2013年11月

2013年11月30日

辻井喬の色紙

暗い空に耐へる
やさしさのために
凍った風のなかの
希望のために
梢に拡がる空に
むかって鳥を放とう

辻井喬

辻井喬さん=写真=が亡くなった。
長野県の諏訪湖畔にある「平林たい子記念館」の壁に、辻井さんのこんな色紙が飾られている。それを私が実際に見ているわけではないのだが、読売新聞にそうあったのをまた書きでメモしていたのを思い出した。
ちょうど1年前、吉本隆明に関する講演を聴いたのが、私にとっての辻井さんの最後となった。2年前に死んだ私の父と同年生まれ。父に比べたとき、その自信たっぷりの語り口と若々しい姿が、強く印象に残っていた。


harutoshura at 00:44|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月29日

安藤一郎「不在」

  不在
     
       安藤一郎
         
空間には
螺旋(らせん)の道がある――
  
そこを緩(ゆる)やかにすべりながら
舞い下りて
いま 大地に触れようとする
一枚の落葉
それは 急に巨大な手となり
褐(かち)いろの静寂を
地球の上に 横たえる
  
あの上に いとも軽々と乗っていたのは何だろう
あれを 微(かす)かに蹴って
再び 天へ昇っていったものは?

不在

褐色の静寂、微かに蹴って



harutoshura at 09:30|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月28日

まど・みちお「とうがらし」

  とうがらし

         まど・みちお

さわるな さわるな
あたま とんがらして
まっかに なって
おこってる おこってる
とうがらし

tou

そう「あたま とんがら」せず、心安らかにまいりましょう。


harutoshura at 04:30|PermalinkComments(0)まど・みちお 

2013年11月27日

伊吹六郎「鸚鵡」

  鸚鵡
       伊吹六郎

いってはならない言葉がある
  
小さい眼をとじて考える
足を踏みかえて考える
  
いったらすべてが崩壊する
いったらもう生きてはいられない

オウム

口に出したら最後、でもしゃべらずいられぬのが「言葉」なのでしょう。


harutoshura at 10:30|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月26日

上野壮夫「霧」

  霧

        上野壮夫

霧が流れ
しんしんと霧が流れ
みえぬ原初からふるやうに
影ある風となって 霧が流れ……

その山頂の上に
さらに永劫の高さがあり
その暗い涯から 暗い生のやうに
いんうつに 小止みなく 霧が流れ……

霧

いつもこころのどこかに霧が立ち込め、晴れたと思ってもまた流れてきます。


harutoshura at 11:30|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月25日

武者小路実篤「どちらが本当か」

  どちらが本当か

        武者小路実篤

天気よ
お前は
晴天なのが本当か
雨のふるのが本当か
曇天が本当か
風の吹くのが本当か
吹かないのが本当か。
  
川よ
お前は
清いのが本当か
濁つてゐるのが本当か
激してゐるのが本当か
静かなのが本当か
  
私は知らないよ。

仕事始め
 
とりあえず、清濁併せ呑んで。ゆっくりいきましょう。


harutoshura at 01:52|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月24日

石原吉郎「居直りりんご」

  居直りりんご

       石原吉郎

ひとつだけあとへ
とりのこされ
りんごは ちいさく
居直ってみた
りんごが一個で
居直っても
どうなるものかと
かんがえたが
それほどりんごは
気がよわくて
それほどこころ細かったから
やっぱり居直ることにして
あたりをぐるっと
見まわしてから
たたみのへりまで
ころげて行って
これでもかとちいさく
居直ってやった

居直りりんご

わが家のテーブルには、この時期、長野から送られてきたりんごがデンと居座っています。


harutoshura at 00:11|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月23日

山本太郎「雪の山」

  雪の山

        山本太郎

ゆき
ふる白い布でぐるぐるまかれた
小さな ミイラ
扇状谷(カール)も 林も
ミイラ いっぱい
  
みんないるか
大丈夫か
なんだか ひとり
ふえたみたいだ

雪だるま

雪だるまも、また、ひょっとしたらミイラでしょうか?


harutoshura at 12:42|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月22日

三好達治「雪」

  雪

       三好達治              

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。


太郎

雪の詩といえば、まずは、有名なこの一篇ですね。


harutoshura at 12:46|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月21日

萩原恭次郎「日比谷のベンチで」

  日比谷のベンチで

         萩原恭次郎

日比谷のベンチで
雪と愛が悲しいSの字を描いてゐる
青い魚がどこともなく泳いで
空に寒い街並みが映つてゐる
頭の中に恋人の欧文字があつた
捨てゝある蜜柑の皮は自らを嘲笑ふ赤い舌である!

