。

1929年(昭和4)年に発表された小林多喜二の『蟹工船』は、カムチャツカ沖海域で行われていた、北洋漁業で使用された漁獲物の加工設備を備えた大型船「博光丸」が舞台。搭載した小型船でたらば蟹を漁獲し、ただちに母船で蟹を缶詰に加工していた。

「陸稲」は、畑で栽培されるイネ。水稲に比べて草型が大きく、葉身が長大で根系が発達しており、粒も大きめだが水稲と植物学的な差異は無い。収穫率、食味は落ちるが、水田を作らず畑に作付けできるので育成が容易だが、畑で作られるため連作障害が発生しやすく、雑草を抜くのが大変だ。

1920年ごろから人工交配による品種改良が進められ、1926年からは育種の全国組織の活動で優良品種の選抜や品種の固定が行われた。治水が進んだ近年は、品種改良が進んでほとんど水稲に代わっている。


harutoshura at 18:53|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月12日

「真空溶媒」⑦ 駝鳥の卵

 「真空溶媒」のつづきをです。

まつたくひどいかぜだ
たふれてしまひさうだ
沙漠でくされた駝鳥〈だてう〉の卵
たしかに硫化水素ははひつてゐるし
ほかに無水亜硫酸
つまりこれはそらからの瓦斯の気流に二つある
しようとつして渦になつて硫黄華〈くわ〉ができる
    気流に二つあつて硫黄華ができる
        気流に二つあつて硫黄華ができる
 (しつかりなさい しつかり
  もしもし しつかりなさい
  たうとう参つてしまつたな
  たしかにまゐつた
  そんならひとつお時計をちやうだいしますかな)
おれのかくしに手を入れるのは
なにがいつたい保安掛りだ
必要がない どなつてやらうか
         どなつてやらうか
            どなつてやらうか
               どなつ……
水が落ちてゐる
ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ
悪い瓦斯はみんな溶けろ
 (しつかりなさい しつかり
  もう大丈夫です)
何が大丈夫だ おれははね起きる
 (だまれ きさま
  黄いろな時間の追剥め
  飄然たるテナルデイ軍曹だ
  きさま
  あんまりひとをばかにするな
  保安掛りとはなんだ きさま)

ダチョウ

「駝鳥の卵」=写真=は、重さが約1.2~2.0kg、鶏卵の約30個分にも相当します。黄身の色は薄めで、巨大で約400gもある。味はマイルドでクリーミー。それが、沙漠で腐っているイメージか。

「硫化水素」 は、天然には火山ガスや温泉ガスに含まれている。卵黄などの硫黄を含むタンパク質の分解によってできる。駝鳥の卵黄からも発生するのだろう。硫化鉄と希塩酸や希硫酸を反応させるなど、金属の硫化物に酸を作用させると簡単にできる。

「無水亜硫酸」は、二酸化硫黄のこと。硫黄や硫黄化合物を燃やすと得られる、刺激臭のある無色の気体。粘膜を冒し、有毒。石炭や石油の燃焼後の排ガスに含まれ、公害の原因の一つになる。硫酸の製造原料、漂白剤などに使われている。

「硫黄華」は、粗製硫黄蒸気を急冷すると付着する粉末状硫黄の結晶。硫黄泉の涌出口に付着したり、沈殿しているのがよく見かけられる。

「かくし」はポケット。

「テナルディエ軍曹」は、ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』に登場する小悪党。パリ郊外のモンフェルメイユで宿屋を経営する。背が低く、やせぎすで病人のような男。1815年のワーテルローの戦いでは軍曹だったと自称するがでたらめだった。いたいけな少女コゼットを引き取ると、コゼットの衣類を全部パリの質屋に入れ、女中としてタダ働きさせて虐待。コゼットの母のファンティーヌに養育費と称して様々な理由をつけては金をせびり続けた。

