2013年11月
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2013年11月19日
2013年11月17日
2013年11月16日
野間宏「信号」
信号
野間宏
星の落ちるように音もなく
何ものかがかすめとおり、
憎しみはわが心にみなぎる。
囚われの日本よ!
白や黄や卵色の車はわが眼の中を、街角をよぎる
この憎しみの色が緑なら
赤い血の上にあざやかに置け!
赤い血が憎しみの色なら
それはわが胸に流れている。
それは日本の胸に流れている。
国をうるもの達の足がいま渡って行く、
星の落ちるように音もなく
日本の信号よ! 日本の緑の赤は
憎しみの速度ばかりを許せ!
囚われの日本よ!
写真は、http://www.altarimini.it/telecamere_semafori_giudice_da_ragione_al_comune_2644.php から。日本の、ではありません。
2013年11月15日
2013年11月14日
渡辺武信「時の鐘」
時の鐘
渡辺武信
歳月が恋する者の腕の中で
きらめきながら よどむ淵をめぐり
陽射はゆっくりとまわり続け
大きな鐘の形をつくって
ぼくたちをつつんだ
昨日のように風が吹き
明日のように樹々がざわめく
しかし流れ去っていくのは
風でもなく時でもない
ぼくはきみのまなざしの中に
過ぎゆく日々の光を読み
きみのしぐさの中に
訪れようとする夜々の軌跡を読む
くちづけの味を忘れぬ舌の上で
昨夜のサラダやサラミが
食べようとする笹身やわさびと出会い
今宵 重ねたスコッチの香りが
酔いざめの水の甘さとまじり合う
ぼくたちは
少しづつ過去に生き
少しづつ未来に生き
少しづつ過去に生き、少しづつ未来に生き、時の鐘のあいま、ときにはスコッチを重ね。
2013年11月13日
2013年11月12日
2013年11月11日
2013年11月10日
2013年11月09日
2013年11月08日
2013年11月07日
2013年11月06日
金子光晴 「湖畔吟」
湖畔吟
金子光晴
僕は、目をとぢて、そつと
のがれてきた。
指先までまつ青に染みとほる
このみづうみの畔に。
湖畔の風物は
峻しい結晶体だ。
つめたい石質のなかに湧立つ
若やぎ。
かげる山山の
雪まだら。
照る山山の
薔薇の酒。
あわただしい時に追はれることなく
くゆるがごとく
日はうつらふた。
瑩の影のやうにたゆたふて。
山鳩の啼くから松林の
雪の径を僕はふみにきたのだ。
日も夜も戦争にいれあげて
心荒んだ人人から離れて。
目盲ひゆく孤独にも似て
日に日に氷張りつめる湖辺に
僕は佇みにきた。
夢で辿りついたやうに。
反心勃々たる僕の魂を
人目を怖れる僕の詩を
清浄な死、永遠の手許近く
くる春まで、氷に埋めるため。
僕はのがれてきた。
あの精神の貧困から
また、無法な
かり出しから。
批判を忘れた
ひよわな友と別れ、
ながい年月起伏した
なつかしい部屋をすて。
なにもかも骨灰となるだらう。
人間を忘れた人間の愚かさから。
僕の苦悩の呻きもそこからくる。
光は遠退く。あたりのむなしい騒乱。
たかい梢からふり落す雪烟り。
枯れた萩花のざわめき。
厚氷のしたで
死んだ水の吹く洞簫。
それから、綺羅星どもの賑やかな
夜。
鏤められた空の
非情のはなやぎ。
これも、中学生のとき、何度も口ずさんだ詩です。子どもながら「批判」という言葉の意味合いに思いをはせました。写真は、黒田清輝『湖畔』(1897年)
2013年11月05日
2013年11月04日
2013年11月03日
序
かぐはしい南の風は
かげろふと青い雲滃(おう)を載せて
なだらのくさをすべって行けば
かたくりの花もその葉の班も燃える
冒頭にあげたのは、私が中学1年生になったばかりのときに手にした『賢治のうた』(草野心平編著)のトビラにある「北上山地の春」という作品の一部です。
思えば、いまも座右に置かれている宮沢賢治の一冊の文庫本から、私の「詩」との長いつきあいがはじまりました。
『賢治のうた』の中でも、とりわけ深いところで私の心に共鳴したのが「春と修羅・序」でした。当時、賢治の「序」を真似て、次のような詩を作りました。
序
目的は
己の表面を安全な殻で保ち
その内部において自己の存在と
知性の限定にある現在の時間で
世界という存在の絶対的真理をつかむこと
それは数は宇宙を支配する
という形態で表面から投下される
だが
唯一の成功が真の無限と偶然の虚像という
命題であるごとく
この日生と死のぎりぎりの空間に挑む
修羅に転じる
(昭和50年11月3日)
私にとっての「序」を記したこの「昭和50年11月3日」から、早いもので今日でちょうど38年。そんな日に、きわめて地味なブログを始めることにしました。
このブログは、近年あまり関心がもたれなくなってきた「詩」を少しずつ読み、詩とは何かということを私なりに考えていくために作りました。
私のいう詩というのは、明治期の近代化とともに作られるようになった新体詩(近代詩)を中心に、短歌や俳句、漢詩、さらには古今東西さまざまな世界で「詩」と呼ばれてきている言葉の集合体のことを指しています。
逆に、詩とは何か、ということがよくわからないので、なんとなく掬い取ってみたくて、50歳を過ぎたいまも、才もないのに飽きることなく、あれ、これ、読みつづけているといったほうが当たっているのかもしれません。
迷い、ためらい、あっちへ手を出し、またこっちへ戻ってと、これまでの人生のように紆余曲折を重ねながら、それでも、生あるかぎり詩への旅を楽しみつづけていくことになりそうです。
このブログが、そんな私の最後の「旅」の道標であり、記録になれば、と考えています。