ベンチ (1)

コートにくるまって冬のベンチも、なかなかいいものですね。


harutoshura at 12:53|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月20日

岩田宏「暦の囚人15」

  暦の囚人15

        岩田宏

嗤(わら)え
いい天気と
人なつこい犬と
ちいさな賃仕事
それだけあれば御機嫌な
おいらを嗤え

イヌ

わらわれたって、なに言われたって、おいらはおいら。


harutoshura at 15:33|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月19日

岡潔「お見送り」

一日実によい天気
ポカポカと
家を出て一点の雲もなく
お日さまを西山に
お見送りする

鳥海

和歌山の山奥でイモをかじりながら研究に没頭した孤高の大数学者、岡潔(1901 - 1978)の作。難問に挑むが、容易くは解けずに行き詰まり、でも夢中に挑み、さまよう姿が目に浮かんできます。


harutoshura at 15:21|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月18日

淵上毛銭「死算」

  死算

       淵上毛銭

じつは
大きな声では云へないが
過去の長さと
未来の長さとは
同じなんだ
死んでごらん
よくわかる。

現在過去未来

本当かな? 死んでないから、わからないでいられるんか。


harutoshura at 14:19|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月17日

中江俊夫「物音」

  物音

         中江俊夫

そつと 物たちがふり向く
すると「誰れ」? と言うことばが
もう両手をあげて
小闇にはしつていく
その時
私たち二人の 世界がわからなくなり
お互いの心臓と ふれあつたりして
思わず
「どうしようか」  となんか
ためらいがちに 笑つたりする

振り向く

テレビを消して、しばし「物たち」がふり向くおとに耳を傾けてみましょうか。


harutoshura at 14:05|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月16日

野間宏「信号」

  信号
     
       野間宏

星の落ちるように音もなく
何ものかがかすめとおり、
憎しみはわが心にみなぎる。
囚われの日本よ!
白や黄や卵色の車はわが眼の中を、街角をよぎる
  
この憎しみの色が緑なら
赤い血の上にあざやかに置け!
赤い血が憎しみの色なら
それはわが胸に流れている。
それは日本の胸に流れている。
  
国をうるもの達の足がいま渡って行く、
星の落ちるように音もなく
日本の信号よ! 日本の緑の赤は
憎しみの速度ばかりを許せ!
囚われの日本よ!

信号

写真は、http://www.altarimini.it/telecamere_semafori_giudice_da_ragione_al_comune_2644.php から。日本の、ではありません。


harutoshura at 13:42|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月15日

杉山平一「下降」

  下降  

       杉山平一

仲好しと、いま別れたらしい
娘さんが笑みを頬にのこしたまま
六階からエレベーターに入つてきた
四階で微笑んだ口がしまり
三階で頬がかたくなり
二階で目がつめたくなり
一階で、すべては消えた
エレベーターの扉があくと
死んだ顔は
黒い雑踏のなかに入つて行つた

エレベーター

エレベーターほど、いろんな意味で「緊張」をしいられる乗りものはない。待ってても、乗ってても、いつも、そう感じます。私だけ、でしょうか?


harutoshura at 13:19|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月14日

渡辺武信「時の鐘」

  時の鐘
  
         渡辺武信
       
歳月が恋する者の腕の中で
きらめきながら よどむ淵をめぐり
陽射はゆっくりとまわり続け
大きな鐘の形をつくって
ぼくたちをつつんだ
  
昨日のように風が吹き
明日のように樹々がざわめく
しかし流れ去っていくのは
風でもなく時でもない
  
ぼくはきみのまなざしの中に
過ぎゆく日々の光を読み
きみのしぐさの中に
訪れようとする夜々の軌跡を読む
くちづけの味を忘れぬ舌の上で
昨夜のサラダやサラミが
食べようとする笹身やわさびと出会い
今宵 重ねたスコッチの香りが
酔いざめの水の甘さとまじり合う
 