賢治は、ナポレオンポナバルド、ネー将軍など『レ・ミゼラブル』に関係する語をたくさん使っており、愛読書だったことがうかがえる。

harutoshura at 22:23|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月11日

「真空溶媒」⑥ リチウム

 きょうも「真空溶媒」のつづきです。  

もう冗談ではなくなつた
画かきどものすさまじい幽霊が
すばやくそこらをはせぬけるし
雲はみんなリチウムの紅い焔をあげる
それからけはしいひかりのゆきき
くさはみな褐藻類にかはられた
こここそわびしい雲の焼け野原
風のヂグザグや黄いろの渦
そらがせはしくひるがへる
なんといふとげとげしたさびしさだ
 (どうなさいました 牧師さん)
あんまりせいが高すぎるよ
 (ご病気ですか
  たいへんお顔いろがわるいやうです)
(いやありがたう
  べつだんどうもありません
  あなたはどなたですか)
(わたくしは保安掛りです)
いやに四かくな背〈はい〉嚢だ
そのなかに苦味丁幾〈くみちんき〉や硼酸〈はうさん〉や
いろいろはひつてゐるんだな
 (さうですか
  今日なんかおつとめも大へんでせう)
 (ありがたう
  いま途中で行き倒〈だふ〉れがありましてな)
 (どんなひとですか)
 (りつぱな紳士です)
 (はなのあかいひとでせう)
 (さうです)
 (犬はつかまつてゐましたか)
 (臨終〈りんじゆう〉にさういつてゐましたがね
  犬はもう十五哩もむかふでせう
  じつにいゝ犬でした)
 (ではあのひとはもう死にましたか)
 (いゝえ露がおりればなほります
  まあちよつと黄いろな時間だけの仮死〈かし〉ですな
  ううひどい風だ まゐつちまふ)

リチウム

「リチウム」は、アルカリ金属元素の一つ。白銀色の軟らかい元素で、あり全ての金属元素の中で最も軽く、比熱容量は全固体元素中で最も高い。

リチウムは地球上に広く分布しているが、反応性が高く、単体としては存在していない。地殻中で25番目に多く存在する元素で、火成岩や塩湖かん水中に多く含まれる。リチウムの埋蔵量の多くはアンデス山脈沿いに偏在し、最大の産出国はチリ。

炎色反応でリチウムやその化合物は深紅色の炎色を呈する=写真、wiki。主な輝線は波長670.8 ナノメートルの赤色のスペクトル線で、ほかに610.4 ナノメートル(橙色)、460.3 ナノメートル(青色)などにスペクトル線が見られる。

「褐藻類」は、コンブやワカメなど海産の多細胞藻類を中心とする生物群。褐色をしているのでその名がある。ワカメも、湯通しするまでは褐色をしている。糸状、葉状、樹枝状などさまざまな構造のものがあり、生殖器や分裂組織などが分化するものもある。海藻の中では最もよく発達した藻体を形成し、大きいものは数十メートルになる。

「背嚢」は背に負う方形のかばん。皮やズックで作られる。もともと軍隊で使われていたが、一般にも学生らが広く用いている。

「苦味丁幾」は、リンドウの根や橙皮をアルコールに浸し、圧搾ろ過した澄明黄褐色をした苦い味の健胃剤。

「硼酸」は、無色無臭の光沢をもった結晶で、温水に溶け、うがい薬や防腐剤、消毒剤に用いる。

「哩」(マイル)ヤードポンド法の距離の単位。1マイルは1760ヤードで、約1.609キロ。記号mil。「十五哩」ということは、約24キロ。


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2014年02月10日

「真空溶媒」⑤ 鱗木

 「真空溶媒」のつづきを読んでいきます。

苹果〈りんご〉の樹がむやみにふえた
おまけにのびた
おれなどは石炭紀の鱗木〈りんぼく〉のしたの
ただいつぴきの蟻でしかない
犬も紳士もよくはしつたもんだ
東のそらが苹果林〈りんごばやし〉のあしなみに
いつぱい琥珀をはつてゐる
そこからかすかな苦扁桃〈くへんたう〉の匂がくる
すつかり荒〈す〉さんだひるまになつた
どうだこの天頂〈ちやう〉の遠いこと
このものすごいそらのふち
愉快な雲雀〈ひばり〉もとうに吸ひこまれてしまつた
かあいさうにその無窮遠〈むきゆうゑん〉の
つめたい板の間《ま》にへたばつて
瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない

リンボク

「石炭紀」は、地質時代の区分のひとつ。古生代の後半で、3億5920万年前から2億9900万年前までの時期。この地層から石炭を産するのは当時、大きな森林が形成されていたことの傍証となる。

陸上では、シダ植物が発達し、昆虫や両生類が栄えた。この時代、両生類から陸上生活に適応した有羊膜類が出現し、やがて二つの大きなグループが分岐した。竜弓類(鳥類を含む爬虫類へとつながる系統)と単弓類(哺乳類へと繋がる系統)である。

当時の爬虫類ではヒロノムスなどが知られている。また、パレオディクティオプテラやゴキブリの祖先プロトファスマなど翅を持った昆虫が初めて出現した。これらは史上初めて空へ進出した生物だ。

デボン紀から引き続いて節足動物、昆虫の巨大化も著しく、全長60cmもある巨大なウミサソリや翼長70cmの巨大トンボ、全長2mの巨大ムカデなどが見つかっている。これらの節足動物は陸上進出を果たした両生類や有羊膜類の貴重な蛋白源になったといわれている。末には数百万年に渡る氷河期が到来し多くの生物が死滅した。

巨大なシダ類が繁栄し、中でもリンボクは直径2m、高さ38mのものも存在し、こうしたシダ類が、湿地帯に大森林を形成していた。年間を通して季節の変化はあまりなく、1年中湿潤な熱帯気候であったといわれる。

一方で南極では氷河が形成されるなど、寒冷化が進行しつつあった。森林の繁栄により、大気中の酸素濃度は35%に達したとされる。このことが動植物の大型化を可能にしたと考えられている。

賢治は修羅の立つ位置のひとつとして、石炭紀の森林をしばしばイメージした。石炭紀に両生類が栄え、それらが初めて声を出す動物となり、それは恋人を求めてのものであるという『科学体系』の説明の影響も見られる。

「鱗木」=写真、wiki=は、うろこ木とも呼ばれ、特に石炭紀に大森林を築いた化石シダ植物。高さ数十メートルの高木で、樹幹にウロコ状の模様がついていた。

「蟻」は、1億2500万年前、スズメバチの祖先から分化したと推定されている。4500-3800万年前のコハクでは含有割合が20-40%を占め、現存の亜科もほぼ出揃った。

「琥珀」は、木の樹脂(ヤニ)が地中に埋没し、長い年月により固化したもの。アリのような小型の昆虫は潰れやすくて化石になりにくいが、琥珀に内包され化石化したものが残っている。

「苦扁桃」は、バラ科の落葉低木。桃にいたアーモンドの一種で、種子の苦みからその名がついた。化粧品の原料や鎮咳(ちんがい)薬としても用いられる。 「無窮」は、果てしないこと。無限。永遠。


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2014年02月09日

「真空溶媒」④ 金いろの苹果

「真空溶媒」のつづきです。金いろの苹果の木が登場します。

はるかに湛〈たた〉へる花紺青の地面から
その金いろの苹果〈りんご〉の樹が
もくりもくりと延びだしてゐる
 (金皮のまゝたべたのです)
 (そいつはおきのどくでした
  はやく王水をのませたらよかつたでせう)
 (王水、口をわつてですか
  ふんふん、なるほど)
 (いや王水はいけません
  やつぱりいけません
  死ぬよりしかたなかつたでせう
  うんめいですな
  せつりですな
  あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)
 (えゝえゝ もうごくごく遠いしんるゐで)
いつたいなにをふざけてゐるのだ
みろ、その馬ぐらゐあつた白犬が
はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて
いまではやつと南京鼠〈なんきんねずみ〉のくらゐにしか見えない
 (あ、わたくしの犬がにげました)
 (追ひかけてもだめでせう)
 (いや、あれは高価〈たか〉いのです
  おさへなくてはなりません
  さよなら)

golden_apple

「花紺青」(はなこんじょう)はふつう、スマルトの色のことをいう。スマルトは、コバルトを用いて着色した水晶末を粉末にしたガラス質の人造顔料で、最古のコバルト系顔料といわれている。ヨーロッパで、高価で希少な天然群青や天然ウルトラマリンの代用として用いられた。日本でも、江戸時代に輸入され使用されていたが、人工ウルトラマリンやコバルトブルーの登場で19世紀ころからあまり使われなくなった。

紺青は、一般的に紫色を帯びた暗い青色のこと。色名はフェロシアン化第二鉄を主成分とする人工顔料紺青に由来し、プルシアンブルーと呼ばれるのも同じ色。古来から金青(こんじょう)とよばれる別の物質もある。岩群青だ。平安時代初期に記された『続日本紀』に既に「金青」の名前が見られる。これは、プルシアンブルーに比べて赤味の強い青になる。この天然顔料である紺青と、人工的に作られたプルシアンブルーを区別するために、前者を岩紺青、後者を花紺青(はなこんじょう)と称することがある。