ぼくたちは
少しづつ過去に生き
少しづつ未来に生き

スコッチウイスキー

少しづつ過去に生き、少しづつ未来に生き、時の鐘のあいま、ときにはスコッチを重ね。


harutoshura at 13:06|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月13日

佐藤惣之助「川」

  川

       佐藤惣之助

川は自然の青い糸だ
巻いてもまいても花のやうに船を引きずる

川は空中のハンケチをもつて
貧乏で善良な女達の足を洗ふ

川は燈火の恋人で
燈火は娘のやうに川を恋しがる

はれやかな川は夏の市場のやうに
ひかりと水の展覧会を見せる

川は女を大祭日のやうに照らす
赤楊(はん)の花と太陽が化粧する間に

川は雪と花の新しい銃で
憂鬱な人の心を射撃する

川

そういえば自然の「青い糸」、しばらく眺めていなかった。閉じこもってばかりいて。


harutoshura at 11:31|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月12日

中桐雅夫「電車 」

  電車
     
       中桐雅夫
          
吊革につかまっている人
座席にすわっている人
揺れるままに揺れている人
薄暗い電灯の下の
君が誰だか誰も知らない
自分の駅では降り
ある時には乗越してまた戻ってくる
君が誰だか君も知らない
  
君のくたびれたネクタイ
その結び目のなかには
なにか君の気づかないものがかくれている
何日も磨かない破れたままの靴
その減ってしまった踵の皮には
なにか君をいらだたせるものがかくれている
よく考えれば
それが何だか君にもわかろう
  
君の屍体を焼く
一本のマッチの焔のなかにそれはかくれているのだ

電車

いきざまがあり、いきざまがかくれて


harutoshura at 11:16|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月11日

小熊秀雄「鳩時計」

  鳩時計

       小熊秀雄

鳩時計
扉をひらいて鳩が出てきた
さてクックッと鳴いたきりで
何んにも報告することが
ないと引退つた
報告のない人生
まさに彼女のいふ通り

鳩時計

そういえば、このところ鳩時計を見ること、めったになくなりました。


harutoshura at 11:08|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月10日

伊東静雄「百千の」

  百千の
     
        伊東静雄

百千の草葉 もみぢし
野の勁(つよ)き琴は 鳴り出づ
   
哀しみの
熟れゆくさまは
酸き木の実
甘くかもされて 照るに似たらん
   
われ秋の太陽に謝す

百千の

紅葉前線、いよいよ大詰めに差しかかってきました。
できうれば散る前に、今年こそは「野の勁き琴」の音、ききわけにゆきたい。


harutoshura at 10:57|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月09日

土井晩翠「おほいなる手のかげ」

  おほいなる手のかげ

          土井晩翠

月しづみ星かくれ
嵐もだし雲眠るまよなか
見あぐる高き空の上に
おほいなる手の影あり。

百万の人家みなしづまり
煩悩のひびき絶ゆるまよなか
見あぐる高き空の上に
おほいなる手の影あり。

ああ人界の夢に遠き
神秘の暗(やみ)のあなたを指して
見あぐる高き空の上に
おほいなる手の影あり。

影

今夜は、おほいなる手の影の気配、ありますか?


harutoshura at 10:48|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月08日

マルクス「憧憬」

  憧憬

         マルクス(訳・井上正蔵)

「どうして胸が深く呼吸(いき)し、眼が熱く輝くのか、
 どうして静脈がすっかり炎(も)えるのか、
 闇に威圧されるかのように、運命に鞭打たれるかのように、
 おまえの憧れは嵐の中に落ち込むのか?」
   
「眼を見せてくれ、鐘の音のように
 虹の七色につつまれる眼を。
 そこに焔が奔流し、歌が泡立つ。
 そこには星雲が波打つ!」

女

あの「資本論」のカール・マルクス(1818-1883)も詩人だった。革命のための戦いは散文で理論武装しても、自分の感情の激しさは散文ではあらわせきれなかったのだろうか。


harutoshura at 10:08|PermalinkComments(0)その他(海外) 

2013年11月07日

蔵原伸二郎「石の思想」

  石の思想

         蔵原伸二郎

広い河原にいって
石の間にもぐり込むのがすきだ
  
石たち自らの追憶 その二十億年は
昨日のようだ
二十億年前の 青い蝶が
ほら 河原をよこぎってゆくのが見える
  
石たちの上を 時間がゆっくりゆっくり
あるいている
ほら 一匹のバッタが
しだいに 巨視像となって
永劫の空に映っている
  
光り かげり また光る 雲たち
回転しながらいつか無の中に消える地球
ぼくも 石たちも
やがて 消え去るために
今は
光っている

石 (1)

今度の晴れた休日には、石を見に行こ~っと!