「苹果〈りんご〉」は、前に出たときには「りんご」と平仮名書きだった。リンゴは賢治の作品の中におびただしく出てくる。漢字で書く場合、苹果か林檎だが、苹果のほうが目立つ。もともと、明治に入って本格的に栽培されるようになった西洋リンゴを苹果、昔から日本あった小さめの実の和リンゴを林檎と表記した。

「王水」は、濃塩酸と濃硝酸とを3:1の体積比で混合してできる橙赤色の液体。通常の酸には溶けない金や白金などの貴金属も溶かす。腐食性が非常に強いため、人体にとっては非常に有害だ。

「南京鼠」はハツカネズミの一種。中国産のものの改良種。頭胴長約7センチメートル。尾は約6センチメートル。普通は全身白色で、目が赤い。

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2014年02月08日

「真空溶媒」③ ゾンネンタール

 「真空溶媒」のつづきを読んでいきます。

うらうら湧きあがる昧爽〈まいさう〉のよろこび
氷ひばりも啼いてゐる
そのすきとほつたきれいななみは
そらのぜんたいにさへ
かなりの影〈えい〉きやうをあたへるのだ
すなはち雲がだんだんあをい虚空に融けて
たうとういまは
ころころまるめられたパラフヰンの団子〈だんご〉になつて
ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ
地平線はしきりにゆすれ
むかふを鼻のあかい灰いろの紳士が
うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて
あるいてゐることはじつに明らかだ
(やあ こんにちは)
(いや いゝおてんきですな)
(どちらへ ごさんぽですか
  なるほど ふんふん ときにさくじつ
  ゾンネンタールが没〈な〉くなつたさうですが
  おききでしたか)
 (いゝえ ちつとも
  ゾンネンタールと はてな)
 (りんごが中〈あた〉つたのださうです)
 (りんご、ああ、なるほど
  それはあすこにみえるりんごでせう)

ゾンネンタール

「昧爽」は、夜明けのころの薄明時、黎明のこと。賢治は「まだき」とルビをふることもある。昧は暗い、爽は明るいという意味。昧旦ともいう。

「ひばり」は、春を告げる鳥として古来より洋の東西を問わず親しまれている。永き日を囀り足らぬひばりかな(松尾芭蕉)。

賢治の作品の中に出てくる鳥の中で最も登場頻度が多い。特に、鳴き声の表現がユニーク。早春の鳴き声を「氷ひばり」と表現している。

「虚空」は大空、空中の意味が一般できだが、賢治の場合、エーテルの充満する自然界の空間、またはその原理の意味に用いる。

「パラフヰン」は、霧、雲、もやの形容として用いられることが多く、蝋の色の感覚が生かされている。

「ゾンネンタール」は、架空の人名。そのまま訳すと、ドイツ語で「太陽(ゾンネン)の谷(タール)」ということになる。ある種の不気味な人物として登場する。

ネアンデルタール人にヒントを得たという説や、オーストリアの俳優の名(Adolf von Sonnenthal、1834~1909)=写真、wiki=からきているという説がある。賢治は、より進化の前段階にあるものに怖れを抱いていた。


harutoshura at 15:30|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月07日

「真空溶媒」② チモシー

 「真空溶媒」のつづきを読んでいきます。

いてふの葉ならみんな青い
冴えかへつてふるへてゐる
いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき
白い輝雲〈きうん〉のあちこちが切れて
あの永久の海蒼〈かいさう〉がのぞきでてゐる
それから新鮮なそらの海鼠〈なまこ〉の匂
ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた
こんなににはかに木がなくなつて
眩ゆい芝生〈しばふ〉がいつぱいいつぱいにひらけるのは
さうとも 銀杏並樹〈いてふなみき〉なら
もう二哩もうしろになり
野の緑青〈ろくしやう〉の縞のなかで
あさの練兵をやつてゐる

チモシー

「銀杏」(いてふ、Ginkgo biloba)は、イチョウ科の落葉高木。イチョウ綱の中で唯一の現存している種なので、生きた化石と呼ばれる。実を「ぎんなん」と呼ぶが、これは「銀杏」の唐音読み「ぎん・あん」からきている。1819年には、ゲーテが『西東詩集』のなかで Ginkgo の名を用いている。

中国原産の落葉高木。高さは20~30m。葉は扇形で葉脈が付け根から先端まで伸びている。葉の中央部が浅く割れている。原始的な平行脈を持ち、二又分枝する。雌雄異株であるため、雄株と雌株があり、実は雌株にのみになる。

4~5月に新芽が伸びた後に雌花、雄花とも開花する。実が結実するには雄株の花粉による受粉が必要だ。種子は11月ごろ熟成すると、果肉は軟化しカルボン酸類特有の臭気を発する。アヒルの足のような形の葉は、秋には黄色く黄葉し落葉する。 

alcohol(アルコール)瓶は、酒精(エタノール)あるいは木精(メタノール)の入ったびん、「輝雲」は、光が四方に広がってかがやかしい雲のことか。

「海蒼」とは、牧草として栽培されるイネ科の多年草チモシー=写真=の葉の緑色をさす。チモシーの和名はオオアワガエリ。ヨーロッパ原産だが、牧草としてはアメリカで広まり、日本には明治初期に北海道に導入された。北海道や東北地方を中心に栽培。道端や空地に野生化している。草丈は50cm~1m。晩春から初夏に円柱状の穂を出す。

「海鼠〈なまこ〉」は、棘皮動物門のうち、体が細長く口が水平に向くなどの特徴を共有する一群。不活発な動物で、海底をゆっくりと這っている。多くのナマコがデトリタス(海底に堆積した有機物)を餌とし、触手で集めて食べる。

敵の攻撃を受けると内臓を放出するものがある。熱帯性のナマコの多くはキュビエ器官という白い糸状の組織を持ち、刺激を受けると肛門から吐き出す。キュビエ器官は動物の体表にねばねばと張り付いて行動を邪魔する。マナマコなどキュビエ器官を持たないナマコは、腸管を肛門や口から放出する。

「緑青(ろくしょう)」は、銅が酸化されることでできる青緑色の錆。銅合金の着色に使用されたり、銅板の表面に皮膜を作り内部の腐食を防ぐ効果や抗菌力がある。賢治作品では、顔料の緑青をいう。


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2014年02月06日

「真空溶媒」① 光冠

次は、250行近くある長編詩「真空溶媒」(1922・5・18)。最初から少しずつ言葉を追って、見ていくことにします。

  真空溶媒

     (Eine Phantasie im Morgen)

融銅はまだ眩〈くら〉めかず
白いハロウも燃えたたず
地平線ばかり明るくなつたり陰〈かげ〉つたり
はんぶん溶けたり澱んだり
しきりにさつきからゆれてゐる
おれは新らしくてパリパリの
銀杏〈いてふ〉なみきをくぐつてゆく
その一本の水平なえだに
りつぱな硝子のわかものが
もうたいてい三角にかはつて
そらをすきとほしてぶらさがつてゐる
けれどもこれはもちろん
そんなにふしぎなことでもない
おれはやつぱり口笛をふいて
大またにあるいてゆくだけだ

光冠

溶媒とは、物質を溶かす液体のこと。工業では溶剤と呼ばれることも多い。水のほか、アルコールやアセトン、ヘキサンのような有機物も多く用いられる。賢治はこれに「真空」を付けて、大気の透明感や絶対温度の感覚を与えている。

「真空溶媒」は気圏の大気そのものの比喩として使われる。「Eine Phantasie im Morgen」とは、ドイツ語で「朝の夢想」といった意味。

「融銅」はどろどろに熱に溶けている銅。ぎらつく太陽にたとえられる。「ハロウ」は、青白い光の円盤が見える光冠=写真、wiki=のように、大気中の水蒸気による光の屈折作用が作り出すもの。「白いハロウも燃えたたず」とは、雲に遮られて太陽がおぼろに光っている様子か。

賢治は「硝子(ガラス)」を光るものや透明なものの比喩に用いている。大正時代には国内でガラスの自給ができるようになり、都市の一般家庭にも窓ガラスやガラス戸が普及するようになっていた。

harutoshura at 21:10|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月05日

「かはばた」

次は「かはばた」という題の短い詩。「1922・5・17」の日付があります。

  かはばた

かはばたで鳥もゐないし
(われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子

エンバク

鳥もいない川べり、光の中を歩いてゆく子ども二人。しょっている燕麦(エンバク)=写真、wiki=とは、イネ科カラスムギ属の穀物。1~2年草。カラスムギ、オートムギ、オーツ麦、オート、マカラスムギとも呼ばれる。