harutoshura at 10:02|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月06日

金子光晴 「湖畔吟」

  湖畔吟

        金子光晴

僕は、目をとぢて、そつと
のがれてきた。
指先までまつ青に染みとほる
このみづうみの畔に。

湖畔の風物は
峻しい結晶体だ。
つめたい石質のなかに湧立つ
若やぎ。

かげる山山の
雪まだら。
照る山山の
薔薇の酒。

あわただしい時に追はれることなく
くゆるがごとく
日はうつらふた。
瑩の影のやうにたゆたふて。

山鳩の啼くから松林の
雪の径を僕はふみにきたのだ。
日も夜も戦争にいれあげて
心荒んだ人人から離れて。

目盲ひゆく孤独にも似て
日に日に氷張りつめる湖辺に
僕は佇みにきた。
夢で辿りついたやうに。

反心勃々たる僕の魂を
人目を怖れる僕の詩を
清浄な死、永遠の手許近く
くる春まで、氷に埋めるため。

僕はのがれてきた。
あの精神の貧困から
また、無法な
かり出しから。

批判を忘れた
ひよわな友と別れ、
ながい年月起伏した
なつかしい部屋をすて。

なにもかも骨灰となるだらう。
人間を忘れた人間の愚かさから。
僕の苦悩の呻きもそこからくる。
光は遠退く。あたりのむなしい騒乱。

たかい梢からふり落す雪烟り。
枯れた萩花のざわめき。
厚氷のしたで
死んだ水の吹く洞簫。

それから、綺羅星どもの賑やかな
夜。
鏤められた空の
非情のはなやぎ。

コハン

これも、中学生のとき、何度も口ずさんだ詩です。子どもながら「批判」という言葉の意味合いに思いをはせました。写真は、黒田清輝『湖畔』(1897年)


harutoshura at 19:00|PermalinkComments(0)金子光晴 

2013年11月05日

村野四郎「鹿」


  鹿

       村野四郎

鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして

鹿

中学の時の国語の教科書に載っていて、いまでもときおり言葉が出てきます。この詩に描かれた一瞬の「生」の輝き、年をとるごとに実感するようになりました。


harutoshura at 09:47|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月04日

東川澄雄「飛翔」

  飛翔

        東川澄雄

鳴いて飛ぶ
鳥は いくつか
山脈をこえた
白き空間に
せわしない羽音を残して
一万フィートの山々

飛翔

中学校の時の国語の先生の詩です。宮沢賢治の研究をしていた先生でもあり、大きな影響を受けました。渡り鳥がやってくるいまごろの季節になると思い出します。


harutoshura at 09:41|PermalinkComments(0)その他(日本) 

2013年11月03日

かぐはしい南の風は
かげろふと青い雲滃(おう)を載せて
なだらのくさをすべって行けば
かたくりの花もその葉の班も燃える

賢治のうた

冒頭にあげたのは、私が中学1年生になったばかりのときに手にした『賢治のうた』(草野心平編著)のトビラにある「北上山地の春」という作品の一部です。

思えば、いまも座右に置かれている宮沢賢治の一冊の文庫本から、私の「詩」との長いつきあいがはじまりました。

『賢治のうた』の中でも、とりわけ深いところで私の心に共鳴したのが「春と修羅・序」でした。当時、賢治の「序」を真似て、次のような詩を作りました。

   序

目的は
己の表面を安全な殻で保ち
その内部において自己の存在と
知性の限定にある現在の時間で
世界という存在の絶対的真理をつかむこと
それは数は宇宙を支配する
という形態で表面から投下される
だが
唯一の成功が真の無限と偶然の虚像という
命題であるごとく
この日生と死のぎりぎりの空間に挑む
修羅に転じる

(昭和50年11月3日)

私にとっての「序」を記したこの「昭和50年11月3日」から、早いもので今日でちょうど38年。そんな日に、きわめて地味なブログを始めることにしました。

このブログは、近年あまり関心がもたれなくなってきた「詩」を少しずつ読み、詩とは何かということを私なりに考えていくために作りました。

私のいう詩というのは、明治期の近代化とともに作られるようになった新体詩(近代詩)を中心に、短歌や俳句、漢詩、さらには古今東西さまざまな世界で「詩」と呼ばれてきている言葉の集合体のことを指しています。

逆に、詩とは何か、ということがよくわからないので、なんとなく掬い取ってみたくて、50歳を過ぎたいまも、才もないのに飽きることなく、あれ、これ、読みつづけているといったほうが当たっているのかもしれません。

迷い、ためらい、あっちへ手を出し、またこっちへ戻ってと、これまでの人生のように紆余曲折を重ねながら、それでも、生あるかぎり詩への旅を楽しみつづけていくことになりそうです。

このブログが、そんな私の最後の「旅」の道標であり、記録になれば、と考えています。


harutoshura at 09:06|PermalinkComments(0)宮澤賢治