家畜飼料になるほか、子実はアルコールや味噌の原料に用いられ、オートミールとして食用される。秋蒔きと春蒔きとに分かれる。ライムギと異なり、冷涼を好むが耐寒性は高くないため、寒冷地では凍害を受け冬を越せないことが多い。そのため、温暖な土地では秋蒔き、寒冷地では春蒔きを行うことが通例である。

コムギやオオムギ畑の雑草だったエンバクが約 5000 年前に中央ヨーロッパで作物化。鉄器時代に本格的に栽培されるようになった。中世、三圃式農業が確立すると、エンバクはオオムギとともに1年目の春耕地に蒔かれ、主に飼料用として利用された。

馬の飼料用が中心で、食用とするのはスコットランドなどに限られた。18世紀に入るとスコットランドで肉の消費量の急減とともにエンバクの消費量が急増した。1870年代にエンバクを工業的にフレーク化する技術が開発されると、食品会社がオートミールの大量生産に乗り出し、19世紀末以降アメリカで急速に普及した。

種子は飼料または食用として、藁は飼料として利用される。畑で生育中のエンバクをそのまま土壌に鋤きこみ、緑肥としても利用される。食用とする場合、エンバクは利用しやすいよう押し麦や引き割り麦とするか製粉される。脱穀し乾燥させて粒を加熱してローラーをかけるとフレークとなる。

穀物食品の中ではミネラル、タンパク質、食物繊維を最も豊かだが、グルテンを含まないため小麦ほどパンの原料には向かない。 オートミールに玄米や麦などを混ぜ、蜂蜜や油を混ぜて焼き、ドライフルーツを混ぜてできあがったのがグラノーラ。

日本には明治時代初期に導入され、特に北海道において栽培された。日本では馬の飼料、特に軍馬の飼料として栽培が奨励されたため、戦前には栽培面積が10万ヘクタールを割り込むことはなく、第二次世界大戦中の1940年から1944年にかけては131080ヘクタールを数え最高を記録した。

現在、日本においては北海道で生産され、国内向けのオートミール用に出荷されている。ほかに各地で栽培されているが、輪作の一環として飼料用や緑肥用とされるのがほとんどで、食用としての収穫はほとんどない。

イングランドでは小麦は食用、燕麦は飼料用のイメージが強かったが、スコットランドでは、エンバクは主食としての地位を確立していた。スコットランド人嫌いの詩人・批評家サミュエル・ジョンソンが同時代の辞書に残した燕麦の有名な定義がある。

Oats : A grain, which in England is generally given to horses, but in Scotland appears to support the people. (燕麦:穀物の一種で、イングランドでは馬を養い、スコットランドでは人を養う)

これにスコットランド人が激怒したが、サミュエル・ジョンソンの弟子でもあったジェイムズ・ボズウェルは、ユーモアを込めて次のように反論したという。

Which is why England is known for its horses and Scotland for its men.(そのため、イングランドはその産する馬によって名高く、スコットランドは人材において名高い)

harutoshura at 18:25|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月04日

「おきなぐさ」

次に読む詩は「1922・5・17」の日付がある「おきなぐさ」です。

     おきなぐさ

風はそらを吹き
そのなごりは草をふく
おきなぐさ冠毛〈くわんもう〉の質直〈しつぢき〉
松とくるみは宙に立ち
  (どこのくるみの木にも
   いまみな金〈きん〉のあかごがぶらさがる)
ああ黒のしやつぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光酸〈くわうさん〉の雲

おきな草

「おきなぐさ」=写真、wiki=は、キンポウゲ科の多年草。根茎は直立し、太い根があり、根生葉を叢生する。春、内側が茶色の花がやや下向きに咲く。全体が白毛におおわれている。白く長い綿毛がある果実の集まった姿を老人の頭にたとえ、翁草(オキナグサ)という。山地の日当たりのよい草原や河川の堤防などに生育する。花が、能楽の善界で大天狗善界のかぶる赤熊に似ているため別名に「善界草」など。うずのしゅげ、うずのひげ、おばがしら、ちごちごなどの地方名もある。

賢治には「うずのしゅげを知っていますか。うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若い花をあらわさないようにおもいます。そんならうずのしゅげとはなんのことかと言われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。それはたとえば私どもの方で、ねこやなぎの花芽をべんべろと言いますが、そのべんべろがなんのことかわかったようなわからないような気がするのと全くおなじです。」ではじまる美しい童話「おきなぐさ」もある。

「冠毛」は、萼の裂片が変形したもので、子房の先端に毛状に着き、風で種子が遠くまで飛んでいく。「質直」は通常、地味でまじめ、質朴なさまをいう。

「光酸」は、光の酸、あるいは光が燦々としている意か。賢治の造語で、輝きふりそそぐ光がものをまぶしく照らし、瞬間、光に溶けるように見える状態を“酸化”のようにとらえて感覚的に表したように思われる。

harutoshura at 19:30|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月03日

「休息」

次は、「1922・5・14」の日付のある「休息」です。

  休息

そのきらびやかな空間の
上部にはきんぽうげが咲き
 (上等の butter-cup〈バツタカツプ〉ですが
  牛酪〈バター〉よりは硫黄と蜜とです)
下にはつめくさや芹がある
ぶりき細工のとんぼが飛び
雨はぱちぱち鳴つてゐる
 (よしきりはなく なく
  それにぐみの木だつてあるのだ)
からだを草に投げだせば
雲には白いとこも黒いとこもあつて
みんなぎらぎら湧いてゐる
帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ
ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
あくびをすれば
そらにも悪魔がでて来てひかる
 このかれくさはやはらかだ
 もう極上のクツシヨンだ
雲はみんなむしられて
青ぞらは巨きな網の目になつた
それが底びかりする鉱物板だ
 よしきりはひつきりなしにやり
 ひでりはパチパチ降つてくる

バターカップ

「きんぽうげ」の初夏に咲く黄色いカップ形の花を、英名で「butter-cup〈バツタカツプ〉」=写真、wiki=という。キンポウゲは、田畑や小川べりなどに生えているキンポウゲ科キンポウゲ属の黄色い花で、植物分類学的には、ウマノアシガタ、タガラシ、キツネノボタンなどをいう。

「牛酪〈バター〉」はバターの福沢諭吉の訳。ヨーロッパで食品として一般化したのは、13世紀ごろ。日本では「白牛酪」というバターに近いものが江戸末期につくられたが、本格的に製造されたのは1873(明治6)年から。西洋料理やパン食の普及とともに受け入れられるようになった。

「牛酪〈バター〉よりは硫黄と蜜とです」とあるように、賢治は色彩的な比喩によく用いた。

「しやつぽ」は、フランス語の帽子「chapeau」による。日本で帽子が一般普及するようになったのは明治に入ってからで、洋装の普及や断髪の流行と密接に関係する。1871(明治4)年に散髪廃刀令が出ると、帽子の買い占めも起きたという。

このころから帽子のことをしゃれた言い回しとして「シャッポ」と呼ぶようになった。いまでも「シャッポを脱ぐ」という言葉が残っている。礼服用の高帽子(シルクハット)、軍隊や警察、鉄道、郵便などの制帽である平帽子(ケップ)、一般にかぶる丸帽子などがある。「きのこしやつぽ」はキノコに似ている帽子か。

harutoshura at 15:47|PermalinkComments(0)宮澤賢治 

2014年02月02日

「習作」

次は、「1922・5・14」の日付がある「習作」です。

習作

キンキン光る
西班尼(すぱにあ)製です
  (つめくさ つめくさ)
こんな舶来の草地でなら
黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい
と ┃ また鞭をもち赤い上着を着てもいい
ら ┃ ふくふくしてあたたかだ
よ ┃ 野ばらが咲いてゐる 白い花
と ┃ 秋には熟したいちごにもなり
す ┃ 硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ
れ ┃  立ちどまりたいが立ちどまらない
ば ┃ とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ
そ ┃ みきは黒くて黒檀(こくたん)まがひ
の ┃  (あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)
手 ┃ このやぶはずゐぶんよく据ゑつけられてゐると
か ┃ かんがへたのはすぐこの上だ
ら ┃ じつさい岩のやうに
こ ┃ 船のやうに
と ┃ 据ゑつけられてゐたのだから
り ┃ ……仕方ない
は ┃ ほうこの麦の間に何を播いたんだ
そ ┃ すぎなだ
ら ┃ すぎなを麦の間作ですか
へ ┃ 柘植(つげ)さんが
と ┃ ひやかしに云つてゐるやうな
ん ┃ そんな口調(くちやう)がちやんとひとり
で ┃ 私の中に棲んでゐる
行 ┃ 和賀(わが)の混(こ)んだ松並木のときだつて
く ┃ さうだ

黒檀

「西班尼(スパニア)」はスペインのこと。漢字で書く場合、ふつうは「西班牙」が使われる。英語読みで近年はスペインと呼んでいるが、スペイン語では「エスパニャ」。

「黒檀(こくたん)」=写真=はカキノキ科カキノキ属の熱帯性の常緑高木。原産はインド南部からスリランカ。柿に似た葉や丸い実をつけるが、幹は直立して樹皮が黒い。中身の材質も黒くて堅く、きめが細かく磨くと光沢が出るので装飾家具や楽器に用いられる。「みきは黒くて黒檀まがひ」は野ばらのイメージ。

「柘植さん」は、柘植六郎。賢治が教えを受けた盛岡高等農林の教授で、園芸などを専門にした。

「和賀」は岩手県中西部の地域で、秋田県との県境の1000メートル級の山々が連なる和賀山塊や国内最大級のブナの巨木のある原生林などで知られる。かつては多くの鉱山があって賑わい、賢治はひんぱんに出かけている。かつては和賀軽便軌道が敷設され、軌道と道路の両側に松並木が植えられていたようだ。

「とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く」は、北原白秋作詞、中山晋平作曲の「恋の歌」の一部。1919(大正8)年の元日から有楽座で公演された「カルメン」の劇中歌のひとつ。カルメン役の松井須磨子は、5日目の舞台を済ませた後、島村抱月のあとを追って自殺した。

この「習作」では、縦書きの詩行の上に、横書きでこの文が並んでいて、歩行スケッチの大胆な試みと考えられる。

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2014年02月01日

「風景」

次は、「風景」(1922・5・12)です。

   風景

雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
截られたたらの木もふるふ
 さつきはすなつちに廐肥(きうひ)をまぶし
   (いま青ガラスの模型の底になつてゐる)
ひばりのダムダム弾(だん)がいきなりそらに飛びだせば
  風は青い喪神をふき
  黄金の草 ゆするゆする
    雲はたよりないカルボン酸
    さくらが日に光るのはゐなか風(ふう)だ

たらのき

「カルボン酸」は、酢酸、シュウ酸、脂肪酸などカルボキシル基(親水性)を有する化合物の総称。脂肪酸は、炭化水素鎖の末端の水素1個が、カルボキシル基で置換された構造をもつカルボン酸。カルボン酸とアルコールの反応によってエステルができる。

賢治はカルボン酸や脂肪酸を雲の形容に用いるが、それは長鎖脂肪酸の白蝋色から雲を連想したという見方や化学構造式が雲の形に似ているからという説がある。

「たらの木」=写真、wiki=は、ウコギ科の落葉低木。高さ2~5メートル。花巻での方言ではタラボウともいう。あまり枝分かれせずにまっすぐに立ち、葉は先端に集中する。樹皮には幹から垂直に伸びる棘がある。

葉は50-100cmにも達する大きなもので、草質でつやはない。葉柄は長さ15-30cmで基部がふくらむ。小葉は卵形~楕円形で長さ5-12cmで裏は白を帯びる。

夏に小さな白い花を複総状につける花序を一つの枝先に複数つける。秋には黒い実がなる。新芽を「たらのめ」「タランボ」などと呼び、天ぷらなどに調理される。茎はすりこぎになる。

分類上は幹に棘が少なく、葉裏に毛が多くて白くないものをメダラ var. cansecens (Fr. et Sav.) Nakai といい、むしろこちらの方が普通とのことである。現実的には両者混同されていると見るのが妥当であろう。
秋に

「廐肥」は、「きゅうひ」。「うまやごえ」「こやし」「こえ」と読むこともある。家畜などの糞尿と、藁などを混ぜて腐らせた肥料で、四角く束にして保存したり運んだりする。

「ダムダム弾」は小銃の弾。命中すると破裂して傷口を広げるので、1907年の第2回ハーグ会議で使用禁止になった。ダムダム(dumdum)は、イギリスがインドのダムダム造兵廠でつくったことから付いたとされる。

harutoshura at 20:43|PermalinkComments(0)宮澤賢治